青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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アルジャン4 手放せない1

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 夜、オプスキュール伯爵家から連絡が入った時は呼吸が止まるかと思った。
 あの悪夢が再び繰り返されてしまったのかと怯え、手紙の内容にセシリアが生きていると言うただそれだけに感謝した。
 連絡を寄こしたのはヴァネッサだった。

 セシリアを追い詰めすぎないで頂戴。

 ただ一行。
 詳細はシシーにつけた護衛が報告する。
 手元に楽器がないことに気付き、暴れ出したらしい。大切にしているはずのメイドに八つ当たりまでして。

 アルジャン様と関わりたくない。

 シシーがそんな言葉を口にしたらしい。
 馬鹿な。
 確かに求婚は一方的な物だったかもしれない。けれどもシシーはいつだって俺に気遣ってくれていた。
 この世で一番大切なシシーが俺と離れたがっている?
 そんなこと……。
 たとえシシーの望みであっても認められない。それだけは認められない。
 シシーは俺のものだ。絶対に手放さない。
 きっと誰かが彼女を追い詰めているのだ。ただでさえ低すぎる自己肯定感で常に怯えているのに、彼女の不安を突いて追い詰めたのだろう。
 あの悪夢が蘇る。
 シシーが自ら命を絶つなんて、そんなことを現実にするわけにはいかない。
 朝一番でオプスキュール伯爵邸に乗り込んだ。いつもより早すぎる時間に使用人たちがざわめいていたがそんなことはどうでもいい。
 シシーの眠りを妨げるわけには行かないのだから、まずはヴィンセントだ。
 眠っているヴィンセントを叩き起こせば不機嫌な顔で睨まれる。
「アル……礼儀知らずにも程があるぞ」
「黙れ。俺が用があるというのに寝ているお前が悪い」
 すぐにシシーの様子を知りたい。
 使えないヴィンセントは息の根を止めても構わない程度に考えてしまう。
「シシーが錯乱していたと護衛から報告があった」
「……ああ、しばらく喚き散らして姉上に叩かれてた。薬で無理矢理寝かさなければきっと朝まで暴れていただろうな」
 忌々しそうにそう答え、伸びをしてから着替え始めるヴィンセントに腹が立つ。
「原因に心当たりは?」
 シシーは数日前から様子がおかしい。きっと数日前になにかがあったはずだ。
 家族なら当然把握しているべきだろう。
 それなのに、ヴィンセントの答えは期待外れもいいところだった。
「知るわけがないだろう。ああ、アルに振り回されすぎておかしくなったのかもしれないな。元々出来が悪いのに、求められる基準ばかりが高くなっている。セシリアが心配だというのなら、とっとと婚約解消でもしてやったらどうだ?」
 叩き起こされた腹いせもあるのだろう。ヴィンセントは挑発的な表情で言う。
「セシリアの才能を殺すのはお前だ」
 いくらシシーの兄であろうと言っていいことと悪いことがある。
「いつも無茶ばかり要求して。不出来なセシリアがこなせるはずがないだろう。口だけでも大切だと言うのなら解放してやれ」
 衝動的だった。
 怒りを抑えられない。
 目の前のヴィンセントゴミは俺からシシーを奪おうとしている。
「オプスキュールはいつから俺に逆らえると錯覚した?」
 シシーに遭遇する可能性を忘れ、彼女の兄を蹴飛ばした。
「セシリアは俺の婚約者だ。どう扱おうが俺の勝手だろう」
 更に追い打ちを掛けるようにその腹を蹴る。
「アルジャン……いい加減に……しろ……」
 痛みに悶えながら睨むのは妹の為か、己に対する理不尽さに対してか。
「アルジャン様、それ以上兄を痛めつけないで下さい」
 その声で現実に引き戻される。
 くそっ、シシーに見られた。
 思わず舌打ちをする。
「妹が居て命拾いしたな。ヴィンセント」
 シシーの前だ。冷静にならなければ。
 怯えさせてはいけない。
 せっかく昨日より顔色がよくなったのだから。
 練習は邪魔しないと誓った。まだ無理はさせたくないが、誓いは破るわけにはいかない。
 楽器ケースを差し出す。
「今日は寝たようだな。練習に励むがいい」
「は、はい……」
 青い顔をしたシシーはやはりまだ調子が悪そうだ。
 楽器を受け取れば僅かに安堵の様子を見せるが、すぐに張り詰めた空気へ変わる。
 空気に耐えられなくなり、シシーの手を引いて食堂へ向かう。
 なんてことだ。オプスキュール伯爵家の素晴らしい朝食の味が全くわからない。
 そこで自分が動揺していることに気付いた。
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