黒炎の宝冠

ROSE

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7 不安定な感情

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 アリアがレイナの部屋に侵入したその日から、レイナは頻繁に誰かに見られているような気配を感じた。初めは護衛が増えたのだと思っていたが、そうではない。少なく見積もって三人、レイナのストーカーが居る。
 そのうち悪質なのは一人。アリアだ。彼女は度々レイナの部屋に侵入し、なにかを持ち去っているようだ。それは、書き損じの楽譜であったり、使い古したペン先であったり、主にレイナが不要と判断し捨てたものではあるが、使用人が片付けるより早くごみが消えてしまうことが頻繁に起きた。一応他に消えた物はないかと念入りに探ったが、初級楽曲集に挟んで隠しておいた叔母の日記には触れられた形跡すらなかった。どうやら彼女の目的はそれではないらしい。
 厄介なことに、アリアは侵入向きの魔術を使える。とても主人公の性質とは思えないが、追跡、侵入に長けている。確かに攻略イベントをこなすには情報収集能力が必要だし、主人公は一体どうやって手に入れたのだろうかと悩みたくなるような情報をいきなり持っていたりすることもあるが、その辻褄を合わせようとするかの如くストーキングスキルばかりを身につけているのはいかがなものなのだろう。半分だけとはいえ王族だというのに。
 残り二人のうち一人はルイスだということは判明している。彼はレイナの護衛気取りで監視している部分がある。煌びやかな外観の彼は目立ってしまうが本人は隠れているつもりらしい。気付かないふりをするとずっと見られているので、見つけ次第声を掛けるとなにかしらその場にいる口実を言い訳してくれるのが面白い。そのまま雑談をすることもあるし、結局のところレイナとしても彼と過ごせるのは嬉しい。しかし、職務はどうしているのか疑問だ。
 そして、最後の一人。彼を突き止めるまでかなり時間が掛かってしまった。見つけられたのはノアに教わった魔術をようやく使いこなせたからではあるのだが、彼に関しては正直気付かないままの方が良かったかもしれない。
 ホセ・エミリオ・コントラト。今となっては立派な宮廷魔術師のはずなのだが、彼はその立場を利用して、王宮内全てに監視網を作り上げているようだ。王族の安全のためという名目ではあるが、完全にレイナの行動を把握されている。それに気がついたのは魔力に色があることを知ったからだ。
 音楽には色がある。音と色が結びつく。そしてそれは演奏者によってもまた違う。ノアは生まれつき音に色が見える体質らしい。長兄が頻繁に彼の元へ足を運んでいたのもその能力で魔力の分析をしてもらうためという理由が大きかった。レイナもまた、ノアほどではないが、かなり集中すれば色の残骸のような物を探すことができた。そうして見つけ出したのがホセだ。
 王宮内全域に糸のような物が張り巡らされ、それに触れることによって振動が、つまり音が彼に届く仕組みだ。そしてその糸は殆どの人には見えず、振動も術者にしか伝わらない。ノアに確認したところ、それはレイナが五つになった頃から少しずつ張り巡らされるようになったということだった。現在では既に逃れる空間すらない。できれば気付きたくはなかった。
 さらにホセは、糸の振動から立体像を確認できるらしい。いよいよ人間ではない。特殊な魔術なのだろうか。レイナも同じ術を使おうと思えば使えるものなのだろうか。
 いろいろと気になる点は多いが、どこに居ても、三人の誰かに監視されていることだけは確かだ。
 監視網から逃れられる唯一の空間は次兄、ノアの私室だった。彼は魔力の色が見える為、他人の魔力を嫌い、極力魔力を遮断する空間を作り上げている。よってホセの魔力はノアの生活する一帯には入り込めず、ノアの作り出した結界によりアリアも侵入が困難である。おかげでレイナは兄の部屋に入り浸る状態になってしまっていた。
 レイナももう十七になる。よくこの監視の中、精神を病まなかったと褒め称えたいが、元々の性格上、あまり気にしないのかもしれない。少し気持ち悪いとは思うが、練習の邪魔さえされなければそれでいい。
