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三つの願い
三つの願い
しおりを挟むタルトがせっせと「お供え」を運んでいる姿を視界に入れないようにしながら庭に水やりをしていた。
彫刻の彫られた木の前にお供えをし、祈るような仕草をとっている。
(ぼくすごくいいこだからおいしいものいっぱいたべたい)
それは祈りではなく願望を口にしているだけだろうと思ったが無視する。
(ままは……やさしいよ。ぱぱは……ぱぱもいつもがんばってるからいいこだよ!)
正体不明の神様に謎のアピールをするタルトが理解できないが、タルトなりに僕とフローレンスを大切に思ってくれているのだろう。
複雑な心境ではあるが。
あとでこっそり牛肉の切れ端でもやろう。
そんなことを考えながら庭の手入れを続けた。
夜、奇妙な夢を見た。
夢だと理解したのは目の前に現れた奇妙な存在のせいだ。
頭はタルト、体はフローレンス。それなのに頭は体にぴったりの大きさだ。
タルトによく似た顔は、フローレンスとは違う女性の声で人語で語りかけてくる。
「どんな願いでもみっつだけ叶えてあげましょう」
童話みたいなことを言っている。
童話を読む趣味なんてないから、本当に幼少期の朧気な記憶しかないような話だ。
フローレンスがタルトにでも読み聞かせたのだろうか。
彼女なら猫に絵本を読み聞かせていても驚かない。
「特に思いつかない」
どうせ夢だ。
それにこんな奇妙な生き物になにができると言うのだろう。
「願いを決めるまではここから出られない。ただしここから抜け出したいと言う願いは却下する」
逃げ道を塞がれた。
そもそも夢の中で願いを口にしたって空しいだけではないか。
願いと言って真っ先に浮かぶのはフローレンスだ。
僕の一番の願いは決まっている。彼女が幸せに過ごすことだ。
「あー、なんでもいいのか?」
「ああ」
タルトの顔が頷く。
フローレンスのお気に入り、秋色のワンピース姿で。
どうやら僕は相当疲れているらしいな。
深呼吸する。
「僕の願いは、フローレンスが健康で幸せな毎日を送ることだ」
大きな病気などせず、日々平和で幸せな生活を送って欲しい。
「私の力が及ぶ限り約束しよう」
タルトの顔の女が答える。
力が及ぶ限りだなんて不思議な言い回しだ。どんな願いでもと口にしていたくせに。
「残りふたつの願いも聞こう」
そう言われても咄嗟には浮かばない。
別に無欲なわけではないのだが、自分の周りは自力で叶えるべきだと思うしそもそもわざわざ願うほどのものはない。
フローレンスにずっとそばにいて欲しいとは思うが不思議な力に願って彼女の意思に反する結果になるのは嫌だ。
そうなると本当にたいした願いはないのかもしれない。
考えれば考えるほどタルトの頭が目に入る。
「あー、なら、タルトが健康に長生きできるよう願う」
タルトが元気ならフローレンスも喜ぶ。
僕だって既に家族の一員であるタルトには長生きをして欲しい。
「承知した。お前は他者のことばかり願うのだな」
タルトの顔が面白そうに笑う。
「自身に関わる望みはないのか?」
そう訊ねられても咄嗟に浮かばない。
フローレンスと手を繋ぎたい? いや、頼めばすぐに手を繋ぐどころか腕に抱きついてくる。あれはあれでかわいいのだから僕は満足だ。
自分に関わる願いと言われても浮かぶのはフローレンスのことばかり。
フローレンス?
ああ、最大の願いが浮かんでしまった気がする。
「フローレンスがまともな料理を作れるように願う」
そうすればもう出前を注文して悲しまれることもなくなる。
「よかろう。実に興味深い人間だ」
タルトの顔が答える。
「タルトの言う通りいい子には褒美をやろう」
タルトの顔が目を細める。
なんだ?
褒美?
周囲の景色が歪んでいく。
その中で声が響いた。
「望む時にいつでも猫になれる力を授ける」
そして僕の意識が一瞬途絶え、鳥の囀りが聞こえた。
意味がわからん。
なぜ猫?
いや、確かに猫になったことはあるが別に猫になりたい願望があるわけではない。
時々タルトに嫉妬するが。
僕だってフローレンスの膝で優しく撫でられたいだとか、シャンプーが極楽だっただとかそんなことを考えてしまうことはあるが決して猫になりたいわけではない。
本当に奇妙な夢だった。
着替えを済ませて一階へ向かう。
おや、ラスールが来ているのだろうか? おいしそうな匂いがする。
「おはようございます。ブラン様」
洗面所で顔を洗い、居間に入るとフローレンスが食卓に朝食を並べているところだった。
「おはよう」
挨拶をして食卓を見る。
パンにスープに卵。サラダと果物まで用意されているシンプルだがまともな料理だ。
おかしい。
ラスールならもっと香辛料を多用した凝った料理を作る。
まさか……。
「君が作ってくれたのか?」
「え? はい。今日は完璧です」
フローレンスが胸を張る。
あの妙な夢のせいか?
「ああ、すごいな」
見た目は完璧だ。これで食べられる味なら全く問題ない。むしろタルトの頭をした謎の女性に感謝するだろう。
いつものお茶を差し出され、一口飲んでみる。
飲みやすい甘さ、だと?
