Blindfold

ROSE

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Blindfold

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 子供の頃から言われていることがある。
 
 目隠しをしないと。

 これは彼女の口癖だ。
 僕の伯母、洋子さんは少し変わった人だ。なんというか別世界に意識があるというか、地に足がつかないというか、ふわふわとどこか浮いているような人だ。
 所謂スピリチュアルな天使だとか妖精を信じているわけではないのに、どこか普通ではないものの存在を信じているというか、奇妙な習慣が多い。
 
 一緒に歩いている最中に木の前で手を合わせたり、すれ違った猫に深くお辞儀をしてみたり。人形やぬいぐるみにはよく話しかけている。
 母は彼女を頭のおかしい人だと言っているけれど、僕は彼女を嫌ってはいない。
 確かにヘンな人だ。けれども小さい頃からたくさん本をくれて、母は面倒がってしてくれなかった工作や実験遊びにも付き合ってくれた。
 彼女は所謂芸術系の人なのだ。
 他人とは違う景色が見えて、他人とは違う解釈をする。だから変人扱いされている。
 その他人とは違う景色の中に、他人とは違うルールがいくつもあるだけなのだろう。
 少なくとも、僕にとっては優しくて面白い伯母だ。



 ガムテープとポスターカラー。それと工作用鋏を持って登校する。
 美術課題で立体物を作る予定だ。
 素材は自由。僕は無難に紙と段ボールを使って仕上げるつもりだけれど、中には粘土や木材を使う生徒もいる。
 テーマは『二面性』というなんだか少し取っつきにくいテーマだ。
 美術なんて選択しなければよかったとほんの少し後悔する。
 そもそも消去法で選んだ美術だ。
 音楽か美術が選択で、音楽を選ぶと人前で歌ったり、琴の演奏をさせられたりする。
 注目されるのは好きじゃない。
 視線を向けられるのが苦手だ。
 だから……目隠しをしないと。
 こんなときに伯母さんの声が脳内で響いた。

 目隠しをしないと。

 どういう流れで彼女がそんなことを言ったのか思い出せない。
 ただ、その言葉がとても大切なことだった気がする。
 そう思ったからだろう。
 僕は盲目の女神を作ることにした。
 目を塞ぎ、剣と天秤を持つ女神。
 タロットカードの正義に描かれている彼女だ。
 段ボールと紙……いや、紙を切って立体物にしようか?
 悩んでいると隣の卓也が忌々しそうに丸太を睨んでいた。
 お前、美術苦手な癖に彫刻に挑むのか。
 思わず呆れてしまう。
 努力家なのは認めるが、時間内に終わるのだろうか。
 少し心配になったが、僕も自分の作品に集中しなくてはと意識を紙の束に戻した。

 二時間続きの美術が終わっても、僕の作品は思うように進まなかった。これは持ち帰って作業をしないと予定日までに仕上がらないかもしれない。
 そんな僕よりももっと仕上がりが心配なのはやはり卓也だ。
「卓也、それ、終わるの?」
 丸太にいくつか線を書いただけで終わっている。
 二時間もあってそれしか進んでいないことの方が問題だ。
「うっ、終わらせるに決まっているだろう。父の書斎を漁れば美術の本くらいいくらでもある」
 強がってはいるが表情を見る限り自信がなさそうだ。
「放課後、一緒に残る? 僕も終わらなさそうで」
 ようやく女神の輪郭が出来上がったばかりだ。
 そんな僕らを見るもうひとり。祐二だ。
 美術が得意な彼はほとんど完成しそうな勢いだ。
「俺も一緒に残っていい?」
「え? 勿論。でも、祐二は残らなくても終わりそうだけど」
「うーん、なんか納得いかなくて」
 どこかの巨人みたいな、自分の背丈よりも高い人型の段ボールを見て言う。
 もう下塗りも終わっているし、なんなら顔まで描かれているのにどうして納得がいかないのだろう?
 首を傾げながらも、放課後三人で残ることにした。