 この数年でいくつかの変化があった。一番大きいのは次兄ノアの病が完治したことだろうか。彼にはレイナの魔術の特訓にかなり付き合って貰ったが、おかげで治癒魔法が上達したらしく、彼の病を治すまでに至った。
 元気になったノアは今までできなかった分を取り戻すかのようにオルガンに向かい、いくつもの楽曲を書き上げ、そしてレイナの魔力をより扱いやすくする旋律の作り方を教えてくれた。おかげでレイナはレイナだけの魔法をいくつか手に入れることができたのだが……。
 長兄に使うことを禁じられた魔法がいくつかある。主に他人の心を操る術だ。ルイスに振られたときの保険のつもりなのだが、残念ながら長兄はそれを破る術を持っている。
 ルイスは煌びやかな外見に似合わず嫉妬深く束縛が激しくなってきたが、それでもレイナの要望はできるだけ呑んでくれるし、二人の兄にはそれなりに気に入られているようだ。時々無理難題をふっかけられてはいるが、婚約者としては悪くない関係だと思う。
 ノアも完治したし、今のところ長兄に暗殺の危険もない。何より父がまだ健在だ。このまま何事もなく過ごせれば、来年にはルイスと正式に結婚することになるだろう。不安がないと言えば嘘だが、このまま順調に進んで欲しいと思う。
 魔術の為の編曲は勿論勉強している。けれどもそれ以上に、彼と共に演奏しやすい構成を考えるようになったのはレイナなりの歩み寄りのつもりなのだ。結果としては、やはりルイスは合奏には気が乗らないようで、最近はレイナの側に楽器を持ってくることがめっきり減ってしまったことを残念に思う。
 
 ノアの部屋に持ち込んだ椅子の上で楽譜を開く。なにを思ったのか、父が突然演奏会を開くと言い出した。兄姉全員が参加すること。そして、ただの演奏会ではない。演奏を審査される。一人一曲。選曲は自由。伴奏者が必要な場合は各自で探すこととなっていて、レイナは既にホセを捕まえてある。捕まえたと言うよりは常にレイナを監視しているホセの方から先に申し出てくれたのだ。
「レイナは忠犬がいるから苦労しないだろうけど、兄さんは大丈夫かな」
 伴奏者を探す必要がないノアはのんきに笑う。
「大丈夫よ。ジェイコブお兄様は軍隊でとてもモテていらっしゃいますもの」
 彼の伴奏者になりたい部下はとても多い。問題は彼が部下の前ではあまり演奏したがらないところだ。
「エマお姉様も参加されるのでしょう?」
 彼女の方が不安だとは思ったが、侍女の中に伴奏者がいるかもしれない。
 次姉、エマはクラリネット奏者だ。本人の性格か、穏やかな曲を好む。演奏自体も穏やかで、少し控えめだけれども心地いい音だ。
「選曲は自由で、音楽魔法も使っていいそうだけど、ノアお兄様、凄く不利じゃない? 自分の楽器を持ち込めないのだもの」
「大丈夫だよ。会場のオルガンも僕の魔力に合わせて調節されてるから」
 そもそもオルガン奏者自体がそんなに多くない。単純な演奏だけならともかく、自分の魔力に合わせて楽器を用意するのが困難だからだ。
「僕はオルガン奏者だからあまり楽器に左右されないのだけどね」
 ノア曰く、音の色が見えるからオルガンは扱いやすいそうだ。
「僕は他のみんなと違って耳だけに頼っていないからね。楽器の方に合わせやすいんだよ」
 兄の穏やかな声は心地良い。しかし、彼は外見と音楽が一致しない。彼の演奏はなんというか、力強い。荒々しい。そう言った空気がある。勿論二人でいるときに披露してくれる演奏は穏やかで美しい物が多いが、彼の感情を吐き出す演奏はどこか攻撃的にさえ感じられる。長兄とは正反対だ。
「お兄様は曲が決まりましたの?」
「僕はさっき浮かんだ曲にするよ。どうせ父上のくだらない気まぐれだろうしね。レイナも好きな曲を選べば良いよ」
 意外なことにノアは気が乗らないらしい。彼ならば嬉々として演奏しそうに思えたのに。
 ホセもレイナの好きな曲を選ぶように言っていたし、彼は初見だろうが完璧に伴奏をこなせるだろうからあまり心配はしていない。
「それよりも、僕はあの異物が参加することの方が信じられないのだけどね。技能の差を恥じないのだろうか」
 ノアは微かに苛立っているようにも思える。
 演奏会とは名ばかりの、コンテストのようなものだ。競い合うに値する相手でなくては不満といったところだろうか。
