私には相応しくない

ROSE

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9 思考が停止する。

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 バラデュールが唐突に屋敷に顔を出したので、眠るベラを部屋に残し、しっかりと施錠した。勝手に屋敷の中を徘徊するような男ではないが万が一ベラと遭遇してしまえばベラを怯えさせることになるだろう。
 バラデュールという男は得体が知れず、仮面でも隠しきれない卑しさを漂わせてはいるが仕事という面では信頼はできる。欲しい商品を確実に揃える商人としては重宝する存在だ。
「本日の荷は女が二十、男が十五、子供が十。お代は紅玉百と金貨五百になります」
 仮面を外しても尚、仮面のような模様を描かれた顔をにやつかせたバラデュールが言う。
「そこに」
 指を鳴らし机の上に報酬を置く。
 こう、魔術が習慣化するとやはりベラのように魔術が使えないと不便なのだろうなと考えてしまう。
「本当に金払いの素晴らしいお客様ですねぇ。ところで本日は珍しいお品をお持ちしたのですが……」
 バラデュールはニタニタと笑いながら言う。なにかを売りつけたいらしい。
「珍しい物?」
「からくり式の自鳴琴オルゴールです」
 バラデュールは机の上に繊細な装飾を施された小箱のようなものを置く。
「自鳴琴などいまさら珍しくもなかろう」
「それが魔族の品でして。是非ディスプリン様にと、修復してお持ちしました」
 魔族の品であればなにかしらの特殊な魔術が掛かっているのだろう。好奇心が刺激された。
「開けて見せろ」
 命じれば丁寧な仕種で自鳴琴を動かす。箱の中に人形が入っているらしく、曲に合わせて男女が踊っているようだった。人形はスチュアートとベラに似せられて作られたように思える。二人とも仮面をして顔はわからないが、後ろ姿の雰囲気は似せられているように感じられた。
「下らない媚びは好かん」
 こんな物を喜んで買うと思われているのかと呆れてしまう。
「しかし、女性というのはこういった物を好みますよ?」
 つまりバラデュールはベラへの贈り物として買えと言っているのだ。
 買うのは構わないが、バラデュールに乗せられるのは気に入らない。
「この程度の魅了の魔術がベラに効くはずがなかろう」
 自鳴琴には魅了の魔術が掛かっている。それも、この音楽の方向へ人を誘う程度の軽い暗示だ。
「元々は侵入者をおびき寄せる為の術だったようですが、それほど強い術ではないため装飾品として好まれる品ですよ」
 大体ベラはスチュアートの贈り物を喜ばない。ドレスも宝石も、菓子にもあまり興味を示さないようだった。贈り物をするより髪を結わせてやった方が喜ばれたのは少しばかり複雑だ。
「あれは普通の女ではない。ドレスも宝石も喜ばん。化粧もろくに出来ぬ。香水は香りが苦手だと」
 好みが全く把握できない。それでもスチュアートの髪は気に入っている様子だ。
「慣れない物はお嫌いなのでしょう。しかし、音楽は、好まれるのでは?」
 なんとしてでも自鳴琴を買わせたいのか、今日は随分としつこい。
「なぜ俺にそれを買わせたい?」
「……こちらの品は……ディスプリン様の奥様の魔力と近い波長を感じたもので」
 つまり、ベラを魔族だと言っているのだ。
 スチュアート自身その可能性は除外できない。しかし精々先祖に魔族が居る程度だろう。
「俺はお前が魔族だと思ったのだがな」
 どこから来てどこへ行くのか予測のつかない男。だが、持ってくる品には間違いがない。それこそ、特殊な品でも。
「私が魔族だとして、ディスプリン様へ運ぶお品に間違いはないと思いますが?」
