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シャロン 1 わがままな婚約者 1
しおりを挟む人生とはなにが起こるかわからないもので、のびのびと育てられるはずだったシャロンは僅か六歳で四つ上のジャスティン王子との婚約が決まってしまった。
彼に対する第一印象は「きらきらしている人」だった。
のびのびと育てられるはずだったシャロンは、未来の王妃に相応しいようにととても厳しい教育を受けるようになる。お勉強もお稽古も同世代の令嬢よりずっと厳しいものになってしまった。
生来、とても恥ずかしがり屋で緊張しやすいシャロンだが、厳しい教育の効果か、恥ずかしさを隠すことができるようになった。その代わり、とても冷たいと評されることが増えた。ただ、淡々と、落ち着いて、極力感情的な反応をしなければ恥じることもないだろう。恥じるのは感情の揺れを他人に評価されることを恐れているからだ。
シャロンは毎日必死に表情を作った。けれどもそうすると、殿下の評価は悪い。
「シャロン、俺と居る時くらいもう少し楽しそうな顔をして見せろ」
きらきらの王子様はシャロンよりも四つも上なのにシャロンよりも子供みたいな人だった。とてもわがままで常に自分が中心でありたいと考えるような目立ちたがり屋。そんな彼にどうして求婚されてしまったのか、十八になった今でもわからない。けれどもなぜか、そんな彼が放っておけなくて、日に日に彼に心を奪われていた。
シャロンは人前に出ることがあまり得意ではないので必要に迫られた場合を除き、教育係に自宅へ足を運んでもらっていたが、殿下はなにかと理由を付けてはシャロンを王宮に呼びつけた。それも、とてもくだらない理由が多い。
式典で着る上着の色が決まらないから意見を聞きたいだとか、明日履く靴を選べだとか、庭の花を植え替えるから選べだとか、わざわざシャロンを呼び出さなくても他の誰かで済んでしまう話から、暇だからお茶に付き合えだとか、書類を読むのがめんどくさいから読み上げろだなんて理不尽なものまである。
殿下がよくわからない。それでも頻繁に呼びつけると言うことは今のところ嫌われてはいないものだと思っていた。
けれども頻繁に体に触れようとしてくるのには困ってしまう。
婚約しているとは言え、まだ未婚なのだからそれなりの距離で接しなくてはいけない。彼の評価に関わってしまう。
その日もお茶に呼ばれた。
曰く「メイドの淹れ方が気に入らないからお前がお茶を淹れろ」と。シャロンも決して暇ではないのだが、婚約者とは言え王子の命令だ。断れない。そして、可愛らしいティーセットを用意された部屋に通されたのだ。
命じられるままにお茶を淹れればほぼひきこもりのシャロンでさえ知っている王都で有名な菓子店のケーキを差し出される。これは不味い。とても美味しそうだ。
シャロンは人前で食事をすることがとても苦手だ。殿下には減量中だと伝えているのだが、彼は「これ以上痩せては抱き心地が悪くなる」と減量には非協力的だ。そして、いつもシャロンが食べる様子をじっと観察するのだ。
恥ずかしい。
とても恥ずかしい。他人になにかを食べるところを見られるのが恥ずかしい。
それも全部、シャロンのいけないお口のせいだ。
シャロンはどういうわけか、昔から口の中がとても敏感だ。それが性的な快感に繋がっていると言うことに気がついたのはここ数年の話ではあるが、食事や歯磨きでさえ、敏感になって妙な声が漏れてしまったりだらしない顔になってしまったりする。それを殿下に見られるわけにはいかない。気づかれてしまえばきっと淫乱な女だと幻滅されてしまうだろう。
「シャロン、折角用意してやったのに食わないのか?」
殿下は今日もまた苛立った様子だ。不機嫌を全く隠そうともしてくれない。
シャロンがケーキを食べないことが気に入らないのだとは知っている。けれどもあのクリームの食感は絶対だめだ。きっと淫らな女だと思われてしまう。
「ごめんなさい。コルセットをきつく締めすぎてしまって……」
