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イルム3 それだけが真実
しおりを挟むセシリアの習慣は把握出来ている。
それは彼女の記憶の一部を覗いたからかもしれないし、別の時間軸の自分と意識の一部を共有できているからなのかもしれない。
とにかく、セシリアが教会へ行くことだけは把握出来ていた。
だから異文化理解だなんて下らない理由をつけて彼女と接触した。
想像よりは落ち着いた顔をしている。少し寝不足気味に見えたが、それでも以前よりは顔色がよくなった気がした。
アルジャンとヴィンセントも連れて喫茶店に入ったのも計算通りだ。
特に、アルジャンの態度は気になる。
あの店を選んだのは半個室になっていて、客自身に取り分けをさせる料理があるからだ。
つまり、俺の才能を使いやすい。
「ほら、遠慮するな。アルジャンにはとびきりの愛を込めてやったぞ」
大きく取り分けたタルト。勿論たっぷり仕込んである。
拒絶反応を見せるアルジャンも渋々受け取った。次の皿をヴィンセントに渡せば少し警戒しつつも妹の手前なのか断りはせず、渋々と言った様子で食べ始めた。
そうだ。たっぷり食え。
遅効性の贈り物を仕込んである。
あまり即効過ぎると警戒されてしまうからな。
アルジャンが自分の皿をセシリアに渡さないか注意深く観察しながら効果が現れるのを待つ。
「……イルム、俺のシシーを見過ぎだ」
不満そうなアルジャンに睨まれるが、別にどうでもいい。
「いつまでそう言っていられるかな? 俺だってシシーの相手にはそう悪くない条件だと思うが? な? シシー?」
アルジャンを挑発しつつセシリアの様子を確認すれば、彼女は落ち着かない様子を見せる。
「あ、あまり……からかわないでください……」
消え入りそうな声。
アルジャンと兄に見られているからなのだろうか。
普段ならもう少し強く拒絶を見せてくれる気がする。
アルジャンが更になにかを口にしようとした。しかし言葉を発する前に効果が出たらしい。
ばたりとその場に倒れ込む。
それとほぼ同時にヴィンセントも倒れ込んだ。
「ふぅ、やっと効いたか。思ったよりしぶとかったな」
アルジャンにはたっぷり仕込んだ。普通ならもう少し早く効いたはずなのに、きっとこいつも厄介な才能を持っているのだろう。
「アルジャン様? お兄様? え? ふたりとも……」
セシリアは慌てた様子で立ち上がり、アルジャンに駆け寄ったかと思うとすぐにヴィンセントを確認する。
「安心しろ。眠っているだけだ。起きたら全身の調子がよくなる。俺のとっておきの贈り物だ」
毒も使いようってことだ。
アルジャンまで健康体にしてやる必要はなかったが、ただ意識を失わせるだけではセシリアが不安がるだろうと思った。
「どうしてこんなことを……」
怯えるような瞳に、少しやり過ぎてしまったと反省する。
「怖がるな。こうでもしないとアルジャンが邪魔でシシーとゆっくり話せなかった。無害だ。俺の兄にも時々使ってる」
十番目の兄は働き過ぎだから、お茶に混ぜて気絶させている。本人は効果を知らないが、時々頼まれると言うことは気に入ってくれているのだろう。
「目が覚めると体がすっきりするんだ。特にヴィニーみたいな働き詰めの男にはいいだろう」
まだ怯えているセシリアに接近し、小瓶を確認する。
律儀に首から下げてくれていることに安堵すると同時に、染まり過ぎていることが気になる。
「シシー、アルジャンなんかやめて俺にしなよ。俺ならもっとシシーを大事にする。だから、俺で妥協しなよ」
もう、答えなんて分かりきっているくせにそう口にしてしまったのはなぜだろう。
セシリアは俺を求めない。そんなことは理解出来ている。
「イルム様、そのようなお話のためにこんなことをなさったのですか?」
セシリアは理解に苦しむという目で俺を見る。
「俺にとっては大事な話だ。俺は、シシーを死なせたくない」
ただそれだけが真実だ。
それ以外のことはそれ程重要ではない。
セシリアが生きて、幸せになってくれればそれでいい。
「私は、アルジャン様の婚約者です……今は、まだ……」
「今は? それって、この先は変わるかもしれないってこと? それ、俺に希望を持たせる言葉と受け取っていいのか?」
こんな訊ね方は意地が悪い。
けれども、セシリアにはなにが自分の幸せか自覚して貰わなければいけない。
今のままではセシリアは幸せになれないのだから。
