9 / 53
3 どうかしていた1
しおりを挟む
「さっさと練習に戻れ」
アルジャン様の言葉が妙に脳内で反芻された。
ひどい出来なのは自覚している。だからこそ練習に集中したいというのに、姉が強引に引きずり出した。そのせいで、アルジャン様を余計に不快にさせてしまっただろう。
練習は順調とは言えない。心の乱れがそのまま音の乱れに繋がっているのを実感できてしまう。
朝が来る。
また、アルジャン様との朝食の時間がやってきてしまう。
焦りばかりが募り、気付けば朝陽が昇っている。
「セシリア様、まさか、一晩中練習を?」
起こしに来たリリーが青ざめて見える。
「ひどいお顔です」
言われるまでもなく理解している。
制服のまま、一睡もせずにひたすら練習を続けていた。
それなのに、指の動きが悪い。基本的な部分で躓いてしまっているのが自分でも理解出来てしまうほどに。
「そうね」
楽器を拭いてしまわないと。
本番まで時間がない。
それでなくても昼休みにはアルジャン様に進捗確認をされるはずだ。
時間がない。
こんな出来では失望させてしまう。
「セシリア様……今日はお休みになられた方がよろしいのではないでしょうか……」
不安気なリリーの声に振り向く余裕すらない。
アルジャン様になにを言われるかわからない。休んでいる暇などない。
また失望されてしまう。
価値のない「つまらない」存在になってしまう。
本能的な恐怖なのか、悪夢の影響なのか。
気がつけば体が震えていた。
目眩がするのはたぶん、寝不足のせい。
「セシリア、また寝坊か?」
呆れたような声が響く。
アルジャン様だ。
どうしてこうも毎日規則正しく監視しに来るのだろう。それ程まで、不出来な私を罵りたいのだろうか。
今、彼に会いたくない。
そう思ったのに、無慈悲にも扉が開かれてしまう。
そして、アルジャン様の視線が向いた。それから少しの間彼が硬直したように思えた。
「……まさか、寝ていないのか?」
ずかずかと近づいて来たかと思うと肩を掴まれる。
「ひどい顔だ……」
不機嫌を隠そうともしない響き。
慌てて謝罪しようと、口を開く前に体が浮く。
視界がずれ込む感覚に、なにが起きたのかわからなくなった。
「リリー、セシリアは今日、欠席する。ついでに俺もだ」
逆らうことを許さない響きにリリーも怯えてしまっているだろうと感じた。
「あ、あの、お言葉ですが……その判断は旦那様が……」
リリーは私よりもずっと勇敢で、アルジャン様の命令を拒もうとしている。
そこで、自分が寝台に横たわらされていることに気がついた。
枕の感触が随分と久しい物のように感じられる。
「オプスキュールの使用人はいつから俺に意見出来るようになった?」
空気が凍り付いたような気がした。
アルジャン様はリリーに威圧している。
そして、当たり前の様に私の隣に寝転んだ。
「セシリア、寝ろ。その状態では練習するだけ無駄だ」
これは徹夜して全く成果がなかったことを見透かされている。そして、私が眠るのを監視するのだとでも言うように、鋭い視線でその場に縫い付けられた。
所謂金縛りだろうか。そう思ってしまうほど体が動かない。
いや、金縛りだと思ったのは錯覚だった。アルジャン様の腕が、物理的に拘束している。
腰に回された腕。背中に密着する体。
いくら婚約者でもこの距離は問題がある。
「あ、あの……アルジャン様……さ、さすがにこれは……」
未婚の男女の距離ではありません。そう告げようとしたはずなのに、まるで抱き枕にでもするように抱きしめられた。
「黙ってさっさと寝ろ」
まるで自分もこれから寝るから邪魔をするなとでも言うような響きに頭が混乱している。
一体どういう状況なのだろう。
一瞬、体の心配をしてくれたのかと思ってしまった。期待しすぎだ。そんなこと、あるはずがないのに。
学校でも昼寝ばかりしている人だ。きっと寝足りなくて休む口実に利用したのだろう。ついでに、抱き枕にまで任命されたのだ。きっとそうに違いない。
「……抱き心地が悪い……もっと太れ」
不満そうな声が響く。
勝手に抱き枕にしているのはアルジャン様だというのに、彼はなんでも自分の思い通りにならないと気が済まないのだろう。
この状況で眠れるはずがない。
なにより、この姿勢は演奏に支障が出そうだ。
「……アルジャン様……その……指の動きに支障が出そうなのでこの体勢は……」
困ります。
その言葉は口から出なかった。
ぐるりと景色が揺らぐ。
「これで我慢しろ」
一体なぜ?