 しかし、レイナはアリアの演奏を聴いたことがない。『EVER』の世界のアリアは演奏補助機能の付いたヴァイオリンを弾いていたはずだ。ルイスのように。
 ルイスは複雑な技巧が苦手だから先に編曲でそれを削り、音が不安定になりがちなところは楽器の方に補正させている。アルベルトに言わせれば論外の機能だがそれで演奏が楽しめるのであればレイナは構わないと思っている。
 音楽に対する考え方は人それぞれだ。ただ技術を重視する人、楽しむことを重視する人。自分の実力のみで楽しむべきだと考える人、補正があっても楽しめればそれで良いと考える人。しかし、ルイスの場合は必要に迫られてという印象だ。アリアのそれはどうだろう。
「最初に楽器を鳴らしたときの感動はいつまでも消えないものです。だから、ある程度の年齢になってから触れた方が、その感動が鮮明なのかもしれないと思います」
 アリアがレイナのストーカーであることは確かだが、それ以外、彼女のことをよく知らない。情報を集めなくてはいけない相手なのに直接接触するわけにもいかず、あまり探っていることを兄姉にも知られるわけにはいかないので、情報源がアルベルトとルイスしかないのだ。しかも、ルイスはかなりいろいろと隠している。探ろうとすると最近は抱きしめて髪や首筋にキスを落として誤魔化そうとしてくるから質が悪い。流されてしまうレイナ自身にも苛立ってしまう。
「どうせ補正機能付きの楽器を使うのだろうけど、それでも、ちゃんと練習しないと形にはならないものだよ」
 補正機能はあくまで補正だ。勝手に弾けるようになるわけじゃない。だからこそルイスも練習を重ねている。補正機能付きの楽器を嫌うアルベルトがルイスをそれなりに認めているのは彼の努力を知っているからだろう。技能が劣る分理論で補おうとしている。
「体が追いつかない部分は理論を頑張ればなんとかなりますからね。質の良い補正楽器は」
「あの異物が真面目に勉強しているとは思えないけどね」
 ノアは軽蔑するように言う。心底アリアを嫌っているようだ。
 ノアはレイナの知らないなにかを知っているのだろう。
「私はあの方の実力を知らないのでなんとも申し上げられません」
 しかし、あれだけレイナのストーキングをしていて真面目に勉強する時間はあるのかという疑問は残る。
「練習期間が短いから技巧重視の曲だと少し不安が残るけれど、ホセが伴奏をしてくれるならもう少し難易度の高い曲でも問題ないかと思う一方でルイス好みのしっとりとした曲も良いかと思うのですが、お兄様はどう思われますか?」
 話題を逸らそうと、曲の相談をする。
「レイナは真面目だなぁ。技巧重視の曲に挑戦するのも悪くないと思うよ。レイナの実力ならこの期間でも十分仕上げられそうだし、彼と演奏できるのはとても勉強になるだろうね」
 ノアはいつもの優しい笑みでそう答え、結論はレイナに出させようとする。これがまた悩むところだ。しかし、二人の兄は技巧重視の曲の方が喜ぶだろう。問題は、魔法の使用が可能な点だ。審査対象に魔法も含まれているのだろう。どんな魔法のどんな曲を選ぶべきか、レイナはまたしばらく楽曲集と今までの経験を元に悩むこととなった。



 ホセとの練習は極めて順調だった。彼は楽譜を一度見ただけで完璧にレイナに合わせた伴奏をしてくれた。正直本番の不安はレイナが失敗をしないかという一点だけだ。
「レイナ」
 当日の朝、ホセが最後の練習をしているレイナの元へ現れた。
「ホセ、今日はよろしくね」
「ええ。でも、気をつけて」
 ホセは少し警戒している様子だ。
「え?」
「アリア・グラーベ、彼女は危険だ」
 ホセが静かに言う。
 アリア・グラーベ。彼女の名前をきちんと聞いたのは初めてかもしれない。レイナたち兄姉にとっては異母妹にあたる彼女は今のところ、レイナ以外に実害はない。
「私のごみを漁る以外は今のところ特に問題はないわ」
「彼女の狙いはあなただ」
 ホセは少し冷めた目で言う。
 知っていると言い切ってしまっていいものか悩ましいところではある。しかし、ホセの監視網になにか引っかかったと言うことは今日の演奏会でなにかが起こるのかもしれない。
 レイナはじっとホセを見て、続きを待つ。
 しかし、彼はそれ以上口を開かない。
 楽譜を片付け始めたホセから情報を聞き出すことは困難だろう。