「別に構わん。品に不備がないのであれば」
 魔族を嫌うものは多いが、スチュアートの前ではそれは意味のないことだ。
「俺の美貌は、魔族相手にも通用する」
「確かに、ディスプリン様のお美しさは種族問わず魅了してしまうでしょうねぇ」
 実際、バラデュールも魅了の術から身を守る為の装飾をいくつも身につけている。
「当然だ。俺に惑わされぬのはベラだけだ」
 たとえ相手がバラデュールであったとしても、褒められて悪い気はしない。こういう時は気が大きくなってしまう。
「いいだろう。買ってやる。それと、ベラの魔力を吸収する腕輪を用意しろ。吸い尽くすほど強くなくていい。漏れ出す分を吸収させる」
「おや? 魔力に何か問題が?」
 バラデュールは自鳴琴の蓋を閉じながら訊ねる。
「問題と言うほどではない。だが、魔力を使いこなせていないからな」
 妙なうさぎはまだ悪さをしているらしい。ベラはよく魘されている。
「では、次回お持ちしましょう。玉のお色はいかがなさいますか?」
「赤がよい。あれにはよく似合うだろう」
 スチュアートの妻が身につけるのだ。当然美しいものでなければならない。バラデュールであればその辺りは理解しているだろう。
 自鳴琴の代金を渡し、後のことはアダムに任せ、ベラの待つ部屋へ戻る。
 本当にこの自鳴琴はベラを喜ばせることが出来るのだろうか? あまり期待はしないことにしよう。
 考えながら鍵を外し部屋の中に入ると、ベラが駆け寄ってくる。
「スチュアート様!」
 突然抱きつかれ、思考が停止する。
 一体なにが起きた。
「ベラ? どうした」
 頭を撫でてやれば、泣いているようだった。
「ベラ?」
 本当にどうしたのだろう。顔を覗き込めば、慌てて涙を拭う。
「ご、ごめんなさい……私、はしたないことを……」
 慌てて離れ、落ち着こうと深呼吸をするベラは、なにかに耐えているように見える。
「どうしたのだ。誰か来たのか?」
 ベラを悲しませたのは一体誰だ。詳しく話を聞こうとすれば、ベラは首を振る。
「な、なんでもありません」
「なにもないはずがなかろう」
 隠そうとするベラを腕に捕らえる。怯えている様子だ。酸味と苦みの強い匂いがする。
「なにがあった?」
 答えるまで放さぬと告げれば、諦めたように息を吐く。
「……その……いつもよりお戻りが遅かったので……」
 恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……スチュアート様に捨てられてしまったかと……」
 ベラの不安はそれだったのだろうか。このところ甘さの他に苦みが増す瞬間がある。
「俺はお前を手放すつもりはない」
 しっかりと抱きしめ額に口づける。やはりずっと部屋の中では負担なのだろう。ベラの精神が壊れてしまう。
「ベラ、本は好きか? 気晴らしに図書館に連れて行ってやろう」
 先代が無駄に異国のものも収集する趣味を持っていた為、ディスプリン侯爵家の図書館は増築され、今も尚本が増え続けている。あれだけあれば一冊くらいベラの興味を惹くものがありそうだ。
「図書館?」
「本が沢山ある。気に入ったものがあれば部屋に持ち帰っても良い」
 気晴らしが必要だ。しかし自由に外を歩かせるわけにもいかない。
 せめて、屋敷の中くらいは歩かせてやるべきなのだろう。
 だが……屋敷の中でさえベラには安全とは言い難い。
「ベラ、この国はお前の育った世界とは環境が違う。屋敷の中にもお前にとって安全とは言えない場所もある」
 ファントムはとにかく様々な種族が暮らす夜の国だ。種族ごとに食べるものも過ごしやすい環境も違う。そして、ディスプリン侯爵家の使用人もまた多様だ。
