青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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ヴィンセント2 兄の特権

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 リリーからアルジャンがセシリアの寝室でセシリアを抱きしめ離さなかったと聞かされたときは思わず妹の貞操を案じてしまったが、朝食の席での姿を見る限り本当に抱きしめていただけなのだろうと思う。
 アルジャンは粗暴で強引であるが、それでもセシリアが本当に嫌がることはしないだろう。たぶん。
 信用しきれない部分はあるが。
 セシリアの演奏も安定してきた。特に感情面が以前より安定したのだと思う。
 それでも、アルジャンの重すぎる感情を言葉にされても信用出来ない程積み重ねてしまったものから抜け出せないようで、外出にアルジャンが同行するとなると複雑そうな様子を見せた。
 行き先が教会だと言うのに、特別信仰が厚いわけでもないアルジャンがなぜ同行するのか。セシリアの瞳が疑惑に満ちて見える。
 だが、俺だって決して信心深いわけではない。あくまで貴族の振るまいのひとつとして祈りの真似事をしてある程度の寄付をするだけだ。
「お兄様、アルジャン様は退屈してしまわないでしょうか?」
 行き先は教会だと知っているのかともう一度念を押すように訊ねられ、思わず溜息が出る。
「本人が行きたがっているんだ。放っておけ」
 ついでにセシリアの前でかっこつけて財布の中身を全て寄付すればいい。呆れられるだけで終わるから。
 今朝の一件のせいか、アルジャンがなにかをやらかしてセシリアに心底嫌われてくれないだろうかと思ってしまう。セシリアが完全に拒めば別の嫁ぎ先を探してやれるのに。
 しかし、無駄に権力のあるアルジャンのことだ。とことん妨害してくるだろう。

 三人で乗る馬車は少し狭く感じられる。というのもアルジャンがでかいからだろう。
 セシリアが俺の隣に座ったことが気に入らないと、こちらを睨み続けている。
 いや、眠気に負けたセシリアに膝を貸したことが気に入らないのだ。
「……ヴィンセント、替われ」
「馬鹿を言うな。寝不足のセシリアが起きてしまうだろ」
 昨夜は遅くまで眠れなかっただろうから、きっと寝不足のはずだ。
 それに「着くまで寝ていろ」と膝を貸した時、素直に頷きぎゅっと手を握ってきた姿は子供の頃と一緒だった。
「ひとつしか離れていない妹にそこまで過保護なのは気持ち悪いぞ」
 負け惜しみのようにそう言う姿さえ滑稽に見える。
「婚約者がお前でなければここまで気にかけたりはしない」
 そう、もっと平凡な相手なら……ここまで傷ついたり追い詰められることもないだろう。穏やかで平凡な日常こそ、セシリアには相応しい気がする。
「シシーに敵意を持ちそうなやつは先に潰しているはずだが?」
「……お前のわがままに付き合うだけでもセシリアは日々消耗している」
 なにより、父が一番の害だろう。セシリアの自尊心を潰す一番の原因はあの男だ。
「……シシーは怒らないからな……どこまでやれば怒るか……試してみたい」
「よせ。抱え込みきれなくなって……爆発する。次は……自ら命を絶ってしまうかもしれない……」
 いつかの夢のように。
 それだけは避けなければ。
「……自ら命を絶つ? シシーが?」
 アルジャンは驚きと不快の混ざった目でこちらを見る。
「……可能性は否定できないだろう。自分の思ったことを口に出せない子だ。いろいろ抱え込みすぎて……耐えきれなくなる。抱え込みすぎた人間が爆発するとき、他人を傷つけるか自分を傷つけるか。セシリアは……自分を責めるだろうな」
 あの悪夢が随分と纏わり付いてくる。
「……少し前に嫌な夢を見た。シシーが……自ら命を絶った夢だ。なぜそんな夢を見たのかはわからない。なにがシシーをそこまで追い詰めたかも……。だから、音楽のことさえ考えていれば余計なことを考えないと思ったのに……シシーはいつだって考えなくてもいいことばかり考える」
 アルジャンは溜息を吐く。
 彼にしては珍しい、どこか思い詰めるような表情だ。
 それにしても。アルジャンもセシリアが自ら命を絶つ夢を見るなんて。
 どうかしていると思いつつも妙な不安が強まる。
「家ではセシリアが思い詰め過ぎないように注意して見ているつもりだが……アル、お前もあまり追い詰めすぎるな」
 俺に出来るのはそんな忠告程度だ。
 そっと、セシリアの頭を撫でる。
 少し前まで随分と張り詰めていたくせに、今は随分と安心しきった寝顔を見せてくれている。
 お前にとって兄が心安らげる存在になれるなら……。
 そう、願うことは今更遅いだろう。
 悪夢に怯え、妹との関係を修復したいだなんてどうかしている。
 それでも、いつだって傷ついて欲しいわけではないのだ。
「……やっぱり替われ。俺だってシシーの髪を撫でることなんて……滅多に出来ないんだ」
 不満そうなアルジャンに睨まれる。
「諦めろ。兄の特権だ」
 少しからかうくらいは許されてもいいはずだ。
 気持ちよさそうなセシリアを眺め、馬車が停まるのを感じる。
 目的地には到着したが、もう少しだけ寝かせてやりたいような気がする。
「アル、先に降りていていいぞ。俺はもう少しセシリアを寝かせてやる」
「替われ。お前が先に降りろ。なんなら俺がシシーを運ぶ」
 ひ弱なお前には出来ないだろうと告げる表情が憎らしい。
 結局ふたりとも馬車を降りずにセシリアの目覚めを待つ。
 少し経って目覚めたセシリアは随分と困惑した様子を見せた。
 
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