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ブラン、里帰りする

ブラン、里帰りする 4

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 フローレンスの怪我は出血の割に軽傷だったが数針縫う結果になった。
 痕は残らないで済みそうだと言われ安堵する。
 やはりフローレンスのこととなると僕ではまともに判断できないのかもしれない。
 病院で治療を受け、落ち着いたのか、帰りはいつものフローレンスに見える。
 そして、僕の実家に戻ると、ラスールの前で母ががくがくと震えているところだった。
 暴れてはいない。
 ただ、恐怖で震えているように見える。
「ラスール、くん? 君は、なにをしたんだ?」
「いえ、フローを傷つけたので……我が神がお怒りです」
 ラスールが面白そうに笑う。
 神?
 フローレンスの妄想ではないと?
 いや、それ以前に、神が信者のひとりのためになにか制裁を加えたりするものなのだろうか。
「神の姿を直視したため、目を焼かれたようです」
 その言葉に、思わずタルトを探す。
 一緒に居たのであれば、猫のタルトも視力を失ったのではないだろうか。
「タルト、無事か?」
 声を掛けながら周囲を探せば、食器棚ががちゃりと音を立てた。どうやら中に居るらしい。食器を倒して暴れているような音が聞こえる。
(あいつ! ぼくのこととじこめた! あいつ! わるいやつ!)
 扉を開けた瞬間、タルトが飛び出してラスールの悪事を暴露する。
 つまり、神を目撃しないようにタルトを避難させてくれたのだろう。
「ついでにいくつかの記憶を消したので、もうブランさんに関わることもないでしょう」
 貸しですよと彼は言う。
 記憶を消した?
 いったいどうやって。
 いや、今更ラスールにそんなことを訊ねるだけ無駄だ。
 それよりも。
「神とやらが現れたというのに、君は無事なのか?」
 ごく自然な疑問だろうと思った。それなのに、ラスールは笑う。
「我が神は、崇拝されようがされまいがお気になさらない。手順さえ守れば、その力を借りられます」
 僕には全く理解出来ないが、危険であることだけは確かだ。
 母を見れば、両目が火傷しているようで、涙のように血を流している。
 そしてひたすらなにかを呻いていた。
 一応救急車くらいは呼んでおくべきだろう。
「一体どんな記憶を消したんだ?」
「そうですね……息子の存在、だとか」
 楽しそうな声色に、血の気が引く。
 確かに縁を切ることは望んでいた。
 けれども、存在自体をこうも簡単に抹消されてしまうのだろうか。
 魔術と関わるとろくなことがない。
 そんなことはわかっている。
 どんな理由であれ、魔術を使った人間は幸せにはなれない。
 たぶん、正気だとか倫理観だとかそういったものがどんどん欠落してしまうのだろう。
 フローレンスのように。
 躊躇わずに他人の精神を操ろうと出来る。それも、ほんの一瞬の隙で囁くだけで。

 状況が状況なだけに、応急処置のみを施し、匿名で救急車を呼んだ。
 できるだけ僕らがいた痕跡を消し、帰宅することにした。
 そういえばフローレンス達はどうやってここへ来たのだろう。一瞬で移動してきたような気がした。
「フローレンス達はどうやって来たんだ? 一瞬で移動する方法があればすぐに帰れると思うのだが」
「無理ですよ。フローはブランさんを追跡することに関しては座標の狂いもありませんが、ブランさんが隣にいては目的地に辿り着けません」
 ということはなんらかの魔術を使って僕を追跡してきたのか。
 もうフローレンスに隠れて外出は出来ないな。
 諦めてタクシーで移動する。猫を連れていることで運転手が嫌な顔をしたが、多めに金を握らせて黙らせた。
「フローレンス、肩は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
 やはり痛みを感じていないように見える。
「その、痛くなったらすぐに言うんだぞ? 痛み止めくらいしか用意できないが……」
「痛みを忘れているだけなので、思い出したら無言で痛がると思います。寝る前には痛み止めを飲ませてください」
 ラスールがとんでもないことを教えてくれる。
 まさか、健忘的なもので痛みを忘れているのか?
 本当に大丈夫なのか不安になる。
 タルトはフローレンスの膝で丸まっているが、いつものように甘えている様子もなく、警戒を続けているように見える。
「……僕も……心の整理に少し時間がかかりそうだ」
 フローレンスとの価値観の違いとでもいうのだろうか。
 ひしひしと感じ取ったそれが恐ろしく思えた。
 まだ、僕の知らないフローレンスがいる。
 彼女には躊躇いがない。
 勿論、今回のことは母が悪い。それはわかっている。
 タルトを襲った母をフローレンスが許すはずがない。
 目を失い、息子が居たことすら忘れた母がこの先どうやって生きていくのかはわからない。
 多少の後ろめたさは感じるが、僕はこの先関わっていく気もないのだ。
 たぶん、どこかの施設で一生を終えることになるのだろう。そうなっても仕方がない人だとも思う。
 それでも、フローレンスはその気になれば他人の命も平気で奪える人間なのだと思うと恐ろしく感じてしまう。
 フローレンスの横顔を眺めていると、紫水晶の瞳がじっとこちらを見つめてきた。
 透き通るガラスのように、いつもより澄んだ瞳が僕の奥底まで暴こうとしているようにも見える。
「フローレンス?」
 フローレンスの手が伸びてきたかと思うと、僕の背中に触れた。
 そして襟から背へと手を差し込み、なにかを取った。
「ブラン様、どこでこれを?」
 フローレンスの手にあるのは目玉のような模様の描かれた紙に見える。
「え? なんだ? これは……見覚えがないぞ」
「そう、ですか……」
 フローレンスは紙を手で千切り、その破片をラスールの手に乗せる。
「私のブラン様を狙うなんて……許さない……」
 フローレンスから仄暗い空気を感じた。
 怒っていると言うよりは、恨みだとか憎しみだとかそんな感情をぐらぐらと、じっくり育てているようにさえ見える。
「フローレンス、今日は疲れただろう。帰ってゆっくり休もう。その……不本意な形ではあるが……一応いくつかの問題が片付いた。あー、僕の語学学習の手助けになりそうな教材だとかそう言った物について考えてくれると凄く助かる」
 フローレンスが僕の敵は自分の敵判定をして犯人を捜しているときというのはろくなことにならない。他のことを考えさせて気を逸らさないと。
「語学学習、ですか?」
「あ、ああ……ほら、君のご両親に挨拶くらいはしないと……せめて自己紹介くらいは君の祖国の言葉でだな……」
 はっきり言う。
 僕は言語が苦手だ。外国語なんて論外だ。母国語でさえ怪しいのに。
 しかし、フローレンスの気を逸らすには十分だったらしい。
 ぽっと頬を染め、嬉しそうな笑みを見せる。
 ようやく、僕の知っている普段のフローレンスに戻った気がする。
「では、一緒に練習しましょう」
 これでも大学で講師をしているんですよと自慢気に言う姿がかわいいと思う。
 フローレンスのあんなにも恐ろしい一面を見たばかりだというのにどうかしている。
 そもそも僕を魔術で操って利用しようとした彼女に惚れて求婚した時点で僕はどうかしているのだ。
 結局、僕はこの先どんなことがあってもフローレンスを優先してしまうのだろう。
 それが、倫理的に間違っている場合だとしても。
 
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