「今のところお前が安全に過ごせるのはこの部屋と図書館くらいだろう。精霊族が過ごしやすい空間はお前にも安全だとは思うが……客人や使用人に合わせて屋敷の中の環境が多様だ。もう少し整うまでは、この部屋で過ごせ」
 光が差し込まない通路もある。その先は死霊族の使用人たちが居るし、ベラのような人の子にとって毒になる植物も多くある。氷人ひようじん族の使用人たちが働く棟はベラには寒すぎて凍えてしまうだろう。
「お前は、光がなければ生きられぬのだろう?」
 ベラと過ごすこの部屋は、外国そとくにに似せ太陽を模した装置を働かせている。少し前に王宮に持ち込まれたものより新しく高性能ではあるがあまり量が出回っておらず、屋敷の全ての設置することは出来ない。
「この国には太陽がない。あるのは月明かりだけだ。だから、お前が安全に過ごせる空間は限られている」
 頬を撫でれば縋るように見つめられる。
「スチュアート様は……太陽がなくても平気なのですか?」
 恐る恐るという様子で訊ねられる。別にその質問で気を悪くしたりはしないというのに、ベラの反応は不可解だ。
「ああ。夢魔は光がなくても生きられる。だからといって光が弱点というわけでもない」
 翼手とは違う。
「では、スチュアート様はどこでも生活できるのでしょうか?」
「ああ。そうなるな。不潔な空間は好かぬが、生物として考えればあらゆる環境に適応できる」
 好奇心が刺激されたのか、ベラはいつもの調子に戻りつつあるようだ。
 抱えたまま部屋を出る。ベラが歩いても安全な範囲は明かりを灯しているが、あまり一人で出歩かせるわけにもいかない。
「図書館は少し遠い。まだ屋敷の中を一人で歩かせるわけにはいかないが、いつでも連れて行ってやる」
「あの、私、歩くのもダメなんですか?」
 ベラは遠慮がちに訊ねる。言われてみれば、あまり歩かせていないかもしれない。移動の時も、彼女はいつもスチュアートの腕の中だった。
「このままでは足が退化してしまいそうです」
「図書館の中は歩くことを許可する」
 明かりはあるとは言え、人の子であるベラがこの環境に適応できているかは予想できない。それに、廊下は使用人に遭遇しないとは言い切れない。
「そうだな。庭も整えよう。軽い散歩くらいなら出来るように」
「お庭もあるのですか?」
「ああ。だが、お前たちの世界とは、少し違うと思うぞ? それに、お前には毒になる植物も多い。整えさせるからしばらく待て」
 庭と聞いたベラの反応はかなり食いつきが良かったように思える。本よりは庭に興味があるのかもしれない。単に建物の外を歩きたいだけかもしれないが。
「できるだけ、お前の過ごしやすい環境を作ろう」
 家に帰すことは約束できない。だからせめて……。
 体調管理は最低限の義務だ。そう思うのに、ベラを見ればあまり調子は良くなさそうだ。
 食事も睡眠もきちんと与えているはずだ。それに、間食に薄い焼き菓子を二枚程度なら口にするようになった。入浴も毎日させているし、髪の艶は出会った日から見違えるほど美しくなっている。
 なのになぜ。
 やはり運動不足だろうか。あまり歩かせないという生活は良くないのかもしれない。だからといって、屋敷の中は安全とは言い難い。自由に歩かせるわけにもいかない。
 いつの間にか随分と深く考え込んでいたらしい。気がつけば図書館に到着していた。
「俺の目に入る範囲なら好きに過ごせ」
 ここに入ることを許されるのはスチュアートの他はアダムと司書のアビゲイルだけだ。ベラに危険はないはずだ。
「凄い」
 降ろすとベラは目を丸くする。
「レーベンの王立図書館のようです」
「ほぅ、行ったことがあるのか?」
 その方に驚く。