「それは……」
セシリアは迷うように視線を逸らし、俯き、それからアルジャンに視線を向ける。
答えはその視線が告げているのに、彼女自身がそれを自覚出来ていない。
「……はぁ」
溜息が出る。
「わかった。ほんっと、俺も結構な色男だと思うんだけどな。俺にあっさり失恋させる女なんてシシーくらいだよ」
その視線がアルジャンばかりを追うことは知っている。
アルジャンが欲しくて、あいつのどんなに些細な褒め言葉でもいいからそれが欲しいとただひたすらに求めている。
「え? あの……その……ごめんなさい」
まだなにも言っていないのに。と困惑するセシリアは、自分がどんな瞳をしているのかわからないのだろう。
「俺は、シシーが好きだ。だから、シシーには幸せになって欲しい。アルジャンの側で傷つくシシーを見たくないと思うのに、シシーはいつだってアルジャンしか求めない……だから、俺はシシーの苦しみを少しでも軽減させられるように力を貸すくらいしかできない」
セシリアの首に下がった小瓶に触れる。
負の感情を吸い込む毒。吸い込ませれば吸い込ませただけ猛毒になる。
けれども吸い込ませれば、感情を抱いた本人は僅かに苦しみを軽減させられる。
そう。僅かに。
セシリアの蓄積されすぎた負の感情はこんな小瓶程度では吸収しきれない。
「アルジャンより先に出会っていたら……君は俺を見てくれた? いや……アルジャンに追い詰められていなければ、君に惹かれることもなかったかもしれないな……」
放っておけないのはきっと、あの子に似ているから。
「イルム様、その……私は……アルジャン様のいない人生を全く想像できないのです……」
たぶんそれがセシリアの素直な気持ちだ。
そしてそれを恋だとか愛だとかそんな感情では表現できない。
自分がどんな感情を向けていて、どんな感情を求めているのかさえ把握出来ていない。
「シシー、可哀想な子……。ほんとに、嫌になるくらい似てるな……お前はアルジャンばかり求めて……たとえ恋に報われなくたって、たった一言褒められればそれだけで生涯に価値があったなんて考えてしまうんだろうな……」
カマル。あの子に似すぎている。
別にカマルの代替品にしたいわけじゃない。
ただ、助けられなかった分もセシリアには幸せになって欲しい。
「俺は、アルジャンのことは大嫌いだけど……シシー、アルジャンはシシーが思ってるほど非道なやつじゃない。お前ら、ふたり揃って感情表現が下手なだけなんだ」
こんな説教染みたことを言うつもりはなかったのに、口が勝手に言葉を紡いでいる。
「シシー、言葉に出来ないなら他の方法で伝えればいい。俺の妹は……喋れなかったから、代わりに踊りで感情を伝えようとしていた」
可哀想なあの子は、それなのにたった一言で報われたと思い込んで去ってしまった。
「……私は……」
「今結論を出さなくてもいい。けど……死ぬな。次は……もう俺にはどうしようも出来ない」
セシリアの困惑した瞳が真っ直ぐ見つめる。
「次、は?」
なにか思い当たることがあるのか、激しく動揺しているようにも見えた。
「……私……もしかして……」
「しーっ」
指で黙るように示す。
「いけない。それ以上は言葉にしてはいけない。忘れるんだ。セシリア」
そっと彼女の額に触れる。
少しだけ記憶を曇らせておこう。
思い出してはいけない。
全部ただの夢だった。
やはり、時間に影響を与える魔術はどこかで問題を起こしてくれる。
だから。
全部夢だったと思ってもらった方がセシリアの安全に繋がる。
「可哀想な子……大人しく俺にしておけばいいのに……」
アルジャンなんかに惹かれるから毎日苦しみ続けている。
アルジャンに手を貸すのは気に入らない。
けれど、セシリアの幸せに必要なら……。
「音楽の神はお前に祝福を与えているのだから……」
ほんの少しだけ手掛かりを残してやる。
それに、アルジャンに失望したらいつでも俺のところに来たらいい。
何年だって待ってやるよ。
そっと額に呪いを刻む。
たとえ気休めだとしても。
やっぱり失恋の腹いせに、支払いは全てアルジャンに押しつけることにしよう。
そんなことを考えながら、何事もなかったかのように全員を元の座席に座らせる。
もう少しゆっくり効くように調節すればよかったと後悔する程度にはアルジャンの体は重かった。
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