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ノーチェの手記
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ノーチェは一区切りついた書き物の手を止める。
意識が書き物から離れて、知覚が現実を認識し出す。
意識が現実に帰って来るのを少し待ち、落ち着いたところでほぅっとため息を吐いた。そのまま傍らのお茶を手に取り口に含むと、当然ながら冷めている。
これを飲んだら、新しいものを淹れようと考えながら、カップを両手で持って、ゆっくり飲む。
飲み干してカップを置くと、台所に行くかと思うが、ふとここが塔の中ほどで、台所が塔の下にあることを思い出し、急に面倒臭くなった。
ノーチェは薬草を煎じる小鍋を三脚にセットし、水を生み出す魔法を込めた青い魔法石に魔力を送り起動させると、鍋の中に入れる。すると魔法石から水が溢れ、鍋を満たす。火を生み出す魔法を込めた赤い魔法石を起動させ、今度は三脚の下に置く。こうすれば赤い魔法石が生み出した炎が、鍋の水を温め、湯を沸かせてくれる。
随分とものぐさだと思ってしまうが、基本的に割を食う魔女の、数少ない特権なのだから、見返りとして享受しても良いだろう。
お湯を沸かしてる間に、ポットに茶葉を入れる。
ポットを持ったまま小鍋の前に戻ると、お湯はまだ沸いていなかった。他にやることもないので、お湯が沸くまで小鍋をぼんやり見つめる。
この、世界の裏側に来てどのくらい経っただろうかと、詮無い疑問を思わず浮かべる。
ここには時間という概念は無く、アルバもノーチェ自身もそういったものから取り残された存在である。考えるとするならば、後どのくらいこの時間が残されているかだろう。
ノーチェは大きくため息を吐く。どちらにしても、建設的な考えではない。こんなことを考えるだなんて、根を詰め過ぎただろうか? こんなものは、ただの暇つぶしでしかないのに、のめり込んでしまう性質なのだ。
丁度お湯が沸いたので、ミトンをはめて小鍋を持ち上げると、静かにポットに注ぐ。残った分をカップに注いで温めると、小鍋の底から青い魔法石を取り出す。
空になった小鍋に、カップを温めて少し温くなったお湯を戻すと、そのまま沸騰させて、蒸発させる。
砂時計をポットの近くにひっくり返して置くと、蒸らし時間の手慰みにと、先程まで書き物をしていた紙を手に取り、それを読む。
ノーチェ自身が持つ知識全てを、こうして書き出しているのだ。そしてそれを製本し、本になった物を読む。全ては手慰み、暇つぶしだ。
いずれ世界に選ばれるだろう次代の魔女の為に残すべき、先代までの魔女が書いた物や、自身が加筆・執筆した物は、世界の表に置いてきた。
今書いている、そしてここで既に書いた本は、この裏側が用済みになった暁には、自身と共に消える宿命だ。
とはいえ、手を抜くことが苦手な性分の為、思わず没頭してしまう。今も、ふと紙から視線を外すと、既に砂時計が落ち切っていた。
何度目か、数えることすら面倒なため息を零しながら、ポットへ向かう。
『あんまりため息を吐いていると、幸せが逃げちゃうよ』
記憶の中から、脳裏に声が響く。
「私の幸せは貴方の形をしているのよ。アルバが傍にいない時は、逃げてしまう幸せも無いわ」
少し恨めしそうに、独り言ちた。
今日は駄目だ、何だか感傷的になってしまうと、ノーチェは首を振りながら思って、この極夜の世界では「一日」なんて区切りが存在しないことを思い出すと、苦笑する。
「気持ちを切り替えて、何か頭空っぽに出来ることでもしよう…」
そう呟くと深く考えるより早く、そうだケーキを作ろうという考えが閃く。
お散歩に出ているアルバが帰って来たら出せるし、丁度良いかもしれない。私の陰鬱な気分を全部生地に練り込んで、焼き上げてしまおうと、ノーチェは決める。
勿体ないしミルクティーにでもしようと考えた、蒸らし過ぎて渋くなったお茶の入ったポットを片手に、部屋を出る。
塔の中央に広がる吹き抜けの螺旋階段を、台所に向けて下っていく。
本当に、今日はそういう日なのかもしれない。階段を下りながら、ノーチェは考えるとなく昔のことを思い返してしまう。
ノーチェとアルバが初めて出会ったのは、アルバが「今のアルバ」くらいの時だった。ノーチェにとってアルバはいつも太陽の様な存在だが、あの時、もう何があったか覚えていないが、潰れた片目を抑えて呻いていたノーチェの前にアルバが現れた時は、太陽が人の形になっていると、本気で驚いたものだ。
そして、アルバが師匠に頼み込んだ結果、師匠に拾われてノーチェはアルバと共に育つことになる。ノーチェという名前も、アルバが付けてくれた。
魔女の仕事の一環として保護していたアルバと違い、師匠がノーチェを育てることは、師匠とノーチェの運命を決めるものだったが、ノーチェはアルバに出会えた僥倖において、その他のことはどうでも良いと思っていた。
