青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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5 笑えない冗談1

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 昼休み、練習室へ向かおうとすると見覚えのある女性に引き留められた。
「こんにちは、セシリア。ちょっと付き合って貰えるかしら?」
 優しく微笑んだ彼女はアルジャン様のお姉様、レア様だ。
 どうしてこんなに美しく優しい人の弟が暴君なのだろう。とても血縁があるとは思えない。
 ひとつだけ、アルジャン様と同じなのはレア様も私に断らせないお方だということだ。アルジャン様とは違い柔らかくお願いするような表現を使うけれど、王妃の頼みを断れる人間なんて存在しない。
「そんなに不安そうな顔をしないで。かわいい妹とお茶をしたいだけなの。でも、学校の食堂では目立ちすぎてしまうわね。個室のお店がいいわ。アルジャンもお気に入りのお店があるのだけど、どうかしら?」
 セシリアの気持ち次第よ。と彼女は言うだろうけれど、私がそれを断ることはできない。
 身分とはそういうものだ。
 ちょっとしたお茶。
 レア様にとってはそうかもしれない。けれども、私にとっては貴重な練習時間を奪う行為。
「はい。レア様のお心遣い感謝いたします」
 できるだけ早くお話が終わってくれることを祈る。
「あら、セシリアは私の妹なのよ。気軽に『おねえさま』と呼んでくれていいのに」
「まだ結婚していませんので」
 気が早すぎる無礼な女だと噂されてはアルジャン様にも迷惑だろう。
「……まだってことは、セシリアはアルジャンと結婚してくれる気があるのね。安心したわ。心配だったのよ。あのわがままな弟があなたに捨てられてしまわないか」
 レア様は溜息を吐く。
 捨てる?
 私がアルジャン様を?
 出来ないことがわかっていてそんなことを口にするのであればレア様は相当性格が悪い。たぶん、彼女はわかっていない。身分の低い出来そこないは公爵家との縁談を断ることが出来ないことを。レア様は公爵令嬢だったからこそ陛下の求愛を何度も袖にすることができた。それでも、最終的に彼女は求愛を受け入れたのだけれど。
 私はレア様のように情熱的な求愛を受けることもなく、ただ暴君の気まぐれで婚約が決まってしまった。自分の一言でなんでも手に入ると思い込んでいるアルジャン様。実際、その通りだ。彼が望めば国すら手に入れることが出来てしまうことを、本人は自覚しているのだろうか。
 レア様に連れられ、学校からそう遠くない店に入る。
 貴族向けのその店は個室が完備されている。
「アルジャン、昔からあなたにわがままばかり言って振り回しているでしょう? 心配なの。セシリアが無理をしすぎていないか。だってあの子……オプスキュール伯爵家は自分の物とでも言うような振る舞いでしょう? あなたと結婚したら朝食担当の料理人も連れて行くつもりらしいわ。呆れちゃう」
 レア様は笑うけれど、その話が冗談なのか本気なのかさえ読めない。
「アルジャン様は……初めてお会いした頃から変わりませんね」
「そう、ね。少し甘やかしすぎたわ。でも、あんなあの子でも可愛い弟なのよ。幸せになって欲しいと思うわ。でも、それと同じくらいセシリア、あなたにも幸せになって欲しいの」
 レア様はメニューも確認せずに注文を済ませ、こちらを見る。
「態度は素直じゃないけれど、愛情深い子なのよ」
「……そう、でしょうか」
「ふふ、そうね。伝わらなかったらどんな気持ちを秘めていても意味がないわ。セシリア、あなたもよ。溜め込みすぎるのはよくないわ。思ったことを、ちゃんとアルジャンにぶつけたこと、ある?」
 じっと見つめられ、どきりとする。
 なにもかも見透かされてしまっているような気分になってしまう瞳だ。
「いつも不機嫌そうな顔が怖いとか、授業にはちゃんと出なさいとか、あなたから言ってくれてもいいのよ?」
 ふふっと笑うレア様は柔らかくて綺麗だ。こんなにも美しい人を見慣れたアルジャン様がどうして私を婚約者に選んでしまったのか。
「アルジャン様がなにをお考えなのか全く理解出来ません」
「出来なくていいのよ。あなたはアルジャンではないもの。心が見えないからこそ、気遣って言葉を交わすの。そのために言葉があると思うわ。けど……あの子もあの子よね。言わなくてもわかって当然と考えているところがあるから……」
 レア様は溜息を吐く。
 そこで運ばれてきたお茶とお菓子はアルジャン様が好きそうなものばかりだった。
「セシリア、アルジャンが嫌になったらいつでも言って頂戴。あなたに無理強いをするつもりはないの。アルジャンから逃げたくなったらいつでも力を貸すわ」
 真っ直ぐ見つめられるということは、冗談ではないのだろう。
 けれども、アルジャン様の姉であるレア様にそんなことを言われるということは……つまり、ペルフェクシオン公爵家から見ても私は不要ということなのではないだろうか。
 誰にも必要とされていない。
 価値がない。
 ペルフェクシオン公爵家から縁談を断るのは外聞が悪いから私の方から切り出せとでも圧をかけるつもりだろうか。でも、普通は逆だ。婚約を解消された側の方が外聞が悪い。
 もしかすると、今更不要になったペルフェクシオン公爵家側からの配慮としてこう言ってくれているのだろうか。
 ただ、私には選択肢がない。
「逃げ道なんて……私にはありません」
 そう口にして、しまったと思う。
 これではまるで肯定してしまったようだ。
 レア様は一瞬瞬きをして、それから面白そうに笑う。
「あらあら、これはアルジャン……振られるのも時間の問題かしら。あとでもう一度お説教しないと。私の可愛いセシリアを逃すなんて、スティーブンのお嫁さんに貰おうかしら」
 笑いながらとんでもないことを口にする。
 スティーブン様はまだ十歳のレア様の息子、つまり我が国の王子だ。冗談でも口にしていい内容ではない。
「レア様……ご冗談はそのくらいにしていただけませんか? 落ち着きません……」
「あら、私は本気よ? セシリアを気に入っているの。妹に欲しかったけれど、娘でもいいわ」
 本当に考えの読めない人だ。
「それに、アルジャンから逃げるのに、スティーブンはぴったりだと思うわ。なんでも思い通りになると信じているアルジャンよりも、スティーブンの方が権力があるもの」
 公爵家の跡取りと王位継承者の間には差がある。レア様はそう言いたいのだろう。
「……レア様……スティーブン様のお気持ちも考えなくては……」
 十歳ならもう既に婚約者候補が浮上しているだろう。既に婚約していてもおかしくない歳だが、まだ彼が婚約したという話は聞かない。
「それがね、結婚するならセシリアがいいって言ってるのよ」
「は?」
 笑えない冗談だ。
「アルジャンのお気に入りを真似したいだけなのか本気なのかは母親の私にもわからないけれど……女の子の好みが私と似ているのね。きっと」
 ふふっと笑って上品にカップを運ぶ姿はとんでもない冗談を口にした人には見えない。
 勧められたお茶もお菓子も全く味がわからないほど困惑している。
 レア様の目的は一体何なのだろう。
 店を出る段階になっても、結局彼女の目的はわからないままだった。
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