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フローレンスの助手
フローレンスの助手 2
しおりを挟む本人談だがどこまで本当かはわからない。
ラスールは四十二人兄弟の三十五番目で、上にお姉さんが十人居るらしい。兄弟が多く皆優秀だから一人くらい好き勝手にやってもいいと、この国でフローレンスの助手をしているという。
料理が好きで振る舞ってくれる時もある。実際弁当までもらってしまった。
実家が相当な富豪であることは確かなようだがわざわざフローレンスの助手(と言うよりは使用人にすら見える)をする理由がわからない。着ている物は一級品だし、立ち振る舞いも美しい。フローレンスと並んでいても全く劣らないだけの教育を受けているはずだ。
正直なところ僕は彼が苦手だ。考えが読めないどころか時々不気味にさえ見える。
タルトも相当警戒している。
しかし、今夜も彼は夕食の席に当たり前のように現れた。
「俺の故郷の料理です」
胡散臭い笑み。しかし、実際料理は上手い。
昼に食べた弁当もキラキラとしたキャラ弁だった以外はとてもおいしい料理だった。むしろ嫌がらせがあの装飾だったのだろうかと思うほど女児が好みそうなキラキラ具合だった。
「夕食後に書斎の整理をする予定ですが、ブランさん、手伝って貰えますか?」
「あ、ああ……」
素直に手伝えだなんてなにか裏があるのだろうかと警戒したくなるような胡散臭い笑み。
そしてダニエルには手伝いを頼まないのも不思議だ。
「ダニーは片付けをすると余計に散らかすので書斎に近付けないでください」
威圧的にすら感じられる笑み。
ラスールは完全にあの兄妹の扱いを心得ているようだ。
夕食後、フローレンスの書斎でラスールと二人きりになってしまう。なぜ家主のフローレンスまで追い出されるのか。彼女は片付け上手なはずだ。
「さて、この新刊の山を入れる空間を作らなくてはいけません」
机の上に百冊近い本が積まれている。
「……こんなに読むのか?」
辞書も多いが専門書らしき本も多い。
それにフローレンスの書斎には古びたいかにも危険そうな本が紛れ込んでいる。この山に危険物が紛れ込んでいも驚かない。
「一応棚は分類されています。なのでこの棚のここからここまでを抜いて他の本を移動させようと思います。抜いた本は研究室に運ぶものとフローの実家に送るもの、破棄するものに分けます。それはフローに確認して貰うのでブランさんは抜いた本を移動させてください」
「あ、ああ……」
こき使う気満々だな。
僕はあまり力仕事が得意ではないのだが……フローレンスの家に居候させて貰っているのだからこのくらいは手伝わなくてはと気合いを入れることにする。
それにしてもラスールと二人と言うのはなんだか落ち着かない。
ラスールは美形だし、超人という感じがする。
フローレンスとの距離が近いし、ダニエルの恋人だと聞かされても、フローレンスとそういう関係だと言われた方が納得できてしまう距離感だ。
「なにか?」
考えを読まれたのかと思うほど、金の瞳にじっと見つめられる。
普段は笑みで巧妙に隠されているが、彼の瞳は肉食獣のような鋭さがある。
「あ、いや……その……」
なにを言えばいいのだろう。
フローレンスから聞いた話をするわけにもいかないだろうし。
沈黙に悩んでいるとラスールの方が口を開く。
「別にブランさん程度を恋敵だとか思わないので気にする必要はありませんよ」
「え?」
急になんだ。
思わず素で聞き返してしまう。
「ダニーは俺を二番目に可愛がってくれているので。一番はフローです。あれには勝てません」
妹ってのは特別ですから。と言う彼にも妹がいるのだろう。
「僕はひとりっ子だからよくわからないが、ダニエルがフローレンスを大切に思っているのはよくわかる」
フローレンスが大切だから僕のことも受け入れようとしてくれているのだろう。
「フローは三人のお兄さんに相当甘やかされて育っています。なので根拠のない自信というか、自分はなんでも出来る方だと思っている部分があります。料理の腕は最悪ですが、たまたま失敗するだけだと本人は考えているようです」
食材に近づけないでくださいと釘を刺される。
近頃頻繁に来るのはもしやダニエルの胃をフローレンスの手料理から守る為なのか?