 自動販売機で紙パックのジュースを三つ買って美術室へ向かう。
 なんとかというアニメとコラボしたパッケージらしく、楽器を持った女の子のキャラクターが描かれていた。
 心の中で舌打ちをする。
 こういうのは苦手だ。キャラクターが描かれていると知っていたら買わなかったのに。
 溜息を吐いて美術室に入ると、先に来ていた卓也が唸りながら丸太を睨みつけている。全く進んでいる様子がなかった。
「卓也、睨んだところで進まないよ。とりあえず手を動かしてみたら?」
「そういう君は、折角作った巨人を破壊しているじゃないか」
 なんとなく、緊張した空気。
 卓也の言うとおり、祐二は折角完成しそうな巨人を真っ二つに千切って折りたたみ、ゴミ箱に押し込むところだった。
「なんか巨人は今回のテーマに合わない気がして」
「そう、か……」
 卓也は驚いたように目を丸くしている。
 なんというか彼はお人好しなんだよな。
 少し伯母さんに似ている。僕らとは違う世界が見えている人に見えるときがある。
「卓也はなにを作ろうとしてそんなに唸っているの?」
 訊ねれば、少し気まずそうな表情。
「……猫……」
「へ?」
「……この世に猫ほど尊い生き物は存在しないだろう? テーマにもぴったりだ」
 卓也が猫好きなことは知っていたがそこまでだとは。
 通学鞄にさり気なく猫のキーホルダーが付いていたり、クリアファイルが猫の写真だったりはしたけれど……。
 美術課題でまで猫か。
 まあ、一貫性があるのはいいことだ。
「あ、そうだ。二人ともこれ飲む?」
 紙パックのジュースを差し出す。
「なに? 敦、このアニメ好きなの?」
「いや、販売機の見本に騙されたらコラボパッケージだっただけ」
 中身は果汁が微妙な数値のジュースだ。味はいつもと一緒。
 自分に言い聞かせ、ストローを挿す。
「悪いな」
 卓也がジュースに手を伸ばすと、ようやく祐二もパックを手に取った。
 僕が飲んでいるジュースにはフルート奏者の女の子が描かれている。
 咄嗟にマジックを手に取って、彼女の目を線で塗りつぶした。
「敦、なにしてんの?」
 祐二が呆れた目で見る。
「目隠し」
「なに? 今度の作品のテーマ? 授業中もなんか目隠しの女作ってたよな?」
「いや、なんとなく……」
 伯母さんの声を思い出したからと言っても理解してくれないだろう。
 ただ、目隠しをしないと不安になっただけだ。
「一番大人しそうな見た目してるくせに敦が一番やべぇ趣味してるってのはわかった」
「は?」
「目隠しした女が好きなんだろ?」
 なんて誤解だ。
「違うよ」
 祐二は面白がっている。
「祐二、あまりからかってやるな。性癖はそれぞれだ」
 卓也が更に傷口を抉り塩を塗る。
「だから違うって! 男でも目隠しするから!」
 今のは失言だった。卓也が真顔で後ろに下がる。
「そ、そうか……まあ、趣味はそれぞれだ……」
 とても気を使われた。いらない方向で。
「そっか……敦は守備範囲が広いな……」
 もういい。それで。
 二人を無視してジュースを一気に飲み干す。
 凄く美味しいわけではないけれど、なんとなく時々飲みたくなる。そんな味、のはずなのに、苛立っていたせいか味わう余裕なんてなかった。
 そのまま自分の作品に向き合って、なんだか生温い視線を感じるような気がしたのは気のせいだと言い聞かせた。



