青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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アルジャン11 上出来

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 苦しみに満ちたシシーの演奏はそれでも聴く人間を魅了するものだった。
 シシーは優れた演奏家だ。解釈が一般受けしなかったとしても、あの超絶技巧曲を自分のものにできていた。誇るべきだ。
 青い顔で舞台袖に戻ってきたシシーを思わず抱きしめる。
「あの……アルジャン様……楽器が……」
「ああ、そうだな。だが……上出来だった」
 そう口にして言葉を間違えたと思う。
 もっと褒め言葉には種類があるはずなのに、咄嗟にでた言葉が「上出来」だなんて。
 シシーは気まずそうに俺の腕を抜け、すぐに楽器の手入れに入る。
「あーあ、あの歳であの曲弾ける人間がどれくらいいるだろうという次元なのに、『上出来』なんて言葉で片付けるとか正気か?」
 わざとらしくイルムが接近してきた。
 俺より目立つ派手な装束が気に入らないと思っていたがこの口も気に入らない。
「……シシーの実力ならあのくらい出来て当然だ」
 そう。シシーならあの曲は弾けると確信したからこそあの譜面を渡したのだ。イルムにとやかく言われる問題では……ないと思うのに、鋭い視線で睨まれる。
「お前、本当にセシリアを潰す気か? こういうときはたくさん褒めるんだ」
 手本を見せてやると言わんばかりにイルムが楽器の手入れをするシシーの方へ歩み寄る。
「シシー! 今日の演奏、感動した。素晴らしい腕前だ。俺の祖国ならあの演奏の褒美で屋敷と百人の召使いを与えられるぞ!」
 大袈裟な。そう思うが、文化の違いを考えると本当かもしれない。
 イルムはいつもよりも明るい声でシシーを褒め続ける。
「それに今日は髪型もいいな。珍しく華やかだ。こういう華やかな行事の時は装いも華やかにすると気分もよくなる。シシーは目立つのが苦手かもしれないが、今日一番注目されていたのは間違いなくシシーだ。シシーのあの演奏と比べられたら俺が表彰を逃したって納得するしかない」
「えっと……あの……申し訳ございません……」
 シシーは戸惑い、申し訳なさそうにイルムに頭を下げる。
「おいおい、褒めているんだぜ? シシー、そう言うときは謝るんじゃなくて礼を言った方が良い。それに、本当に素晴らしい演奏だった。ひとつ付け加えるなら、次はもっと喜びに満ちた演奏だといい」
 イルムの手がシシーに伸びる。
 なにをするつもりだ。
 咄嗟に駆け寄りそうになった。
 しかし、イルムの手はシシーの頭をぽんぽんと撫でただけだった。
 まるで兄が妹にするように。父親が娘にするように。
 シシーは驚いた様に顔を上げ、それから恥じらうように視線を逸らす。
「……そ、の……ありがとう……ございます……」
 楽器から手を離し、手で顔を覆う姿は完全な恥じらい。
 褒められ慣れていないと言うことが一目でわかってしまう。
「イルム様は……褒め言葉が大袈裟、ですけど……お気持ちはありがたいです」
「俺の祖国では優れたものは言葉と褒美で褒めるからな。大した物はないが……今日の素晴らしい演奏に俺からの褒美だ。後日他の物も用意しよう」
 イルムは自分の礼服からブローチを外し、シシーの手に握らせる。
「あの、頂けません」
「受け取ってくれ。本当に感動したんだ。この感動になにも渡さないとなったら恥だ」
 文化の違いだと言い張ってシシーに装飾品を渡そうとするイルムに殺意が芽生える。
「イルム」
 耐えきれなくなり声をかけた。
「セシリアは俺の婚約者だ。婚約者のいる女に装飾品を贈ることは我が国では恥じるべき行為だと誰も教えなかったか?」
 シシーの前であまり低い声は出したくない。
 そう思うのに止めることができない。
