黒炎の宝冠

ROSE

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15 継承されるもの

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 緊張なんて言葉だけでは表現しきれない。レイナ・アルシナシオンとして初めて人前に立つことに対し躊躇いを覚えた。
 まず、手が震えている。それになんだか呼吸も苦しくて、胸元が痺れるような錯覚に陥っている。それはいつもよりきつく締められたコルセットだけのせいじゃない。
 王になる。
 玉座の重責はレイナの細腕には重すぎる。
 玉座は、宝冠はレイナを破滅に追いやる、レイナからルイスを奪うものだ。
 目が覚めたとき、ルイスはいなかった。
 もしかしたら昨夜の出来事はただの夢だったのかもしれない。
 そう思ったけれど、彼に用意した贈り物が手元にはなかったことが現実であったと思わせてくれる。
 ルイスが決めてくれたドレスは今日という日に許される範囲でレイナの好みに仕上げられていた。
 葡萄酒色のドレスは黒と銀糸で飾られている。演奏に邪魔にならない程度の装飾。袖は広がりすぎずに、裾は前を少し短く。後ろ姿が華やかで、正面は楽器を邪魔しない。理想的だ。テオドラに言わせればもう少し胸元の装飾を足したかったそうだが、チェロという楽器には胸元の飾りは邪魔になってしまう。レイナは首飾りは勿論、耳飾りも指輪も身に着けない。万が一、楽器に傷をつけるようなことがあってはいけないから。
 一曲、他国であれば即位の長ったらしい挨拶を読み上げるのであろうものの代わりに一曲披露するのが我が国でのしきたりだ。この一曲が、王としてこの先の方針を示すものになる。
 しかしレイナにしてみれば、そんなもの気分だ。
 その時の気分。
 レパートリーの中からひとつ選べばいい程度の話。
 実際長兄も次兄も似たようなことを口にしていた。だから技巧重視の曲をひとつ選んだけれど、仕上がりはホセも納得しているようだったから問題ないだろう。問題なのは、今現在手が震えてまともに弓を持つことが出来ない状況だということだ。
「レイナ、珍しい。緊張しているのかい?」
 驚いたように目を開く次兄。
「……緊張というか……不安、なのだと思います……」
 演奏が恐ろしいわけではない。戴冠が恐ろしいのだ。
「大丈夫。僕も兄さんも居る。レイナが間違えそうになっても僕たちが止めるし、困っていたらいつでも力になるから」
 優しく背を叩かれる。
「こうしてあげられるのはこれが最後だけど、でも……僕らは兄妹だ。いつでも兄妹の時間には戻れるよ」
 レイナが兄として必要としてくれるならね、と次兄は優しい笑みを見せてくれる。
「お兄様……はい……」
 レイナには兄も姉も二人ずつ居るのだ。そして彼らはいつだって力になってくれる。【EVER】の世界とは違う。まだ長兄も次兄も存命だ。これなら、なんとかなる。
 そう思おうとした。けれども舞台袖でアリアの姿を目にしてしまう。
 白を基調とした可愛らしいドレス。輝く金髪が丁寧に編み込まれ、花飾りが華やかだ。正直、レイナ以上に目立つ装い。彼女の愛らしさがこれでもかと強調されている。
「……父上はなにを考えているのやら……」
 次兄が深い溜息を吐く。どうやら彼にもアリアが目に入ったらしい。けれども、彼は彼女の存在をない物として振る舞う。だからだろう。アリアに対する批難を父王へ向けた。
 王位継承するレイナより目立ってはいけない。それは着飾ることが大好きな長姉さえ理解している。なにせ今日の彼女は喪服ですかと問いかけてしまいそうになるほど彼女らしい華やかさに欠けた装いだ。そして「レイナがちゃんと着飾れる訳がないと思ってはいたけど……こっちにして正解だったわ」と呆れた目を向け深い溜息を吐いていた。
「ルイスが選んでくれたドレスは私好みだけれど、いけなかったでしょうか?」
「演奏家としては悪くない選択だとは思うけれど、戴冠式と考えると……ねぇ?」
 それでも、ドレスの上から重いマントを着せられて冠を頂くのだからドレスはシンプルな方がいい。そう、頭の中で言い訳をする。
 そもそもルイスが選んでくれたのだから問題ないはずだ。