 進捗はあまりよろしくない。
 紙にするか段ボールにするかで悩んで、紙にしたのは正解だったと思う。けれども、今の作業では小さな女の子が遊ぶ着せ替え紙人形のような出来だ。合格点が貰えるとは思えない。
 ちらりと卓也を見る。
 ようやく彫刻刀を握ったらしい。しかしまだ丸太から変化がないように見える。
 祐二の方はまた段ボールを何やら大きな人間の形に整えていた。彼はどうしても自分の背丈よりも大きな作品を作りたいらしい。
 三人揃って作業が終わらないまま、巡回に来た警備員に追い出されるようにして下校する。思っていたよりも長居していたらしい。
 祐二と別れ、卓也と並んで歩く間も無言だ。
 なんというか、卓也は少しズレている。あまり人と接するのが得意ではないという空気をひしひしと感じた。
「卓也、その作品、本当に終わるの?」
「当然だ。終わらせるに決まっているだろう」
 勉強は出来る。根は真面目だ。ちょっと、いや、かなり変なところはあるけれど。
 心配するのは僕の勝手。
 けれども彫刻は彼にしては正しい判断ではなかったと思う。
「まあ、卓也はかっこつけだからちゃんと仕上げるとは思うけど、無理はしないようにね」
「誰がかっこつけだ」
 むすっとする卓也は、美形だと思う。その首をそのまま女性の体に付け替えても違和感がない。中性的な造形。たぶんメイクのモデルとかに映える。いや、すっぴんでも美形なのだけれど。
 これだけ整った見た目をしているのにモテないのはたぶんズレているから。ただ、そのズレを心地よく感じる人も居るはずだ。僕みたいに。
 たぶん僕はズレている人を好ましく思う。洋子伯母さんみたいな別の世界を見ているような人を。
 なんとなく、卓也は僕には見えない世界が見えている気がするのだ。
「じゃあ、僕こっちだから」
「ああ」
 また明日でもなく、それじゃあでもなく卓也はただ「ああ」と返事だけしてお屋敷の方へ向かってしまう。
 本当にお屋敷育ちの坊ちゃんだ。やっぱり住む世界が違うのかもしれない。
 そんなことを考えながら憂鬱な課題について考える。
 誰にだって得手不得手がある。
 僕はたぶん他人の視線が苦手なのだ。だからすぐに目隠しをしようとする。
 塗りつぶされたパッケージの女の子。なんというキャラクターかは知らない。べつに女の子のキャラクターが苦手なわけではない。ただ、こちらを見るような視線が苦手だ。
 目隠しの女神を作ろうとしているのもたぶんそんな理由だ。
 期日までに仕上がるだろうか。
 念のため、明日も居残りをしよう。
 そう心に誓い、真っ直ぐ家に帰った。

 事件が起きた。
 祐二の席に巨人が座っていたのだ。
 巨人と言っても神話に出てくるようなそんなものではない。
 昨日祐二が真っ二つに千切って折りたたんだ段ボールの巨人だ。
 確かにゴミ箱に棄てられたはずなのに、そこに居るのが当然とでもいうように祐二の席に段ボールの巨人が座っている。
「卓也、こういう悪戯は酷くない?」
「僕がそんな幼稚なことをすると思うのか?」
「それもそうか。じゃあ敦?」
「今来たところだよ」
 そんな悪戯しないに決まっている。
 戻ってきたんだ。
 直感的にそう思った。
 ちゃんと目隠しをしなかったから。
 巨人の目元にガムテープを貼り、ゴミ箱に押し込んでやる。
「これでたぶん戻ってこない」
「なんだよそれ。敦やっぱヘンな趣味あるじゃん」
 祐二は笑う。
 誰が犯人かはわからないけれどこのいたずらに関してはこれ以上触れないとでもいうように。

 放課後、理科教師の担任に手伝いを頼まれ準備室に足を運んだ。
「悪いね。いろいろ棄てるものがあるんだけど、手が足りなくて」
 学級委員でも日直でもないのに捕まってしまうなんて不運だ。
「この人体模型がなかなか重たくてね。いやぁ、お前が居て助かったよ」
「なんで僕だけ呼ぶんですか」
 卓也や祐二も誘えば手伝っただろうに。
「お前が一番大人しくて真面目だ」
「卓也だって大人しいですよ」
「田中はあれだ。非力すぎるしなにを考えてるかわからん」
 そう言われ、体力テストで散々な成績だったなと思う。
 僕は平均的だ。卓也はなんというか……勉強はできる。うん。
 誰にだって得手不得手はあるのだ。
 担任に言われるまま、人体模型をゴミ庫へ運ぶ。
 途中内臓がいくつか転がり落ちたけれどそれは担任が拾ってくれた。
 人体模型のなにを考えているのかわからない顔がじっとこちらを見ている気がして落ち着かない。
 棄てるというのに、思わず転がり落ちた内臓を元の位置に押し込んでやった。
「いやぁ、助かった。あと古い資料集とかも棄てたいから三往復くらい付き合ってくれ」
「えー、僕美術課題やりたいんですけど」
「大丈夫大丈夫、お前真面目だからちゃんと終わるって」
 真面目だから。 
 担任のいい加減な評価に呆れる。
 べつに真面目な訳ではない。ただ、変に目立って注目を集めたくないだけだ。
 担任の押しに負けて縛られた資料集を運ぶ。
 異変が起きたのは二周目あたりだ。
 ゴミ庫が少し広くなって気がした。
 なにが起きているのだろう。
 辺りを見渡す。
 業者が回収に来るのは週末だ。急に減るはずがない。
 けれども、つい少し前、苦労して運んだはずの人体模型が消えている。
 どういうことだろう。
 誰かの悪戯だろうか。
 プラスチックの臓器が転がっていることから【彼】は確かにここに運ばれてきたのだと認識出来る。
 けれども、この短時間で一体どこへ行ったのだろう。
 嫌な予感がする。
 最後の束を取りに理科室へ戻ると閉めたはずの準備室の扉が開いていた。
「先生、まだ棄てるものがあるんですか?」
「え? いや。おかしいな。扉を閉め忘れていたらしい。気づいてくれてありがとう」
 担任は鍵を手に準備室の扉に近づく。
 そして念のためと中を確認し、硬直した。
「は……はぁ?」
 なにが起きたと大袈裟な声が上がる。
「なんで? 俺ついにボケた? は? いや、確かに運んだよな?」
 なあと僕に同意を求める担任。
「……だったと思います」
 内臓がいくつか欠けた人体模型が最初の位置に戻っていた。

 頭を抱えた担任と二人で人体模型をゴミ庫へ運び、美術室へ向かった。
 作品を早く完成させてしまいたい。
 きっとあれはただの錯覚だった。
 必死に自分に言い聞かせ、美術室の扉を開ければ卓也が丸太と戦っている最中だった。
「進捗、どう?」
「……普通だ」
 ようやく彫刻刀を動かし始めたか。
 それでも速度はかなり遅い。
「そういう君はどうなんだ? 随分遅かったが」
「先生に捕まってさ、ゴミ捨ての手伝い」
「そうか」
「卓也は非力すぎるから頼めなかったって」
 そう伝えると、卓也はうんざりした顔を見せる。
「僕は頭脳労働者なんだ」
「はいはい」
 お坊ちゃんの卓也は力仕事をする必要もないのだろう。雑巾すらまともに絞れない男だ。
 本当に丸太で彫刻なんて出来るのだろうか。
 少し心配になりながら、自分の作業に入る。
 僕だって余裕があるわけではない。
 盲目の女神には随分と苦戦しそうだ。

 その日もあまり進捗はよろしくない。
 少し重い気分のまま家に帰宅して、普段通りに就寝、したはずだ。
 深夜、見られているような気配がした。
 気味が悪い。
 そう思ってゆっくり体を動かし、薄目で部屋の中を確認すると、人影があった。
 最初は母かと思ったが、それにしては背が低い気がした。
 誰だ。
 とっさに武器になるものはないかと考え、枕元に積んでしまっていた単行本を一冊手に取る。ハードカバーだ。文庫よりは威力があるだろう。
 勢いよく飛び起きて、本で殴ろうとした。
 が、それよりも少し速く影の正体に気づく。

