悪い女王の殺し方

ROSE

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間 お母様がくれたもの

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 大きく伸びをして目覚めるいつも通りの朝、ゆったりと焼きたてパイの朝食をとっているとレジナルドが部屋にやってきた。パイが食べたかったのかしらとおかわり分の林檎のパイを差し出せば断られてしまう。
 なにをしに来たのかしらと首を傾げると、静かに一枚の紙を差し出された。
「予定変更だ。着替えの時間を少し短くして執務室での勉強時間を設ける。教師も雇った。それと、林檎の世話をする時間の前に昼食の時間を加える」
 レジナルドは紙を見せながら説明する。特に変更のところを強調して指で示した。
「慣れるまでは俺が一緒に行動する。理解できたか?」
「林檎のお世話の後はそのまま?」
 レジーナにとって重要なのは林檎の世話だ。その時間さえ確保出来れば問題はない。
「林檎の世話と読書が終わったら、また執務室で勉強だ。レジーナは読み書きがあまり得意ではなさそうだからな」
 別にちゃんとご本を読めているわと反論しようと思ったけれど、優しくぽんぽんと頭を叩かれたレジーナは言葉が迷子になってしまう。
 触れられるのは苦手なはずなのに、レジナルドの手はとても心地いい。
 もっと撫でてと頭を出せば優しく撫でてくれる。
 この手の温もりは、お父様と似ているように思えた。
「私に触れてくれるのは、レジナルド様だけね」
 思わず零す。
 侍女達は世話以外では絶対レジーナに触れない。レジーナの魔力を必要以上に恐れているようにも思えた。
「ああ。そうだな。でも、それでいい。レジーナは俺の妻なのだから、俺以外に触れられるようなことがあっては困る」
 優しい手が頬を包む。透き通る宝石のような青い瞳に見つめられるとどきりとした。
 なんて綺麗なんだろう。
「レジナルド様の目、宝石みたいね」
 そう言うと彼は微かに笑んでまた優しく頭を撫でてくれる。それが心地よくてもっとこのままで居たいと思うのに。
 食事の手が完全に止まってしまう。
「あら、お着替えの時間だわ」
 立ち上がらないと。遅れたら、大変だもの。
「レジーナ、もう少しで食べ終わるだろう? 全部食べきるんだ」
「でも、お着替えの時間だわ」
 遅れるのはいけないことだもの。
「食べてからでいいから」
 レジナルドはそう言って、レジーナを席に戻す。
 いやっ。
 レジーナは思わずレジナルドの腕を払ってしまった。
 レジーナには時間がない。急がないと。きちんと計画通りに動かないといけない。
「レジーナ?」
 困惑した様子のレジナルドに構っていられない。だって時間がないのだもの。
「お着替えの時間だもの」
 そう言って真っ直ぐ衣装部屋に向かう。
 レジーナは黒の女王様だから黒のドレスを着なくてはいけない。レースとフリルをふんだんに使った肌を出さないけれど可愛らしいドレスはきっとレジーナを護ってくれる。
 急がないと。遅れたら大変なの。
 服を脱がないと、と思うのに、なぜかついて来てしまったレジナルドの視線を感じる。
「男の人がいるところで着替えるのはいけないことだわ」
 部屋を出てと告げれば、彼は微かに驚きを見せた。
「あ、ああ。着替え終わるまで部屋の外で待っている。メイ、着替えの手伝いを」
 彼はメイに声を掛け、大人しく部屋の外に出て行った。
「レジーナ様、本日のお召し物はそちらを?」
 メイは少し落ち着かない様子を見せる。彼女はレジーナに怯えているのだ。
「ええ。急がないと。今日はお着替えの時間を短くしないといけないみたいなの」
 レジナルドがそう言ったのだからそういうものなのだろう。
 レジーナは予定が狂うことが苦手だ。
 計画通りに物事が進まないととても怖くなって体が震えてしまったり涙が流れてしまったりする。
 それに遅れるのはいけないことだ。時間通りに進まないことはよくないこと。
 悪い女王はきっちりと全てを計画通りに進めるものなのだから。
 レジーナが寝衣を脱ぐと、メイが小さな悲鳴を上げた。
「メイ?」
