41 / 52
ブラン、里帰りする
ブラン、里帰りする 2
しおりを挟む僕の故郷は首都から汽車で二時間と少し、それから車で更に数十分掛かる距離にあるド田舎だ。
科学技術の発達で水素で動く乗り物が増え、公害が減少した今でもその田舎は田舎のままであまり発展していない。
農業が盛んだ。畜産業にも力が入っている。海のない山奥の小さな町。学校も一つ二つしかなく、高等教育を受けるには外に出なくてはいけない。
僕はその環境に救われた様な気がする。
必死と言うほどではないが、勉強が苦にならない性格が幸いだった。
奨学金が出るだけの成績で大学に入り、学費も免除になってくれたおかげで研究に没頭することが出来た。母からのしつこい連絡にはうんざりしていたが、一応育てられた恩があると、就職してからしばらくは仕送りもしていた。
が、住んでいたアパートが火災で全焼してからフローレンスの家に転がり込む形になった。今思えばフローレンスが放火したと言われても信じるほど不自然な火災だった気がするが、それを機に母に住所も教えず、仕送りも止めた。
縁を切りたいと思っていた。
それでも、職場は知られている。
いや、教えていないつもりだったが、あの面倒くさいなんとかという賞を取ったときだったか、論文がどれだかの学会誌に載ったときだったか、心当たりが多すぎて忘れてしまったが、何度か写真付きで新聞に載ってしまったことがある。
母に職場を知られてしまった。
それからしつこく職場に郵便物が届いたり電話が掛かってくるようになった。
たぶん、フローレンスが僕を見つけたのと同時期だっただろう。
まさか、フローレンスは僕の母の存在を知っていて僕の家を放火したのか?
そんなことを考えてしまう程度には、僕は過去のフローレンスを信用していない。魔術で僕を操ろうとした、なにかの目的を持ったフローレンスを。
実家へ向かう山道を、暗い気分のまま歩く。
いくつかの商店が消えていたり、新しい家が建っていたりはするが、僕が暮らしていた当時とあまり変わらないような気がする。
荒れ果てた庭が目に入る。僕が幼い頃に植えたハーブが大繁殖してしまった結果だろう。母にとても怒られたのを今でも覚えている。
このままでは隣の家にまで浸食していくななどと考えながら、庭を通過し、インターフォンを鳴らす。
少し待って扉が開いた。
「なんだい。母さんのことなんて忘れちまったのかと思っていたよ」
不機嫌そうなやつれた女性。これが僕の母だ。
不満そうな表情と、深く刻まれた隈。僕の幼い頃からあまり変わらない様に見えるが、白髪が随分と目立つようになった。
「忘れたかった。でも、しつこく郵便物を送ってきたのはあなただ。今日は、もうやめて欲しくて来た」
結婚すると告げていいものか悩む。
そんなことを言えば、嫁に会わせろだとか、フローレンスの実家が金持ちであることを知れば金の無心をしたりするかもしれない。
なにより、未来人が言っていた、母がフローレンスの命を奪ったという話が気になってしまう。
「お前みたいな不細工、あたしが嫁を探してやらんといつまでたっても結婚出来ないだろう。感謝して欲しいくらいだ」
どこどこのお嬢さんは教師でしっかりした人だだとか、なんとかという議員のお嬢さんは弁護士だから教養もあるだとか、自分の探した嫁候補を自慢気に話し出す姿にうんざりする。
「だから、必要ないと言っている。自分の結婚相手は自分で見つける」
だいたい僕なんかと見合いさせられる相手の女性が不憫だ。こんな醜男と会って、フローレンスから命を狙われることになるのだから。
いや、流石にそれは僕のうぬぼれか?
