私には相応しくない

ROSE

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5 寛容さを見せて

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 誰かに顔を触れられた気がして、スチュアートは目を覚ました。
 どうやら眠っていたらしい。
 気だるい頭を少しだけ動かし、触れた相手を見る。
「仮面に触れるな」
 唸るような低い声が出ると、手の主は怯えたように動きを止めた。
「……ベラ……俺の仮面には触れるな」
 そっと彼女の手を掴む。
「ごめんなさい……その、眠る時は、苦しくないかと……」
 怯えるように視線を逸らすベラを少し強引に抱き寄せる。
 柔らかな肌が少し早足な鼓動を打っている。
「ベラ……怯えるな。お前を……傷つけることはしない」
 そっと背を撫でれば、ベラが微かに震えていることに気づくいた。
「この仮面は、お前を守るためにある」
 細い手を軽く握れば随分と指先が冷えている。優しくさすりながら囁けば、びくりと体を震わせた。
「ど、どういう意味、ですか?」
 震える声に訊ねられ、そっと髪に口づける。
「お前が俺の魔力に惑わされない為に必要なものだ」
 この女を魔力で操りたくはない。
 ベラの心が欲しい。心の底から、彼女が向ける愛が。
「夢魔の魔力は人の子を惑わせてしまう。お前を操りたくはない」
 もっと、彼女を感じたいと少し強引に腕を引けばやはり怯えた様子を見せる。
 怯えられたいわけではない。
 ただ、心からの愛情が欲しいだけだ。
 スチュアートの望みは、ベラを見つけたときからなにひとつ変わっていない。ただ、ベラの心からの愛が欲しい。それだけだ。
「ベラ、お前が浮気などせずに俺だけを愛し続けるのならば、俺はお前のどんな望みも叶えてやる」
 スチュアートにはそれだけの金も地位も権力もある。きっとベラはそのことに気づいていないから未だ頑なにスチュアートを拒んでいるのだ。そうに違いない。
 そう思い彼女に触れれば、やはり少し怯えているようだ。
「俺はお前の想像以上に金も地位も権力もある。お前が望むならなんだって買ってやるぞ?」
 耳元にそう告げれば、ベラはただ首を横に振る。
 気に入らない。
 このベラという女がなにを望むのか、さっぱりと読み取ることができない。
 普通であれば金や地位に、権力に、そしてスチュアートの美貌の前で欲望を曝け出すだろうに。ベラにはそれが全く通用しないのか、単にまだ怯えているだけなのかさえ読むことが出来ない。
「望め。俺はお前が欲しい」
 強引にこちらを向かせれば、かすかに涙を浮かべた瞳が揺れている。
「いえ……私は……ただ、家に帰りたい……」
 震えた声が吐き出すのはまたそれだ。
 気に入らない。
 帰りたい。
 家がどれほど良い場所なのかは知らないが、こんなにも痩せ細ったベラを見る限りまともな生活は出来ていないだろう。
 スチュアートの妻になるよりもそんな生活に戻る方がマシだと言われているような気がして気に入らない。
「それだけは許さん。お前は、俺の所有物だ」
 束縛したところでベラの心が手に入るわけではないと頭では理解はしているものの、人の子の娘を、ベラをどう扱えばいいのかわからない。
 ただ、傷つけたくないとは願っている。
 しかし、それが伝わるかどうかは別の話だ。
 現にベラは怯えきっている。
 そっと、頬を撫でる。
「ディスプリン様?」
 不思議そうに問う彼女からは更に幼い印象を受けた。
 汚れのない心を持っているのだろう。純粋でどんなものでも吸収してしまう。そんな心を。
「スチュアート、だ」
「え?」
「スチュアートと呼べ」
 そう告げるとベラは少し目を見開いて、それから微かに笑みを見せた。
 ああ、笑うとなんと愛らしいのだろう。
 口づけたいと思う。しかし、それはこの娘を壊してしまうことになるかもしれない。
 この強まった執着をぶつけるわけにはいかない。
 呼吸をする度に彼女の香りに惑わされる。
 欲しい。
 本能がベラを求めているというのに、スチュアートの魔力はベラを蝕むだろう。
「その……スチュアート様は……どうして、私に触れるのですか?」
 ベラは少し恥じらうように言葉を紡ぎながら、自分でも質問の趣旨を理解できていない様子で問う。
「何度も言わせるな。俺の本能がお前を求めている。それ以上の理由は必要か?」
 そう訊ねれば、一瞬身体を硬直させたベラの頬が薔薇色に染まる。
 なんと美しい娘だろう。
 触れたい衝動を抑えられずに抱きしめれば、微かな震えを感じる。
「怯えるな……お前が欲しい」
 そっと髪を撫でる。
 夢魔を魅了するほどの甘い香りだ。これはスチュアートがベラに惹かれているからこれほどまでに魅力的に感じるのか、ベラが生来夢魔を魅了する素質を持っているのか。既にスチュアートにはわからない。
 ただ、この香りは危険だ。理性を奪う。
「スチュアート様、あの……やっぱり、慣れるまで時間が掛かりそうです……」