アルバが聖者として選ばれた時も、離れ離れになる淋しさはあったが、魔女となった後も、アルバが聖者であるならばアルバのことを覚えていられるという安堵の方が強かった。
その後、聖者が、アルバが世界を祝福出来なったばかりか、世界を呪う様になってしまったと知った時は、本当に天地がひっくり返った様な心地だった。
ノーチェの目から見えたアルバは、いつだって本当に太陽の様で、世界の全てを愛し、そして愛されている様だったから。だからアルバは聖者にとても相応しいと、歴代聖女が女性の中で、例外的男だとか関係無く、世界を祝福する聖者に相応しいと、ノーチェは考えていた。
だからこそ、アルバが祝福する世界を支える為にと、人知れず無理難題を押し付けられるという、不遇極まる魔女という役目にも、ノーチェは前向きに取り組んでいた。だというのに……。
階段を全て下りきり、足裏の感触が変わったことで、ノーチェの意識が物思いから引き上げられる。
台所に入ると、またため息を一つ。
ポットを置いてオーブンに火を入れ、秤を出して材料を測っていく。
スープなどは目分量でも構わないが、お菓子やパンは比率が少しでもズレると失敗してしまう。だからこそ、頭の中を空っぽにするには適していた。
次々と材料を測っていく。一通り準備出来たら、粉を振るってから混ぜ合わせる。
この作業は、鬱屈した思いがあればあるだけ、生地が滑らかになっていく。良いのか悪いのか、ノーチェは複雑な気持ちで苦笑する。
生地を型に流し込むと、温めておいたオーブンに入れる。この辺の火加減は、火の魔法石を使えば流し込む魔力量で自由自在なので、こういう時に魔力の便利さを強く感じる。
ケーキを焼いている間に、渋くなったお茶をポットからミルクパンに移し、お茶よりも少し多いミルクと砂糖を加える。そして、沸騰はしないくらいまで温めるとカップに移し、椅子に座って一息吐く。
ノーチェはミルクティーを口に含みつつ、オーブンを見つめる。
ふと、今日はアルバが帰って来るのを待つのではなくて、迎えに行こうかなと思い立つ。
もし入れ違いになっても、アルバがこの塔に帰って来ればノーチェには分かる。
良い考えかもしれないと、ノーチェは口元を緩める。
アルバとこの裏側の世界に、どのくらいの時間が残っているか分からない。でも、元々二十歳前くらいの外見だったアルバが、現在七・八歳くらいになっていることを考えれば、もう折り返しは過ぎただろう。
残りの時間が、アルバにとって心安らかなものであれば良い。ノーチェはもう何度したか知れない祈りを、また思い浮かべた。
意識が書き物から離れて、知覚が現実を認識し出す。
意識が現実に帰って来るのを少し待ち、落ち着いたところでほぅっとため息を吐いた。そのまま傍らのお茶を手に取り口に含むと、当然ながら冷めている。
これを飲んだら、新しいものを淹れようと考えながら、カップを両手で持って、ゆっくり飲む。
飲み干してカップを置くと、台所に行くかと思うが、ふとここが塔の中ほどで、台所が塔の下にあることを思い出し、急に面倒臭くなった。
ノーチェは薬草を煎じる小鍋を三脚にセットし、水を生み出す魔法を込めた青い魔法石に魔力を送り起動させると、鍋の中に入れる。すると魔法石から水が溢れ、鍋を満たす。火を生み出す魔法を込めた赤い魔法石を起動させ、今度は三脚の下に置く。こうすれば赤い魔法石が生み出した炎が、鍋の水を温め、湯を沸かせてくれる。
随分とものぐさだと思ってしまうが、基本的に割を食う魔女の、数少ない特権なのだから、見返りとして享受しても良いだろう。
お湯を沸かしてる間に、ポットに茶葉を入れる。
ポットを持ったまま小鍋の前に戻ると、お湯はまだ沸いていなかった。他にやることもないので、お湯が沸くまで小鍋をぼんやり見つめる。
この、世界の裏側に来てどのくらい経っただろうかと、詮無い疑問を思わず浮かべる。
ここには時間という概念は無く、アルバもノーチェ自身もそういったものから取り残された存在である。考えるとするならば、後どのくらいこの時間が残されているかだろう。
ノーチェは大きくため息を吐く。どちらにしても、建設的な考えではない。こんなことを考えるだなんて、根を詰め過ぎただろうか? こんなものは、ただの暇つぶしでしかないのに、のめり込んでしまう性質なのだ。
丁度お湯が沸いたので、ミトンをはめて小鍋を持ち上げると、静かにポットに注ぐ。残った分をカップに注いで温めると、小鍋の底から青い魔法石を取り出す。
空になった小鍋に、カップを温めて少し温くなったお湯を戻すと、そのまま沸騰させて、蒸発させる。
砂時計をポットの近くにひっくり返して置くと、蒸らし時間の手慰みにと、先程まで書き物をしていた紙を手に取り、それを読む。
ノーチェ自身が持つ知識全てを、こうして書き出しているのだ。そしてそれを製本し、本になった物を読む。全ては手慰み、暇つぶしだ。
いずれ世界に選ばれるだろう次代の魔女の為に残すべき、先代までの魔女が書いた物や、自身が加筆・執筆した物は、世界の表に置いてきた。