 空気の変化を感じ取ったシシーが怯えるように体を震わせたのを目撃してしまう。
 怖がらせたいわけではないのに、距離が近すぎるイルムに嫉妬が抑えられない。
「アルジャンがもっと上等な物を贈れば問題ないだろう? 公爵令息なんだろ?」
 挑発するようなイルムの笑み。
 絶対わざとやっている。さっきだって褒め方の手本を見せてやるとでも言う表情を見せていた。
「……イルム、なにが目的だ?」
 俺を怒らせるためだけにシシーに接触していると言われても信じてしまうほど、わざわざ挑発してくる。
「なにって、決まっているだろう? シシーだ。今日のシシーは全観客に褒め称えられるべきだ。いや、音楽の神々がシシーを崇め立てるべきだろう?」
 大袈裟なのはこいつの祖国の文化なのか。
 だが、シシーが褒め称えられるべきだというのは同意だ。
「……お前に言われるのは気に入らん」
 しかし、シシーに目に見える褒美が必要だというのは理解出来る。
「そうだな。最近新しくできた喫茶店、あの店のデザートは素晴らしい。シシー、店ごとお前に贈ろう」
「……アルジャン様? それは……困ります……」
「なぜ俺の贈り物はいつも拒む。なにを贈れば喜ぶ? 弦楽器工房か? 専属の職人か?」
 シシーが喜ぶものは楽器くらいしか浮かばない。
 そうだ。
 シシーの好きな色さえ把握出来ていない。
「……楽器は素晴らしい物を既に頂いています」
 大切そうにケースを抱きしめる姿にどきりとする。
 シシーに贈って一番喜ばれた物は間違いなくこの楽器だ。
「……俺だってお前に贈りたい。だが、装飾品は演奏の邪魔になる」
 指輪やブレスレットは楽器を傷つける可能性があるだろうし、首飾りも邪魔になる。
 耳飾りは弦や弓に引っかかると危険だ。
 音楽を最優先したいシシーに装飾品を選ぶのは難しい。
「……芝居はどうだ? 劇場を貸し切ろう」
 近頃学内でも流行っている芝居があったはずだ。
「……いや、シシーなら歌劇だな。古典の方が好みか?」
 歌劇という単語に、僅かな反応が見える。
 どうやら興味はあるらしい。
「次の週末、歌劇場を貸し切ろう」
「あの……貸し切っては。他の方に迷惑になってしまいます……」
「お前は余計なことばかり考えるな。わかった。レアの指定席を譲らせる。あそこが一番いい席だ」
 レアだってシシーの為なら文句は言わないだろう。
 シシーは困り果てた表情を見せる。レアに遠慮している。
「アルジャン、素直にデートの誘いだって言え。わかりにくい。それに、他の女の名を口にするのはよくない」
 まるで師範のように口出しするイルムを睨む。
 しかしイルムは全く気にした様子も見せず、俺に接近し、耳元で囁く。
「俺はセシリアの幸せのためならなんだってする。お前がふがいないならいつだってあの子を攫っていくから、そのつもりでいろ」
「なにを」
「今日は譲ってやるよ」
 思いっきり背を叩かれ、思わずよろけそうになる。
「シシー、客席を見ろ。ヴィニーが妹を褒めたくてうずうずしているぞ」
 からかうような声を上げ、イルムは控え室の方へ進む。
 当然のように宣戦布告して行きやがった。
 思わず手を握ってしまう。
 手のひらに爪が食い込む。
 イルムの言葉に困惑し、客席の方を気にしながらも兄の様子を確認するのが怖いと足を迷わせるシシーにさえ苛立ってしまう。
 褒めるのが下手な自覚はあるが、兄に褒められることの方が優先らしい。
 気に入らない。
 それでも、デートの誘いは拒まれなかった。
 それに、きっと楽器を置いた後なら抱きしめることも拒まなかっただろう。
 焦るな。
 今はそれでいい。
 自分に言い聞かせ、呼吸を整える。
「行くぞ」
 シシーに声をかけ、控え室へ向かう。
 閉会式まではまだ時間がある。
 差し入れの菓子でも食べて時間を潰した方がいい。
 そうしたところで、ざわついている心は落ち着かないだろうが。
 
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