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17 特別な友人
しおりを挟む留守番の任務を終えたダニエルは無料配布の求人雑誌と睨めっこする日々に戻る。
アンバーもデラもベンでさえ出て行けとは口にしないけれど、やはりいつまでも世話になるわけにはいかないと思ってしまう。
なにより、きちんと仕事に就かなければアンバーと対等な友人にはなれない。いや、仕事に就いたところで彼と対等になるのは困難かもしれない。
未経験の事務職、飲食店の給仕、倉庫作業員……あらゆる求人に応募はしてみるものの上手くはいかない。
学歴は殆どないし、前職の話をすれば面接官は露骨に嫌そうな顔をする。
ゲイであることを打ち明ければ罵られることさえある中で、一人暮らしをできるような仕事に就くことは困難だ。
「ダニー、またそんなの見てるの?」
アンバーが横からひょいと求人雑誌を取り上げる。左腕に包帯が覗くのは手術の痕だろうか。
「あー、こことここは凄く評判が悪いからやめた方がいい。あと、こっちは記載されている賃金を支払わない。あー……ここは求人内容とは違う仕事に案内される」
アンバーは雑誌に万年筆で大きなバツ印を書き足す。
「アンバー……随分詳しいね。その雑誌は信用しない方がいいかな?」
「うん。まだお店の外に貼っている『従業員募集!』のビラの方が信用出来るよ」
アンバーは笑う。
やはり無料配布の求人雑誌にはあまり頼らない方がよさそうだ。
「うちはネットが繋がりにくいからね……まあ、オンラインの求人もどこまで信用していいか微妙なところが多いけれど」
アンバーは視線を逸らす。
どうやらいつまでも無料求人雑誌に縋っているダニエルをからかいに来たわけではなく、別の用事があったらしい。
「なにか手伝う? それとも悩み事?」
訊ねれば、アンバーは少しだけ困ったように笑う。
「ダニー……君はいつも通りだね。うん。悩み事というか、相談?」
「話して」
隣の肘掛けを示して言えば、アンバーは大人しく腰を下ろす。
「僕の大切な友人が、せっせと求職活動をして家を出て行こうとしているのだけど、引き留めるいいアイディアはない?」
深刻そうな表情を作るアンバーに、どう返答するべきか悩む。
「……それって、つまり……僕に出て行かないで欲しいってこと?」
「そう言ったつもり。ねぇ、ダニー、君って気づいて欲しくないときは妙に鋭いくせに肝心なところでものすごく鈍いよね。僕は、もう君の居ない生活に戻るのが不安なんだ」
真っ直ぐ見つめられると、居心地の悪い気分になる。
自分がとんでもない大罪を犯し、それを咎められているような気分だ。
「賃金が安すぎた? それとも、この家にうんざりしちゃった?」
不安そうに訊ねられ、落ち着かない。
賃金は相場以上だし、この城にもだいぶ馴染んできた。雇用条件には全く不満なんてない。
「違うよ、アンバー。僕は……その……いつまでも君の世話になるべきではないと思っているんだ。君は恩人だし、最高の友人だよ。だけど……ううん、だからこそ、いつまでも君に頼りきりではいたくないんだ」
アンバーはまるで不可解な現象を目撃しているとでもいうような表情でダニエルを見る。
「君と、雇用契約抜きの関係になりたい……と思うのは、僕のわがまま?」
アンバーは言葉を最後まで理解するのに数秒の時間を必要とした。そして今にも泣き出しそうに瞳を揺らしている。
「僕に雇われるのが嫌? それで出て行きたいの?」
「……それは、全てが正しい言い方じゃないよ。つまり、僕は……君に頼りすぎている自分を愛せそうにないから、自分を愛せる僕になりたいんだ」
理解出来ないとアンバーは首を振る。
「ダニーが自分を愛せなくたって僕がダニーを愛してる。いつかダニーがそう言ってくれたように……出て行くなんて言わないでよ。ずっとここにいてよ……君の居ない人生なんてもう考えたくない」