 どうしたのだろうと彼女を見れば、なにかに驚いて怯えているようだ。
「ごめんなさい。その……背中の傷は?」
 訊ねられ、戸惑う。
 何度も着替えを手伝って貰っていたような気がしたけれど、肌を見せたのは初めてだったかしら。
 けれどもそんな些細な事はどうでもいい。
「悪い子にはぴったりでしょう?」
 レジーナはただ、そう答えた。
 自分では見ることができないけれど、鏡に映ったそれをレジーナは知っている。
 全身に残る獣の爪痕のような醜い痕はまだ記憶に痛みが刻まれたままだ。
 お母様がレジーナにくれたもの。
 それは今も残っているその痛みだけだ。
「急がないと」
 叱られてしまう。
「は、はい」
 メイの声はどこか震えているようだった。
 彼女はレジーナの侍女というよりは監視係に近いのかもしれない。彼女が毎日レジナルドにレジーナの行動を報告していることは知っている。だからと言ってレジーナの生活は変わったりはしない。なにも、隠すことなんてないのだから。
「……レジナルド様が来てくれてから、退屈じゃないわ」
 なぜそんなことを口にしたのかレジーナ自身理解出来ない。
 わざわざ名に言う必要もないことだ。
 それでも口にしてしまったのは変化は苦手だけれどレジナルドがレジーナに歩み寄ろうとしてくれていることを感じ取ったからなのかもしれない。
 メイは驚いた表情を見せる。
「レジナルド様が来てくれると、お父様が戻ってくれたような気がするの」
 優しく抱きしめてくれるのも撫でてくれるのもキスをしてくれるのも、レジナルドだけだ。その仕種は、昔、お父様がしてくれたものと似ている。
「レジナルド様がお父様だったらよかったのに」
 時々、お父様が戻ってきた夢を見る。
 けれどもそれはもう叶わないのだとレジーナはどこかで気付いている。
 恐ろしい悪夢がレジーナを捕らえて放さないのに、眠っている間、誰かが優しく手を握ってくれる気がする。それがお父様なのではないかと期待して、目を覚ますと誰もいない現実に悲しくなってしまう。
「レジーナ様は、レジナルド様のことがお好きですか?」
「嫌いじゃないわ」
 そう答えると、メイは少し困った顔をする。どうしてだろう。レジーナはなにかいけないことを言ってしまっただろうか。
「メイ、私、なにかヘンなことを言った?」
「いいえ。ただ……レジナルド様がレジーナ様を望まれる以上、レジーナ様にはレジナルド様を愛して頂きたいと」
「よくわからないわ。でも、真実の愛なんて、物語の中にしか存在しないものなのよ」
 めでたしめでたしでは終わらない。だって、お父様とお母様がそうだったもの。
 レジーナの両親は、お父様の情熱的な恋から始まり結婚したらしい。
 国の誰もが祝福した理想の恋人同士だったと聞く。
 けれども、レジーナの知っている二人は物語の幸せな夫婦とは違った。お父様がレジーナに向ける笑みと、お母様に向ける笑みは全く違ったし、お母様は日に日に笑わなくなっていった。
 レジーナはお母様が怖かった。
 彼女は口で言っていることとは全く違う恐ろしいことを考えている人に思えた。
 お母様を思い出すと、レジーナの体は微かに震える。
「レジーナ様?」
「今日は、髪はこのままでいいわ。お勉強の時間に遅れちゃうもの」
 遅刻はいけないことだから。そう言うと、せめて髪飾りをと、メイが青いバレッタで手早く髪をまとめてくれた。
「これ、いいわね」
 これなら早く済みそう。
 そんなことを考えながら部屋を出れば、本当にレジナルドは待っていてくれたらしい。
「お仕事、いいの?」
「ああ。お前の為に時間を空けている」
 彼の口から溢れ出たどうってことないはずの言葉がどうしてか嬉しく思える。
「それって、お誕生日のケーキよりずっと特別ね」
 小さい時は、毎日がお誕生日だったらいいと思った。そうしたら毎日特別なケーキを貰えるし、沢山ドレスやリボンを貰える。
 けれども女王様になった時、それは全て手に入ってしまった。
 はじめの頃は毎日がお誕生日みたいだと嬉しかった。けれども、もうそんな気持ちは微塵も無い。特別なケーキは特別な日に食べるからこそ特別だった。
 レジナルドが優しく手を引いてくれる。
 速度もレジーナが一番好む速度で進んでくれる。
