私の理想の天使様

ROSE

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天使様と見えない影

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 最近出来たという喫茶店は風変わりな内装で、美術館の側に作られたと言うことに納得してしまう。天井や壁、あらゆる場所に装飾が施されておりとても賑やかな印象だ。
 フェイがあらかじめ席と料理を予約してくれていたので、既に軽食と焼き菓子が並べられていたがそれらも普段ローラが目にする物とは違い、一種の芸術作品のようで食べてしまうのが勿体ないと思える物ばかりだった。
「凄いな……」
 店を予約したフェイ自身も驚いたようだ。
「この飲み物、不思議な色だね。飲むのが勿体ないくらいだ」
 グラスに注がれた飲み物はお茶だと聞いたけれど夜空の煌めきを閉じ込めたような色でこれは本当に飲み物なのだろうかと疑ってしまいたくなるが、グラスに触れれば氷でよく冷やされている。
「味はちゃんとお茶だぞ」
 不思議な色のグラスに躊躇わずに飲んだアンリはそのまま軽食に手を伸ばす。
 料理の方は天体の様な立体造形で、ローラにはとても食品と認識できない物だったが、アンリは迷わず口に運ぶ。もしかすると高位の貴族である彼女はこういう物にも慣れているのかもしれない。そう考えたが、大袈裟に感動しているフェイの様子を見る限り貴族だからと言って慣れているということではなさそうだ。
「それにしてもローラもアンリも気に入った作品が買えてよかったね。ああ、アンリは新作を依頼したんだった。どう? 美術館も楽しめた?」
「美術館自体はそんなに興味がないが、あのジャンは気に入った。そのうちアンリの専属にしてやる」
 アンリは得意気な顔で笑う。どうやら相当彼が気に入ったようだ。
 ローラ自身、今日出会ったリオとジャンの二人にはとても感謝している。あの二人は特にローラの人生に大きく影響を与えた作品を作った作家だ。
「今日は本当に特別な方々にお会いできたと思います」
「あー、ローラのお気に入りを作った二人だもんね」
 なによりリオからは素敵な絵も譲って貰った。部屋に飾るのがとても楽しみだ。
「そういえば、お前はなにも買わなかったな」
「ここで買わなくてもうちの屋敷まで売りつけに来るからね。特にリオ。秋にはよくうちの領地に来るんだ。なんにもないところだけどそこが好きみたい。芸術家は資金集めさえなんとかなればいろいろ見て回った方がいいからね」
 たぶんフェイは沢山の芸術家に出資しているのだろう。美術館で作品を売っていた作家たちみんなと親しそうだった。
「天使様は芸術家の皆さんにとても有名でしたね」
「あー、あれは……いろいろモデルを頼まれたりすることが多いから……もしくはおだてればなんでも買うカモだと思われてるかも」
 少し恥ずかしそうに言うけれど、みんなフェイの人の良さを知っているのだろう。
「お前、昔からおだてに弱いのか?」
 アンリが呆れたように訊ねる。
「……まあ、否定はしないよ」
 自分の顔が好きすぎる彼はたぶん容姿を褒められるとすぐに調子に乗ってしまうのだろう。
 実際帰りには喫茶店の若い女性店員に乗せられてお土産用のケーキをいくつも買わされてしまっていた。どうやらここでも彼の弱点は知れ渡っていたらしい。
「リオのやつ、喫茶店のお姉さんにまで俺の弱点喋ってたらしい」
 馬車の中で頭を抱えるフェイ。膝の上にはケーキの箱が乗っている。アンリにも一箱。彼の友人の口に入るかアンリの口に入って終わるかはわからないが、とりあえず箱いっぱいにケーキが詰まっている。
「この絵に似た男が来たら見た目を褒めたらなんでも買ってくれるとか言ったんだろうな」
 アンリは完全にからかうようだ。その手には小さな彫刻が握られている。
 目隠しをされた天秤を持った女神の彫刻。
 喫茶店の帰りに遭遇したジャンがなにを考えたのかアンリに渡したものだった。
「軍神様に正義の女神像だなんて、ジャンは面白いことを考えますね」
「アンリからすればローラの軍神様も結構面白いと思うぞ? そうなると伯父上はなにになるのだろうな」 
 くっくっくと面白そうに笑うアンリは女性にも男性にも見え、地上とは別の世界の空気を吸って生きているように見える。
 ローラにとってアンリは憧れの象徴のような存在だ。天高く別の世界で生きている存在が人間の世界に迷い込んでしまったらきっと彼女のようなのだろうと思う。アンリは女性としての生き方に縛られない。自分の女性的な面も男性的な面も楽しんでいる。けれども、まだこの国では受け入れられない生き方だ。
 女性は女性らしく慎ましやかに生きるのが望ましいとされている。男性と同じような振る舞いをしたり、同じ職業を選んだりするべきではないと考える人が圧倒的に多い。そう言った中で、アンリやローラの生き方を否定しないフェイのような人間は貴重だ。
