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7 確信に変わっていく。
しおりを挟む長い船旅の終わりは、予測よりも早かった。家令のアダムに到着を知らされたが、ベラは随分と深い眠りに落ちていたようで抱えて馬車に乗せた。
随分と魘されているようだったが、夢の中に入り込むわけにもいかない。ベラには魔力を使いたくない。
なるべく使用人にもベラの姿は見せたくないのだから眠っているのは好都合だ。
仮面を外し、ベラに被せる。隠れても尚美しい姿に溜息が出た。
「アダム、誰一人ベラに近づけるな」
屋敷に到着すると同時に命じる。腕の中のベラは誰にも見せたくない。
「しかし、使用人の一人は必要でしょう」
「……この美しさに惑わされぬ者が居るか? この私でさえ惑わす女だ」
不自由ない生活をさせたいとは思うが、使用人がベラに手出しするのではないかと不安を抱く。妹の例がある。女だからと安心はできない。
「同性愛者のジョーは? 奥様に興味を示すことはないと思いますが」
「ベラの側に男を置くなど論外だ」
同性愛者が生涯同性にしか関心を向けないなど誰が断言できるかと、アダムを睨む。特に夢魔の中には両方好む者も少なくない。
「精霊族のベッキーはいかがでしょう? まだ幼いですが、よく働きます」
言われて思い返してみるが、どうも姿が思い出せない。精霊族だ。純粋で、悪意がないと言われている。幼い子供の姿をしてはいるが、実際幼いかと言われれば疑問を抱く。精霊族の多くは、子供の姿で時を止める。
「あれは見た目通りの年齢か?」
「我々から見れば十分幼いでしょう」
アダムは見た目こそスチュアートと同じくらいに見えるが、実際はスチュアートの父の代からディスプリン侯爵家に仕えている。その彼から見れば、スチュアートでさえ子供と言った解釈だろう。
「私よりも若いのか?」
「まだ九十寝年程しか屋敷に仕えていません」
そんなに前から存在していたのかと思い出そうとするが、精霊族の娘は三人いたはずだ。どれがベッキーかなど、見分けがつかない。
「奥様の身の回りのお世話をする使用人が一人きりというのも格好がつきませんが……スチュアート様の性格を考えると一人用意するのが限度でしょう。幼い頃から気に入った物は誰にも見せたくないと隠したがりましたからね」
それは馬の話かと身構える。
確かに幼い頃とても美しい馬を手にし、使用人にも触れさせないように地下に隠して死なせてしまったことはあるが、それ以来生き物はなるべく飼育しないようにしている。
「犬がリリー様の方に懐いてしまわれたときは、犬を絞め殺してしまいましたな」
そんなこともあったかもしれない。これだからアダムは苦手だ。既に忘れていたような昔話を引っ張り出してスチュアートの弱味を突いてくる。
「昔の話だ。それに、犬は殺してない。怪我はさせたが……」
ベラを寝台に寝かせる。
確かに生き物が他の誰かに懐いてしまうのが気に入らずに傷つけてしまったことはある。だからこそ、ベラを隠したい。
「ベラを傷つけたくはない」
ようやく少し、心を開いてくれるようになったところだ。
「でしたら、もっと他者と交流を持つべきです。スチュアート様も、奥様も。いつまでも檻の中というわけにはいかないでしょう」
アダムの言葉が嫌に響く。
わかっている。閉じ込めたところでベラの心が手に入らないことも。
「お前にさえ、見せたくないベラを他の誰かに見せるなど……これは、私が見つけた。私が買った。私のものだ」
眠るベラの手を握る。少し、力が入りすぎていたかもしれない。彼女は魘された様子で、額に汗が浮かんでいる。
「しかし、スチュアート様、このままでは壊してしまいますよ」
アダムの言葉は事実だろう。壊したくないと願いながらも、ベラを苦しめてしまう。
「どうしろと言うのだ。ベラは私の所有物だ」
捕らえておくことは簡単だ。しかし、それでは壊してしまう。
「スチュアート様の理想の為には、まずスチュアート様が心を開かなくてはなりません」
アダムの声は随分と厳しい響きだった。それは昔、思うような成果が出ずに叱られた時と似ている。
「ディスプリン侯爵家の使用人は誰一人として主の所有物に手を出したりはしません」
「だが……ベラの心は揺れ動くかもしれん」
ようやく慣れ始めた時に、他の誰かに触れれば、ベラの心はそちらに動いてしまうかもしれない。
「スチュアート様が誠意を持って接すれば、奥様も心を開きます」
そうは言っても、アダムとて夢魔だ。つまみ食いをすることが絶対にないとは断言できない。
苛立って、ベラの手を強く握りすぎてしまったのだろう。彼女が呻く。
「ベラ」
骨が折れていないか確認すると、とうとう目を覚ましたらしい。ぼんやりとした様子で、彼女はスチュアートを見上げる。
「……龍神様?」