 どうやらこの数日で、彼はレジーナ以上にこの王城に詳しくなり、レジーナ以上にレジーナのことにも詳しくなったようだ。
「レジーナ、家庭教師はダーリアと言う魔女だ。お前にさまざまなことを教えてくれるだろう。はじめは少し恐ろしいかもしれないが、すぐになれる」
「別に、知らない人に会っても怖がったりしないわ」
 どうやらレジナルドはレジーナが人見知りすると思って心配してくれたらしいが、さほど人見知りはしない。
 ただ、相手との距離の取り方がよくわからないだけだ。
「そうか。ならいい。あとは……お前は、俺の妻だ。自覚は持って欲しい。俺以外の男と二人きりになってはいけないよ」
 彼はとても優しい口調でそういうと執務室の扉を開ける。レジーナはここを大人と会うための部屋と認識していたけれども多分間違ってはいない。レジナルドもここで大人と会っているのだから。
「お待ちしておりました。レジナルド陛下」
 口を開いたのは輝く金髪の若い女だった。少し化粧が厚い気もする。
 真っ赤な唇が必要以上に口を大きく見せているように感じられた。
「ダーリアか。妻のレジーナだ。彼女は読み書きもろくに教わらなかったらしい。基礎の基礎から根気よく教えてやってくれ。勿論、俺もこの場で気は配っておく。レジーナは少し繰り返すことに拘るが、表現を変えたりして分かりやすく話せば素直に聞き入れる」
 レジナルドはダーリアに少し冷たい目を向けて言う。どうしてか、彼が他の人を見る目は、お父様がレジーナ以外の人を見るときの目と似ている。
「私、文字は読めるわ。毎日ご本を読んでるじゃない」
 こんなくだらない反論は普段ならしない。けれどもあのダーリアがなんとなく嫌で、そんなことを言ってしまう。
 レジーナは本能的に感じ取った。あのダーリアは「いや」なのだと。
「……レジーナ、あれは、子供向けの物語だ」
 諭すようなレジナルドに少しだけ腹が立った。子供扱いされている。
「魔術の本だって……鏡さんに聞けばすぐなんだから」
 本が読めなくたって、彼が言うとおりにすれば魔術は使えるのだから問題ない。魔術の本はちょっと難しい図式が多くて苦手なだけだ。
「レジーナ、お前は、沢山学ばなくてはいけない。お前の両親が居た頃は家庭教師が居たのだろう?」
「ええ。でも、ちょっとお説教が長かった話を宰相にしたら次の日から来なくなってしまったの」
 そうだ。乳母も叱られたって話を大臣にしたら次の日から来なくなってしまった。
「ずっと居てくれるのは庭師と料理長だけね」
「それは、その二人がレジーナに怒鳴ったり長い説教をしないからではないか?」
 レジナルドの言葉は、多分正解だ。
「別に、小言もお説教も、その時はちょっとムッとするけれど、次の日には乳母や家庭教師が正しいって分かるもの。何も問題ないわ」
「けれど、お前の機嫌取りをしたかった大人たちには邪魔な存在だったはずだ」
 レジナルドは少し厳しい目でレジーナを見る。この目は少し苦手だ。
「レジーナ、ちゃんと大人しく、朝と夕方の二回、ダーリアに勉強を見て貰いなさい。いい子にしていたらご褒美をあげよう」
 レジナルドはそう言って優しく頭を撫でてくれる。この手が好き。もっと撫でてもらえるなら、沢山頑張れそうな気がした。
 いつの間にか、執務室に机が増えていて、ダーリアは少し小さな木製の椅子に座るように言う。レジーナが以前名前を書くのに使っていた机の丁度半分くらいの大きさの机には大きな本と紙の束が置かれていた。
「まずは、どの程度字が書けるのかですわね」
 ダーリアはそう言って自分の言った言葉を書き綴るように命じる。高圧的で生意気な女を不快に思ったけれど、今日はいい子にしなくては。
 それは酷く退屈な作業だった。
 けれども、時々綴りを間違えてしまい、ダーリアにぴしゃりと手を叩かれる。そのたびに彼女が纏う甘ったるい香りがおぞましいものに感じられた。
 彼女は、多分、お母様と同じ種類の人間だと思った。
「ダーリア、レジーナに鞭を使うな」
 レジナルドの厳しい声が響く。しかし、ダーリアはそれを気にした様子すら見せない。
「あら、私の幼い頃はこうやって教え込まれましたよ」
「怯えさせては意味が無い。レジーナにはしっかり王族の務めを理解させ、善悪の区別を教えなくてはいけないと言うのに。体罰を与えてどうする。お前に対する恨みばかりが生まれるのではないか?」
