青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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7 求めていた物1

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 アルジャン様が現れなくなってから何日経っただろう。
 一体なにをしてしまったか心辺りがない。
 練習室で練習をしていたら、突然兄が迎えに来て一緒に帰宅することになった。
 翌朝、いつも急かし、朝食を勝手に食べているアルジャン様の姿がなかった。そして兄と一緒に登校した。
 学内でもアルジャン様の姿を見かけなかった。
 一体なにがあったのだろう。落ち着かない一日だった。
 練習に身が入らない。
 いつ現れるかわからないアルジャン様に罵られることを恐れているだけではない。
 兄の態度もおかしい。
 今朝なんて朝食の大きな肉を一切れ分けてくれた。

「普段アルジャンに奪われているからな。多すぎる」

 そんな言葉を口にして、それから私の様子を探るような視線を送る。
 まるで傷ついた妹を気遣っているようだった。
 彼はアルジャン様と親しいから、なにかを知っている。
 つまり、私はアルジャン様に見捨てられてしまったのだろう。
 用なし。役立たず。無能。
 オプスキュール伯爵家唯一の失敗作。
 次々と罵り言葉が浮かんでくる。
 どうしてだろう。まだそんな言葉を投げつけられたことはないはずなのに妙に現実味がある。
 重い気持ちを誤魔化すように帰宅して真っ先に練習に入る。
 技術的な部分はなんとかなってきたような気がする。けれどもそれは気がするだけで事実ではないのかもしれない。自分では上手く演奏出来ているつもりでも、観客から見たらただの雑音かもしれない。
 不安が音に乗る。
 また乱れた。
 自分でもはっきりとわかってしまう。
 基礎練習はできているはずなのに、不安が音に乗っかってまともな演奏が出来ない。
 少し乱暴なノックが響き、扉が開く。
「セシリア、来い」
 兄だった。
 演奏が下手くそすぎて勉強の邪魔をしてしまったのだろう。不快そうな彼の視線に申し訳なさを感じてしまう。
「少しは人前で練習しろ。基礎は問題ないんだ。本番前に少しでも慣れろ」
 意外にも、練習の手助けをしてくれるつもりらしい。けれども今の私は、人前で演奏出来る仕上がりではない。
「お兄様……まだ、人前で演奏出来るほど仕上がっていません……」
「どうせ俺とメイドたちしかいない」
 談話室に引きずり込まれ、練習を続けろと圧力を感じる。
 兄はと言えば、広げた過去問集に向かいペンを動かし始めてしまう。
 まるでセシリアのことは見ていないと強調するような動き。
 心配してくれているらしい。
 どうしてだろう。普段は冷たく私を見下していた兄が昔に戻ったようだ。
「……お兄様、最近……少し変です」
「……うるさい。お前がいつまでもうじうじしているのが悪い。俺の妹ならもう少しくらい胸を張って歩け」
 自分がまとめた紙の束で顔を隠しながら言う兄の姿は、幼い頃と重なる。
 そうだ。忘れていた。
 兄は昔から心配性で、そのくせに言葉が素直ではない人だった。
 演奏を披露するといつも拍手をくれるのに、拍手をしないと私がうるさいからだと言い張る。
 雷の夜はなにかと理由をつけて様子を見に来てくれるくせに、心配だからの一言は言ってくれない。
 だから、いつも私が言葉にしていた。
「では……お兄様が私の練習に付き合って下さいますか?」
 もう、昔みたいな素直な言葉は出ないけれど、今の兄になら……少しくらい甘えられるような気がしてしまった。
「……仕方ない。けど……下手くそだったら拍手はやらんからな」
 紙から視線を外さないのは彼なりの照れ隠し。だと信じたい。
 不器用で優しい兄が戻ってきた。
 違う。
 たぶん、見失っていたのは私だ。
 きっとアルジャン様から、そして他の貴族たちから妹を守ろうとしてくれていた。
 先回りして妹は不出来なのだと言って回って、必要以上の期待をされないように……してくれたのだろう。けれどもその言葉で傷ついてしまったのは私の勝手だ。
 兄はいつだってヴァイオリンの腕を認めてくれた。
 それしか誇れないのだからと。自分と並べない勉強よりも得意を伸ばせと遠回しに言ってくれていたのかもしれない。
 なんて。無理がある。
 兄を美化しすぎだ。
 それでも……私はこの兄が大好きだ。
 そう思うと、不思議なほどに肩の力が抜ける。
 ここ最近で一番満足のできる音になったような気がした。
 その証拠に、小さな拍手が聞こえる。
 たったそれだけがどんなに勇気になるだろう。
 ずっと求めていた物を与えられた。
 そんな気分になった。
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