Liar Liar Endless Repeat Liar

ROSE

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滝川遙 Ⅱ

滝川遙 8

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 わし准教授の家は所謂高層マンションだった。
 それもフロア全体が彼の家らしい。
「すごっ……」
 りんが目を丸くしている。
「このフロアっていうか、建物が兄さんの所有なんだ。不動産収入? 的なのもあるらしいよ」
「……なんで大学の教員やってんの?」
 凜は理解出来ないという様子でたかふみに問いかける。
「さあ? なんかアイドルに曲作るの面倒くさくなったから教員になるとか言ってた気はするけど」
 もう一生生活に困らないだけの貯えはありそうだ。あの浪費癖があっても。
 通されたリビングルームだけでもピアノ五重奏の演奏家を招いて演奏させてもお茶を飲みながら楽しめそうな程の余裕がある広さで、家具もオーダーメイドなのであろう品ばかりだ。
 大きなグランドピアノが一つ置かれている他はとてもシンプルな部屋に見える。
 物が少ない。とても片付いている。
 独り暮らしには大きすぎるテーブルセットは頻繁に客を招くのだろうかと思わせる。
 たぶんこの部屋は大勢の人を招くための部屋なのだろう。
「時々知り合いの演奏家を招いたりしています。次は滝川たきがわさんも招待しますね」
「え?」
「他の演奏家の演奏を聴くのも勉強になるでしょう? それに、演奏の癖を知ってからの方がその人に合った曲を作れます」
 その言葉に少しだけ安心する。
 演奏家として招かれるわけではない。
 ちらりと三波みなみ先生を見れば落ち着かなさそうな様子で、隣に居る男性の手を握っている。
「ゆかりちゃん、緊張しすぎだよ」
「いや、だって……ここまで凄いとは思わなかったし……」
「凄いけど、ゆかりちゃんの家も世間の基準だとかなりだからね?」
 三波先生と親しそうな男性は、彼女の弟らしい。もふもふの太郎はお留守番でしょんぼりしていると聞いた。
「ゆかちゃん先生のおうちは兄さんの家とは違った意味で凄いよ」
「そんなに凄いの?」
「うん。ピアノがいっぱいあってね、音楽教室もやってるけど、そのお部屋以外にもたくさんピアノがあるの」
 そう言えばピアノコレクターだと言っていた気がする。
 なんというか、桁違いの人達に囲まれて落ち着かない。
 はるかはもぞもぞと足を動かしてしまう。
 それに気がついたのか、鷲尾准教授が遙を呼んだ。
「ケーキを並べるのを手伝って貰えますか?」
「あ、はい……え? これ全部?」
 一つの箱に十個くらいと予想していたが、もっとたくさん入っている。
 ケーキバイキングでも開催するつもりなのだろうかという量だ。
「好きなだけ食べて帰ってください。残りは持ち帰って構いません」
「……どうも……」
 性格以外は凄い人、というよりは、きっと三波先生が関わらなければ凄い人なのだろう。
「目的のケーキがどれかは突き止められませんでしたが、どのケーキも目移りしてしまう出来です」
「だからといって普通は全種類買おうとはしませんよ」
「全種類? いえ、これでも厳選しましたよ?」
 なぜか呆れた顔をされてしまう。
「ところで、ゆかりさんの弟、れんくんは滝川さんにとって強力なコネになってくれる人だと思いますよ? 連絡先くらい交換しておいても損はしません」
「え?」
 唐突だと思う。
 遙の印象では彼がそんなに凄い人には見えない。
 失礼だとは思いつつ、ちらりと彼を見る。
 三波先生と雰囲気が似た、少しふわっとした印象の……たぶん世間の基準ではそこそこの美形なのだろうけれど、鷲尾准教授が目の前に居ると幾分か霞んでしまう。
 少し内気そうな、いまどきの若者にしか見えないが、そんなに凄い人なのだろうか。
「彼は、夢で食べている人間です。まあ、辛うじてと言うところですが、駆け出しにしてはそこそこ成功している方です」
 その言葉にどきりとする。
 鷲尾准教授がわざわざ教えると言うことは、きっと音楽家なのだろう。
「演奏家、なんですか?」