 ベラの手がそっとスチュアートの手に触れる。
 優しい熱が広がり胸の奥を揺らす。
「……ああ。少しくらいなら待ってやる」
 そう、口にしたが、実際のところそれは困難だ。
 ベラの香りがスチュアートの理性を揺るがす。
「……仮面の下のお顔は、私には見せられないのですか?」
 ベラに真っ直ぐ見つめられ、戸惑う。
 とても美しい瞳が揺らいでいる。
 かつてこんな風にスチュアートを見つめた娘がいただろうか。
「今はまだ……おまえが俺の魔力に耐えられると確信するまでは」
 この仮面の下に惑わされない妻が必要だ。心からスチュアートを愛する女が。
 しかし、もし、ベラがこの魔力に耐えきれず惑わされてしまったら。
 確信が持てない。本能が求める相手とはいえ、ベラは壊れずに寄り添ってくれるだろうか。
「では、魔力制御の訓練をしなくてはスチュアート様のお顔を見ることはできないということでしょうか?」
 ベラは首を傾げる。予想外の反応だ。
 彼女はただ純粋に疑問を口にしているようにも見える。
「お前の体質次第だ」
 体の相性というべきだろうか。ベラがスチュアートの魔力に負けるようであれば、彼女は子を産むことも困難だろう。
 己の美貌が憎い。そしてこの呪われた血が。
 もし、ベラと違う出会い方をしていたら、きっとすぐにでも彼女を手にしていただろう。もし、夢魔の生まれでなければ。
 考えても仕方がないことが浮かんでしまう。
「我々はお前たちとは違う。ただ、本能のみで相手を選ぶ。まあ、中には政略結婚をする者もいるが……それは極めて稀だ」
 触れた手を握りしめる。小さくて柔らかい手だ。
「寿命が違う。お前たちの数倍の時を生きる。繁殖能力はお前たちほど高くない」
「では、余計に婚姻が重要なのでは?」
「繁殖の為だからな。本能で選んだ相手が相応しい」
 本能が求める相手というのは子を成しやすい相手と言うことだ。
「俺がお前を選んだのも、お前の匂いが俺に相応しい相手だと感じたからだ」
 匂い。香りと言うよりは本能に訴えかける波長に似たなにかだろう。外見の美しさは勿論、潜在的な魔力がよい。
 この女は間違いなくうまい。そう感じるに十分なものを持っていた。
「お前は、俺を見たときなにを感じた?」
 惹かれたのは自分だけだろうか。彼女はなにを考えたのか。
 答えを知ることは少し恐ろしいが、それ以上に知りたい気持ちが大きい。
 しかし、訊ねられたベラは考え込む。
「……私を売り物と見ている方だなと」
「それはあの場に居れば商品だ」
「……この方には、逆らえないと感じました。人を操る危険な魔力を持っていると」
 ベラの直感は正しい。夢魔の魔力は他者を魅了して操ってしまう。それは異性に限らず同性だとしても。
「でも……この方が主なら、素敵だろうなとも思いました」
「主? お前は俺に仕えたいのか?」
 おかしなことを言うものだ。
「人の上に立つお方だと感じました」
 それは間違ってはいないだろう。これでも一族の長だ。それなりの地位もある。
「まだ、俺が怖いか?」
 訊ねれば、視線を逸らし、控えめに頷く。
「俺は、お前を操りたくない。この仮面は、お前を守るための物だ。決して触れるな」
 耐えてくれるだろうという思いはある。けれどももし、それがただの期待だったとしたら。スチュアートはベラを永遠に失うことになる。
「……はい」
 ベラは静かに頷き、それからのそのそと寝台から出ようとする。
「何処へ行く?」
「一日中こうしているわけにもいかないと思い……何か仕事はありませんか? こんなにだらだらと過ごしてしまったのは初めてで、落ち着きません」
 困り果てたように言われてしまい、スチュアートの方が困惑する。
 ベラは貧しい家の生まれだ。きっと暇さえあればなにか手仕事をしていたのだろう。
「お前は俺の妻になる。働く必要はないが、動いていなくては落ち着かないと言うならば……刺繍でも刺すか?」
 そのくらいの道具なら船のどこかにもあるはずだ。
「あの、よろしいのですか?」
「道具を用意させる。お前が俺の元に居るのであれば、好きに過ごしていい。まあ、話し相手をしてくれるならそれはそれで歓迎だ」
 少しは寛容さを見せてベラの気を引くべきだ。
 スチュアートは美しい。それに金も地位もある。武芸の腕だって悪くない。ここで更に寛容となればどんな女だって惹かれるはずだ。
 確かに下心はあるが、ベラは驚きを見せる。
「私、買われたのですよね?」
「俺の所有物なのだから、どう扱うかは俺の勝手だろう?」
 そう答えれば、ベラは瞬きをした後、一瞬、柔らかな笑みを見せた。
 ああ、なんと美しいのだろう。
 思わず手を伸ばしそうになる。
 夢魔を惑わす恐ろしい女。
「その……ありがとうございます」
 ベラは恥じらうように礼を言う。
 その姿に視線を奪われたのを誤魔化すように、扉越しに従僕を呼び、刺繍の道具の用意をさせた。





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