8 / 17
わっしー
わっしー 1
しおりを挟むたぶん衝撃を受けたのだと思う。
きっかけはたまたま新着投稿が目に入ったことだった。
とにかく他人とセッションするのが好きだ。だから気になった演奏家には片っ端から声を掛けている。断られたらその時はその時。そんな考えだ。
狭いベッドの上で寝転びながらスマートフォンを弄り、和音の新着投稿をチェックするのが日課だった。
その人の投稿はとても衝撃だった。
和音のユーザーは自己顕示欲の強い人が多いのだと思う。みんなあの手この手で自分を見てと必死にアピールして、ここで有名になってプロ入りしたいと思っている人もたくさん居る。中にはプロフィールに「プロ志望」と書いていたり、有名なアーティストとセッションをしたことを自慢気に書いている人もいる。
そんな中でわざわざ基礎練習を投稿するなんて思わなかった。
アイコンは流行のイラストというか、中性的な雰囲気のキャラクターだ。たぶん注目を集めたくて誰かに依頼して描いてもらったのだろう。もしくはとても絵の得意な人なのかも。
興味本位で最初のトラックを再生してみた。
衝撃だった。
確かに基礎練習曲なのだ。ただの基礎と言われればそれでしかない。
けれども何年も何年もひたすらに基礎を重ねてきた人の演奏だった。
この人は音楽に真摯で、音楽のための努力が苦にならない人なのだろうと思った。
名前を確認すると「シリアル」なんて変わった名前で、余計にどんな人なのだろうと興味を持った。
だから、セッションのお誘いをしてみた。
けれども返事が来ない。
いきなりセッションのお誘いだなんて警戒されたのだろうか。新規ユーザーはトラブルを警戒する人も多い。
それとも単純に合奏が嫌いなのだろうか。そう言う人も中には居る。
ただひたすらに自分との対話とでも言うのだろうか。一人で弾き続けるのが性に合っていると言う人も少なからず存在することは理解している。
けれども。
もっとこの人の演奏が聴きたい。
出来ることなら合奏したい。
日に日にその思いが強くなる。
既読になるだけで返事の来ないメッセージ。
けれどもちゃんと読んでくれているようで、新規投稿があった。
キャプションとは違ったそれはチェロ五重奏。
想像以上だった。
これだけ基礎を重ねられる人なら凄い演奏をするのだろうとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかった。
多重録音を駆使して一人で演奏している曲だ。
この技法は手間もかかるし、なにより相当な実力がなくてはこんなには揃わない。
そして、初めて聴く曲だった。
とにかくいろんな人とセッションするのが好きだからあらゆるジャンルの曲を聴く。音楽の記憶力はいい方だと思っていた。
けれども、初めて聴く曲だった。
つまり、このシリアルさんは積み重ねた基礎演奏能力だけでなく、自分で曲を作れるだけの能力もあるのだ。
ますます合奏してみたいと思う。
けれども。
はたして自分の演奏技術はこの人と合奏するだけの実力だろうかと考えてしまう。
それなりに弾けるつもりだった。
流石に世界中で演奏するソロツアーなんてものは無理だとわかっている。それでも生演奏が必要な店で毎週演奏する程度の実力はある。
自分の名前を前面に出して売り出していくのは困難だと思う。ソロアルバムを出せるような演奏家になって、それだけで食べていくことはできないと思う。
けれどもスタジオミュージシャンならどうだろう。むしろ誰かに必要とされて演奏するのは自分に向いているのではないか。
初見で、アレンジで、他人に合わせて。
それは得意分野だと思っている。
けれども、このシリアルさんと並んで、雑音になってしまわないかと不安になった。
こんな感情は初めてだ。
自分はうぬぼれていたのだろうかと思う。
基礎練習を欠かしたことはない。
毎日ハノンは一通り、それからレパートリーの為に数曲練習している。
咄嗟のリクエストにすぐ応えられるように、いくつもいくつも。
向かう方向性が違う。
そう言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
けれども、圧倒的な才能を前に怯んだ自分がいる。
嫉妬も出来ないほどの壁を感じた。
このシリアルさんはどんな人なのだろう。
よく響く、豊かで力強い演奏。
たぶん、男性。年上、だといいなと思ってしまう。
これで高校生だなんて言われてしまうと、いくらなんでも焦りたくもなってしまう。
練習の仕方が間違えていたのかだとか向き合い方に失敗してしまったのだろうだとか、きっと暗いことを考えてしまうだろう。
今日もメッセージに返信はない。
けれども、新しい投稿がある。
088 晴れ
たぶんまたオリジナル曲だと思った。
再生するのが少し怖い。
けれども、再生ボタンを押さずにはいられなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
冷蔵庫の奥で生きて
小城るか
ライト文芸
____冷蔵庫の奥にいたのは、かつての恋人で、妹。
専門学生の耕哉には二人の妹がいた。血の繋がらない上の妹、美鈴とは家庭内別居中。唯一の肉親である下の妹、信香は何故か美鈴の味方。
どことなく孤独な日々の中で虚しさを感じていた耕哉は、ある日冷蔵庫が他の家と繋がっていることに気が付く。
それぞれに冷たいものを抱えた、家族達の物語。
※表紙はやまなし様のフリー素材から。
人生前のめり♪
ナンシー
ライト文芸
僕は陸上自衛官。
背中に羽を背負った音楽隊に憧れて入隊したのだけれど、当分空きがないと言われ続けた。
空きを待ちながら「取れる資格は取っておけ!」というありがたい上官の方針に従った。
もちろん、命令は絶対。
まあ、本当にありがたいお話で、逆らう気はなかったし♪
そして…気づいたら…胸にたくさんの記章を付けて、現在に至る。
どうしてこうなった。
(…このフレーズ、一度使ってみたかったのです)
そんな『僕』と仲間達の、前向き以上前のめり気味な日常。
ゆっくり不定期更新。
タイトルと内容には、微妙なリンクとズレがあります。
なお、実際の団体とは全く関係ありません。登場人物や場所等も同様です。
基本的に1話読み切り、長さもマチマチ…短編集のような感じです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる