上 下
2 / 7
ランドルフ 1

しおりを挟む


 一体なぜこんなことになってしまったのだろう。頭が理解を拒絶している。

 大事な取引の最中だった。
 従僕が慌てた様子で部屋に駆け込んできたから叱り飛ばすと「奥様がお亡くなりに……」と蒼い顔で告げられた。
 なんの冗談だ。笑えない。
 大金を積んで買った女だぞ。
 そんな最低な言葉が出てしまった。
 実際、軍事費に匹敵する程度の金を積んで結婚したのだから「買った」という表現も間違いではない。
 彼女のおかげで俺は貴族の仲間入りを果たしたわけで、しかも見目が整っている。交渉の席で隣に立たせておくだけでも相手の印象はかなり変わる。
 金、地位、美女。すべて揃った。
 そう、見せびらかすだけでも十分その価値はあったはずだ。
 
 なんていうのはただの強がりだ。
 
 シャーロットとの関係は、正直なところ最悪だ。
 世間が羨むような理想などとはほど遠く、全く以て上手くなどいっていなかった。
 彼女が好意を向けてくれていたのは知っていた、はずだ。
 少なくとも結婚式当日の彼女は俺を見て頬を染め、恋する乙女のような瞳で見つめてくれていた。贈った婚礼装束もとても似合っていたし、こんな美女はそう巡り会えないと思った。
 正直に言うと、彼女は非常に好みの外見だ。やや内気そうなところは気になったが、線が細く、儚げで守ってやりたくなるような女性に見えた。
 そう、触れたら壊してしまいそうな程に。
 勿論目当ては爵位、そして貴族との繋がりだった。けれども数年前からシャーロットを狙っていたのもまた事実だ。
 
 シャーロットに求婚したのは単純に条件がよかったから。借金まみれの公爵家、息子は三人もいる。金のために娘を手放してもいいと考えるように唆すのはそんなに難しいことではなかった。世間からはそんな目で見られているだろう。
 だが、彼女を手に入れる為に公爵家の借金を膨れ上げさせたのはほかでもないこの俺だ。
 
「……あれだけ苦労して手に入れたシャーロットが……死んだ、だと? ふざけているのか?」
 
 思わず報告に来た従僕に掴みかかってしまう。
「じょ、冗談でこのようなことを口にするはずありません」
 まだ年若い従僕は怯えているのか声がひっくり返ってしまっている。
 そう、冗談でそんなことを口にするはずがない。それでも、彼を責めずにはいられなかった。


 
 シャーロットとの出会いは教会だった。信仰心がある方ではないが、寄付金を届けるついでに利用できそうな人脈が転がっていないかと聖堂で祈る振りをして周囲を盗み見ていた時、熱心に祈る姿が目に入った。それがシャーロットだ。
 控えめな装いに見えるが仕立てがよく、明らかにいいところの出だとわかる。なによりも素晴らしく美しい姿勢は、長年そういった教育をしっかり受けて育ったのだろうと予測出来る。
 それだけではない。
 翳りを帯びた表情が美しいと思った。
 帰り際に彼女が誰なのかと修道女に訊ねてしまう程度には一瞬で惹かれていた。
 残念なことに、教会で過ごす彼女は俺の存在に気がついていない様子だった。そして彼女にとっては不幸なことに、俺にとっては幸運なことに彼女は条件に合いすぎていた。
 つまり、彼女の両親が愚かすぎて追い込むのはそう難しいことではなかったのだ。
 贅沢好きで借金が膨らみ続けている彼女の両親は結婚そのものには難色を示していたが、提示する金額に母親の方が目をくらませてくれた。
 シャーロットにとっては本当に不幸な結婚だっただろう。それでも、結婚さえしてしまえばなんとかなると思っていた。
 思えば彼女にはまともな求婚すらしていない。たくさん贈り物をして、求婚した気になっていた。一般的に女性が恋愛小説のような演出を好むことを知識としては知っていたが、仕事の忙しさを言い訳にして怠ってしまった。
 だというのに、花嫁姿の彼女は息を呑むほど美しく、そして俺を見る瞳は恋する乙女のようだった。
 触れたいと思った。
 彼女の夫になったのだから当然その権利もあった。
 けれども、触れれば壊してしまいそうな彼女に触れることなど出来なかった。
 彼女に触れたのはほんの数度。
 結婚式と、どうしても妻の姿が必要だった夜会で数回。
 結婚して一年で彼女に触れたのはたったそれだけだった。
 屋敷の中ですれ違うことはあっても、まともに会話をしたことは少ない。
 彼女が気を使って何度か食事に誘ってくれたり、散歩に誘われたこともあったが、大抵俺が拒んでいた。
 仕事が忙しい?
 そんなの言い訳だ。
 彼女を見ると挙動不審になってしまう自覚があった。見惚れているだらしない姿を見せたくなかった。理性を失い彼女を傷つけてしまうのが怖かった。
 その結果、彼女を傷つけてしまった。