感情的なアンバーは、立ち上がったかと思うとダニエルの襟を掴んだ。
細い腕の割に随分と力強かったのか、単純に想定外な動きにダニエルの体が準備出来なかったのか。
ダニエルは引きずられるまま姿勢を崩し、目の前のアンバーから逃れられない。
唇にアンバーの唇が触れる。
「行かないで……僕と一緒にいてよ」
不安そうな少年が目の前にいる。
実際のところ三つしか違わないというのに、今のアンバーは懐いていた家庭教師が退職してしまう時の少年のようだ。
「アンバー……こういうことは……友達にすることじゃないよ」
友達同士は口づけしたりしない。
「……それは……わかってる……」
アンバーの手が離れる。
彼は俯いて震えている様子だった。
「おかしいんだ……ジュリは眠ったはずなのに……ずっと……ダニーに……ううん、わかってる。ジュリも僕も……ねぇ、アンバー・ジュリエットはずっとダニーに惹かれてる……僕には、僕にもジュリにもダニーが必要なんだ」
涙の滲む目に見つめられ、戸惑うより先の衝動が抑えられない。
「本当に……君はズルいな。傷心の僕の前に現れたヒーローなのに……放っておけないんだ」
彼を抱き締めることに躊躇いはなかった。
「君は友人だと思いたかった。関係を壊したくないし、君と対等になりたかった……でも……そんな顔をされると……胸が苦しいよ」
腕の中のアンバーはダニエルよりもずっと小さい。厚底の靴で身長を誤魔化して、上質なスーツの武装で必死に戦っていることを知っているから余計にそう感じてしまうのかもしれない。
「君が大切なんだ。アンバー、君の前で誇れる僕でありたい。詐欺の被害者のマヌケなダニエルじゃなくて、君の一番の友人でいたいんだ」
友人。ダニエルとアンバーの関係はそうであるべきだ。
「ダニー、君って凄く残酷だよ。こんな風に僕の事を抱きしめてくれるくせに……友達以上にはなってくれない?」
上目遣いで訊ねる様子は絵画の中の美少年のようだ。
「……大切な友人だよ。少し、特別な友人だ」
ダニエルにとってアンバーは最初から年下の男の子だ。
上品で親切な命の恩人。ちょっとした問題を抱えていたけれど、今はそれからも解放され、新しい人生を歩もうとしている。
「……特別な友人?」
「悪いけど、まだ恋人を募集できるほどは立ち直れていないんだ」
ダニエルは無理に笑ってみせる。
結婚詐欺に遭ったのはまだ数ヶ月前の話だ。あの頃の淡い恋心をなかったことになんてできない。
「つまり、詐欺師野郎に報復するまでは誰とも付き合わないってことかな?」
アンバーは涙を拭って少しばかり不満そうな顔を見せる。
「そう、だね……報復……する気も失せていたけれど、やっぱり少しくらいは痛い目に遭って欲しいと願ってしまうかな?」
この屋敷でアンバーやベン、デラと過ごす時間が充実しすぎていてすっかり報復のことなど頭から抜け落ちていた。それでも、少しくらいは痛い目に遭って欲しいという考えは芽生える。
「僕は善人にはなれないみたい」
「それは僕も。僕の大切なダニーを傷つけたクソ野郎をとっちめてあげるよ」
真面目な様子でそう口にするアンバーは、やっぱり『クソ野郎』なんて汚い言葉が全く似合わない。
「ここは、やり過ぎないでね。と言っておかないと怖いかな」
そう答えれば、アンバーは笑う。
「どうだろう。大事なダニーのためならちょっとばかしやり過ぎちゃうかもしれないな」
変声期の少年みたいな掠れた声で悪戯っ子の笑みを見せられる。
やっぱり、年下の少年にしか見えない。
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ」
今はまだ友人のままで。その線引きをアンバーが受け入れてくれているかはわからないけれど、いつもの空気に戻ったことにダニエルは安堵した。
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