 レジナルドはダーリアを睨む。
「お言葉ですが陛下、この小娘は私の家族の命を奪った奴らに加担していたのですよ?」
「彼女が直接手を下したわけではない」
「だとしても、手を貸したのであれば同罪です」
「もしレジーナが犯罪者だとしても、お前が罰を与えることは許されない。きちんと裁判を行い罰を決めるべきだ」
 二人が言い争っている事はレジーナにも理解できた。しかし、理由が分からない。
 その場がどうしようもないほど恐ろしくなって体が震えるのを感じた。
「レジーナ、今日の勉強はここまでだ。少し早いが、昼食に行きなさい」
 レジナルドが言い終わる前にどこからかメイが現れ、レジーナの横に立つ。
「本日は中庭で昼食をどうぞ」
「レジナルド様は?」
「少しダーリアと話をしてから様子を見に行く。先に食べ終えていても構わない。ああ、林檎の世話をする時間になったなら世話をしていて構わない」
 レジナルドに返事をする前に、メイはぐいぐいとレジーナの手を引いて歩き出してしまう。
 待って、その言葉が飛び出してくれない。
 煌く庭に出ても全くときめかない。寧ろ落ち着かなかった。
 レジナルドと離れただけでとても不安になってしまう。
 今日は一緒に居てくれると言ったのに、彼は嘘を吐いた。
「嘘吐き……」
「レジーナ様、レジナルド様ももうすぐいらっしゃいますから」
 メイは諭すように言うけれど、そわそわと落ち着かない。彼は一緒に居ると言ったのに、レジーナに先に行けと言った。
「戻らないと。レジナルド様と一緒じゃないと」
 彼と一緒に居ないときっとよくないことが起こる気がする。
 元の道を戻って、レジナルドを迎えにいこうとすると、メイに腕をつかまれる。
「いやっ」
 怖かった。あとは体が勝手に動く。ばちんと嫌な音が響いたかと思うと、メイが後ろに倒れこんだ。
「レジーナ、何をした」
 ほぼ同時にレジナルドが現れる。
「レジナルド様……」
 来てくれて嬉しいのに、彼がとても怒っているのが分かる。
 けれども、どうして怒っているのだろう。嘘を吐いたのは彼の方だ。
 まだ、右手はばちばちと闇の魔力が渦巻いている。昔から怖いと感じると暴走してしまうのだ。
「お前には、本当に躾が必要なようだな」
 彼の瞳は冷たいというよりは痛いほど熱く感じられた。途端にサァッと魔力が引いていく。
 レジナルドが近づいてきた。
 思わず後ろに下がろうとすると少し強引に腕を捕まれ、そのまま抱えられてしまう。
「子供の躾には罰も必要だ」
 彼は林檎の木の下に腰を下ろすと、レジーナを自分の膝の上に抱え、尻を上げさせた。
「なっ、ちょっと……」
 レディはこんなはしたない格好をしてはいけないのよ。
 そう抗議する前に、レジナルドはレジーナのスカートを捲り上げた。
 そして、一瞬固まった。
 固まったと言うよりは驚きで言葉を失ったように感じられる。
「……下着を……身につけていないのか?」
「着ているじゃない」
 レジーナは戸惑う彼を睨む。
 きちんとアンダードレスを着ている。なのに、下着を着ていないなんて失礼だ。
「……ああ、穿く習慣がないのか」
 レジナルドは溜息を吐いた。
「俺の妻にあまり淫らな格好をさせるわけにもいかない」
 彼はそう言ってゆっくりとレジーナの尻を撫でた。
 背中になにかぞくりとした感触が走った気がする。これはよくないことが起きる。
「さて、レジーナ、悪い子には躾が必要だ」
 そう言う彼の声はどこか楽しそうで、恐ろしく感じられた。
 彼がなにかに怒っていることは理解できたけれど、それ以上にどこか楽しそうにも感じられる。レジーナはあまり人の気持ちを読み取ることが得意ではないけれど、今のレジナルドはお母様によく似ている。
 怖い。思わず逃げようと体を捩ると、力強い腕に押さえつけられてしまう。
 パシッ。
 乾いた響きと共に臀部に熱が走る。
 痛い。
 止めて。
 叫ぶ前に次の熱が来た。
「いたっ……いやっ……」
 レジナルドの手が思いっきりレジーナの尻を叩く。それはとても不規則な感覚で痛み以上に熱を感じさせた。
 逃げようと魔力を放出させたはずなのに、それはすぐにどこかに消えてしまう。