「はい。レーベンは近頃とても教育に熱心で、図書館は一般開放されています。庶民も入ることが出来て……特に植物の図鑑は素晴らしい品揃えでした」
 どうやら本は好きなようだ。読み書きすら出来ない女だったらどうしようかと考えていたが杞憂で終わった。
「読みたい本があれば部屋に持ち帰って構わん。ああ、左の奧は気をつけろ。上級の魔術師でも扱いが難しい本が多い。中には噛みつく本もある」
 火を噴いたり、毒蔓が巻き付いてくるような本もあったな。
「なぜそんなに危険な本まで……」
 ベラは驚いているようだ。
「これでも、そこらの魔術師よりは魔術の才にも恵まれているものでな」
 長生きをすればそれだけ退屈をする。人の子とは寿命が違うのだ。なにかを極めようと思えばそれなりに極められる。
「スチュアート様は本当にすごいお方なんですね」
 感心したように言うベラに悪い気はしない。
 褒められるのは好きだ。
 どこになにがあるか大まかに教えれば、迷うことなく図鑑が並ぶ棚に向かう。どうやらベラは図鑑が好きなようだ。
「今年発行された図鑑を全て取り寄せておけ」
 アビゲイルに命じる。
「今年はかなり数が多いですよ? また増築してもらわないと置き場所がなくなってしまいます」
 アビゲイルは困り果てた顔で言う。
「構わん。地下書庫を増築しろ。ベラは図鑑を好むようだ。図鑑の棚を入り口付近に固めておけ」
「スチュアート様、本には分類というものがございまして」
「ここは俺の屋敷だ。俺の妻が好むものを並べろ」
 言い返そうとしたアビゲイルはすぐに黙り込む。彼女はとても気が弱いのだ。
 アビゲイルはベラと同じようにバラデュールに売られていた娘で本性は鰐だ。獣人の国、イデアーレの生まれで、元は大臣の娘だったらしい。バラデュールの馬車で一番顔色が悪かったから気まぐれで買い取ったが、顔色は獣人特有の特徴の一つだったようで、今もあまり変わらない。アビゲイルの時は焼鏝を止めるのが間に合わず、彼女の胸元には奴隷の証がくっきりと残っている。だから図書館に置いているのだ。
「アビゲイル、お前のそれは決してベラに見せるな。きっと怯えてしまう」
 医者や魔術師を呼んで治療を試みたが、特殊な魔術らしく消すことが出来なかった。
「はい。そもそも私はどなたにも肌を見せることはありませんので、ご安心下さい」
 言葉の通り彼女は顔以外、一切肌を出さない。それは鱗の特徴を隠す意味もあるのかもしれない。
「お前は、この屋敷には慣れたのか?」
「はい。スチュアート様には良くして頂いています」
 アビゲイルはすぐに答える。
「ベラも、慣れるだろうか」
 訊ねれば、彼女は少しだけ考え込んだ。
「アダム様から、奥様はお部屋に監禁されていると聞いています。それでは、息が詰まってしまうのではないでしょうか?」
「だから気晴らしにここに連れてきた。お前も、外を知る。あまりベラの声を聞かせたくはないが……ベラの気晴らしになるのであれば」
 それでも、ベラを他人に見せたくないと思ってしまう。
 後ろを振り向けば、鳥の図鑑に夢中になっている様子が目に入った。
「鳥が好きなのか」
 だが、生き物を飼うのは……ベラの心がそれにばかり向いてしまうかも知れない。
「南国の鳥は鮮やかですから」
 アビゲイルはちらりとベラを見る。
「あまり俺の妻を見るな。あれを見ていいのは俺だけだ」
 やはり部屋に閉じ込めておきたい。誰にも見せたくないと思ってしまう。
「そんなに人に見せたくないのでしたら、奥様にも同じように仮面を付けては?」
 呆れたようなアビゲイルの様子に少し腹が立つが、悪くない考えだとは思う。問題は、ベラの美しさは仮面では隠しきれないことだ。
「仮面は仮面で一層あれの美しさが引き立つ気がするが……」