 屋敷に戻れば、既にシャーロットの体は清められ、埋葬の準備が進んでいた。
 バスルームで首を吊っているのを新人メイドが発見したらしい。
「なぜだ?」
 不自由はさせていないつもりだった。
 身の回りの世話をする使用人は十分いたし、好きな物を好きなだけ買い与えろと家令にも言いつけていたはずだ。
 ベッドの上に横たわる、色を失ったシャーロットはそれでも美しかった。
「なぜ、勝手にこんなことを……」
 死ぬことなんて許可していない。
 君は俺の妻なのだから勝手にこんなことをするべきではない……。
 生きているときはろくに触れられなかった手を強く握る。
 色白で細い腕はすぐに折れてしまいそうだ。
 俺のシャーロット。誰にも見せたくなくて屋敷に籠もらせていた。
 こんなにも美しい彼女を冷たい土の下に閉じ込めなくてはいけない……そんなこと、耐えられない。
 その鼓動が止まっていても構わないと考えた自分に嫌悪を抱く。
 けれども、彼女の姿が視界に入るだけで満たされていたのも事実だった。
 いつも翳りを帯びた表情で、時々庭を歩いている姿が目に入った。彼女が庭を好むようだったから、腕のいいと評判の庭師を雇った。
 彼女が愛したあの庭を、彼女が歩くことはもうないのか。
 出かける先々で、彼女に似合いそうな物を買い求め、結局渡すことが出来ずにいたあの山も、もう彼女の手に渡ることがないのか。
 美しいシャーロットを飾りたい。けれども誰にも見せたくない。
 自分の精神が歪んでいることは自覚できた。けれども止めることが出来なかった。

 俺はシャーロットを埋葬することが出来なかった。
 
 シャーロットは、俺の妻は、魂が手放した器は人形となった。
 今まで触れられなかった時間を埋めるように、毎日彼女を飾った。手入れをする専門の使用人も雇い、僅かにも彼女を傷つけたら重い罰を与えた。
 そんな生活が数年続いた。
 いつの間にかシャーロットの死が社交界に広まり、俺が狂ったと噂になっていた。
 狂った? おかしなことを言うものだ。
 あんなに美しい妻を手放すなんて……彼女一人を冷たい土の下にやるなんてできるはずがないだろう。
 家令が持って来た日記はきっと偽物だ。
 シャーロットが自分の葬儀を望んでいるなんて。嘘だ。
 けれども確かにあれは彼女の文字だった。

 雨の日がいい。
 豪勢じゃなくていいの。
 弔問客はそんなに多くなくていいわ。
 両親と兄たち……ランドルフ様は来てくださるかしら?

 少し震えた迷うような字が、否定されるように線で消されたり、また別の日に同じようなことが書かれている。
 なんてことだろう。
 俺の大切なシャーロットは、ほんの一瞬俺の気を惹きたい。ただそれだけの理由で自ら命を絶ってしまった。



 人生をやり直したい。そう思うことは誰にでもあるはずだ。
 例えば商談。ほんの僅かな失敗で結果が大きく変わってしまう。数分だけ戻して表現を変えることが出来たなら、などと考えてしまうことがないとは言えない。
 例えば求婚。物語のようにとは言わなくても、せめて自分の手で彼女に指輪を填めるくらいできればよかった。そう悔やんだことが何度あったか。
 例えば妻が自分のせいで命を絶ってしまったとき。
 やり直したい。
 だけどどこから?
 俺は一体どこで間違えて彼女を追い詰めてしまったのだろう。