「いや、どちらかというと作曲家、だね。ただ少し変わった趣味があって……廉くん、ちょっといいかな」
 鷲尾准教授が廉を呼ぶ。
「なんですか?」
 穏やかそうな彼が小首を傾げ、それからゆっくり近づいてきた。
「こちらの滝川さんは私の教え子で、ゆかりさんの教え子でもあります。なので、廉くんにはぜひ彼女の力になっていただきたいのです」
「へー、ゆかりちゃんの生徒さんなんだ。教室? それとも大学の方かな?」
「あ、大学で教わっています……た、滝川遙ですっ」
 廉もまた距離感が近い。
 遙は思わず一歩下がった。
「人見知りなんです」
「そうみたいですね。僕も結構人前に出るのが苦手だから親近感が湧くかも……」
 そう言って笑む廉がそんな風には見えない。
「三波廉です。普段はトラックメーカー……と言いたいところなんだけど……そこまで売れているわけじゃないから、サンプルとかを売ってなんとか生活してるよ」
「は、はぁ……」
 差し出された名刺にはシンプルに名前とメールアドレスしか書かれていない。
「彼は、サンプリングが趣味で、レコーダー片手に様々な場所へ足を運び、録音した音を使って曲を作っています」
「すごい」
 遙には真似できない行動力と手法だ。
「効果音を作って販売したりとか、意外と需要があるから、滝川さんも生活に困りそうだったらそういう手段を考えるのも悪くないと思うよ」
 あくまでも生きるための手段の一つだと彼は言う。
「僕も、一応本業はトラックメーカーだけど、サンプリングは趣味と実益を兼ねているってやつだと思う。鷲一しゆういちさんの教え子ってことは作曲家志望?」
 そう訊ねられ、遙は言葉に詰まる。
 音楽で生きていきたいと思っている。だからといって作曲家になりたいのかと聞かれるとどうなのだろう。
 チェロを弾きたい。 
 チェロに触れていたい。
 けれども演奏家になれる素質はきっとない。
「生きるために……音楽で生きるために作曲家の道も視野に入れ始めたばかりで……」
「そう。じゃあ、困ったら相談して。いや、鷲一さんがいるからそんなに困らないかな? でも、効果音販売とかそういうことに興味が出た時には力になれると思うよ」
 ゆかりちゃんの教え子だしね、と廉は随分と好意的だ。
「あ、そうだ。鷲一さん、あとで僕の曲評価してください」
 音源持って来ましたと廉はプレーヤーを取り出す。
「あとで聞かせて貰うよ。メールでいいかな?」
「はい。今回は結構自信作なんですよ」
 廉は嬉しそうに言う。その割に、鷲尾准教授の表情は疲れているように見える。
 なんだろう。彼と芸術的な価値観が合わないのだろうか。
 遙は二人の様子を見守りながら大きな皿の上にケーキを並べていく。
 本当にケーキバイキング状態だ。
 この大皿を大きなテーブルに幾つも並べるのかと思うと呆れてしまう。
 パーティーでだってこんな光景は中々目にしないのにと。
 遙が皿を並べ終えると、鷲尾准教授がお茶を用意してくれた。
 きっとまたお高い紅茶なのだろうと思う。
「鷲一さん、ちょっと変わってるけどいい人だから大丈夫だよ」
 突然、廉に声をかけられ、飛び上がりそうになった。
「ごめん。驚かせるつもりはなかったのだけど……」
「こ、こちらこそ……すみません」
 緊張してしまうのは仕方がない。
「あの……三波さんの曲、私も、聞かせて貰えますか?」
「勿論。興味を持ってもらえて嬉しいな」
 ポケットから、先程とは別のプレーヤーが出てくる。
「動画サイトとかにも投稿してるんだけど、これがそこそこ再生された曲かな」
 プレーヤーを借り、再生ボタンを押す。
 少し前に流行った映画の主題歌みたいな系統のバラード。なんというか、映画やゲームの主題歌なんかに使われていそうな雰囲気の曲だ。
 女性ボーカルがクリアな声で感傷的だ。
 が、遠くで悲鳴のような声が聞こえる。
 なんだろう。一瞬悲鳴が混ざっている。
「あの……これ、演出なんですか?」
 思わず訊ねた。
「どの部分?」
「えっと、サビ直前から、ボーカルの後ろの方に悲鳴みたいな音が混ざってる……」
 そう告げると、廉は溜息を吐く。
「またか……よくわからないけど、僕の作品、なんかそういう風に言われるんだよね。波形見てもそこなにもないんだけどな……」
「トラック全部確認しても?」
「うん。おかしな話だよね」
 廉は困ったように笑う。
 詳しく話を聞きたかったが、凜に呼ばれ中断してしまった。
 けれども、連絡してもいいと名刺をもらったのだから、後で連絡を入れてみようか。
 ケーキを選んでいると、隣に廉が座る。三波先生の隣は鷲一が確保していたらしい。端を選ぼうとした遙の隣を塞ぐように廉が座ってしまった。
 折角だからと、遙はメモを渡す。
「あの、三波さん、これ、私の連絡先、です」
 手書きメモには電話番号しか書いていない。
「え? ありがとう。あ、廉でいいよ。ゆかりちゃんも三波だから」
「あ、廉くんずるい! 僕も遙さんの連絡先欲しい!」
 鷹史が割り込んでくる。
「やだ」
「え? なんで?」
「どうしても」
 正体があのわっしーだと知った今、あまり関わりたくはない。
「あれ? 仲悪いの?」
「僕が振られ続けてるだけ……です」
 あからさまにしょんぼりとした様子を見せる鷹史に、遙も少しばかり胸が痛む。が、連絡先を渡すつもりはない。
「遙、人見知りのくせに意外と鷲ちゃん先生とか平気だよね」
「うーん、あの人のこと人間だと認識してないだけかも。意外と緊張しすぎて吐きそうなんてことにならないから」
 そう言えば、目隠しして弾けと言われたとき、意外と弾けていた気がする。
 いや、あの時は遙よりも三波先生の方が緊張しているような気がして、ほぐれたのかもしれない。
「なんかわかるかも。鷲一さんなんでもできちゃうっていうか、人間離れしてるところあるよね。本当に同じ空気を吸って生きているのだろうかって」
 廉は頷きながらフルーツたっぷりの可愛らしいケーキを手に取り、それからレコーダーを起動させる。
 これは喋らない方がいいのだろうか。
 遙は緊張しながらフィルムを外す廉を見守った。
「あ、普通にしてていいよ。あとで編集ソフトでノイズ除去するし」
「え? あ、そういうものですか?」
「うん。環境音とかだとノイズあった方がよかったり。後から音編集できるから大丈夫。それにしても鷲一さんの家いいなー、一週間くらい泊まっていろいろサンプリングしたいなー」
 音の響き方が全然違うという廉の言葉を遙は理解出来なかった。
 いや、建物によって同じものでも反響音が違うだとかそういうことはあるのだろう。けれども、他人の家をいろいろサンプリングしたいだなんて、遙には理解出来ない。
 ちらりと鷲尾准教授を見れば引きつった笑みを浮かべていた。
 これはたぶん他の人が同じことを言ったら暴言が飛び出るようなことを言われたけれども相手がゆかりさんの弟だから無下には出来ないと葛藤した結果なのだろう。
 彼は意外と顔に出るのだなと思い、それと同時に今まで殆ど他人の顔を見てこなかったことに気がつく。
 そうだ。表情の変化を気にするほど他人の顔を見たことがなかった。せいぜい凜くらいしか。
 音楽は感情表現も重視される分野だ。つまり、表情について考える必要があるのかもしれない。
 そんなことを考えながらシンプルなショートケーキを口にする。
 これは。
 ふわっと口の中で融けていくようなクリーム。
 好みの味だった。
「あの、鷲尾先生……」
「はい」
 彼は返事をする。
「このケーキ、どこのお店のですか?」
 ケーキなんて滅多に自分で買うことはないけれど……なにか頑張ったときの自分へのご褒美に悪くない品だ。
「おや、そちらがお気に入りですか。では、研究室の冷蔵庫に常備しておきますね」
 そう言って、店名を教えてくれない。
 つまり、ケーキで釣って呼び出しをするつもりなのだろう。
「鷲一さん、それ、さすがに学内で問題になりません? 女子学生を頻繁に研究室に呼び出しているとか」
「茶菓子は全員に出していますよ?」
「いや、お茶やお茶菓子が高級すぎるとか他の教員からクレームとか」
「自費なので問題ありませんよ」
 そう言えば、研究費の足りない分は自費だと言っていたような気がする。
「滝川さん、この人ものすごく特殊だから、他の教員もこんな風だと思っちゃダメだよ」
 困ったように笑う廉に、遙は無言で頷いた。





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