「だから俺が呼んだときはそんなものは外せと言っているのだ」
彼は更に苛立った様子だ。食べないのが気に入らない。コルセットが気に入らない。シャロンが言うことを聞かないのが気に入らない。彼の気に入らないことだらけだ。
「まったく……俺が即位したら真っ先にコルセットを廃止する法律を作ってやる」
彼は不満そうにそう言って、行儀悪く手掴みでケーキに齧りつく。それなのに、その姿が絵画のように美しいのだから困ったお方だ。
いつも不機嫌なこのきらきら王子様は甘い物が大好物だ。それほど小さくはないケーキがあっという間に消えてしまう。
「よろしければこちらもどうぞ」
「俺が用意したんだぞ? まったく……お前はなにを用意しても喜ばない」
かれはとても不満そうにそう言って、更にシャロンのコルセットを見る。
「骨格が変わるから締めすぎるなと言っているだろう。子を産めなくなったらどうする」
とても不満そうに、乱暴な言葉で言うけれど、彼が心配してくれているのだということは知っている。コルセットが骨格に与える影響をきちんと把握してくれている。
彼がいつもシャロンが食べないことを怒るのもきっと心配してくれているからだ。食事が苦手だということをちゃんと伝えられてはいないが、それでも食が細いとは思われているはずだ。
「俺の婚約者ならもっとそれらしくしろ」
「……はい、殿下。殿下との婚約者として恥ずかしくない振る舞いを勉強させて頂いています」
まだ足りない。教育係たちにはだいぶ褒められるようになった。姿勢、歩き方。余計なことは口にせず、ただ、すました顔をしていればいいと。無理に他者を楽しませるような振る舞いを目指さず、気品を感じさせる振る舞いをしなさいと。
けれども殿下はそれでは満足してくださらない。
「……くそっ……」
殿下はらしくない舌打ちをする。シャロンの前での彼は、気品なんてどこかに放り投げてしまったかのような振る舞いが目立つ。あのきらきらとした外見でこれなのだ。きっと精神年齢は出会った時の少年のままなのだろう。彼がそれでも許されるのは仕事はできるからだ。性格は幼いがなんでもそれなりにそつなくこなしている。必要なときはお行儀良くもできるのだ。
「殿下、本日が期限の決済が終わっていないようですが?」
ノックもなしに扉が開いたかと思えば見慣れた顔が入ってくる。長兄のアレクシスだ。
「後にしろ」
「いいえ、そういう訳にはいきません。妹とお茶を楽しみたいのであれば先に仕事を終わらせてください」
兄は一歩も譲らない。
九つ離れた長兄は母親が違うがそんなことは気にせずにシャロンや他の兄たちと接してくれている。とても優しい人だ。少し怒りっぽいけれど。
「お前は少しは王子である俺を敬え。シャロン、お前もだぞ。ったく……兄妹揃って涼しい顔で俺を馬鹿にしているのか?」
殿下はいつも以上に不機嫌だ。
「お兄様、今日はなにかありましたの?」
殿下の不機嫌は原因となる理由が複数浮かんでしまい、今日はなにが原因でここまで機嫌が悪いのか特定することが困難だ。
「いや、近頃ずっとあんな調子だ。お前と会うと少し機嫌が直ることもあったが……今日は失敗の様だな。お前こそなにをしでかした」
兄とこそこそやりとりをすればそれも気に入らないらしく、乱暴な手つきでケーキを掴み貪る殿下。とても王族とは思えない振る舞いだ。
「コルセットをきつく締めすぎてしまい叱られてしまいました。ですが……外したら外したでクラウド夫人に叱られてしまいます」
困ってしまう。殿下を怒らせてしまうのも困る。いや、彼の場合はシャロンを心配してくれている部分もある。けれども教育係のクラウド夫人はとても伝統に拘る方でシャロンの身につける物ひとつひとつにうるさい。今日着けてこようと思った殿下から贈られたイヤリングさえ没収されてしまうほどだ。
「……これ以上夫人を怒らせてしまうとイヤリングを返してもらえなくなりそうです」
