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アコーディオンのおじさん
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吹奏楽部に所属していた時期があった。
音楽は好きだしピアノも習っていた。流行りの曲よりタンゴが好きなヘンな子供だった。
吹奏楽部は月水金だけの活動で、私の担当はトランペットだった。金ぴかの見た目と力強い音が好きな楽器だ。
自分の楽器、とは言っても学校の楽器を借りるのだけど、部活の時間だけ触らせてもらえる楽器が好きだった。
正直なところ練習時間よりも準備室で楽器をぴかぴかに手入れをしている時間の方が好きだった。
だからその日も私は自分のトランペットを磨いていた。
その日はなにかがおかしかった。
いつも賑やかな音楽室にも準備室にも誰もいない。意地悪な先輩もいなかった。
だけど、ひとりのことに安心して、自分の楽器を棚から取り出した。
そのときだ。
かたりと音がした。
びっくりして音の方を確認すると、いつの間にか知らないおじさんがいた。
おじさんは不思議な道具をたくさん並べた真ん中にいて、鍵盤のついたヘンな形の楽器になにかをしていた。
さっき見たときは誰もいなかったはずなのに、いつからいたのだろう。
それ以上におじさんがなにをしているのか気になった。
当時の私は人見知りをしないなれなれしい子供だったから、すぐにおじさんに声をかけた。
「ねえ、それなぁに」
「アコーディオンという楽器だよ」
おじさんが教えてくれる。
「おじさんはなにしてるの?」
「楽器を直しているんだよ」
優しい声のおじさんだった。
おじさんが言うに、アコーディオンという楽器を音楽の授業で使うから直しているらしい。
ヘンな楽器だと思った。鍵盤ハーモニカともピアノとも違う。カーテンみたいなくしゃくしゃを動かして音を出すなんて変わってる。
だけども私はおじさんの優しい視線とおかしな楽器が気になって、ずっとその作業を見ていた。
ひとつ直すと試し弾き。
基本の音階とおじさんの得意な曲なのか、コマーシャルで聞いたことがあるような有名な曲をひとつ。
それを何度も繰り返して、真っ暗になってもおじさんの作業は続いた。
水曜日なのに音楽室にも準備室にも誰も来ない。
それになんとなく知ってる。
このアコーディオンという楽器は今日はじめて音を聴いた、つまり上級生も授業で使ったことのない楽器だ。
たぶんこのおじさんも、この楽器も他の人には見えないのかもしれない。
またおじさんの試奏を聴いていると下校のチャイムが鳴る。
「ほら、子供は帰る時間だよ」
おじさんの優しい声が言う。もうちょっと聴いていたかったけれど不審者が増えているから先生たちもぴりぴりしている。
「おじさん、明日もいる?」
「この量だからね。明日もやってるよ」
おじさんが笑うから、その言葉を信じてその日は下校した。
次の日の放課後も、おじさんは準備室でアコーディオンを直していた。
私はその人をアコーディオンのおじさんと呼んでいたけれど、ついでにと私のトランペットも見てくれた。
「よく手入れされてるね。大事に使ってくれてありがとう」
そう言ってトランペットを返してくれたおじさんに褒めてもらえた気がして嬉しかった。
その日も下校のチャイムが鳴るまでおじさんと一緒に過ごし、ちょっとだけアコーディオンの弾き方も教えてもらった。
今度授業で習うよとおじさんは言っていたけれど、なんとなくそんな日は来ないとわかっていた。
次の日もおじさんは忙しくアコーディオンを直していた。
金曜日なのに音楽室には他に誰もいない。