「そうだ、ルチーフェロ。領地に戻る前に一度アンリの相手をしろ。どうも今年の新米は弱すぎて話にならん」
 また軍の新人を叩きのめしてしまったらしい。初日にアンリの相手をさせられた新人は大抵心を折られて辞めていくと聞く。
「いやいや、流石にそろそろアンリの相手は体力的にきついって」
 フェイは疲れた笑みを浮かべて言う。どうやら本当にアンリの相手は避けたいようだ。しかしアンリの方は諦めが悪い。
「アンリに勝てないような男にローラは渡さんぞ? ローラ、ルチーフェロなんてやめてアンリの嫁になれ」
「ですから、女同士では結婚出来ませんって」
 けれども今日のアンリは半分フェイをからかいたいような様子だ。
「ちょっと待った! それってアンリが男だったらアンリと結婚してもいいってこと?」
 フェイは大慌てで食いつく。
「俺より男アンリの方がローラ好みってこと?」
 なんという面倒な展開だろう。ローラは思わず溜息を吐く。これはどう答えてもどちらかを不機嫌にしてしまう。
「私が男性に生まれたら、女性のフェイ様を選ぶかもしれませんが……その時にフェイ様に受け入れて頂けるか……」
 できるだけ悲しそうな表情を作る。
 これで二人が大人しくなってくれるだろうかとちらりと様子を見ればアンリが気に入らなさそうにフェイを睨んだ。
「お前、ローラが男になったら振るのか?」
「まさか。むしろ俺が男のままでもローラだったら男でもあり」
 これは更に面倒くさそうな流れになってしまった。ローラはまだフェイ・ルチーフェロという人間を理解し切れていなかった。彼の場合は本気でそう考えているのだろうと感じてしまう。
 しかし幸いなことに王宮の裏門に着く。
「あ、軍神様、到着しましたよ」
「くそっ……絶対法改正してやる」
 アンリは大きな音を立てて舌打ちする。それでも素直にケーキの箱を持って馬車を降りてくれたので安堵する。
「ローラ、あんまりルチーフェロを信用するなよ」
 去り際に囁かれ、驚く。
 いつも以上に真剣な、鋭い空気だった。
「それって……」
「お前の前で猫被ってるだけだぞ?」
 それだけ言い残し、アンリは門番に迎えられ門の中に入ってしまう。
 さっきまで親しそうだったのに、どうしてしまったのだろう。
「ローラ、アンリなんだって?」
「えっと……」
 フェイに訊ねられ、正直に答えて良いものか悩んでしまう。けれどもじっと見つめられると、偽ることが出来ない。
「その……フェイ様を、あまり信用するなと……」
 正直に答えれば、フェイは一瞬瞬きをし、それから少し考え込む仕種をする。
「まぁ……間違ってはいないかな。俺は悪い大人だから」
 フェイは前にも似たようなことを言っていた。けれども、ローラはその意味を理解できないままだ。
 フェイはいつも穏やかだし真っ直ぐな人だ。少しちゃらちゃらして見えるときはあるけれど、本質は真っ直ぐで、人を和ませる名人だ。
 少なくとも、ローラの前では優しい人で……このままずっと一緒に過ごせればいいのにと思ってしまう。
「ローラの前では天使でいたいけれど、本当の俺は堕天使の方かもしれないよ?」
 うっとりするほど美しい笑みでそんなことを言われてしまうとどちらでも構わないと思ってしまう。
「堕天使も、元は天使です。たとえ翼を堕とされても、本質は変わらないのだと思います」
 だから、どんな過去があったとしてもフェイはローラの天使様だ。その事実だけあればいいと思う。
「ふぅん。じゃあ、悪い俺もたくさん見せちゃおうかな」
 悪戯っぽい笑みを見せられ、からかわれたのだと気付く。
 やっぱり本人の言うとおり、悪い大人なのかもしれない。
 予定時刻よりも少し早く家に送り届けられる。その代わりにフェイも一緒の帰宅になった。
「ジョージィ、大事なローラを返しに来たよー」
 フェイは間の抜けた話し方で店内に声を響かせる。もう既に針子さんは帰った頃だったので、二階からゆったりと父が降りてきた。
「あれ? 早かったんじゃない?」
「いやぁ、喫茶店で乗せられちゃって、たくさんケーキを買わされたから悪くなる前に持ってきたんだ。みんなで食べて。って言おうと思ったけどお針子さんたち帰っちゃったかぁ」
 凄い量なんだよとフェイが言うとおり、箱の中はぎゅうぎゅうにケーキが詰められている。
「あー、とうとう初めての店でも乗せられるようになったかー」
「あれはリオが……贔屓の画家が俺の弱味をぺらぺらと喋って広めてるんだよ。あのお姉さん、リオが俺になにかを買わせようとするときと同じようなおだて方してたし……それでも引っかかったし……」
 ずんと沈んだ様子を見せるフェイによしよしと頭を撫でる父。ふたりが兄弟に見えなくもない。
「まぁ、俺も甘い物好きだし、お土産に丁度いいかなーとは思ったけど流石にこの量はね」
「大丈夫、マリーも甘い物大好きだから、ケーキは大歓迎。それよりローラ、楽しめたかい?」