 口数が少なすぎるのも問題だ。
「大丈夫よ。お兄様たちも居るし、今日はルイスも来てくれるわ」
 ルイスもアルベルトも同じくらいの時期に親が引退し、爵位を継いだ。ルイスの方はきっと結婚に向けての準備だろう。
 今日の演奏会には数名の貴族と、宮廷演奏家が審査員として招かれている。身内だけのものではないが、大々的なものでもない。一部の限られた層のみが招かれている。その基準はわからないが父王の独断だろう。
 長姉から贈られたドレスを身に纏い、十三の誕生日にルイスから送られた髪飾りを付ける。もう、すっかりとお守りのようになったそれは、気を引き締めてくれる。
「レイナは……ルイスが大切?」
 突然の問いに驚く。まさかホセがそんな個人的なことを訊ねるとは思わなかった。
「ええ。勿論」
 彼は外面は良いけれど、少し脆い人で、その脆さをレイナに見せてくれる。優しくて、努力家で、それでも劣等感に苛まれながら必死にレイナに縋りつこうとする。
「彼に側にいて欲しいと思うの」
 それが正直な気持ちだ。けれども、この感情の名を口にしてはいけない。そうしてしまうと、万が一の時に苦しすぎて耐えられなくなってしまうから。
「そう……なら、レイナ、この譜面を」
 ホセが楽譜を差し出す。
「これは?」
「洗脳を解く魔法だけど、とても魔力を使うから、どうしても困ったときにだけ使うこと」
 ホセは静かにそう言って、そさくさと片付けを済ませてしまう。
 洗脳。その言葉に驚く。
 この国に、そんな魔法を使えるのは三人だけだ。一人はレイナ、もう一人は長兄ジェイコブ。そして、国王である父のみだ。
「まさか、彼女がそんな魔法を使えるの?」
「精度は高くないと思う。けど、合奏の譜面なら可能」
 合奏の譜面なら。ということは協力者がいるはずだ。
「彼女の伴奏者は誰かわかる?」
「フラン・エチソ。宮廷演奏家で普段はヴァイオリン奏者だけど、王命で伴奏者になった」
 ホセはあまり興味がなさそうに言う。
 フラン・エチソ子爵。『EVER』の攻略対象キャラクターの一人。音楽一家の生まれで、本人は技巧主義のヴァイオリン奏者だ。譜面の編曲否定派でホセとは相性が悪い、ことになっているのはゲームの中だけかもしれない。
 重要なのは、彼のルートではレイナは湖の底に封印されてしまうと言う点だ。正直、アリアを彼と近づけたくはなかった。

 
 
 会場の控え室となっているその部屋に既に兄姉たちは揃っていた。長兄は軍の正装で、最早王子というよりは軍人にしか見えない風貌だし、長姉はいつもは長く磨かれた爪を短く切り、爪の宝飾が少ないながらもその分ドレスと髪が華やかだ。次兄は長兄とは反対で、極めて普段着に近い。最早演奏会などどうでもいいと言わんばかりにシンプルなシャツとパンツのみを身につけ、しかも頭には寝癖らしきものまである。それを次姉がなんとか直そうと櫛を通しているところでレイナが入ってしまったのだ。
「ノアお兄様、寝癖なんて珍しいですね」
「……練習中に寝てしまってね。気がついたら床に転がっていたよ。僕は寝相が悪いから、オルガンを壊してしまっていないか点検をしていたら、時間だと呼び出されてしまってね……」
 そう言いながら大きなあくびをする彼は本当に今日の演奏会に全く興味を示していない。
「気持ちはわからなくもないけど、ノア、一応この演奏会はなにかの審査があるのよ? 少しは気合いを入れなさい」
 珍しく長姉が注意する。普段は彼女の方がやる気を見せないのに。
「演奏には手を抜かないけど、外見くらい手を抜いたって良いじゃないか。顔色が悪くないだけ以前よりマシだろう?」
 ノアが冗談のようにそう言うと、誰かが訪ねてきたようだ。一番入り口に近かったレイナが扉を開けると、突然訪問者に抱きつかれる。
「レイナっ……よかった」
 訪問者はルイスだった。
「……ルイス、急にどうしたの?」
 とても慌てた様子の彼はレイナの両手を握り、それからべたべたと体のあちこちを確認するように触れる。
「ルイス?」
「レイナ、なにもされてないかい?」
 彼はとても心配そうにレイナの手をぎゅっと握る。
「なにもって、なにかあったの?」
 彼の形相から、テロ事件かなにかがあったのではないかと不安になるが、長兄すら把握していないそんな事件をルイスが先に知ることがあるだろうか?