 人体模型。

 プラスチックの臓器がいくつか欠けた人体模型がそこに立っていた。
 どうして。
 ここはお前の居場所じゃない。
 何事もなかったかのように、準備室に置かれていたのと同じ表情で立っている。
 ただひとつ違うのは【彼】の手が自分の心臓らしきプラスチックのパーツを持っていることだろう。
「ひっ……」
 思わず声を上げそうになった。
 いや、上げるべきだったかもしれない。
 こいつが自分でここに来ていても、他の誰かが運んでいても異常事態だ。
 ありえない。
 どうしたらいい?
 僕は完全にパニック状態だった。
 スマホを手に取り、時間も気にせず電話をかけてしまった。
 電話越しに大きな欠伸が聞こえる。
『敦……伯母さん明日も仕事なんだけど……こんな時間にどうしたの?』
 寝ていたらしい洋子伯母さんは欠伸をかみころしながらも穏やかな話し方を心がけてくれているらしい。
 いつも通りの彼女に少しだけ安心した。
「ごめん……でも……人体模型が……」
『え?』
「……学校の……棄てたはずの人体模型が……僕の部屋に……」
 心臓持ってる。
 そこまでちゃんと声に出来たのかわからない。
 けれども眠そうだった洋子伯母さんは電話ご指示もわかるくらいシャキッとした空気に切り替わった。
『大丈夫。その人体模型はきっと敦のことを気に入っただけだから』
「気に入った?」
 気に入ったってなんだよ。
 僕はあいつを棄てようとしたんだ。
『大丈夫。落ち着いて。目隠ししたら大丈夫』
 電話越しの洋子伯母さんの呼吸音が、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。
 目隠し。
 そうか。目隠しをしなかったから【戻って】来たのだ。
 けれども、あの模型は僕の所持品ではないのにどうして。
 理不尽だ。
 けれどもなにかで目隠しをしないと。
 とっさに目に入ったのは単行本に巻かれた帯だ。有名作家のコメントが添えられた帯を取り、人体模型の目を覆う。
 なにかで止めないと。
 証明を点けてテーブルの上のガムテープを手に取る。
 目隠しをしないと。
 ガムテープをぐるぐると巻く。
 ついでにプラスチックの心臓を元の位置に押し込んで、出てこないように模型の前側もガムテープで覆った。
「……目隠し、したよ」
『じゃあもう大丈夫』
 電話越しに、なにか呪文のようなものが聞こえた気がしたけれど、たぶん僕を落ち着かせるためのおまじないだろう。
 小さいときはよくわからないおまじないをたくさんしてくれた。
「この模型どうしよう」
『朝になったら普通に棄てて大丈夫だよ』
「……うん。ありがとう。遅くにごめんなさい」
『いいよ。でも、敦もちゃんと寝るんだよ。おやすみ』
 それから洋子伯母さんは眠れないときのおまじないを唱えてくれた。
 悪い夢を見ないための呪文だっただろうか。たぶん外国の言葉だ。
 意味はわからないけれど、不思議と気持ちが落ち着く。
「ありがとう。おやすみなさい」
 電話を切る。
 それでも部屋の中のガムテープまみれになった人体模型は落ち着かない。
 思わず、窓を開けた。
 そして【彼】を庭に放り投げた。
 そこそこ大きな音が鳴ったけれど、気持ちがすっきりした。
 そうして、僕は眠りに就いた。

 翌日、母にがっつし怒られた。学校から変なものを持ってくるなだとか、庭に棄てるなだとかそういう内容。
 事実を話しても母は信じてくれない。結局僕のおかしな体験は洋子伯母さんしか信じてくれないのだ。
 登校途中のゴミステーションに、燃えないゴミの袋に入った人体模型を押し込んでいると、卓也と遭遇した。
「敦、なにをしているんだ?」
「あ、いや……人体模型……家までついてきちゃって……」
「は?」
 意味がわからないと卓也は呆れている。
 これは、信じていない。
「……やっぱ、誰も信じてくれないよな」
「あ、いや……」
 卓也は僕が傷ついたと思ったのだろう。言い訳を探すのに必死という様子で、こういうところがたぶん彼を嫌えない理由なのだと思う。
 あたふたとする卓也の側に猫が寄っていく。
 猫好きの彼は猫に懐かれるらしい。
 少し羨ましく思った。
 猫がなにかを鳴くと、卓也はそれに耳を傾ける。
 それからなぜか頷いて、相槌を打っているように見える。
「なるほど……信じられないが、君が言うのならそうなんだろう」
 それは僕に向けてではなく、猫に向けての言葉に思えた。
「卓也?」
 一体なんなのだろう。言い訳が思い浮かばないから猫と話している振りをして誤魔化しているのだろうか。
「……笑いたければ笑え。僕は、猫の言葉が理解出来る。まあ……少しだが」
「え?」
 一体なにを言い出す。
「……その……人体模型がなぜ君の家までストーキングしたのかは知らないが……まあ、世の中には……常識では理解出来ないこともあるだろう」
 そんな卓也の言葉に、涙が出そうになる。
 今まで洋子伯母さんしか信じてくれなかった話を信じてもらえたような気がして、心が軽くなったようだ。
「そう、だな」
 卓也には僕には見えない世界が見えている。
 洋子伯母さんもそうだ。
 もしかすると、僕も他の人には見えない世界が見えているのかもしれない。
「それで、ストーキング意外の被害は?」
「……心臓渡された」
「は?」
「プラスチックの臓器を手に持ってきたんだよ」
「……斬新だな」
 驚きと呆れの混ざった様子で、それでも卓也は話を否定しないでくれる。
 そして、学校に着くまでの間、卓也はただただ僕の話を聞いてくれた。



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