青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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9 きっと緊張のせい

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 目が覚めた時、なぜか室内にアルジャン様の姿があった。
 かつてなく不機嫌そうな彼は、私が起き上がることを確認すると挨拶もなくいきなり私を抱きしめた。
 いったいなぜ?
 困惑のあまり瞬きを繰り返してしまう。
「シシー、すまない。お前にずっと誤解させてしまっていたらしい」
 耳を疑う。
 アルジャン様が謝罪するなんて……きっと夢に違いない。
 今だって私のことを泣き虫シシーだなんて呼んでいるくせに。
 抱きしめる腕が更に強くなり、身動きが取れない。
「ヴィニーに言われた。お前が……俺に『泣き虫』呼ばわりされていると、傷ついていると……だが、決してそんな意味で呼んでいるわけではない」
 どうしてだろう。アルジャン様の声が不安そうな響きに聞こえる。いつだって無駄に自信満々なお方がそんな響きを発するわけがないというのに。
「シシー、俺は……その……『恐れず自分を貫く』という意味でシシーと呼んでいる。なぜなら……なぜなら、お前は……この俺の求婚に条件を突きつけた女だからだ」
 とても信じられない。
 そう思うのに、迷いながら紡がれるアルジャン様の言葉に心を乱されそうになる。
 突然、アルジャン様の体が離れる。
「くそっ、シシー……せっかくこの俺が謝罪しているというのだから少しくらい反応を示したらどうだ?」
 偉そうな口調のくせに、不安そうな表情。
 これが、アルジャン様?
「……ゆめ?」
 私はまだ寝ぼけているのだろうか。
「……試してみるか?」
 どこか不満そうなアルジャン様は再び私を抱き寄せる。
「この世で一番愛しい女に疑われたままというのはいくら俺でも傷つく」
 こつん、と額をくっつけられ、困惑する。
 一体なにがしたいのだろう。
「あの……アルジャン様?」
「愛している。直接、言葉にしたことはなかったかもしれないが……ひと目見た瞬間からお前の虜だ。お前が一瞬だって他の男を見ていると気が狂いそうになるほどに」
 顔に吐息がかかる距離で切なそうな響きを聞かされる。
 それから、アルジャン様の手が頭に触れたかと思うと、強引に引き寄せられた。
 唇が触れたかと思うと表面を啄まれる。
「いつだってお前の美しい唇に視線を奪われる。シシー……俺にはお前しかいない。決して、お前を馬鹿にしたことなどない。あー……万が一、馬鹿にしたように聞こえたことがあったとしたら……それはヴィニーの言う『余計なかっこつけ』か……照れ隠しだ……だから……慣れろ。あ、いや……本当に嫌だったらそう言え……俺だって……お前を傷つけたいわけではない……」
 どうして、口づけの合間にそんな自身がなさげなことを口にしてしまうのだろう。
 目の前にいる人は私の知っているアルジャン様とは別人に見えてしまう。
「お前の愛も気遣いもいつだって感じている。だから……無理に口にしろとは言わない。だが、俺の心を疑うな」
 一体なにを言っているのだろう。
 全く理解出来ない。
「……あの、アルジャン様? 状況が読めないのですが……」
 謝罪と言いつつ新たな嫌がらせなのではないかとさえ思えてしまう。
 そもそも、私がいつアルジャン様を愛したと言うのだろう。
「……シシー? 前から……多少鈍いとは思っていたが……この俺が一大決意をして今まで隠してきた本音をぶつけているというのに……なぜ素直に受け取らない」
 まるで別次元の生物を見るかのような視線を向けられても困る。
「だから、お前を愛していると言っているだろう。あー、お前が俺の物だと世の全ての生き物に刻み込みたいと思っている。それに……今まで身に着ける物を贈らなかったのは……毎日だって贈りたくなってしまうからで……今回は……レアに……お前の女の戦いのためにも身に着ける物を贈った方がいいと言われて……」
 だんだんとアルジャン様が年下の少年のように見えてくる。
 急に贈られたドレスはレア様が選んで下さった物だったのだろうか。
「てっきり、あのドレスは使用人の方が選んだ物かと思いました。レア様にお礼を伝えますね」
 レア様は演奏家にあそこまで細やかな気遣いが出来る方なのかと少しだけ驚く。
「なぜレアに礼を言う? あれは……俺がお前に似合いそうだと思って……お前に着せたくて選んだ」
 拗ねた様な表情で、まるで恥ずかしくなったかのように視線を逸らしていく。
 こういう姿を見ると、アルジャン様が本当にに見えてしまうから不思議だ。
「……そう、なのですか? その……演奏しやすそうなドレスだと思いました」
 本当にアルジャン様が選んで下さったのだとしたら、なにを考えて選んで下さったのだろう。
「……お前はそればかりだ……。いや、そんなお前に惚れたのだから……文句は言わん。近いも果たす。だから……もう少しだけこのままいろ」
 再びぎゅっと抱きしめられ、アルジャン様の熱を感じる。
 お互いの心音が随分と駆け足に感じられるのはきっと緊張のせいだろう。
「……シシー、演奏会、期待している」
 耳元で囁くような声。
 どうしてだろう。
 ずっと欲しかったはずの言葉なのに……どこか喜べない。
 アルジャン様の言葉をどこまで信じていいのだろう。
 なにも言葉を返せないまま、彼の背に腕を回す。
 たとえ、今だけだとしても。もう少しだけこの温もりを感じたいと思ってしまった。
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