青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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アルジャン8 名前の意味

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 シシーがすぐ側にいるような気がした。
 思わず手を掴んだ、つもりだった。
 けれども目覚めた時、シシーの姿はなかった。
「……なんだ、夢か」
 拒むような手に、思わず行くなと縋ってしまったような気がする。
 けれどもそれも夢だったのだろう。
「なにが夢だ」
 不快そうな声が響く。
 ヴィンセントの声だ。
「ヴィニー? なぜお前が?」
「俺の家だ。アルが勝手に押しかけてきて倒れた。思い出したか?」
 ヴィンセントは随分と不機嫌そうだ。
 周囲を見渡すと、確かに見慣れた自室ではなくオプスキュール伯爵邸の内装だった。
「熱は下がったのか?」
「……ああ」
 思ったよりも寝心地のいい寝台だ。
 それにだるさも随分と軽減された。
「シシーは? もう何日も顔を見ていない」
「……部屋に居る。お前の……お前の寝言に随分と傷ついた様子だった」
「寝言?」
 不機嫌そうなヴィンセントの言葉に首を傾げる。
 シシーを傷つけるような寝言を口にしたか?
「一体どんな寝言を口にしていた?」
 抑えきれない愛が溢れ出すことはあっても、シシーを傷つけるようなことは口にしないはずだ。
「……お前の呼ぶ『シシー』が……『泣き虫』と呼ばれていると思ったらしい」
 ヴィンセントの言葉に驚く。
「なにを言っている。シシーは『恐れずに自分を貫く』だろう?」
 この名前の意味を知らなかった、だと?
「一般的には『意気地なし』だとかそう言う意味に取られるだろう。本人もその呼び名は嫌っている。どうしても呼びたいなら由来を添えてやれ」
 ヴィンセントは溜息を吐く。
「まさか、ずっと俺が陰で泣き虫呼ばわりしていると思って傷ついているのか?」
「……ああ。一応説明はしてやろうとしたのだが……聞く耳を持たなかった」
 ヴィンセントの視線は冷たい。
「お前が普段から余計なかっこつけをせずにあの子に接していればあんなに思い詰めたりはしないだろうに」
 どこか苦しそうなヴィンセントの発言に耳を疑う。
 今、妹を「あの子」と呼ばなかったか?
 いつも馬鹿にしている妹を、まるで大切な存在かのように。
「お前がシシーをそんな風に言うことがあるとは……本当に、妹に手を出していないのだろうな?」
 急に女の趣味が変わったなど言い出さないか不安になってしまう。
「馬鹿か。妹だ。昔から俺の後をついて歩く……まあ、よく懐く子だった」
 懐かしむ表情に苛立つ。
 俺の知らないシシーを思い浮かべ、笑みまで浮かべるなんて。
「……シシーに会ってくる」
「……まだ眠っているはずだ。起こさないでやってくれ。昨夜は遅かったんだ」
 そう言うヴィンセント自身、あまり眠っていない様子だ。
「ヴィニー、まさか俺が心配で一晩中いたのか?」
「……セシリアを泣かせた馬鹿に小言のひとつでも言ってやろうと思っていただけだ」
 そう言えば、この男は俺に劣らず素直ではない。
「それは時間を無駄にしたな」
 寝台から起き上がり、ヴィンセントを掴む。
「なっ、いきなりなんだ!」
 そのまま力尽くで寝台に放り投げた。
「寝ておけ。シシーが心配する」
「お前の汗臭い寝台で寝るくらいなら床の方がマシだ」
 ぎろりと睨まれるが、全く恐くない。そもそもヴィンセントはあまり運動が得意ではないのだ。そのくせに、時々俺に挑んでこようとする学習能力のなさは本当に妹を守る為だったのかもしれない。
「俺は体臭さえ高貴だから問題ないだろう?」
「そのままセシリアに聞かせてやれ。汚い物を見る目を向けられるぞ」
 忌々しそうに口にするヴィンセントは妹を使えば俺を傷つけられるとでも思っているらしい。
「俺のシシーがそんなことをするはずがないだろう」
 そもそもシシーに愛を疑われることすら心外なのだ。
 こんなにも愛しているのだから伝わらないはずがない。
 けれども、レアはそれをもっと言葉や行動で示すべきだと言う。
 惚れた女の前でくらいかっこつけたいと思うのが普通だというのに、どうも女という生き物はそれだけではいけないらしい。
 ヴィンセントを放置し、シシーの寝室へ向かう。
 まだ眠っているらしい。それでも、寝起き姿をひと目見られればと思ってしまう。
 扉をノックしようとして、妙な臭いに気付く。
 これは……。
 イルムの香?
 なぜシシーの寝室からあいつの臭いがする?
 まさか、あいつが寝込みを襲いに来たのだろうか。
 思わず、ノックもせずに扉を開ける。
 部屋の中はイルムの香が残り、シシーは静かに眠っていた。
 なにが起きた?
 ただひとつわかるのは、部屋の窓が開いたままになっていたということだけだ。
 
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