「はい。天使様がたくさんでした」
 買った絵と貰った絵も見せる。
「……うん。ローラの趣味だね」
 感想に困ったような様子を見せる父に、フェイは涙目になっている。
「リオのやつ、こんなのばっかり描くんだ。もう手癖で俺の顔になるって」
「よかったね。リオもフェイくんかっこいいって思ってくれてるんでしょ? よかったよかった。ローラ、この絵結構高かったんじゃないの? リオくん最近また売れてきたからお小遣い足りた?」
「おまけしてくださって、こちらの絵は頂きました」
 どうやらリオは父とも親しい知り合いだったらしい。天井画の件で知り合ったのだろうか。
「ローラがあんまり褒めるからリオも喜んでたよ」
「へぇ。やっぱリオに天井画を頼んで正解だったかな。描くの速いから頼んだんだけど」
 そんな理由で選ばれていたのかと驚いてしまう。けれども今はそれに感謝するべきだろう。あの天井画はローラのお気に入りだ。
「ジャンとも会ってさ。アンリがごねて大変だったよ。でも、ローラのお気に入りの作品を作った二人の他の作品もたくさん見れたからよかったんじゃないかな。俺は……恥ずかしかったけど……」
 しゃがみ込んで顔を覆うフェイは本気で恥じらっているようにも見える。
「えー、フェイくん自分の顔大好きだからいいじゃん」
「確かに今日の俺も完璧好みの俺だけど、やっぱあっちもこっちも天使に使われるのは流石に恥ずかしいというか、ローラみたいに純粋な子が他にも被害に遭っていないか心配になってきたというか……」
 確かに、美術館の沢山の天使しか知らなければ、フェイを見れば天使だと思うかもしれない。本当に彼そのものを描いているように見えてしまうと言うか、彼の方が絵画から抜け出してきたように見えてしまうのだから。
「それは責任重大だね」
 父はからかうように笑うだけだ。
「ローラ、折角だから、絵に合う額縁も買ったらどうだい? 店を手伝ってくれたご褒美にそのくらいなら俺が買ってあげるよ」
 でもマリーには内緒ねと悪戯っぽい笑みを見せた父に思わず笑みがこぼれる。
「本当ですか? では、こちらの天使様に額縁を」
 一目惚れして買った赤の中の天使様だ。どんな額縁が合うだろう。
「え? じゃあ、もう一つの方は俺が額縁を用意するよ」
「あ、自分の顔飾られることに抵抗なくなったんだ」
「いや、ちょっとは恥ずかしいけど……ローラが喜ぶなら多少の恥には耐える」
 キリリとしたかと思うと、からかわれて赤くなったりフェイの表情は忙しい。
 絵画や彫刻の天使様は浮世離れした美しさなのに、実際のフェイはよく表情が変わる。だけど、時々本当に空気が変わる瞬間があって、やっぱり本物の天使なのではないかと思ってしまう。
「俺としてはそろそろ天使様を卒業して、ローラの結婚相手候補として見て欲しいところなんだけどなぁ」
 少しだけ、悲しそうに、けれどもどこかおどけるように言うフェイ。
 ずるい。そう思うけれど、ずるいのはローラの方かもしれない。
 そろそろちゃんと答えを出さなくちゃいけないのに、今のままで居たいと思ってしまう。
 フェイがただの人間だったとしても、天使様であって欲しい。
 少なくとも、ローラにとっては天使様でいてほしい。フ
 ェイのことは好きだ。この先もずっと一緒に居たいと思う。けれども、彼と結婚してしまったら永遠に天使様を失ってしまうのではないかと思うと決断ができない。
「焦らなくていいよ。ごめん。無茶言っちゃったね」
 優しく頭を撫でられる。ローラが悩んでいると気付いたのだろう。
「じゃあ、マリーに怒られる前に帰るよ。ローラ、またね。おやすみ」
 そう言い残し、フェイはすぐ近所の屋敷に帰ってしまう。
「フェイも言っていたけど、焦らなくていいよ」
 父の優しい声。
「選ぶのはローラだし、俺はローラの結論を否定しないよ」
 その言葉だけでとても安心できる。
 やはりローラの父だ。ローラをよく知っている。
「私、フェイ様が好きです。ずっとこうやって、時々お店に顔を出してくださればいいのにと思っています」
「そう。うん。フェイくん俺の作品好きだからよく来てくれるよ。大丈夫」
 一瞬困った様子を見せ、それからいつもの笑みで言う父に少しだけ違和感を覚えた。
 なにかあるのだろうか。
 けれども聞くのが怖い。
 それを誤魔化すように譲り受けた絵を持って自分の部屋へ向かう。
 天使様が見守ってくれるなら、なにも怖くない。そのはずなのに、フェイを知れば、この天井画を見ても不安になってしまう。
 彼が去ってしまったら、この天井画の天使様も消えてしまうのではないだろうか。
 絵が消えるはずがないのに、と思いながらもそんな考えが浮かんでしまう。
 ローラは、フェイが去ってしまうことを恐れているようだと気がついた。

 

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