青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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アルジャン1 冷たい口づけ2

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 目を覚ますと、自分の部屋で嫌な汗をかいていた。
 全て、夢だったのだろうか。夢にしては随分と鮮明だった。
 時計を確認すれば起きるには随分と早い時間だ。それでも、二度寝する気にはなれない。
「シシー……」
 彼女はちゃんと生きているだろうか。あんな冷たい口づけが最初で最後だなんて……。
 随分と早いことを自覚しながら身支度を調える。
 去年、なにを思ったのか彼女が贈ってくれたスノーグローブが目に入った。オルゴール仕掛けのもので、球体の中でピアニストがなにかを演奏しているような品だ。
 シシーから贈られるならなんだって嬉しい。けれどもこの品は今まで彼女から受け取った品のなかで一番反応に困る品だ。なにを考えて贈ってくれたのか全くわからない上に、彼女自身差し出す時に困り果てていたのだから。
 その時の様子を思い返して思わず笑みがこぼれる。
 結局シシーは世界一かわいいのだからなにをしていてもかわいいに決まっている。
 机の上に出したままだった昨夜の手紙をしまい、予定を確認する。
 そこでなにかがおかしいと思った。
「……随分と古い予定だな……」
 音楽祭はとっくに終わったはずなのに、音楽祭の二週間前になっている。
 予定表を間違えたのだろうかと、保管している引き出しを開けたがこれよりも新しい予定が見当たらない。
 おかしい。
 さらに言うと、シシー宛ての手紙も記憶よりも少ない。
 違和感を拭えないまま部屋を出れば、仕事を始めたばかりの使用人が驚いた顔を見せる。
「アルジャン様、本日は随分とお早いお目覚めですね」
「……ああ、シシーを待たせている」
 シシーの為だと口にすれば、使用人達は大抵の事を納得する。俺がどんなに彼女を愛しているのか、彼女以外の人間は察知してくれている。はずだ。
「新聞を寄こせ」
 通り過ぎた別のメイドに声を掛ければ、一度戻って慌てて新聞を持ってくる。
「……これ、今日の新聞か?」
 おかしい。日付が随分前だ。
「はい。本日の朝刊です」
 メイドが嘘を吐く理由も思い当たらない。
 ということは、あの妙な夢を見て錯乱しているのだろう。
 シシーに会う前に少し気を落ち着けなくては。
 できるだけゆっくりとお茶を飲み、馬車に乗り込む。朝食はオプスキュール伯爵家で食べるから、今日のデザートはなんだろうなどと考えてしまう。
「……苺ムース、か?」
 よくわからない記憶が、そう告げている。あの苺ムースは絶品だと。
 いつもより少し早くオプスキュール伯爵家に到着したが、使用人達は予定がいつもより遅れているのだと感じたのか焦りだしている。まあ、シシーが俺を待たせるなど……多少はかわいい物だと見逃してやる。
 しかし、彼女の無事を確かめたいという気持ちが募る。
 普段なら、部屋の前まで行くことは殆どない。婚約しているとは言え未婚の女性の部屋に入るわけにはいかないのだから。
 けれども今日は我慢できなかった。
「遅い、いつまで待たせる」
 嘘だ。いつもより早い時間。それなのに、わざと苛立ったように声を掛けるのは彼女の前ででれでれと情けない顔を見せたくないからだ。つまり、ただのかっこつけだ。
「今参ります」
 その返答を耳にして、どんなに安心しただろう。
 もし、シシーの返答がなければ。そう考えるだけで恐ろしい。
 一瞬、夢の中の冷たくなった彼女を思い出してしまう。
 けれども縋るように楽器ケースを抱きしめて姿を見せた彼女を見て安堵した。

 
 馬車の中で、相変わらず視線が合わない。
 緊張しているのか、それとも今朝の一件があまりに気まずいのか、シシーは黙り込んでしまっている。それに、少し眠そうだ。
「着くまで寝てろ」
 そう、声を掛ければ一瞬驚いた様子を見せられる。緑色の瞳が開かれゆらゆらと揺れている様子は本当に美しい。
 なにより、珊瑚色の唇に視線が惹きつけられる。
 触れたい。
 その熱に触れてあの悪夢を振り払いたい。
 そう、手を伸ばしかけると、僅かに怯えを見せられる。
 おかしい。昨日から、シシーは普段よりも俺に怯えているように見える。
 一体、なにがあったのだろう。
 けれども訊ねたところで彼女は答えないだろう。
 まるで、怯えたことを誤魔化すように昨日渡した楽譜を取りだし指でなぞり始める。
「……順調か?」
「……えっと……その……まだ部分練習しか出来ていません」
 気まずそうにそう、口にする彼女はやはり怯えているように見えた。
「セシリア、期待してる」
 もう少し、言い方があったのではないだろうか。
 そう言えば、数日前にメイドに少し高圧的な態度過ぎるのではないかと言われた。やはりシシーもそう思っているのだろうか。
 ヴィンセントを弄るのは楽しい。しかし、セシリアから見れば兄の情けない姿ばかり曝す俺は心地よいものではないのか?
 らしくもない考えが浮かぶ。
 眉間に皺が寄ってしまった。
 そんなことを気にしているうちに学校に着いてしまう。
 シシーは二年だ。昼まで離れなくては行けないと思うと、途端に恋しくなる。
 体が勝手に動いた。
 シシーを強引に抱き寄せる。
「え? あの……アルジャン様?」
 驚いたような、怯えたようなシシーの声に現実に引き戻されたがもう、戻れない。
「本番前に怪我をするな」
 咄嗟に誤魔化す。
 一人にしておくのが不安だからとそのまま教室まで送り届けたが、触れた彼女はまた女性らしい体つきになっていた気がする。
 出来ることなら、どさくさに紛れてあの控えめな胸元に触れたかった。しかし、そんなことをしては……いくら相手がシシーとは言え、平手を食らう覚悟くらいはしなくてはいけないだろう。
「昼は食堂に来い」
「あの、お昼休みは……練習室の予約を入れてありますので……」
 びくりと体を震わせるのは、断れば怒鳴られるとでも思っているのだろうか。俺がシシーにそんなことをするはずがないというのに。
 思わず、舌打ちをしてしまう。
「勝手にしろ」
 もっと触れていたいが、このままではシシーが見世物になってしまうと思い、渋々離れる。
 去る直前、愛らしい緑色の瞳が潤んで見えた。そんなに俺と離れるのが寂しいだろうか、などという考えは少しばかり期待しすぎだろう。
 真面目なシシーのことだ。今は音楽祭のことで頭がいっぱいだ。
 それにしても……あの譜面は少しやり過ぎだっただろうか。練習に夢中になっていれば余計なことを考えないとは思ったが……俺の相手をする時間までなくなってしまう。
 しくじった。そう感じたのは紛れもない事実だ。

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