半分寝ぼけているような様子のベラは、自分の顔に仮面があることに気がついたらしい。丁寧な仕種でそれを外す。そこでスチュアートは自分が仮面をしていないことを思い出した。
「……その髪……スチュアート様?」
ベラは驚いている様子だ。
「仮面を、返せ」
彼女の手から仮面を奪い、顔を覆う。けれども、ベラは、ただただ驚いている様子だった。
「私ったら……ごめんなさい」
ベラは俯く。なぜ謝るのか。彼女は少し落ち込んでいるようにも見える。
「お前には俺が龍帝に見えるのか?」
以前も、ベラはスチュアートを龍帝と見間違えていた。
「えっと……その……この世のものとは思えない神聖な雰囲気で……てっきり天上の存在かと思ってしまいました」
つまりベラの基準でもスチュアートの外見は美しいということだ。それも相当に。
しかし、ならばどうして落ち込む必要があるのだろう。
スチュアートはベラに近づき、目を合わせる。
「なぜ俯く?」
訊ねれば、ベラは観念したように口を開く。
「私のような者の前に、龍神様が姿を現して下さるはずがないのに……そんな期待をしてしまった自分が情けないのです」
心底気落ちした様子を見せられると僅かながらスチュアートの方が傷つく。
「俺の美貌を目にできたのだから光栄に思うべきだ」
「……確かに、とてもお綺麗です……でも……どうしてでしょう。スチュアート様だと気がついたとき、がっかりするよりも、なぜか安心してしまいました」
ベラの反応は、スチュアートの予想とはかけ離れていた。大抵の者はスチュアートの素顔を見れば何も考えられなくなる。本人の意思とは無関係に思考を奪われ、スチュアートの声に従うようになる。
しかしベラはスチュアートの素顔を見て尚、考える余裕があったようだ。
「お前は……俺の素顔に惑わされないのか?」
驚いて訊ねる。
「えっと……あの、お綺麗だとは思うのですが……」
ベラは困惑した様子だ。返答でスチュアートを怒らせてしまわないか心配しているようにも見える。
これは、と、期待する。そしてベラはスチュアートが求め続けた存在であるという確信に変わっていく。
ゆっくりと仮面を外す。
ベラの赤い瞳は、真っ直ぐとスチュアートを見つめ、それから数回瞬きをした。
「ベラ、お前には私がどう映る?」
大抵は、何も答えられなくなる。ただ、無言で見つめ続けるだけだ。
しかしベラは言葉を積むことが出来た。
「……龍神様の彫刻のようです」
少し考えた末にベラはそう答えたのだ。
「龍神? 私はそんなにも龍帝に似ているのか?」
更に訊ねれば、ベラは少しだけ困ったように眉を寄せ、再び口を開いた。
「龍神様にお会いしたことはありませんが、神仙はこの世のものではないほどに美しいと聞いています。だから……とてもお綺麗で、龍神様かと思ってしまいました」
つまりはベラの中で美しいものとして真っ先に浮かぶものは龍帝であったということか。スチュアートは納得し、ベラの頬に触れる。
「お前は私の素顔を見ても、呆けたりはしないのだな」
これほど嬉しいことはあるだろうか。
「スチュアート様……あの……」
近いと、逃げようとしたベラを腕に捕らえる。
「もっとよく見せろ」
薔薇色に染まる頬が愛おしい。
「本当に、お前は美しい。私に惑わされず正気でいられる。お前ほど私の妻に相応しい女はいないだろう」
魔力も問題ない。少し魔族の匂いが気になるが、それ以外は鈍すぎる性格くらいしか欠点が思い浮かばない。
「ベラ、早く私を受け入れろ」
左手をとって甲に口づける。ベラは驚いたようで慌てて手を引っ込めようとしたが、放すつもりはない。
「そんなこと、言われても……困ります。心は、理性とは一致しません」
まただ。ベラはそうやって壁を作る。
「何が不満だ? お前の望みなら、なんだって叶えてやる。お前が心から私を愛してくれたなら、その時は家族の元へも連れて行ってやる」
ベラの一番の望みは家族との再会だろう。そう思い口にすれば、驚きを浮かべている。
「本当に、家族の元へ?」
「お前が望むなら。だが、私は、お前を手放すことだけはできないだろう」
ベラの心が手に入らなくても手放すことはできないだろう。心が手に入ってしまえば、一層彼女を束縛するに決まっている。
「私の望みはお前だ」
抱きしめれば一瞬拒まれる。しかしすぐに体を委ねられた。
「……もう少し、待って下さい」
ベラの控えめな声が妙に甘く感じられる。
「私は、スチュアート様を信じたいのです」
ベラの言葉の意味が理解できない。けれども、少しずつ、歩み寄ってくれているのだろう。
「ああ、お前が望むなら……」
柔らかな肌と、甘い香りを抱きしめる。これは夢魔を惑わす魔性の女そのものだ。
目を閉じてもベラの美しさは少しも損なわれはしない。
ただ、彼女の光を感じ、それを隠したいと願う。
この光は、どんな味がするのだろう。その期待を誤魔化すように、ベラの髪に顔を埋めた。
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