今書いている、そしてここで既に書いた本は、この裏側が用済みになった暁には、自身と共に消える宿命だ。
とはいえ、手を抜くことが苦手な性分の為、思わず没頭してしまう。今も、ふと紙から視線を外すと、既に砂時計が落ち切っていた。
何度目か、数えることすら面倒なため息を零しながら、ポットへ向かう。
『あんまりため息を吐いていると、幸せが逃げちゃうよ』
記憶の中から、脳裏に声が響く。
「私の幸せは貴方の形をしているのよ。アルバが傍にいない時は、逃げてしまう幸せも無いわ」
少し恨めしそうに、独り言ちた。
今日は駄目だ、何だか感傷的になってしまうと、ノーチェは首を振りながら思って、この極夜の世界では「一日」なんて区切りが存在しないことを思い出すと、苦笑する。
「気持ちを切り替えて、何か頭空っぽに出来ることでもしよう…」
そう呟くと深く考えるより早く、そうだケーキを作ろうという考えが閃く。
お散歩に出ているアルバが帰って来たら出せるし、丁度良いかもしれない。私の陰鬱な気分を全部生地に練り込んで、焼き上げてしまおうと、ノーチェは決める。
勿体ないしミルクティーにでもしようと考えた、蒸らし過ぎて渋くなったお茶の入ったポットを片手に、部屋を出る。
塔の中央に広がる吹き抜けの螺旋階段を、台所に向けて下っていく。
本当に、今日はそういう日なのかもしれない。階段を下りながら、ノーチェは考えるとなく昔のことを思い返してしまう。
ノーチェとアルバが初めて出会ったのは、アルバが「今のアルバ」くらいの時だった。ノーチェにとってアルバはいつも太陽の様な存在だが、あの時、もう何があったか覚えていないが、潰れた片目を抑えて呻いていたノーチェの前にアルバが現れた時は、太陽が人の形になっていると、本気で驚いたものだ。
そして、アルバが師匠に頼み込んだ結果、師匠に拾われてノーチェはアルバと共に育つことになる。ノーチェという名前も、アルバが付けてくれた。
魔女の仕事の一環として保護していたアルバと違い、師匠がノーチェを育てることは、師匠とノーチェの運命を決めるものだったが、ノーチェはアルバに出会えた僥倖において、その他のことはどうでも良いと思っていた。
アルバが聖者として選ばれた時も、離れ離れになる淋しさはあったが、魔女となった後も、アルバが聖者であるならばアルバのことを覚えていられるという安堵の方が強かった。
その後、聖者が、アルバが世界を祝福出来なったばかりか、世界を呪う様になってしまったと知った時は、本当に天地がひっくり返った様な心地だった。
ノーチェの目から見えたアルバは、いつだって本当に太陽の様で、世界の全てを愛し、そして愛されている様だったから。だからアルバは聖者にとても相応しいと、歴代聖女が女性の中で、例外的男だとか関係無く、世界を祝福する聖者に相応しいと、ノーチェは考えていた。
だからこそ、アルバが祝福する世界を支える為にと、人知れず無理難題を押し付けられるという、不遇極まる魔女という役目にも、ノーチェは前向きに取り組んでいた。だというのに……。
階段を全て下りきり、足裏の感触が変わったことで、ノーチェの意識が物思いから引き上げられる。
台所に入ると、またため息を一つ。
ポットを置いてオーブンに火を入れ、秤を出して材料を測っていく。
スープなどは目分量でも構わないが、お菓子やパンは比率が少しでもズレると失敗してしまう。だからこそ、頭の中を空っぽにするには適していた。
次々と材料を測っていく。一通り準備出来たら、粉を振るってから混ぜ合わせる。
この作業は、鬱屈した思いがあればあるだけ、生地が滑らかになっていく。良いのか悪いのか、ノーチェは複雑な気持ちで苦笑する。
生地を型に流し込むと、温めておいたオーブンに入れる。この辺の火加減は、火の魔法石を使えば流し込む魔力量で自由自在なので、こういう時に魔力の便利さを強く感じる。
ケーキを焼いている間に、渋くなったお茶をポットからミルクパンに移し、お茶よりも少し多いミルクと砂糖を加える。そして、沸騰はしないくらいまで温めるとカップに移し、椅子に座って一息吐く。
ノーチェはミルクティーを口に含みつつ、オーブンを見つめる。
ふと、今日はアルバが帰って来るのを待つのではなくて、迎えに行こうかなと思い立つ。
もし入れ違いになっても、アルバがこの塔に帰って来ればノーチェには分かる。
良い考えかもしれないと、ノーチェは口元を緩める。
アルバとこの裏側の世界に、どのくらいの時間が残っているか分からない。でも、元々二十歳前くらいの外見だったアルバが、現在七・八歳くらいになっていることを考えれば、もう折り返しは過ぎただろう。
残りの時間が、アルバにとって心安らかなものであれば良い。ノーチェはもう何度したか知れない祈りを、また思い浮かべた。
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