「あの兄妹は揃いも揃って食事を軽んじている部分があります。仕事のための栄養さえ摂取できれば何を食べてもあまり気にしません。特にダニーは……食事を面倒だと考えているのでしょう」
新刊の山を振り分けながら言うラスールは少し苛立っているようにも見える。
珍しい。彼は僕を馬鹿にしていることは多いが、基本的には穏やかに見える。
「フローレンスは茶菓子には拘っているように見えるが」
「あれは見た目さえ好みであれば味はどうでもいいんですよ」
ばっさりと言い切るラスールは本当に苛立っているようだ。
けれどもそれ以上は何も言わず、黙々と作業を進めていく。
なんというかものすごく居心地が悪い。
早く終わらせよう。
自分に与えられた作業、つまり本を抜き出す作業を加速させていく。
が、フローレンスの書斎だ。何があるか恐ろしい。
時々手触りが紙ではない本が混ざっている。布張りならいい。何か動物の革だったり、毛皮のような素材の本まである。
「……歯形つき……」
革表紙の本にくっきりと人間の物と思われる歯形がついている。
これはフローレンスの歯形か? 彼女は本まで囓るのか?
出来れば見なかったことにしよう。そう思うが、ラスールによって阻止される。
「ああ、フローは嬉しいと囓る癖がありますから。その本も長い間探していたものらしく、渡した瞬間に囓りました。あと、初めて見る物は大抵囓ります。囓らないのは人間くらいじゃないですかね」
人間は囓らない。本当だろうか?
僕は……猫の時に囓られたから人間には数えられないのか。
そう言えばタルトも時々囓られている。
「よく猫の耳を囓っているのは?」
「まあ、愛情表現の一種だとでも思っておけばいいかと。あれ? もしかしてブランさんも囓られたり?」
さすがに人間にはしないでしょう? と呆れた様子を見せられる。
そうであって欲しいと祈るしか出来ない。
思わず黙り込んでいると、肩を叩かれる。
「ああいう人です。諦めてください。慣れてください」
「へ?」
「フローが変な気を起こさないようにするためにもブランさんにはさっさと劇的なプロポーズでもしてもらわないと困ります」
待て待てどういうことだ?
「フローレンスが変な気を起こさないようにとはどういう意味だ?」
「あの人、ブランさんのこととなるとすぐ暴走しますから。俺に言わせればこんなののどこがいいのか謎ですけど」
フローは美的感覚が狂っていますからと言うラスールからは敵意を感じない。
彼にどんな心境の変化があったのだろう。
まさかフローレンスの相手として合格をもらえた?
「俺、よく誤解されていますけど、大学の職員ではないんですよ。あくまでフローの助手なんでフローをサポートするのが俺の役目です」
「え?」
「あれ? ブランさんも知りませんでした? 俺はフローに個人的に雇われた助手です」
少し考えればわかることかもしれない。フローレンスはあくまで非常勤の言語講師だ。本業は翻訳家の方だと本人は言っている。が、たぶん僕があまり関わりたくない非科学的なあれこれの方が彼女の本業だろう。
そして、あのおぞましい悪夢から僕を救出したのはラスールだ。つまりラスールも非科学的なあれこれと関わっている人間と言うことになる。
「結構お給料がいいのでたくさん働かないといけないなと」
「へぇ、そうなんだ。あー、僕から上乗せしてフローレンスに気づかれないように夕食を作りに来て貰うことはできないだろうか?」
彼女のあれは毒物だ。ラスールの料理はおいしい。
なにも考えずに彼を雇えないかと口走ってしまう程度には。
「すみません、フローの助手なのでブランさんに雇われるわけにはいきません。俺はフローが最優先ですから彼女がブランさんに手料理を振る舞いたい気持ちの方を優先します」
「そうか、残念だ」
少し、いやかなりがっかりしながら作業に戻る。
それにしても棚の幅に合わないほどたくさん本が入っている。あの骨董品の机もそうだが、フローレンスの骨董品は得体の知れないものばかりだ。もしかすると居間の家具にもなにかおかしな点があるかもしれない。そう考え、これ以上考えるとろくなことがなさそうだから作業に集中することにする。
気にしたってこの本棚の謎が明かされるわけではない。
むしろ暴いてはいけない気がする。
そう思ったときだ。まるで隠すような一冊を見つけてしまう。革表紙の使い込まれたような質感だった。
「これは……」
フローレンスの文字、だろうか。
研究日誌? それとも日記だろうか。
見てはいけない気がする。けれども気になってしまう。
ちらりとラスールを見るが、彼は彼で他の本の仕分けに集中しているようでこちらを見ていない。
魔が差した。
この好奇心は学術的な物なのか、フローレンスに対してなのかはわからない。けれども僕はその革表紙の本を服の中に隠してしまった。
どうせフローレンスはここに押し込んだことすら忘れている。
そうして僕は何事もなかったかのように作業に戻った。
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