ピアノの中に保管室の鍵を隠した先輩がいて顧問の先生がかんかんに怒っていたことを思い出して蓋を開けてみるとやっぱり鍵が入っていた。つまりこれが先生に見つかったらまた全員怒られる。先生はキーキー大声で怒鳴るタイプの怒り方をするから正直苦手だ。だから今年が終わったら吹奏楽部はもう辞めようと思っていた。
おじさんにその話をしたら、とても悲しそうな顔をされたからもうその話はしないことにした。
今日もおじさんがアコーディオンを修理するのを眺めて、試奏を聴いて過ごした。
「おじさん、来週はいる?」
「どうだろう。今年はもうおしまいかも」
「じゃあ、もうこないの?」
アコーディオンのおじさんとお別れするのはなんだかとっても悲しいことのように思えた。
けれども、たぶんこのおじさんにはもう会えないと思った。
「もしかしたら来年も来るかもしれないよ」
おじさんはそう言って、最後にもう一曲だけ聴かせてくれた。
月曜日。
昼休みにゴミ当番のゴミをゴミ庫に運んでいると、男の先生が三人くらいで大きななにかを運んでいた。
「あれ、先生、それなに?」
担任がいたから訊ねてみた。
「これ? アコーディオンという楽器なんだけど、壊れてだいぶ経つし、もう授業でも使わないから捨てるんだって」
折角だから見てみるかと訊ねられ、頷くと、先週おじさんが一生懸命直していたアコーディオンが入っていた。
よく見ると貼られた番号のシールもおじさんが直していたのと同じだ。
「これ、先週おじさんが直してたのに?」
そう訊ねたら、先生は首を傾げる。
「直してた? おじさん? 楽器修理の人が来るのは冬休み中だよ」
先生は不思議そうにそう言って、それからアコーディオンをその他ゴミのところへ積んでいく。
放課後、私は吹奏楽の先生に怒られた。なんでも水曜日も金曜日も無断で部活を休んでいたらしい。
確かに音楽室に来たはずなのに、音楽室には誰もいなかったはずなのに、居なかったのは私だけだったみたい。
その証拠と言わんばかりに、他の子達はみんな新しい楽譜を貰っていた。
やっぱり。
そう思った。
あのおじさんは他の人には見えない、「いない人」だったんだ。
音楽は好きだしピアノも習っていた。流行りの曲よりタンゴが好きなヘンな子供だった。
吹奏楽部は月水金だけの活動で、私の担当はトランペットだった。金ぴかの見た目と力強い音が好きな楽器だ。
自分の楽器、とは言っても学校の楽器を借りるのだけど、部活の時間だけ触らせてもらえる楽器が好きだった。
正直なところ練習時間よりも準備室で楽器をぴかぴかに手入れをしている時間の方が好きだった。
だからその日も私は自分のトランペットを磨いていた。
その日はなにかがおかしかった。
いつも賑やかな音楽室にも準備室にも誰もいない。意地悪な先輩もいなかった。
だけど、ひとりのことに安心して、自分の楽器を棚から取り出した。
そのときだ。
かたりと音がした。
びっくりして音の方を確認すると、いつの間にか知らないおじさんがいた。
おじさんは不思議な道具をたくさん並べた真ん中にいて、鍵盤のついたヘンな形の楽器になにかをしていた。
さっき見たときは誰もいなかったはずなのに、いつからいたのだろう。
それ以上におじさんがなにをしているのか気になった。
当時の私は人見知りをしないなれなれしい子供だったから、すぐにおじさんに声をかけた。
「ねえ、それなぁに」
「アコーディオンという楽器だよ」
おじさんが教えてくれる。
「おじさんはなにしてるの?」
「楽器を直しているんだよ」
優しい声のおじさんだった。
おじさんが言うに、アコーディオンという楽器を音楽の授業で使うから直しているらしい。
ヘンな楽器だと思った。鍵盤ハーモニカともピアノとも違う。カーテンみたいなくしゃくしゃを動かして音を出すなんて変わってる。
だけども私はおじさんの優しい視線とおかしな楽器が気になって、ずっとその作業を見ていた。
ひとつ直すと試し弾き。