 それでも、少し隠した方が良いか。
 アビゲイルはあまり興味がなさそうに、発注する本の一覧に視線を戻す。
「あ、スチュアート様が以前注文された本、入ってきていますよ」
「ん? なんの本だ?」
 いつの話かすら記憶が曖昧だ。
「氷人族向けの家庭の医学ですね。スチュアート様、使用人全ての体調管理をしたいのはわかりますが、流石に医者に任せた方が良いのでは?」
「使用人の健康管理は最低限の義務だろう。俺の屋敷で生活をするのだ。責任は俺にある」
 この屋敷で働くのであればある程度快適に仕事をさせるべきだ。美しいスチュアートは完璧な主であるべきなのだから。
「本当に、ご自分が大好きでなければ素晴らしい主なのに」
 アビゲイルは溜息を吐く。
「お前も初めは俺に見惚れたくせに」
「夢魔の魔力って厄介ですよね。アダム様の術がないと時々ぼーっとしてしまいます」
 彼女が笑うと、ベラは大切そうに一冊の本を抱えて戻ってくる。
「あ、あの、これ、お部屋に持って行ってもよろしいですか?」
「ああ。一冊でいいのか? 好きなだけ選べ」
 持ちきれぬのなら運んでやるというのに、ベラは妙に遠慮する。
 なんの本を持ってきたのかと思えば、梟の図鑑だ。とても緻密な絵で、構造や生態が詳細に書かれている。
「梟が好きなのか?」
「はい。生き物は好きです」
「南国の鳥の本もある」
「でも、あまり沢山持ち出すのは……他の方にも迷惑では?」
 どうやら南国の鳥の本も気に入ったらしい。鳥が好きなのかもしれない。
「構わん。ここは俺の他はここに居るアビゲイルとアダムしか出入りしない」
 そう告げれば、驚いた表情を見せられる。
「こんなに大きな図書館なのに、他に誰も利用しないのですか?」
「元々先代が趣味で集めたものだ。お前の気晴らしになればと連れてきたが、気に入らぬか?」
 ベラは複雑そうな表情を見せる。
「こんなに沢山の本があるのに……他に誰も利用しないのは勿体ないと思います」
「領民には領民の為の図書館が別にある。ここは、お前が好きに使っていい」
 まぁ、本の扱いにアビゲイルはうるさいだろうが。
「奥様のお好みの本も取り寄せます。予算は潤沢にありますので」
「……こんなに沢山あったら一生かかっても読み切れそうにありませんね」
 目を丸くして言うベラが愛しい。そして、その発言で、嫌でも寿命の差を考えてしまう。
 ベラに永遠を与えたい。そう、願うことはおかしなことなのだろうか。
 思考を誤魔化すように図鑑の棚に寄り、鳥の図鑑を五冊ほど取る。
「これも部屋に置いておけ。庭が整うまでしばらくかかる」
「あの、これも、よろしいでしょうか?」
 遠慮がちにもう一冊、猫の図鑑を指す。
「ああ。好きなだけ持て。いや、お前の細い腕では持ちきれぬか?」
 帰り道を考えると、ベラの足では歩けまい。
「アビゲイル、選んだ本を部屋まで届けろ」
「はぁ、構いませんが、お屋敷、広すぎません? また迷子にならないといいのですが」
 アビゲイルは殆どを図書館で過ごすからあまり屋敷の中を把握していないのだろう。
「アダムに取りに来させる。ベラ、一冊だけ手に持て」
 そう告げれば素直に最初の梟の図鑑を抱きしめる。本当に、従順になった。
「アビゲイルは人生の大半、本のことしか考えていないが、お前が望むのであれば、話し相手にすることくらいは許可する」
 本当はあまり近づけたくはないが、アビゲイルであれば……さほど危険はないだろう。獣人は嘘が吐けない。嘘は全て体に表れてしまう。
「まぁ」
 ベラは嬉しそうな表情を見せる。
「同世代の女の子とお話し出来るのは嬉しいです」
「……おそらく、私の方が年上だと思うのですが……」
 アビゲイルは居心地が悪そうな様子を見せる。