「もう僕に関わらないで欲しい」
育てられたことには感謝している。
けれども恨みがないかと言えばそうでもない。
物心が付いた頃には既に母と二人だった。
彼女は僕の交友関係に口を挟みたがったし、僕の容姿を毎日貶していた。
鏡を見れば自分でもわかってしまう。他人に不快感を与える程度には醜い。
母親似の深く刻まれた隈は本当に幼い頃からある。きっと生まれつきできやすい体質なのだろう。それに細くて枝みたいな貧相な体をしていたし、全体的に色素が薄くて不健康に見えた。
近所の子供達にはいじめられていた。僕の容姿が不気味であること、家が貧しいこと、父親がいないこと。理由はなんでもよかったのだろう。
母は不機嫌になると僕を箒や物差しで叩いた。
だから叩かれないように顔色を覗う子になっていたような気がする。
子供の頃から視力が悪く、あまり体力もなかった。運動は苦手だったし、いつも度の合っていない眼鏡だったから球技の授業なんかは最悪だった。それに足も遅い。いじめの標的にはうってつけだ。
僕は大抵一人だった。一人で図鑑を読んだり植物や虫の観察をしていることが多かった。
一人だけ、近所に住んでいた年上の子が構ってくれていたけれど、彼も高等教育を受けるために外へ行ってしまった。
勉強に没頭していた。植物の観察に没頭していた。
なにかに集中さえしていれば、他の殆どのことが気にならなくなる。
勉強が苦にならなかったのは本当に幸運だった。
自力で外に出ることが出来たのだから。
僕は存外行動力のある人間だったらしい。
そして今の地位を手に入れた。
これは努力の結果だ。母と離れてからの方が成績も伸びている。
なにより、僕にはようやく大切な存在ができたのだ。失いたくない。
「もうあなたに僕と関わって欲しくない。だから、会うのも今日で最後にする。あなたの息子は死んだものだと思って欲しい」
少なくはない額を包んだ封筒を持ってきたが、これを渡せばもっとと要求されるか、フローレンスに迷惑が掛かるのではないかと不安になってしまう。
正直、出来ることならフローレンスとの新居を買う費用に充てたい。
フローレンスは今の家が気に入っているとは言っているが、ストーカーに自宅を把握されているのだ。できるだけ早く引っ越すべきだ。
未来人に会って不安になっているだとか、そういうこともあるだろう。
まだ信じたくはない。
けれども、目の前のこの女性は本当にフローレンスの命を奪ってしまう可能性がある。
気に入らなければ子供を叩くような人間だ。
明らかに上流階級の生まれだろうフローレンスを見て何をするかわからない。
いや、息子が自分に従わないのが気に入らないと、大切なものを壊そうとするに決まっている。
頬に熱が走る。
叩かれたのだと理解した。
「なにを言っているんだい。お前はたったひとりの息子なんだよ。息子が母親を養うのは当然のことだろうが」
さっさといい嫁を娶って母に楽をさせろなどと口にされては呆れてしまう。
「僕はもうあなたには従わない」
じっと母を見る。
随分とやつれている。深く刻まれた隈は僕と似ているが、暗すぎる瞳は僕よりもずっと不気味に見えてしまう。
なんというか憎しみさえ感じられる視線を向けられているのをひしひしと感じた。
やはりフローレンスと会わせるべきではない。
「お前なんてあたしが居なきゃ一生ひとりだろうに」
「そんなことはない」
僕には既に大切な人がいる。
けれども、それを口にしていいものか悩んでしまう。
フローレンスを守りたい。彼女だけはなにがあっても失いたくない。
けれども厄介なことに、僕では母に力で勝てない。
なんというか、母を前にすると反射的に怯んでしまう。
なんとか母を諦めさせる方法はないだろうか。
「あたしに恥をかかせるつもりかい」
母の手が靴べらに伸びる。
ああ、また叩かれるのだなと思った。
叩いて満足するならそれでいい。
多少腫れて痛い思いはするだろうが、死にはしないだろう。あとは腫れが引いてから家に帰ればフローレンスにも心配を掛けなくて済む。
そう、思った。
靴べらが振りかざされた瞬間、ばきりと大きな音を立てて靴べらが砕け散った。
一体なにが起きたのだろう。
驚いたのは僕だけでなく、母も同じだった。
そしてポケットの中に入れていた不気味なお守りを思い出す。
まさかフローレンスが信じる神の加護とやらなのだろうか?
思わず、ポケットの中身を握りしめる。
次の瞬間、背後でなにかが落下するような大きな音が響いた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
召喚アラサー女~ 自由に生きています!
マツユキ
ファンタジー
異世界に召喚された海藤美奈子32才。召喚されたものの、牢屋行きとなってしまう。
牢から出た美奈子は、冒険者となる。助け、助けられながら信頼できる仲間を得て行く美奈子。地球で大好きだった事もしつつ、異世界でも自由に生きる美奈子
信頼できる仲間と共に、異世界で奮闘する。
初めは一人だった美奈子のの周りには、いつの間にか仲間が集まって行き、家が村に、村が街にとどんどんと大きくなっていくのだった
***
異世界でも元の世界で出来ていた事をやっています。苦手、または気に入らないと言うかたは読まれない方が良いかと思います
かなりの無茶振りと、作者の妄想で出来たあり得ない魔法や設定が出てきます。こちらも抵抗のある方は読まれない方が良いかと思います
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる