私には相応しくない

ROSE

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ベラ 1

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 ベラが幼い頃、もう顔も朧気な母は沢山の話を聞かせてくれた。
 ベラの母は異邦人だった。つまり別の世界から流れてきてしまった人間だ。ここではないどこか遠くの世界から迷い込んで来て帰れなくなってしまったらしい。
 けれども、父はそのことを隠して彼女を護っていた。ベラの生まれ育った国では異邦人は災厄の前触れと忌み嫌われていたからだ。
 異邦人の扱いは国によって様々だ。歓迎する国も多いが、異郷の文化を持ち込まれることを恐れる国は積極的に異邦人を排除しようとする。ベラの生まれ故郷は、異邦人を積極的に排除しようとする国だった。
 けれども正直真っ当に生きれば天に住む龍神様が護ってくださると母は言っていた。母曰く、天には神様が住んでいると。神様は一人ではないとも聞いた。
 少なくとも、母の生まれ育った国には、神様が沢山いたらしい。
 そして、母はヘンテコなうさぎが出てくる物語が好きだったらしく、好んでベラに聞かせてくれた。
 なんでも貴族の格好をしたうさぎが大きな時計と立派なラッパを持っているらしかった。もしかすると、ベラのところに現れる意地悪うさぎのことだったのかもしれない。
 大好きだった母が居なくなった頃、突然あの意地悪うさぎが現れて、ベラに妙な問いかけをするようになった。その頻度は次第に増していく。
 意地悪なうさぎはいつも、赤いチェックのチョッキを着て、しわがれたおじさんのような声で意地悪ばかり言う。きっとあの大きな耳はベラの粗相を聞き漏らさないためにあるのだと幼い頃からベラは信じている。
 そして厄介なことに、意地悪うさぎはベラの前にしか姿を現さない。誰かが来ると隠れてしまうのか、父も兄もその存在に気付いていなかった。
 あのうさぎは何者なのだろう。
 ベラが不安になると必ず現れて不安を煽っていく。

「ベラ、はやく逃げないと殺されるぜ」
 しわがれたうさぎの声が響く。
「逃げるって、どうやって?」
「さあ? お前のその足りない頭で考えな」
 そう言う割に、うさぎは大きな時計を向けてベラを急かすようだった。妙に針が進むのが速い気がする。秒針の音が嫌に響いた。
「あのディスプリンってヤツは相当ヤバいぞ。きっとお前を拷問する気だ。ほら、よく言うだろ? 貴族の連中は若い娘を痛めつけるのが好きだ。きっとお前も生きたまま腹を掻っ捌かれて臓物を引きずり出したところを見せつけられるさ」
 ぞくりと背筋が寒くなる。
 どうも、このうさぎはベラがなにに怯えるのか理解してそこを突きたいらしい。
「もしかしたら、いい人かもしれないわ」
「いい人? 夜の民にそんなヤツが居るはずないだろ。連中は人間を喰って生活してるんだ」
 ぴくぴくと耳を動かしながら喋る意地悪うさぎの声にベラはびくりとする。
 人を食べる。それはディスプリン自身が言っていたことだ。
「私……そんな人に嫁いでしまうの?」
 怖い。けれども、あんな大金を踏み倒して逃走することも怖かった。
 これでは窃盗犯と一緒だ。
 ベラが怯えている間に意地悪うさぎは走り出してしまう。
「待って……」
 追いかけようとするのに、体が随分と重いようで上手く動かなかった。
「ベラは馬鹿だからあいつに騙されているのさ」
 その声と共に、うさぎの姿が消えてしまった。
 あのうさぎは一体何のために現れるのか。彼が現れたところで、ベラには何の得もない。ただベラを精神的に追い詰め、疲れさせるだけの存在。
 しかし、全てのことには意味があるはずだ。
 ベラにとっての唯一の魔術なのだから。
 半人前のベラが出来ることはあの他の誰にも見えない奇妙なうさぎと会話することだけだ。
 意識を研ぎ澄ませ、うさぎを探そうとすれば視界がぐらりと揺らぐ。
 目の前にとても人間とは思えない、息を呑むほど美しい姿が現れた。
「龍神様?」
 その姿は、まるで、御伽噺の世界から飛び出したかのようだった。もしくは絵画の世界。いや、絵にも描けぬ美しさとでも言うのだろうか。とても地上のものとは思えない美しい姿があった。
 ぼんやりと彼を見つめれば、僅かに驚きを見せた気がした。
 彼がなにかを口にした。
 けれどもその言葉を理解出来ないで居ると髪を撫でられた、のだと思う。
 ベラの意識はそこで途絶えた。



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