「レジーナ、闇の魔力を使うな」
 レジナルドの厳しい声と共にまた激しい痛みが走る。
 思わず、涙が零れ落ちる。
「いっ……痛いよぉっ……」
 もうやめてとレジナルドを見れば、厳しい視線で見られると共に更に強く叩かれた。
「なぜ闇の魔力を使う。メイはお前に敵意など見せなかっただろう」
 何度も何度も尻を叩かれじんじんと痛む。
 質問の意味を考えようとする前に次の熱が走った。
 レジーナは質問の答えを考えることが出来なくなってしまう。
「それに、俺にも闇の魔力を向けようとした。お前の夫である俺に」
 一層厳しく叩かれ、思わず身を捩る。
 じんじんと熱が波打つ。痛くて怖い。
 なのに、次の刺激を待っている。
 痛いのはもう嫌。
「レジーナ、他人に闇の魔力を向けてはいけない。お前の魔力は危険だ」
 レジナルドの手は叩くことを止めない。
「お前の魔力は命を奪うことも出来る。その自覚をしろ。レジーナ、悪いことをした時はどうする?」
 厳しい声と走る熱に、お母様を思い出す。

 レジーナ、悪いことをした時はなんて言うの?

 お母様の声が響く。
「ご、ごめんなさい……」
 怖い。
 涙が止まらない。
 レジナルドの手が更に強く叩いてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……もう、しないから……もうしませんから……許してください……」
 泣きながら必死に懇願する。もう、叩かれるのは嫌だ。
 レジナルドを見れば、一際強く叩かれる。
 そして次の刺激の代わりに。目尻に優しくキスをされた。
「ああ、そうだ。いい子だ。メイにもちゃんと謝るんだ。いいね?」
「は、はいっ……」
 まだ、お尻がじんじん痛い。けれどもそれ以上に、お腹の辺りに違和感がある。
「レジーナの魔力はとても強力だから、人に向けてはいけないよ。使っていいのは、本当に大切な人を護る時だけだ」
 レジナルドは優しい声でそう言ってレジーナを抱え直した。
 お腹の奥がなぜかむずむずとくすぐったいような気がする。
「お前が憎くてこんなことをしているんじゃないよ。分かるかい?」
 スカートを整えながら彼は言った。
 分かってる。お母様だってきっと同じだもの。
「一瞬、レジナルド様がお母様に見えたわ」
「君のお母様も、君の尻を叩くのか?」
 どこか冷たい目で彼は訊ねる。レジーナは首を振って違うと示す。
「お母様は……いいえ、なんでもない」
 レジナルドには見られたくない。お母様の残した痛みはレジーナだけのものだ。
「泣くな……」
 レジナルドの手がそっと涙を拭ったことで、また泣いてしまったのかと気付く。
「……お前の躾をしているはずなのに……」
 レジナルドは困っているようだった。
 レジーナは不思議に思って彼を見つめる。
 ふわりと、頬を撫でられたかと思うと、唇に何かが触れた。
 それがレジナルドの唇だと気付くまでに少しだけ時間が必要だった。
「……レジナルド様?」
「妻に、キスをしてはいけないか?」
 彼は少し不機嫌そうに訊ねる。
「……いえ、その……初めてだったから……」
 頬や額なら何度もお父様にされたことがある。けれども、唇に触れられたのは初めてだった。
「そう。じゃあ……もう一回」
 優しく、触れるだけのキスをされる。さっきまで怖かったレジナルドの面影はもうどこにもない。
 とくんと、心臓が跳ね上がるような錯覚に陥る。
 たぶん、こんな感情は知らない。
「レジナルド様……すき、です」
 レジーナが思わずそう告げると、彼は目を見開く。
「レジーナ、いけないよ。君は罰則の最中なんだから」
 けれども彼はまたレジーナの唇に自分の唇を重ねた。
 どうしてそんなことを言ってしまったのかさえわからないまま、その触れる感触を受け入れる。
「今日は、林檎の世話も読書もなしだ」
 唐突な言葉の意味を理解し、レジーナは焦る。
「え? そんなっ……」
 こんなにも予定にないことばかりが続くのはきっとよくないことだ。
 そう思うのに。
「一日お前を監視しないと」
 そう言う彼はどこか楽しそうで、レジーナはふたたび首を傾げた。


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