「なにかって! レイナ、君、朝、ホセと二人きりだったじゃないか!」
 一体なにを言っているのだろう。
「彼になにもされていないかい?」
 じっと見つめる彼の目が、少しおかしい。
 とても不安そうで、寂しそうな目をしている。目の前にレイナが居るのに、ずっと前からひとりぼっちのような、とても寂しそうな目だ。
「私がいないときに他の男と二人きりにならないで欲しいと、いつも言っているのに、どうして君はすぐにそれを忘れてしまうのかな?」
 痛いほど強く手を握られる。これはまずい。演奏に支障が出る。
「心配しなくてもホセは今回の伴奏者ってだけよ。それに、ルイスに聴いて欲しいから頑張って練習しただけよ。本番で最高の演奏ができるように、そろそろ手を離して欲しいのだけど……」
 確かにルイスは年々独占欲を強く見せるようになったけど、それは権力にしがみつきたいからだと思っていた。しかし、今の彼はそうは見えない。
 嫉妬ともまた違う。誰かに操られているようだ。
「レイナ、そんな風に言いくるめようとしないで。ああ、もうっ、結婚式まで君を閉じ込めておきたい。日に日に美しくなっていく君をもう、誰にも見せたくないよ」
 楽器を既に下ろしてしまっていたため、無防備な背をきつく抱きしめられる。あまりの激しさに骨格が変わってしまいそうだ。
「ルイス……苦しいわ……」
「ああ、レイナ……私のレイナ……君が私から離れてしまわないように、その脚を切り落としてしまおうか……」
 思わぬ発言に背筋が凍る。
 忘れていたが、ルイスは大切な物ほど壊したくなる厄介な性格だ。執着が過ぎると奪われないように壊そうとする。そして『EVER』のバッドエンドの一つに、主人公が彼に殺されてしまうものがある。彼の攻略は嫉妬心を抑えさせることが重要なのだ。一途であることを常に示さないといけない非常に厄介な男。
 まさか、その対象がレイナになるとは想定外だ。
「ルイス、今の発言は見逃してやるからレイナを放せ。本番前だ」
 割り込んだのは長兄だ。既に白金のフルートを手に持ち、準備は万端のようだ。が、それにしては準備が早すぎる気がする。
「いくら殿下がレイナのお兄様だとしても、私とレイナを引き裂くというのなら……始末しないといけないな……」
 急に、手が緩んだと思うと、壁際に押される。驚いてルイスを見ると、なにかが煌めいた気がする。
「兄さん!」
 ノアが叫ぶ。
 次の瞬間には長兄の回し蹴りが炸裂し、ルイスがよろけ、そのままその場で押さえ込まれる。
「これだからオルガン奏者は……肝心なときに使えない」
 ジェイコブは忌々しそうにそう言って、ナイフを蹴り飛ばしルイスの腰に座り、フルートを構える。
 優しい音が流れる。温かななにかが空気を揺らした。
「……お、重い……」
 ルイスの呻きが響く。ジェイコブは長身で筋肉質だから重いだろう。さらに彼の持っている楽器も普通より重い素材だ。
「ルイス、大丈夫?」
 思わず駆け寄れば、顔色が悪い。
「……レイナ……離れて……吐きそうだ……」
 相当強い衝撃があったらしい。
「兄さん、もう解けたみたいだから降りてあげて」
 いつの間にか桶を用意したノアがルイスに近づく。
「やぁ、ルイス。誰に唆されたか、僕に教えてくれないかな?」
 にっこりと笑むノアは話し方こそ穏やかであるものの、相当怒っていることは確かだ。
「僕の大切な妹と兄が危険に遭ったのだから、状況によっては君とレイナの婚約は解消しなくてはいけなくなるかもしれないな」
 ノアの言葉にルイスの顔色はどんどん悪くなっていく。
「なにが起きたの?」
 長兄に訊ねれば彼は溜息を吐く。
「おそらく父上の魔法だとは思うが、操られていたようだ。お前への執着は元々酷い物ではあったが、普段であれば危害を加えようなどはしないだろうし、お前の演奏の妨害はしないだろう?」
 父が。その言葉に驚く。一体なぜルイスにこんなことを。
「レイナに話があって、レイナを探していたら……美しい演奏が聞こえて……すぐにレイナを抱きしめたくなったら……気がついたらジェイコブ殿下の下に……」
 ルイスは錯乱している。
「どういう魔法かわかりますか?」
 ノアに訊ねる。彼は魔法の色が見える。不審なルイスにも気付いていただろう。