殿下の髪のように綺麗な蜂蜜色の宝石が美しいイヤリングを試着していたら夫人に見つかってしまったのだ。お茶会には華美過ぎると没収されてしまった。
「なにをこそこそ喋っている」
殿下は更に不機嫌になる。
「大体シャロンは俺がドレスを選んでやっても宝石を選んでやっても喜ばない。一体なになら満足する」
今日は更に苛立っている。これはどうしたらいいのだろう。
「殿下、妹は顔には出にくいだけで喜んでいます」
「嘘を言うな。一度だってシャロンが身につけているところを見たことがないぞ」
そうなのだ。折角殿下からたくさん頂いても、シャロンは身につける機会がない。いや、今日はこれでと思うと、なぜか教育係に没収されてしまったり、父から別の物にするように指示が入ったりする。
「申し訳ございません」
素直に謝るしかない。
「あの蜂蜜色のイヤリング、とても綺麗でした。しかし、普段使いには少し華美過ぎるとクラウド夫人に……」
睨まれて最後まで言い切ることができなかった。
彼の鋭い視線に体が震えてしまう。
どうもシャロンは昔から緊張しやすい。殿下に視線を向けられるとそれだけで緊張してしまうし、触れられると体が過剰に反応してしまう。
「あ、あの……あまり見られると……」
恥ずかしい。もうこれ以上見ないで欲しい。
必死に目を伏せる。しかし殿下は逃がしてはくれない。
近づいて顎に触れる。持ち上げられ、視線を合わせられてしまう。
「俺がお前に贈ったんだ。クラウド夫人などどうでもいい」
殿下の親指が唇に触れる。驚きのあまり体が大袈裟に反応してしまい、気がつけば逃げるように後ろに下がっていた。
「殿下、婚約しているとは言え未婚の娘です。これ以上はお許しください」
兄が割って入る。
「シャロンは俺の婚約者だ。問題ないだろう?」
「しかし正式に結婚するまではこういったことはお控えください」
流石に王子相手ではアレクシスも首を絞めたりはしないだろう。ただ、苛立っているのか手がピクピクと動いているのは見える。
殿下は殿下で苛立った様子で舌打ちをする。そして諦めたようにシャロンから離れた。
「だったらさっさと結婚させろ。お前らカラミティー侯爵家といい父上といい……なにかと理由を付けては先延ばしにしやがって」
なにかと理由をつけては? 不思議に思ったシャロンは兄を見る。
「……またか……」
兄は大袈裟に溜息を吐いた。
「まったく、めんどくさいことになるからそういう手は使うなといつも言っているのにいつになったら学習するんだあのクソジジィ共はよぉ!」
キレて思いっきり床を蹴る兄。普段の穏やかな空気はどこかに消えてしまった。
短気なのはもう皆が知っている秘密だが、これでも普段は冷静な文官として知られているのだ。
「えっと……なにかあったのでしょうか?」
「婚約が決まった段階で結婚の時期も決まっているのに、面倒ごとを殿下に処理させる為にシャロンを口実に使ってるんだよ。宰相と陛下が」
「はぁ……」
「これを解決したら、あれを解決したらとどんどん難題を追加してな。結婚したら働かなくなるとでも思っているのだろう。今のうちにやらせておけと」
それはどうなのだろう。殿下は基本的には真面目な方だ。少しわがままな振る舞いが多いけれど、仕事はしっかりとこなしている。
「くそっ……」
殿下は更に苛立った様子で乱暴にテーブルを叩いた。おかげでカップが浮き、ドレスにお茶が跳ねてしまう。
「いけない。染みになってしまうわ」
仕立てたばかりのドレスに紅茶が拡がっていく。
殿下も一瞬しまったという表情を見せる。けれども彼は謝ったりしない。そういう人だ。わかっている。
「ドレスくらい新しいのを買ってやる」
「シェリー、今日はもう帰りなさい。まだ勉強も残っているだろう」
アレクシスはスカートの染みを確認してそう言う。
「まったく、女性は着替えも大変だというのに……」
彼は大袈裟に溜息を吐いて、それから部屋の外の警備に声を掛け、シャロンを強制退場させた。
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