 そう思ったはずなのに、アリアがルイスに接近する姿が目に入ってしまう。
「……私のルイスとの距離がおかしいのではないかしら?」
 ホセ、と既に当たり前の様に後ろに居る僕に視線だけ向ける。なにを話しているのか聞き取れという意味だ。
「……アリア・グラーベ『このドレス、どうでしょうか?』ルイス『……お似合いだと思います』アリア・グラーベ『ありがとう。お父様が下さったの』ルイス『そうでしたか。すみません、私はそろそろレイナ王女と……』アリア・グラーベ『私もご一緒します』ルイス『いえ、式の前に個人的な用件ですので』アリア・グラーベ『私もお姉様に個人的な用がありますの』……まだ、続けますか?」
 ホセは若干呆れを滲ませた視線で訊ねる。
 ルイスとアリアの攻防を全て再現しなくてはいけないのかという批難なのだろう。
「ルイスがアリアに靡いたりは?」
「いかに波風立てずに断るか慎重に考えている様ですが……そろそろルイスが限界を迎えますね。魔力が乱れています」
 これは会場に雪が降るかもしれないわ。レイナはそう考え、雪だるまが作れるほど積もれば面白いのになどと現実逃避を始める。
「あの子、追い払って。ルイスは私の所有物よ。新王の所有物に手を出したらどうなるか、そろそろ教えてあげないといけないかしら」
 もう権力乱用で国外追放にでもしてあげたい気分よと、口には出さずとも考えてしまう。
 黒咲凛のシナリオなんてどうでもいい。ルイスさえ傍に居てくれればそれでいいの。
「レイナ、落ち着いて」
 次兄の手が背に触れる。
「ゆっくり呼吸するんだ。大丈夫。ルイスは君を裏切ったりしないよ」
 兄の声に合わせて呼吸を整える。
 まただ。レイナは不安定になっている。どうもルイスが関わると冷静ではいられない。
 きっと魔力が暴走しそうな様子が次兄には見えてしまうのだろう。
「レイナ」
 ようやくアリアとの根比べから抜け出してきたらしいルイスは少しだけ疲れたような笑みを見せる。
「ルイス、遅い」
 大袈裟に不機嫌そうに振る舞ってみせるのは、大人気ないとわかっている。けれどもやっぱり、ルイスが先にアリアを褒めたことが気に入らない。
「すまない。ちょっと捕まってしまって……一拍でも早くレイナに会いたかった……」
 最早兄の前という気遣いも、戴冠式当日であるということさえも忘れているのか激しく抱きしめられる。
「……レイナ……今日はいつもよりも……綺麗だ……」
 うっとりするほど甘い声で、まるで酔っているような視線を向け告げられる。
「ルイス、そろそろ時間だ。折角着飾ったレイナの衣装に皺が出来てしまうよ」
 次兄がルイスに注意する。
「ああ、すまない。もう少し早く来られればもう少し君を抱きしめていられたのに……」
 それはとても惜しむようにゆっくりと解放される。
「ルイス、一番いいところで観て居てくれなきゃ嫌よ」
「勿論。私とアルベルトのことは特等席に招いてくれているのだろう?」
「あら、ルイスはお兄様方と一緒よ? 私の婚約者だもの」
 アルベルトは家族じゃないから別、と言えばルイスは驚いたような表情を見せる。
「驚いたな……」
 そう口にして、どこか嬉しそうな、それでいてはにかむような笑みを見せられる。
 とくとくと鼓動の速度が速まる。これはいけない。演奏に響いてしまいそうだ。
「……演奏が早足になってしまったらルイスのせいよ」
 そう言って睨めば、戸惑うような視線を向けられた。
「あなたが今日も素敵だって言っているの」
 そう口にして、背を向ける。
 とんでもなく恥ずかしいことを口にしてしまった自覚はあるけれど、その言葉自体に偽りはない。ルイスはいつだって素敵に見える。
 もしかすると、もう二度とルイスにそんなことを言ってあげられないかもしれない。そう考えた焦りもあったかもしれない。
「レイナ、そろそろ時間だ」
 長兄の声が響く。
「はい」
 返事をし、それからもう一度ルイスを見る。
「愛してるわ。ちゃんと、私のこと、捕まえておいてね」
 どうしようもなく不安で、そんなおかしなことを口にしてしまう。
 レイナ自身、不安定でおかしいこと位わかっている。
 けれどもルイスははにかむような笑顔で「勿論」と返事をしてくれた。



 我が国の戴冠の義は独特だと思う。というのも、他国であれば決まり文句は言葉で行われるのに対し、全てが音楽で構成されるというところだろう。
 まず、現王である父のオーボエ演奏。これは伝統的な譲位の際に演奏される曲で次代への祈りを表す曲とされている。実際穏やかな曲調で、どこか宗教的な雰囲気さえ感じられる旋律だ。
 そして、現王から宝冠を譲渡される。
 父の頭の上にあった時はとんでもなく大きな冠のように見えたが、外された途端、冠の形状が変わる。細身で少し小ぶりなものに変わったと言うことは、どうやらこの宝冠は所有者によって形を変える品らしい。
 厳かな空気の中、ゆっくりと頭の上に冠が載せられる。ずっしりと重く感じられるのはなにも慣れない物が頭上にあるからではない。この先の重責がのしかかっているように思える。
 そして宮廷楽団が祝福を表す曲の演奏を始める。この曲はオーケストラ形式でとても華やかなものだ。三楽章あるのでそこそこ長い演奏になるのだが、その間中お行儀良く、そして真面目な顔を作っていなくてはいけないレイナは落ち着かない。せめて群衆の中に知っている顔を見つけられれば気を紛らわすことができるのではないかと思ったが、そもそも知り合い自体が少ないレイナにはそれが困難だった。
 ルイスがいる方向はわかっている。けれども今そちらにばかり視線を向けるわけにはいかない。婚約者が落ち着きのない王だと思われるのはきっとルイスにとっても好ましくないことなのだから。
 そう、葛藤していると、父がオーボエからリードを外す。
「新たなる王に大いなる力を」
 歌うようなその言葉と共にリードが差し出されたかと思うとそれは徐々に姿を変え、チェロの弓になった。
 仕組みは全くわからない。
 けれどもそれは【EVER】の中でレイナが使っていた弓と酷似しているように思えた。これは王位継承者に継承される力、つまり王が魔力を使うための核のようなものなのだろう。
 正直、形が変わったとは言えつい先程まで父が口に銜えていたリードに触れることには若干の抵抗がある。これがルイスであればためらいなく受け取ったが、父となると少しばかり抵抗がある。けれどもこの場の空気が拒むことを許さないように思え、おそるおそる手を伸ばし、弓を受け取る。
 触れた瞬間、まずその重さに驚く。
 今までもいくつかの弓は試してきた。
 けれどもそのどれとも違う、言うなれば、気持ち悪いほどにしっくり馴染む重さ。
 ずっと探し求めていた運命の相手なのではないかと言うほど、その弓は手に馴染む。
 まるで吸い付くように、手から落とすなんてことがありえないとでも言うように、その弓は右手の一部であったと思えるほどごく自然に、レイナに楽器を求めさせた。
 宮廷楽団の演奏は既に終わっている。
 静寂の中、視線でホセに命じ、楽器を持ってこさせた。
 いつの間にか椅子が用意されている。黒い木製のそれは暗い色の宝石で装飾された奇妙なものだった。
 楽器を手に取る。既に調弦されていることは知っている。
 そして一呼吸して初めの音を奏でる。
 なんと言うことだろう。響きが今までと格段に違う。いつも使っている弓もよく馴染んでいたはずだ。強弱の反応も素晴らしい一品であったはずなのに、この弓は桁違いとでも言うのだろうか。思うままに、思った瞬間には理想の音が出せる。気持ち悪いぐらい思い通りの反応をする。
 なんてことだろう。
 レイナは夢中で手を動かした。
 全身から魔力が滾る。
 かつてないほどの強大な魔力が渦巻いているのを感じる。
 この力があれば……。
 ルイスを手放さなくても済む。
 そんな考えが過った直後、意識がどこかへ沈んでいった。
 
 

 

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