「うん。不安を増幅させる魔法だよ。その人の一番弱いところにつけ込んで、操るんだ。多分、邪魔なやつを消さないと、レイナを他の男に嫁がせるとか言われたんじゃないかな」
 人の心を操る魔法はそれだけでも好ましくない。なのに、父は一体なにを考えているのだろう。
 そして、ルイスをそんな魔法に掛かりやすくしてしまったのはレイナだ。
「ルイス、ごめんなさい……私……あなたにちゃんと言うべきだったわ」
 ルイスは以前から不安を告げてくれていたのだから。
「レイナ?」
「ルイス、私はあなたとの婚約を解消する気はないわ」
 そう、口にしたところで、言い方を間違えた気がする。
「えっと、ルイスとの結婚が楽しみ? えーっと、言葉が見つからないわ。なんて言うのが的確なのかしら?」
 ルイスを不安にさせたくないのに、良い言葉が見つからない。選べば選ぶほど失言を重ねてしまいそうだ。
 ルイスは一瞬驚きを見せ、それから落胆し、苦笑する。
「レイナらしいね」
 ノアの手を借り、ゆっくりと起き上がったルイスは一気にやつれてしまったように見える。
「……えっと、私、ずっとアルベルトが羨ましかったの。あんな風に、自分の感情を的確に言葉にできるのは素晴らしいことよね。巧く言えないけど、私、彼と彼の楽器のように、あなたに寄り添える存在になりわいわ」
 慌てて口にして、これは失敗だったと自覚する。ルイスはアルベルトの名を口にするのを嫌う。
「それは、君が彼? それとも、楽器の方?」
「……ルイスが楽器だったらきっと大事にお手入れすると思うわ」
 そう、ずっと放さず、抱きしめて、演奏して……壊す心配がなければ眠るときも抱きしめていたい。
「……生まれ変わったら君の楽器になりたいな」
 ルイスはどこか悲しそうにそう言って、溜息を吐く。
「もっと演奏技能が高ければ、君の伴奏者になれたかな?」
「ルイスならいつでも歓迎よ」
 レイナはいつだってルイスと合奏したい。レイナの中から込み上げる音を全て彼と共有できたら良いと思う。けれども、それを言葉で表現することができない。
「私の音を、ルイスと共有したいと思うのは迷惑かしら?」
 合奏は、つまり心を寄り添わせることだ。初めての人と心を繋ぐきっかけにもなるし、信頼している人とより強い絆を結ぶことも、あまり親しくはない人と協調することもできる。
「私の人生に、もっとルイスの音が欲しいの」
 そっと、彼の右手に触れる。ルイスは参ったように笑った。
「本当に君は……音楽のことしか考えられないんだね」
「そうね。音楽でしか、考えられないみたい」
 楽器を抱きしめるように、ルイスを抱きしめる。
「レイナは、本当に男を見る目がないな」
 ノアの呆れた声が聞こえる。
「あら、ノアお兄様だってルイスがお気に入りじゃない」
「今日の一件で一気に褪めたよ」
 そう言いつつも、ノアはルイスを気遣っている。
「ルイスは鍛え直さないといけないな。三ヶ月ほど軍で預かろう」
 ジェイコブはそう言い放ち、ルイスを引っ張り上げる。
「開演だ。客席に行け」
 彼は彼なりに、ルイスを気に掛けてくれているようだが、繊細なルイスが軍になど入って大丈夫だろうか。
「お兄様、ルイスは繊細だから、軍に入って大丈夫かしら?」
「元々軍の鍛錬には参加しているからな。寮生活となるとわからんが、精神が弱い」
 きっぱりと言い切るのは酷い気がする。
「ルイスがお前を傷つけるのであれば、私はあいつを許すことができない」
 厳しい声で言うが、それは、自分に斬りかかってきたことは許したということだろう。
「レイナとの結婚を認めて欲しければ私を倒してからにしろ、とか言うのかと思ったらそうでもなかったね」
「そんなことを言ってはレイナが可哀想だろう。一生独身で過ごさせることになる」
 からかうノアにジェイコブは真面目な顔で切り返す。
「でもねぇ、ルイスって結構危ない男みたいだけど、大丈夫かしら?」
 今まで黙っていたエレナが口を挟んだ。
「彼、いろいろ不審なのよね」
 それはどういう意味だろう。
 訊ねようとしたとき、開演時間だと案内係が呼びに来た。
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