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アルジャン2 嫌な臭い1
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シシーにイルムの香の匂いがついていた。
あの男はいつも俺のシシーにつきまとっている。少し離れた隙を狙ってはシシーを口説こうと……他人の婚約者に手を出そうなどととんでもない男だ。
シシーと昼食を過ごせなかっただけでも苛立つというのに、ヴィニーがあの転入生を連れて歩いていた。そして、その女は図々しくもこの俺と同席した。名前は覚えていないが、夢に出てきたあの女だった。
癖の強い栗毛、丸っこい顔。自己主張の強い胸元。つい、シシーと比較して溜息が出る。なにもかも違いすぎる。シシーはもっと、慎ましやかで美しい。俺はぐいぐい寄ってくるような女は好みではない。それに、シシーのあの珊瑚色の唇が忘れられない。
あの美味そうな唇をなぜ奪わなかったのかと後悔する。
苛立つ腹いせに、ヴィニーの皿から一番でかい肉の塊を奪う。
「アル……お前はなぜ毎回人の皿から……恥ずかしくないのか」
「ヴィニーのものは俺の物だろう」
溜息を吐くヴィニーは言っても無駄と知りつつ毎回小言をくれてくるあたりが面白い。
「シシーは昼も取らずに練習だ。お前、暇だろう? シシーに間食でも届けてやれ」
シシーは少し痩せ気味だ。もう少し太らせておかないと子を産むときに苦労するかもしれない。そう考え、子供ができては彼女を独占できなくなるのだからこのまま痩せさておいてもいいような気になる。
「シシー?」
女が首を傾げる。
「ああ、俺の妹だ。セシリアというのだが、アルはシシーと呼んでいる」
ヴィニーは律儀に答える。優等生ぶって得点を稼いでおきたいのだろうが、その分俺からの点数は下がるぞ。
「妹さんがいらっしゃったのですね」
「ビビー、君と同じ学年だよ。組は違ったかな?」
ヴィニーは余所行きの笑みを浮かべて答える。この女になんらかの利用価値を見いだしたのだろうか。
「はぁ……シシーの膝が恋しい……やはりもう少し易しい譜面を渡しておくべきだったか?」
練習に熱中さえしていれば妙な気も起こさないだろう。他に視線を向けることもなくなる。そう考えたのは間違いだった。まさか昼の誘いまで断って練習に集中したがるとは。
「そう言えば昨夜も練習するから夕食はいらないと言っていたな。アル、一体どんな楽譜を渡したんだ?」
どうやらヴィニーは妹の練習を確認していないらしい。
「ああ、歌曲の変奏曲だ」
二百年ほど前に爆発的に流行った歌曲を当時の演奏家が超絶技巧曲に編曲したものらしい。宮廷音楽家の中にも演奏できる者は少ないと聞いているが、シシーなら問題ない。彼女はもう少し自分の才能を自覚して誇るべきだ。
「……お前はセシリアを潰す気か」
ヴィニーは本気で呆れた顔をしている。
普段はシシーを馬鹿にしているくせに、こういうときばかり意見してくるのが気に入らない。
「シシーなら問題ない。お前たち姉弟が苛めるから自尊心の低い女になってしまったんだぞ? 得意分野で注目を集めればシシーだって少しは自分に自信を持てるようになるはずだ。だいたい、世界一の美女が毎日暗い顔をしているのは問題だと思わないのか? ヴィニーが苛めるからだ」
そう告げればヴィニーは本気で信じられないと言う顔をする。
「……世界一の美女? セシリアが?」
そこに反応するのか。
「俺の女だ。当然だろう」
「……未だにお前がセシリアのどこを気に入っているのか理解できないが……まぁ、あれでも一応妹だ。あまり苛めてくれるな」
あれでも。
ヴィンセントはおそらくは無意識だろうが、さり気なく妹を下げていく。これはオプスキュール伯爵家の人間に見られる傾向で、なぜか誰もシシーの魅力に気がつかない。
「あの慎ましやかなところが美しいだろう」
「一日中音楽のことしか考えていない、勉強するのは楽器を取り上げられたくないからだ」
ヴィンセントはまた俺のシシーを貶めるようなことを口にする。
腹が立つ。定食に残っているカボチャの塊を口に突っ込んでやる。
「……お前は……俺は残飯処理係じゃないと……」
「俺のシシーを貶すな」
それから、昼休みが終わる直前までヴィンセントを弄り苛立ちを鎮める努力をしたが、それでも、シシーの膝で眠れなかった苛立ちは解消されなかった。
放課後、シシーを探せばやはり練習室に居た。扉を開けた瞬間大きく音を外したのは驚かせてしまったからだろう。だと言うのに、つい、口から「下手くそ」なんて言葉が出てしまった。
これは、傷つけてしまったのではないだろうか。
少し涙目で見られたが、その表情すら美しい。今すぐ抱き寄せたい衝動を抑え、昼寝をすると告げる。
求婚したときに練習の邪魔はしないと約束したからな。だが、側に居ることくらいは許して欲しい。
シシーは少し落ち着かない様子でまた練習に励む。既に予想していた以上に弾けているのは彼女の努力故だろう。
しかし、シシーから嫌な臭いがする。
あいつだ。あの男がシシーに近づいたに違いない。
そう思えば思うほど苛立って昼寝どころではない。
結局帰りの馬車でも苛立ちが静まらず、シシーを怯えさせてしまう結果になった。
イルムの香の匂いに耐えられなくなり問い詰めれば、素直にあの男と会ったことを認める。後ろから接近されたと言っていた。不意打ちだったのだろうことは予想出来る。
けれども、俺が触れられなかった時間に他の男がシシーに触れたという事実自体が気に入らない。
そこからは、ほぼ無意識だった。
シシーの珊瑚色の唇に引き寄せられるように強引に口づけた。
あの夢の中の冷たく硬い唇ではない。柔らかく、仄かに温かい。
その感触があまりにも愛おしくて、そのまま乱暴に舌をねじ込んだ。
シシーに触れている。そう思うだけでどうしようもない幸福感に包まれる。なにが起きたのか理解できていない姿さえ愛おしい。
怯えるように逃げようとしたシシーを強引に捕まえる。
絶対にイルムなんかに渡して堪るか。
醜い嫉妬だった。
がくがくと震え始めたシシーが逃れようと必死に胸を叩くから力尽くで抑えつけ、更に口内を犯す。
このまま全てを奪い尽くしたい。
一息ついてもう一度彼女の唇を貪ろうとした瞬間、無粋な邪魔が入った。あの御者は解雇してやる。あいつのせいでシシーに逃げられたのだから。
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