疑問が口から飛び出してくれないほど驚いている。
彼の上に乗せられて、ぬいぐるみのように抱きしめられた。
そして、まるで寝かしつけようとでもするように、背中をとんとんと叩かれた。
一体なにを考えているのだろう。
こんなことをして……アルジャン様がただの親切なんてありえない。
何か目的があるはず……。なのに、私の頭ではそれを考えつかない。
結局暴君アルジャン様の考えなんて読むことが出来ないのだ。
大人しく従わないと。
なにをされるかわからないのだから。
アルジャン様の言葉が妙に脳内で反芻された。
ひどい出来なのは自覚している。だからこそ練習に集中したいというのに、姉が強引に引きずり出した。そのせいで、アルジャン様を余計に不快にさせてしまっただろう。
練習は順調とは言えない。心の乱れがそのまま音の乱れに繋がっているのを実感できてしまう。
朝が来る。
また、アルジャン様との朝食の時間がやってきてしまう。
焦りばかりが募り、気付けば朝陽が昇っている。
「セシリア様、まさか、一晩中練習を?」
起こしに来たリリーが青ざめて見える。
「ひどいお顔です」
言われるまでもなく理解している。
制服のまま、一睡もせずにひたすら練習を続けていた。
それなのに、指の動きが悪い。基本的な部分で躓いてしまっているのが自分でも理解出来てしまうほどに。
「そうね」
楽器を拭いてしまわないと。
本番まで時間がない。
それでなくても昼休みにはアルジャン様に進捗確認をされるはずだ。
時間がない。
こんな出来では失望させてしまう。
「セシリア様……今日はお休みになられた方がよろしいのではないでしょうか……」
不安気なリリーの声に振り向く余裕すらない。
アルジャン様になにを言われるかわからない。休んでいる暇などない。
また失望されてしまう。
価値のない「つまらない」存在になってしまう。
本能的な恐怖なのか、悪夢の影響なのか。
気がつけば体が震えていた。
目眩がするのはたぶん、寝不足のせい。
「セシリア、また寝坊か?」
呆れたような声が響く。
アルジャン様だ。
どうしてこうも毎日規則正しく監視しに来るのだろう。それ程まで、不出来な私を罵りたいのだろうか。
今、彼に会いたくない。
そう思ったのに、無慈悲にも扉が開かれてしまう。
そして、アルジャン様の視線が向いた。それから少しの間彼が硬直したように思えた。
「……まさか、寝ていないのか?」
ずかずかと近づいて来たかと思うと肩を掴まれる。
「ひどい顔だ……」
不機嫌を隠そうともしない響き。
慌てて謝罪しようと、口を開く前に体が浮く。
視界がずれ込む感覚に、なにが起きたのかわからなくなった。
「リリー、セシリアは今日、欠席する。ついでに俺もだ」
逆らうことを許さない響きにリリーも怯えてしまっているだろうと感じた。
「あ、あの、お言葉ですが……その判断は旦那様が……」
リリーは私よりもずっと勇敢で、アルジャン様の命令を拒もうとしている。
そこで、自分が寝台に横たわらされていることに気がついた。
枕の感触が随分と久しい物のように感じられる。
「オプスキュールの使用人はいつから俺に意見出来るようになった?」
空気が凍り付いたような気がした。
アルジャン様はリリーに威圧している。
そして、当たり前の様に私の隣に寝転んだ。
「セシリア、寝ろ。その状態では練習するだけ無駄だ」
これは徹夜して全く成果がなかったことを見透かされている。そして、私が眠るのを監視するのだとでも言うように、鋭い視線でその場に縫い付けられた。
所謂金縛りだろうか。そう思ってしまうほど体が動かない。
いや、金縛りだと思ったのは錯覚だった。アルジャン様の腕が、物理的に拘束している。
腰に回された腕。背中に密着する体。
いくら婚約者でもこの距離は問題がある。
「あ、あの……アルジャン様……さ、さすがにこれは……」
未婚の男女の距離ではありません。そう告げようとしたはずなのに、まるで抱き枕にでもするように抱きしめられた。
「黙ってさっさと寝ろ」
まるで自分もこれから寝るから邪魔をするなとでも言うような響きに頭が混乱している。
一体どういう状況なのだろう。
一瞬、体の心配をしてくれたのかと思ってしまった。期待しすぎだ。そんなこと、あるはずがないのに。
学校でも昼寝ばかりしている人だ。きっと寝足りなくて休む口実に利用したのだろう。ついでに、抱き枕にまで任命されたのだ。きっとそうに違いない。
「……抱き心地が悪い……もっと太れ」
不満そうな声が響く。
勝手に抱き枕にしているのはアルジャン様だというのに、彼はなんでも自分の思い通りにならないと気が済まないのだろう。
この状況で眠れるはずがない。
なにより、この姿勢は演奏に支障が出そうだ。
「……アルジャン様……その……指の動きに支障が出そうなのでこの体勢は……」
困ります。
その言葉は口から出なかった。
ぐるりと景色が揺らぐ。
「これで我慢しろ」
一体なぜ?
疑問が口から飛び出してくれないほど驚いている。
彼の上に乗せられて、ぬいぐるみのように抱きしめられた。
そして、まるで寝かしつけようとでもするように、背中をとんとんと叩かれた。
一体なにを考えているのだろう。
こんなことをして……アルジャン様がただの親切なんてありえない。
何か目的があるはず……。なのに、私の頭ではそれを考えつかない。
結局暴君アルジャン様の考えなんて読むことが出来ないのだ。
大人しく従わないと。
なにをされるかわからないのだから。
10
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。
木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。
その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。
ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。
彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。
その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。
流石に、エルーナもその態度は頭にきた。
今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。
※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

もう一度あなたと?
キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として
働くわたしに、ある日王命が下った。
かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、
ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。
「え?もう一度あなたと?」
国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への
救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。
だって魅了に掛けられなくても、
あの人はわたしになんて興味はなかったもの。
しかもわたしは聞いてしまった。
とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。
OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。
どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。
完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。
生暖かい目で見ていただけると幸いです。
小説家になろうさんの方でも投稿しています。
婚約破棄してくださって結構です
二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。
※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

【完結】内緒で死ぬことにした 〜いつかは思い出してくださいわたしがここにいた事を〜
たろ
恋愛
手術をしなければ助からないと言われました。
でもわたしは利用価値のない人間。
手術代など出してもらえるわけもなく……死ぬまで努力し続ければ、いつかわたしのことを、わたしの存在を思い出してくれるでしょうか?
少しでいいから誰かに愛されてみたい、死ぬまでに一度でいいから必要とされてみたい。
生きることを諦めた女の子の話です
★異世界のゆるい設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる