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序 飲み込めない状況

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「せめてもの情けだ。王子であるこの俺の手で投獄してやろう」

 状況が飲み込めない。一体なにが起きているのだろう。
 痛い。後ろに回された手に重い枷が填められる。
 どうして。
 一体なにが起きてこの状態になってしまったのだろう。
 今日は夜会で久しぶりに殿下にお目にかかるから、粗相をしてしまわないようにとドラウド先生に薬の処方をお願いしたのだけれど、開始時間に間に合わず、途中で少し抜け出して受け取りに行こうとした。
 なのに、抜け出すことに失敗した。
 いや、抜け出そうとした瞬間、殿下の友人であるガスト侯爵令息に捕らえられてしまったのだ。
 一体なぜ。不法な薬物ではない。医師が処方している処方薬を受け取りに行っただけのはずなのに。
「殿下、これはなにかの間違いでは?」
 やっとのことで絞り出した言葉は彼の頭にはなにも響かなかったのだろう。
 罪状は一体なに。なんの罪で私を投獄するというの?
 まだ混乱している頭で必死に考える。
「まぁ、カラミティー侯爵令嬢が反逆罪だなんて……大それたことをするのね」
 殿下の後ろから女性の声が響く。あの人は……最近よく殿下のお側に居た……。たしか男爵家のご令嬢。どうして彼女が殿下のお側にいるのだろう。
 そう言えば、今日、会場に入ってくるときも彼女がべったりくっついていたかもしれない。
 まだ結婚前だもの。男の人の多少の遊びには目を瞑るべきだと思っていた。けれど……彼は本気になってしまったのだろうか。私が邪魔になったから、適当な罪状で始末しようと思ったのだろうか。
 そう考えると涙がこぼれ落ちる。
 私は彼に必要とされる存在にはなれなかったのだ。
 強い力で鎖を引っ張られた。
「んっ……」
 痛い。思わず呻いてしまう。
「さっさと歩け」
 とても冷たい声。
 普段の殿下は、少しわがままな部分もあるけれど、それでも声色には優しさがあった。婚約者の私をそれなりに尊重してくださっていると思っていた。
 なのに。この現状はなんだろう。
 沢山の人の前で、枷を付けられて、罪人のように晒される。
 恥ずかしい。
 涙が止まらない。
 これがなにかをしでかしたとか自分の責任であれば納得するだろう。けれども、全く身に覚えがない。
 暗い石の階段を歩かされる。
 怖い。それに、ここは少し寒い。
 彼に見て欲しくて選んだはずの濃い青のドレスは暗闇に溶けてしまいそうだ。
 時間を掛けて締め付けたウエストがとても苦しく感じられてしまう。いつもはこんな風に苦しく感じたりはしないのに。
 高いヒールが石段では歩きにくい。よろけると後ろから引っ張られ「なにをしている」となじられる。
 怖い。
 殿下がとても怖い。
 多少怒鳴られることはあっても、こんなに淡々となじられるのは初めてだ。不満な顔は頻繁に見た。けれどもこんなに冷たい目を向けられたことはない。
「入れ」
 石造りの牢獄に押し込まれる。
 とても冷たい。こんな空間に足を踏み入れることさえ初めてだ。それ以上にこれからなにをされるのかと思うと恐ろしい。
「しばらくそこで反省していろ」
 殿下はそう言って檻に鍵を掛け、それからガスト侯爵令息を向く。
「あのドラウドとか言う男も捕らえろ。あいつも反逆容疑だ」
「わかった。この檻に押し込めばいいのか?」
 ガスト侯爵令息は殿下よりも年上なのに子供のような話し方だ。しかし、彼を甘く見てはいけない。身体能力は高い。ついでに殿下の命令には忠実だ。あの身体能力が殿下の頭で動くから恐ろしいのだ。
「馬鹿、ここには誰も近づけるな。別の檻に押し込め」
 不機嫌にそう命じ、殿下は再びこちらを見る。
「……そそるな」
 まるで撫で回すように見られ、困惑する。一体なにを言っているのだろう。
「ヘクター、罪人をどう扱うかは俺の自由だよな?」
「え? ああ。だってあんた、この国の王子だろ? 王子ってのは偉いんだからそうなんじゃねーの?」
 本当に自分ではなにも考えないガスト侯爵令息は殿下の言うことに間違いはないのだからそうだと勝手に納得している。
 そんなわけない。
「お待ちください。私には裁判を受ける権利があるはずです」
 なにをされるかわからない。そもそも罪状の詳細すら知らずに私刑になんて掛けられてそんな恐ろしいことがあっていいはずがない。
「シャロン、お前にはその権利はない。現行犯だ」
 冷たい声が響く。
 現行犯? 一体なんの話だ。
 必死に考える。ドラウド先生も捕らえると言っていた。つまり、原因は薬?
「薬のことでしたら、処方薬です。違法なものではありません」
「薬? そんなものはどうでもいい」
 柵の隙間から差し込まれた手が頬を撫でる。
「お前は俺の婚約者でありながら、あの男とは随分親しくしていたらしいじゃないか……俺には触れさせなかったこの唇に……あの男は一体何度触れた?」
 透き通っていたはずの殿下の瞳が濁って見える。
 怖い。逃げようにも逃げる場所がない。
「あの男と共謀して内乱でも企んでいたんだろう? 俺との婚約を解消できないから暗殺でも企てたか? ああ、薬も重要な証拠品か。ヘクター、マーシャルにシャロンが受け取るはずだった薬を調べさせろ。毒物かもしれない」
 冷たい声のまま、彼は命じる。
 馬鹿な。あれはただの処方薬だ。私の症状を抑えるための。
「調べればわかる。しばらくそこで泣いていろ」
 そう言い残し、ガスト侯爵令息を引き連れ地下牢を出てしまう。
 明かりが消されてしまった。真っ暗な地下。
 怖い。
「殿下! お願い! ここから出して!」
 みっともない。けれども恐怖に勝てない。
 まるで幼い子供のように、何度も柵を叩いて助けを請う。
 けれども、全く返事はなかった。
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