いつもは砂糖や蜂蜜を入れ忘れてものすごく苦いかフローレンス好みに大量の砂糖を投入されて甘すぎるというのに完璧な味だ。
まさか料理も……。
おそるおそる卵を食べてみる。
「……おいしい……」
本当にフローレンスの手料理なのかと疑いたくなるほどおいしい。
ありがとう。タルトの頭の女性。
おかげさまで僕の生涯は幸福に過ごせそうだ。
とはいっても奇妙であることは奇妙だ。
タルトはいつも以上に元気に走り回っていた。
(ぼくげんき! ぼくちょういいこだからちょうげんき!)
よくわからないがとても元気であることは確かだ。
そして無駄に家の中を走り回り、飛び回り、棚の上に置かれていた写真立てを落として割ってしまった。
フローレンスがかなり気に入って買ってきた骨董品だったはずだ。入籍したら一緒に撮った写真を入れたいと言っていた……くっ……正式に婚約したはいいが未だにフローレンスの両親に挨拶すらしていないことを思いだしてしまった。
後ろめたさがあるから余計に会うのが怖い。
未婚のお嬢さんと同居している言い訳が考えつかない。
まさか「お宅のフローレンスさんが僕の家を放火した挙げ句僕を洗脳して同居しました」だなんて言えるはずがない。それに放火犯がフローレンスだと決まったわけではないのだから。
べつに犯人が彼女だったとしても驚かないし、今更彼女を嫌う理由にもならない。
フローレンスが写真立ての存在を忘れてくれていることを祈りつつ、破片を掃除しているとラスールが現れた。
「こんにちは、ブランさん」
「こんにちは、ラスールくん。フローレンスは出かけているよ」
今朝料理を褒めたことが相当嬉しかったらしく、隣町の市場まで行ってくると張り切っていた。正直交通費も無駄だとは思うのだが、彼女の好きなようにさせておく。
「なんだか愉快なことになっていますね」
「愉快なこと?」
「奇妙な夢を見たりしませんでしたか?」
訊ねられ、やはりラスールはなんでも見通せてしまう気がした。
「おかしな夢を見たよ。タルトの頭をしてフローレンスの体の女性がどんな願いでも三つ叶えてくれるとかいう」
夢の話をラスールにすると、面白そうにくっくっくと笑う。
「ブランさんは想像力が足りませんね。猫といえば飼い猫、女性と言えばフローしか浮かばなかったのでしょう」
呼吸すら苦しいといわんばかりに笑い続けるラスールに少しだけむっとしてしまう。
「どういう意味だ?」
「半人半猫の女神です。つまり、猫と人間の女性が融合したような姿で現れます」
そして、相手が理解出来る姿を見せようとすると。
「つまり、僕にとってのすぐ浮かぶ猫と女性の組み合わせがそれだったと?」
「ええ。そういうことです。人間の前に姿を現すこと自体が珍しいのですが……あの猫ちゃんが熱心に供物を捧げているのかな?」
ラスールは本棚の隙間に逃げ込んだタルトに視線を向ける。
どうやらラスールを恐れて隠れることにしたらしい。
「本来は猫に信仰される猫の神なのですが、気まぐれを起こしたようですね」
「なぜ猫の神が願いを叶えるなど……」
理解出来ない。
「気に入られたのでは? 猫と共通点があるだとか」
そう言われ、どきりとする。
まさかとは思うが、猫になったことがあることが関係しているのだろうか。
それよりも……。
「いつでも猫になれる力を授けると言われたような……」
思わず口に出すと、ラスールはとうとう腹を抱えて笑い始めた。
「相当気に入られましたね。猫になれば守って貰えますよ。ついでに来世は猫になることが確定したと考えても間違ってはいないでしょう」
来世。一部の宗教で信じられている生まれ変わったあとの話か。
「君はその猫の神にも詳しいのか?」
「詳しいという程では」
ラスールは咳払いをして笑いを抑え込んだ。
「ブランさんが相当気に入られたので彼女はきちんと願いを叶えてくれるでしょう。それにしても……願い事がフローの手料理……料理教室に通わせても効果がなかったと?」
「……料理が好きなんだ。彼女は。だから、僕は安全が保証されるならできるだけ彼女の手料理を口にしたい」
安全が保証されるなら。
残念ながらフローレンスの手料理は半分以上毒物か劇物だ。
「ブランさんが人間にしては無欲で興味深い生き物だと理解出来たので、俺も楽しませて貰いました。一つ忠告しておくとすれば……彼女はフローに対しては甘くないので今回の話はフローにはしない方がいいでしょう」
ラスールが言う彼女とはきっと女神のことだろう。猫の頭の。
「フローレンスは別の神を崇拝しているようだしな」
つまり自分の信者以外は大切にしない神なのだろうか?
いや、僕は科学信者だ。本来は神など信じない。本来は。
いや、もう非科学的なものに触れすぎて神が居てもおかしくはないと思うが……。
「そういうことです。それと……力の使い方は訓練しておかないと、自分の意志とは無関係に変身してしまうかもしれませんよ?」
ラスールは面白そうにそう言って、庭に出た。
いつかフローレンスが植えた謎の植物を観察するように。
力の使い方。
つまり、猫に変化する力、か。
正直、使いどころがあるとは思えない。
が、フローレンスの手料理がマシになるのであればそれが一番の収穫だ。
自然と、彫刻の彫られた木の方角を向いた。
祈る習慣などないから作法がよくわからないが、僕の体は自然と彫刻の方へ礼をとっていた。
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