「え?」
「私は、スチュアート様に拾われて四十年ここに置いて頂いています」
 アビゲイルの言葉で、そんなに経つのかと考える。どうも夜の民は時間の感覚が鈍い。獣人ほど真面目に年月を数えたりはしない。
 しかし、鰐は寿命が長いからきっとアビゲイルもそういうように出来ているのだろう。
「てっきり、同じくらいかと……」
 ベラは申し訳なさそうに言う。
「若く見られるなら良いのではないか? 女は若く見られる方が嬉しいのだろう?」
 そう訊ねればアビゲイルに睨まれる。
「女を女でひとくくりにしないで下さい。私は年相応に評価された方が嬉しく思います」
「私も、子供扱いされるのは……」
 どうやらベラはアビゲイルの味方をするつもりらしい。
 少し気に入らないが、ベラはアビゲイルを気に入ったようだ。少しは気晴らしになるだろう。
「図書館内は飲食は禁止ですが、奥様、夢魔侵入防止の地下室がありますから、スチュアート様から逃げたいときはいつでも言ってくださいね」
「そんなものを増築する許可は出していないぞ」
 いつの間に作ったのだ。
 屋敷の中に主が入れない部屋があるのはおかしいではないかとアビゲイルを睨む。
「アダム様が使用人の避難所にと三十年ほど前に」
「避難所?」
「スチュアート様の魔力の影響を受けた使用人を隔離する為の部屋ですね」
 随分昔に治療の為の部屋を作ることは許可した記憶があるような気はする。
「俺の入れない空間にベラを連れ込むな。バラデュールに売り渡すぞ」
 アビゲイルが一番恐れる言葉はこれだろうと口にすれば、アビゲイルだけでなく、ベラまで怯えた表情を見せる。
 どうやら二人とも、あの卑しい男のことはしっかりと覚えているらしい。
「そ、それだけは……解雇は受け入れますが、あの男だけはどうかお許しください」
 アビゲイルは机の下に隠れながら言う。
「……ああ、お前は俺の使用人だ。売り渡したりなどしない」
 ここまで怯えるとは思わなかった。言い過ぎたと後悔する。しかし謝罪の言葉を口に出来るような性格ではない。
「ベラ、お前は二度とあの男と顔を合わせることはない。約束する」
 怯えるベラを抱きしめれば、縋るようにしがみつかれる。
「……アビゲイルも、ここに置いてくださいますか?」
「ああ。お前が望むならお前にくれてやる。あれの扱いはお前の好きにしろ」
 少し脅すつもりが、すっかりと本気にされてしまったらしい。もう、バラデュールの名を出すことはやめよう。心の中で誓う。
「アビゲイル、本を部屋に。ベラ、戻るぞ。そろそろお前の食事の時間だ」
 ベラを抱えればアビゲイルも落ち着いたようで、台車の上に本を積み始める。
「スチュアート様」
 ベラは遠慮がちに声を掛けてくる。
「安心しろ。バラデュールは帰った。しばらくは来ない」
「……あの人、ここに来るの?」
 ベラは怯えたように訊ねる。
「屋敷の奥にまでは入れん。ただ、商談の為に応接間までは入ってくることがある」
 そう答えたところで、自鳴琴を思い出す。
「ああ、お前に渡す物があった」
「渡す物?」
 ベラは不思議そうに首を傾げた。
「からくり付きの自鳴琴だ。そう珍しくもない物だが、お前の気晴らしにはなるかもしれんな」
 ああ、応接間に置いたままだったかもしれない。
「自鳴琴……音の鳴る箱ですよね?」
「ああ。実物は見たことがなかったか?」
 スチュアートには珍しくないものだが、ベラにとっては珍しい物なのかもしれない。これは予想外に良い買い物をしたのではないか。
 そう思うと、自然と足取りは軽くなった。


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