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タルトのこぶん

タルトのこぶん 3

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 フローレンスを撫でながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 やはり長椅子で寝るのは体が辛い。
 疲れが抜けないからか体が妙に重い……いや、そういう重さではない。
 首元に吐息がかかった気がする。
 まさか……。
 おそるおそる瞼を開く。
 見慣れた銀と、白い肌が見える。
 つまり……元に戻った、のだろうか?
 体を動かそうとするが、成人女性一人分の重さに猫が一匹追加されている状態はかなり重い。
 なにより問題なのは、猫から人間に戻ったフローレンスがなにも着ていないと言うことだ。
 この状況は僕にとってもフローレンスにとっても好ましいものではない。
 せめて毛布だけでもかけてやりたいと思ったが、手を動かそうとするとフローレンスが小さく呻いた。
 起きて、しまっただろうか?
 平手打ちを覚悟する。
「……ブラン様?」
 寝ぼけたフローレンスが抱きついてきた。
 待ってくれ、せめてなにか着てくれなくては目のやり場に困る。
「フローレンス、まずは落ち着いてくれ。昨夜のことは覚えているか?」
 状況確認が大切だ。特にフローレンスは直前のことすら覚えていないことがある。
「昨夜?」
 寝ぼけ頭で首を傾げる姿は昨夜見た可憐な猫と酷似している。
「えっと……私、猫ちゃんになって……あ、戻れた? え? あっ……やだっ」
 自分が裸であることに気づいたフローレンスは慌てて手で隠そうとする。
「と、とりあえずこれを」
 毛布を渡せば奪い取るようにしてそれを身に纏った。
「……原因は全くわからないが、とにかく君が戻れてよかった」
 僕はなにも見ていないと言っても全く説得力がないだろう。
 言い訳は諦める。
「き、着替えてきます」
「ああ」
 フローレンスを見送り、僕も着替えを取りに行くことにする。
 そういえば、昨日の服にあれを入れたままだったかもしれない。
 上着のポケットを確認すればやはり入ったままだった。

 どうしよう。
 少し悩む。
 もう少しフローレンスが落ち着いてからにするべきだ。
 着替えながら考える。
 あまり先延ばしにするべきではないと思うが、今はタイミングが悪いのではないだろうか。
 それでも。
 小箱に触れ、深呼吸した。
 今日を逃してはいけない気がするのだ。
 直感に頼るなど非科学的だとは思う。
 けれども人間が猫になるなんていう超常現象に二度も遭遇したとなっては多少は非科学的なものの存在を受け入れなくてはいけない。喋る猫も同居しているのだし。
 よし、と決心し、部屋を出ると、丁度フローレンスも出てきたところだった。
「えっと……その……お騒がせしました」
 恥ずかしそうに顔を隠しながら、なにを話すべきか決めかねている様子だった。
「あ、いや……大変、だったな。原因がわかるといいのだが……」
「そう、ですね」
 なんだかとても居心地の悪い状況だ。
 本当に僕の決意は問題ないのだろうかと不安になりながら、フローレンスと共に居間に移動する。
 コーンフレークだけの寂しい朝食を済ませ、いつものお茶を飲みながら、しばらく沈黙が続いてしまった。
 本当に落ち着かない。
 延期した方がいいに決まっているのに、僕の直感がそれを許してくれない。
「あの、フローレンス」
 自分でも驚くくらい緊張している。
「は、はい」
「あー、その……向こうで話そう」
 長椅子の方に誘ったが、今朝の出来事が頭を過り、失敗したと思ってしまう。
 それでも、フローレンスは素直に隣に座ってくれた。
「なんでしょう?」
「その、フローレンス、さん……えっと……」
 口から心臓が飛び出そうとはこのことだろうか。
 毎日会って話しているはずのフローレンスを前に緊張している。
「えっと……その……あー……そろそろ……」
「はい」
 フローレンスはゆっくり、僕の言葉を待ってくれる。
 そして優しく手を握ってくれた。
「そろそろ……結婚しませんか?」
 もっと他に言い方があっただろうに、映画みたいなかっこいいことが言えるはずもなく、なんとも情けないことになっていると思う。
 それでも、フローレンスならこんな情けない僕を受け入れてくれるのではないかと期待していた。
「へ?」
 フローレンスはなにを言われたのかわからないとでも言うように、瞬きを繰り返す。
 そして、自分は本当に現実世界に居るのか確認するように、自分の頬を両手で叩いた。
 折角整った顔をしているのだからそんなことはやめなさい。
「えっと、勿論、君が嫌でなければ……だが……」
 断られたら慌てて住む場所を探さなくてはいけないところだが仕方がない。
「えっと……あの……本当に? 本当に、私を?」
「ああ。その……僕は君を放っておけない。だから……この先も側に居たいと思っているのだが……」
 今のままの関係はよくないと思っていた。
 だからこそ決断したはずなのに、フローレンスは本気で驚いているらしい。
 やはり今まで雑に扱いすぎていたのだろうか。
「あの、私……本当に? 夢じゃないです?」
 涙で滲む瞳で、時々母国語を漏らしている。
 母国語の部分はなにを言っているのかわからない。けれども……。
「君に泣かれるのは苦手だ……だから、泣かないで欲しい」
「私っ、その……うれし、嬉しくて……」
 涙を拭いながら、また母国語でなにかを言っている。
「幸せですっ……一生、逃がしませんから」
「あ、ああ……」
 喜んでくれているのならいいが……なぜ僕の方が逃がさないなどと宣言されるのだろう。普通は申し込んだ僕の方がそういうことを口にする立場なのではないだろうか。
「えっと……君の好みに合うか……わからないが、その……似合うかと思って、選んだ。使って貰えると嬉しい」
 宝石店から受け取った小箱を差し出せば、本当に驚いたと目を見開く。
「あの、本当に?」
 受け取っていいのかと確認されるが、僕が君に渡す以外の目的で宝石を買うことなどあるのかと逆に問いただしたい。
「君が受け取ってくれないのなら返品しに行かなくてはいけない」
 そう告げると、ようやく中身を確認してくれた。
「……きれい……大切にします」
「ああ、気に入って貰えたなら嬉しい」
 ほうっと力が抜けていく。
 僕の方が夢を見ているような気分だ。
 もし、これが夢だったなどと言われたら存在するかどうかも定かではない神とやらを一生恨んでやる。
 そんな僕の考えを吹き飛ばすように、フローレンスの指に小箱の中身が輝く。
 やはり似合っていると思う。
 勿論フローレンスであればなんだって似合ってしまうのだろうが、僕の選んだ物を身に着けてくれるというのは特別な気がする。
「すごく、嬉しいです。ラスールにも自慢します」
「あ、ああ。そうか……」
 喜びの表現なのか、他に自慢する相手がいないのか。
 少し複雑な心境だが、フローレンスが喜んでくれたならなによりだ。

 これから、たぶんもっと大変なことがたくさん起きる。
 けれども、今くらいは幸せな気分に浸りたい。
 フローレンスの手を取り、指先にそっと口づける。
「君が居てくれると、安心できる。いつもありがとう」
 これも本心だ。
 が。
 フローレンスには刺激が強すぎたらしい。
「フローしあわせぇ……」
 そんな言葉を残して、彼女は意識を失った。
 
  


 
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