基本の音階とおじさんの得意な曲なのか、コマーシャルで聞いたことがあるような有名な曲をひとつ。
それを何度も繰り返して、真っ暗になってもおじさんの作業は続いた。
水曜日なのに音楽室にも準備室にも誰も来ない。
それになんとなく知ってる。
このアコーディオンという楽器は今日はじめて音を聴いた、つまり上級生も授業で使ったことのない楽器だ。
たぶんこのおじさんも、この楽器も他の人には見えないのかもしれない。
またおじさんの試奏を聴いていると下校のチャイムが鳴る。
「ほら、子供は帰る時間だよ」
おじさんの優しい声が言う。もうちょっと聴いていたかったけれど不審者が増えているから先生たちもぴりぴりしている。
「おじさん、明日もいる?」
「この量だからね。明日もやってるよ」
おじさんが笑うから、その言葉を信じてその日は下校した。
次の日の放課後も、おじさんは準備室でアコーディオンを直していた。
私はその人をアコーディオンのおじさんと呼んでいたけれど、ついでにと私のトランペットも見てくれた。
「よく手入れされてるね。大事に使ってくれてありがとう」
そう言ってトランペットを返してくれたおじさんに褒めてもらえた気がして嬉しかった。
その日も下校のチャイムが鳴るまでおじさんと一緒に過ごし、ちょっとだけアコーディオンの弾き方も教えてもらった。
今度授業で習うよとおじさんは言っていたけれど、なんとなくそんな日は来ないとわかっていた。
次の日もおじさんは忙しくアコーディオンを直していた。
金曜日なのに音楽室には他に誰もいない。
ピアノの中に保管室の鍵を隠した先輩がいて顧問の先生がかんかんに怒っていたことを思い出して蓋を開けてみるとやっぱり鍵が入っていた。つまりこれが先生に見つかったらまた全員怒られる。先生はキーキー大声で怒鳴るタイプの怒り方をするから正直苦手だ。だから今年が終わったら吹奏楽部はもう辞めようと思っていた。
おじさんにその話をしたら、とても悲しそうな顔をされたからもうその話はしないことにした。
今日もおじさんがアコーディオンを修理するのを眺めて、試奏を聴いて過ごした。
「おじさん、来週はいる?」
「どうだろう。今年はもうおしまいかも」
「じゃあ、もうこないの?」
アコーディオンのおじさんとお別れするのはなんだかとっても悲しいことのように思えた。
けれども、たぶんこのおじさんにはもう会えないと思った。
「もしかしたら来年も来るかもしれないよ」
おじさんはそう言って、最後にもう一曲だけ聴かせてくれた。
月曜日。
昼休みにゴミ当番のゴミをゴミ庫に運んでいると、男の先生が三人くらいで大きななにかを運んでいた。
「あれ、先生、それなに?」
担任がいたから訊ねてみた。
「これ? アコーディオンという楽器なんだけど、壊れてだいぶ経つし、もう授業でも使わないから捨てるんだって」
折角だから見てみるかと訊ねられ、頷くと、先週おじさんが一生懸命直していたアコーディオンが入っていた。
よく見ると貼られた番号のシールもおじさんが直していたのと同じだ。
「これ、先週おじさんが直してたのに?」
そう訊ねたら、先生は首を傾げる。
「直してた? おじさん? 楽器修理の人が来るのは冬休み中だよ」
先生は不思議そうにそう言って、それからアコーディオンをその他ゴミのところへ積んでいく。
放課後、私は吹奏楽の先生に怒られた。なんでも水曜日も金曜日も無断で部活を休んでいたらしい。
確かに音楽室に来たはずなのに、音楽室には誰もいなかったはずなのに、居なかったのは私だけだったみたい。
その証拠と言わんばかりに、他の子達はみんな新しい楽譜を貰っていた。
やっぱり。
そう思った。
あのおじさんは他の人には見えない、「いない人」だったんだ。
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