Liar Liar Endless Repeat Liar

ROSE

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滝川遙 Ⅱ

滝川遙 6

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 賑やかな街中の楽器店で弓を預けるついでに弦を見ていこうとすると、どうせ帰りも寄るのだから先に買い物に付き合いなさいとりんに引きずられてお洒落な人達が通う店に連れて行かれてしまった。
 入り口にファッション雑誌が開いて置いてあるような店がたくさん並ぶようなビルだ。

「せっかく私服で通学できるんだからはるかもかわいい格好すればいいのに?」
「いいよ。服買うお金あったらもっといろんな弦試したいし」
「……ストイックと言えばストイックだけど……かわいいのに勿体ない」
 凜は少しだけ呆れた様子を見せ、それでもすぐに気を取り直して自分の服を選び始める。
 婦人服店で、それも遙が足を踏み入れるのを躊躇うほどのお洒落な店で、凜はそれが当然と言うように服を選び、試着室まで借りている。
 時々「どっちが似合う?」なんて訊かれることもあったが、遙には違いがよくわからない服ばかりだった。
 気分は週末に娘の買い物に連れられてきた父親といったところだろうか。流行の婦人服はわからない。
 遙は早々にベンチへ避難した。
 自動販売機で紙パックの麦茶を購入し、スマホを確認する。
 今朝は突然現れた鷲尾准教授に驚きすぎて和音を確認していなかったなと通知を見れば、相変わらずわっしーから大量のメッセージが届いていた。
 曲への褒め言葉、作曲も演奏も出来るなんてすごいだとか、ぜひ合奏したいだとか、送る相手を間違えていそうなメッセージばかりに溜息が出る。
 それとは別に、タローさんという人からもメッセージが入っていた。

 こんにちは。シリアルさん。
 今回も素敵な曲ですね。
 作曲者はどなたですか?

 説明欄になにも書かないからか、他にも同じような質問があった。
 どう答えるのがいいだろう。
 タローさんの柴犬らしきアイコンを見つめ考える。
 結局わっしーには返信をしていないのだから、シリアルは返信しない主義でもいいのではないだろうか。
 別に知名度を上げたくて和音をやっているわけではない。サービス業なんてまっぴらごめんだと思っている遙にとって和音でのやりとりにメリットを感じない。
 けれども。
 追加で曲を投稿したのは遙自身だ。
 なにを考えていたのだろう。鷲尾准教授に送るか迷ったデータを練習音源と間違えて投稿してしまったら思ったよりも反響が大きくて、たぶん出来心だ。
 あんなに反応を貰ったのがはじめてで、自分は出来る子なのだと勘違いしてしまった。ただそれだけの話だ。
 遙はただチェロを弾きたいだけ。音楽に触れていたいだけ。
 音楽で生きて音楽で死にたいと思う。
 死ぬときは楽器を抱いたまま死ねたらそれが幸せな生涯だったと思えるだろう。
 他人の反応よりも自己との対話。
 そう、言えてしまえばかっこいい。
 けれども実際の遙は他人の視線を気にして、評価を気にして人前で演奏が出来ない。
 きっと口先で褒めても裏では貶している。
 小さなミスを幾つも探して、そこを突こうとしているに決まっている。
 きっとこのメッセージを送ってくる人達もそうだ。
 シリアルの弱点を突きたがっている。
 被害妄想だとわかっている。それでもそんな考えが浮かんで消えてくれない。
 メッセージの返信を諦め、スマホをポケットに押し込む。
 凜は相変わらず店員と話をしながらかわいい服を選ぼうとしている。
 本当は一人でも通っているくせにどうしてわざわざ誘ったのだろう。
 いや、わかっている。
 放っておくと常にひきこもるから無理矢理引きずり出す口実が欲しかったのだろう。
 おかげで毛替えや弦の補充ができると考えれば儲けなのかもしれない。
 けれども買い物が長すぎる。
「凜、まだかかる?」
「ごめん、もうちょっと! ってかこのピアスもかわいくない? 一緒に買っちゃおうかな」
 凜が悩んでいるピアスをちらりと見る。
 弦が一本買える値段だ。それも遙の使っている練習用よりも少し上位の弦が。
 拘りだしたらキリがない。それは遙もわかっている。
 凜が身に着ける物に拘るくらい、弦にも拘りたいと思ってしまうけれど、現実問題消耗品にそこまでかけられるだろうか。
 練習用のスチール弦も嫌いではない。でももう少し上のグレードを選ぶともっといい音になる。
 ナイロン弦でまた化ける。弦の交換は化粧のようだと思う。
 彼によく似合う色を選ぶように、一番しっくりくる弦の組み合わせを見つけたい。
「遙、値札見て弦が何本買えるとか計算したでしょ?」
「うん。これ買うなら新しい弦買いたいなって思う」
「……価値観の違いだよね。遙らしいって言えば遙らしいんだけど」
 それにしても今日の凜は羽振りがいい。随分たくさん買うのだと驚いてしまった。
「そんなに買って大丈夫なの?」
「アイコン依頼が結構入ってそこそこ稼げてるの。あ、シリアルのアイコンは作品例に入ってるから」
「へぇ、よくわからないけど、それ一本でやっていけそうな感じ?」
「それは無理。でも生活費にちょっとゆとりが出来たかも。だから遙にお弁当奢れたの。普段だったらご飯奢ってって行くでしょ?」
 そう言って笑う凜に納得してしまう。
 駆け出しでこれならきっとこの先それ一本で食べていけるのではないだろうか。贅沢さえしなければ。
 そう考え、改めて凜を見るとやはり難しいようにも思える。
 着る物、髪、化粧品。お金が掛かる部分が多すぎる。
 それに絵を描くのにも画材をたくさん買う必要があるのだろう。
 楽器と絵とどちらがお金がかかるのだろう。
 そう考え、どちらもそれで生きていくのは困難だと思う。
 夢で生きていけるのは一部の才能溢れる選ばれた人間だけだ。遙はその中に入れないだろう。
 けれども凜はどうだろう。
 前向きで、自分を売り込むのもたぶん上手だ。
 大きな買い物袋を三つも背負って戻ってきた凜に呆れる。帰りは車とは言え随分な大荷物だ。
「さあ、画材買いに行くよ」
「……先、楽器屋戻っててもいい?」
「えー? 飽きるの早くない?」
「凜がアクセサリー一つに迷う時間くらい弦に迷う時間が欲しい」
 音で選ぶならナイロン弦、けれども弾く時間数を考えるとスチール弦がいい。納得のいくナイロン弦一組揃えれば、安いスチール弦を五組は買える価格になってしまう。そうなると、一番安い弦で済ませて毛替えの方を優先させたくなる。できれば予備の弓も欲しい。
 チェロの弦は他の楽器と比べて高価だ。楽器が大きいのだから仕方がない。
 移動の時と弦の値段を見るときばかりはどうしてこの楽器を選んでしまったのだろうと後悔してしまう。
 けれども音を鳴らせばそんな考えが全て吹き飛ぶ。
 演奏時の安定感、応えて歌うような響き。
 時間を忘れられる。他のことを考えなくなる。
 いや、たくさん考える。
 言葉に出さない沢山のことをすべて吐き出すような時間だ。
「新作の弦を試したい衝動と、失敗だったときこの金額で後悔しないかの葛藤があると思う」
「あー、初めて見るメーカーの絵の具とかどんな発色か不安、みたいな?」
「そんな感じ」
 色見本のようなものがあるわけではないからパッケージの情報とネットのレビューで選ぶことになる。それでも、凜の長居買い物に付き合うくらいなら楽器店でパッケージと睨めっこしている方が気が楽に思えた。
「わかった。買い物に飽きたのはよくわかった。いいよ。二時間くらい待たせるかもだけど」
「……長いね」
「買うものたくさんあるの。ほら、後期もいろいろ作るでしょ?」
 一度車に荷物を置いてから画材を買いに行くと言うので、遙はそのまま楽器店に向かった。



 通い慣れたと言うほどではないけれど、年に数回お世話になる楽器店は弦楽器だけでなく様々な楽器が並んでいる。
 特に力が入っているのは金管楽器なのだろうか。吹奏楽部向けの広告ポスターが目立つ。
 それでも弦楽器コーナーも充実していて、本体やケース、弦だけでなく小物もそれなりに揃っている。
 まずは除湿剤を二箱カゴに入れ、それから並ぶ弦のパッケージを眺める。
 そう言えば三波先生がレッスンをしている音楽教室はこの楽器店の三階だったと思う。学外レッスンを受けるなら、ここに通うかオンラインレッスンなのだろうかなどと考えていると、ピアノの音が聞こえた。
 誰かがそうしている。
 神経質で柔らかい。どこか温もりのある演奏。
 この弾き方は……。
 遙は自分の耳を疑った。
 わっしーの演奏だ。
 休日なのだから居ても不思議ではない。けれどもどうしてここにいるのだろう。
 待ち伏せされたと考えるほどは自意識過剰ではない。
 鼓動が速まる。
 演奏されているのは『きらきら星変奏曲』だ。
 それでもどうしてかわっしーの演奏だと思った。

 確かめよう。

 わっしーの容姿を知らないのに、遙は相手を確かめようと思った。
 買い物カゴを床に置く。
 息を殺してピアノコーナーに接近した。
 中古ピアノフェアの真っ最中のそこには様々なアップライトピアノが並んでいる。
 そして、見つけてしまった。
 背が高く、ピアスやタトゥーだらけの男を。
 この音が脳天気そうな男から生み出されているという事実に衝撃を受けた。
 けれども確かに、わしたかふみを初めて見た時、圧倒的ななにかを感じ取った。
「あれ? 遙さん?」
 声を掛けられてどきりとする。
「え、えっと……こ、こんにちは……」
 無視するわけにもいかない。
 けれども会話をするほど親しい相手でもない。
「遙さんもピアノ見に来たの?」
「え? あ……そのっ、誰が弾いてるのかなって……」
 見た目に反して穏やかな話し方で、声質も柔らかくて温かみがあるはずなのに、座っていても圧倒的な存在感のある長身に威圧されている。
「あー、遙さんピアノ専攻でも試験の教室違うもんね。僕も遙さんの演奏聴いてみたいな」
 どうぞとピアノを空けられるけれどもこんなところで弾くつもりはない。
「ピアノは自分の持ってるから……」
「へぇ、どんなの? アップライト? あ、でもグランドピアノと同居してる子も居るって聞いたからグランドピアノ?」
「え、いや、電子ピアノ。普通の電子……」
 たぶん。普通だ。
 レッスンに最適な機能が詰まった電子ピアノ。
「僕も普段は電子ピアノなんだけど、この子すっごくいいなーって。欲しい……兄さんに言ったらなんとかしてくれないかなぁ」
「自分で買わないの?」
「兄さんのところでもバイトしてるから……このくらいならなんとか……なるけど置く場所がね」
 電子ピアノは夜も練習できるからピアノ専攻の学生としては手放せないのだろう。
「兄さんおっきいマンションに住んでるし、レコーディングできるスタジオに改築した部屋があるからそこに置かせてもらえないかなって」
 鷲尾准教授の顔が浮かぶ。
 あの人ならそこまでやっていても驚かない。
「兄さんに断られたらゆかちゃん先生にお願いするしかない」
「ゆかちゃん先生?」
「非常勤講師の三波ゆかり先生。ピアノコレクターだからきっと理解してくれると思うよ」
 どうやら鷹史は三波先生とも親しいようだ。
 むしろ、誰とでも距離が近い。
「遙さんはなんのお買い物? 楽譜? どんな曲が好きかな?」
 ぐいぐい近づいてくるのは相変わらずだ。
「いや、今日は……乾燥剤と弦を……毛替えも……」
「あ、チェロ。チェロも遙さんの演奏聴いてみたいな」
「しゅ、趣味だから……一人で弾くのがいいの」
 人前で弾けない。そう、言い切ってしまえばいいのに、なぜかそう答えてしまった。
 相手がわっしーだとしっての見栄だろうか。それにしてはささやかすぎる。
 ぐいぐい近づく鷹史から逃げるように下がると弦楽器の並ぶショーウインドーが目に入る。
 子供の頃、この中に飾られたチェロに憧れていた。
 今見ても並ぶ弦楽器たちに胸がときめく。
 ふと、目に入ったのは奇妙な形の楽器。
 その瞬間、鷹史の存在も忘れてショーウインドーに近づいた。
「あ、それエレキチェロだよ」
「エレキ?」
「夜中の練習とかにいいみたい。あとアンプに繋いだりとか、リバーブかけられたりするんだって。セッションに持って来てる人いたよ。重さはハードケースとそんなに変わらないみたいだけど、普通のチェロほど扱いに気をつけなくていいのが気楽だって言ってた」
 確かに表も裏も板がないからぶつけてもそんなに慌てなくて済みそうだなどと考えてしまう。
 価格はそこそこだ。
 試奏、してみたい衝動があった。けれども人前で弾くなんて論外だ。
 試奏に防音室は借りられないし、今ならもれなく鷹史がついてきてしまうだろう。
「……銀行行ってくる」
「へ?」
「弦はこれとこれとこれ、あと松脂も一つ買い足しておくからこのカゴ持ってて」
 貯金が消えるけれども仕方がない。
 普段切り詰めているのだからなんとかなるだろう。
 店を出て、近くの銀行で番号札を引いたとき、別に鷹史にカゴを預ける必要はなかったのだと気がついた。






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