「ランドルフ様? ランドルフ様」
 侍従のノアが不思議そうにこちらを見ている。
 一体なにがあったのだろう。
 いや、ここはどこだ?
「……次の予定はなんだった?」
 見覚えがあるような風景。
 歴史だけはある手入れの行き届いていない屋敷。それでも見栄かそこだけは整えられた庭。
 ここはグランデ公爵家の庭だ。
 なぜこんなところに? シャーロットとの結婚以来グランデ公爵家には足を運んでいないはずだ。
「シャーロット嬢のドレスと結婚式で出す料理の打ち合わせが」
「……結婚式?」
 もう何年も前の話のはずだ。
 いや、しかし覚えがある。
 金をかけてとにかく豪勢な物にすれば良いと思っていた。そうすればシャーロットも恥をかかずに済む。俺の財力を見せつけるにも丁度いい。金は使った分稼げばいいのだから。
 俺は彼女の好みも確認せずに何もかもすべて独断で決めてしまっていた。
 まさか、その時期か?
 確かに、やり直したいとは願った。しかし、こんなことがあるのだろうか。
 きっと都合のいい夢だ。そうに違いない。
 しかし、夢ならば……夢の中でくらい彼女を幸せにしたい。
 全部やり直そう。
「ノア、このあとの予定は別の日に振り替えてくれ」
「え?」
「折角来た。シャーロット嬢を探そう」
 ノアが信じられないと言う表情をしている。普段の自分を思えば、この行動こそ信じられない。しかし、夢の中なのだ。いつもと違う行動をしたって構わないだろう。
 そう思い、ずかずかとグランデ公爵邸の庭に入り込んだ。
 屋敷は老朽化を隠しきれないくせに、庭の一角だけは奇妙なほどに美しく整えられていた。
 まるでその空間だけ別世界のように薔薇の木で囲われたその中央は白い花で埋め尽くされていた。
 その白い花の中央に、一人の女性が横たわっている。
 透き通るような白い肌、どこか翳りを感じさせる長い睫。瞳の色は閉じられた瞼のせいで確認することが出来ないが、少し癖のある輝くようなプラチナブロンドは間違いなく俺の妻、いや、今まさに結婚の話をまとめたばかりの婚約者、シャーロットだろう。
 彼女はこの花畑の中央で、手を組み横たわっている。
 その姿はまるで棺に納められている様に見えた。けれども僅かに薔薇色が射す彼女の頬がまだ鼓動を止めていないのだと現していた。
 一体なにをしているのだろう。
 眠っているわけでもなさそうだった。
 しばらくその光景を眺めていると、一人の男が白い花を持ち、まるで献花のように彼女の側に添える。
「……シャーロットお嬢様……私にはどのような言葉を選べばよいのかわかりません……」
 まるで悔やむような口ぶり。
 なぜだろう。あの男がシャーロットの死を惜しんでいるように見えてしまう。
 そうして、これがシャーロットの葬儀なのだと気がついた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

エトランジェの女神

四季
恋愛
特別な力を持つ能力者と特別な力を持たぬ非能力者が存在した、銀の国。 その中に、非能力者を集めて作られた街『エトランジェ』はあった。 非能力者たちは、限られた自由しか与えられず、しかしながらそれなりの生活を続けている。能力者が調査という名目でやって来ては問題行動を起こすことに不満を抱きつつも、ではあるが。 そんな『エトランジェ』で暮らす一人の女性がいた。 その名は、ミリアム・ルブール。 彼女は、能力者でありながらも非能力者の味方になることを選んだ、珍しい人物だ。 そんな彼女のもとに、ある日、一人の青年が現れる。 そして、出会いの後、ミリアムと『エトランジェ』の運命は動き始める……。 ※2020.5.26〜2020.7.10 に書いたものです。

幸せな結末

家紋武範
恋愛
 私の夫アドンはしがない庭師だった。しかしある時、伯爵であるシモンの目にとまった。  平民の私が貴族の妻になれるなんて夢のようだ。私たちは不倫の末に結ばれたのだった。 ※前編→後編→その後1~13→エピローグという不思議構成です。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢リディス・アマリア・フォンテーヌは18歳の時に婚約者である王太子に婚約破棄を告げられる。その後馬車が事故に遭い、気づいたら神様を名乗る少年に16歳まで時を戻されていた。 性格を変えてまで王太子に気に入られようとは思わない。同じことを繰り返すのも馬鹿らしい。それならいっそ魔界で頂点に君臨し全ての国を支配下に置くというのが、良いかもしれない。リディスは決意する。魔界の皇子を私の美貌で虜にしてやろうと。

甘すぎ旦那様の溺愛の理由(※ただし旦那様は、冷酷陛下です!?)

夕立悠理
恋愛
 伯爵令嬢ミレシアは、恐れ多すぎる婚約に震えていた。 父が結んできた婚約の相手は、なんと冷酷と謳われている隣国の皇帝陛下だったのだ。  何かやらかして、殺されてしまう未来しか見えない……。  不安に思いながらも、隣国へ嫁ぐミレシア。  そこで待っていたのは、麗しの冷酷皇帝陛下。  ぞっとするほど美しい顔で、彼はミレシアに言った。 「あなたをずっと待っていました」 「……え?」 「だって、下僕が主を待つのは当然でしょう?」  下僕。誰が、誰の。 「過去も未来も。永久に俺の主はあなただけ」 「!?!?!?!?!?!?」  そういって、本当にミレシアの前では冷酷どころか、甘すぎるふるまいをする皇帝ルクシナード。  果たして、ルクシナードがミレシアを溺愛する理由は――。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...