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一章 平穏な日常の終わりは突然に
「自分の警戒心が足りなかっただけですから」
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約束の五分前。目の前には、指導室の重厚な扉が建っている。
最上階はその他に学園長室や教官用会議室などがあり、大層なことをしなければ卒業まで足を踏み入れることのない領域だ。
……その筈だった。
意を決して目の前の扉を叩く。
「アッシュ・ハイディアです」
「入れ」
向こう側から低く野太い声が聞こえた。
間違いなくオーウェン教官がいる。入りたくはないが、逃げるなんてもっと恐ろしい。
躊躇いながらも、重い扉を開けた。
「失礼します」
冷静を装いつつ中に入る。そこには教官の他に、学園長、事務長、そして見知らぬ銀髪の男性がいた。彼らの座る前には椅子が三つ並べてあり、まるで面接のようだ。
生活指導はこんな面子の中で行われるのか。
それにしても、こちらを見て不敵な笑みを浮かべるあの銀髪の男性が気になる。彼だけ雰囲気が異なった。
「そこに座れ」
「はい、ありがとうございます」
教官に促され中央の椅子に座る。彼らとの距離は程よくあるものの、その威圧感はかなりのものだ。
さて、どう切り抜けようか。
「ここに呼ばれた理由に心当たりはあるか」
教官がまず訊ねる。その眼光は鋭く、気を抜いたら殺されてしまいそうな程だ。
「いえ、全くありません」
緊張しつつも素直にそう答える。
「そうだな。お前は学年でもトップクラスの成績を誇り、生活態度も問題ない。手本であるべき生徒だと俺は思っている」
「え、あぁ、はい」
少し拍子抜けする。まさかこの鬼教官にそんなことを言われるとは。
しかしこの人はそう甘くはない。本題はこれからだろう。
「ところでだ。お前、昨日の瓦版は見たか?」
「えぇ、見ましたが」
「その中に気になるものはあったか?」
昨日の瓦版。事故や芸能など様々なものがあったが、昨日は特別気になるものがあった。
自分の過去に関連するあの記事。
……まさか。嫌な想像が浮かび上がる。
確かニュースでは、地球に調査団を派遣すると言っていた。その後僕は、自分の前世の記憶について幼馴染に話をした。
教官がギラリと目を光らせる。どうやら目の前に座る重鎮らは、何処かでそれを耳にしたらしい。
最悪だ。こうなりたくなくて、わざわざ周囲を警戒していたのに。
「調査団派遣、ですか」
「察しがいいな。お前をその調査団の一員に推薦したいという連絡があってな。それで今日ここに呼び出したんだ」
「僕は推薦されるような覚えはありません。理由をお聞かせ願います」
一体何処であの話が漏れたのか。まずはそれが一番知りたかった。
教官の目が一際鋭くなるが、いくら恐喝されようともこの話だけは自らしたくない。
「ねぇ、君に前世の記憶があるっていうのは本当?」
教官と睨み合いをしていると、銀髪の男性が間に入ってきた。場の雰囲気に合わない程の笑顔を浮かべ、隣に無造作に腰掛ける。長い銀髪が背もたれにかかった。
「ゴメンね。君を推薦したの、俺なんだよね。あ、俺キース・ロイ。学園の情報管理をやってるんだ。地下の情報管理室に籠っているから、俺の顔見るの初めてだよね」
キース・ロイと名乗った男は馴れ馴れしく話し出す。
情報管理室。学園における情報の送受信、機材の管理等を担う部署だ。滅多に表には出ないため、担当者の顔を見るのは僕も初めてだ。
「そんなに警戒しないでよ。俺はオーウェン教官のただの同僚。怪しくないって」
「同僚だから信用してほしいと言うんですか」
冷めた目でキースを見つめる。
彼は“前世の記憶”と言っていた。恐らく彼が昨日の話を盗み聞きし、それを上層部に流したのだろう。
全ての元凶は彼だ。そんな相手に警戒しない人間など、いるはずがない。
「へぇ。お偉いさん相手にその態度、君、結構度胸あるね。それとも頑固なのかな。俺、君みたいなタイプ好きだな。じゃあ話してあげるよ」
キースはあっさりとそう言う。その軽々しさが逆に不信感を煽った。
彼は学園長に目配せをし、話し出す。
「実はこの学園には、生徒を監視するためのカメラが無数に設置されているんだ。映像も音声も残せる優れものさ。そして俺の仕事は、それを全て管理すること」
「監視カメラ……」
考えていない訳ではなかった。裏の顔があると言われるリマナセのことだ。どこかで生徒を監視していても合点がいく。
昨日感じた視線は、どこかにあった監視カメラのものだったのだろう。なんだか解せない。
「それだけ言えば理解できるだろう。それで俺は、君の情報を上にリークしたわけ。
ごめんね、勝手なことして。でも君みたいな特殊な人材っていないと思うんだよね。だから推薦したんだ」
「こんなの、推薦なんて生易しいものじゃないですよ」
「ごめんって。でも俺もこれが仕事だからさ。勘弁してほしいな」
わざとらしく両手を合わせて謝る。ここまでふざけた態度を徹底されると、逆に清々しい。
それに、彼は僕の思考を的確に読んで答えをくれた。見た目はともかく、彼は相当“できる”男のようだ。
「……もういいです。自分の警戒心が足りなかっただけですから」
「おお! ありがとう! 分かってくれると思ってたよ!」
大げさに両手を広げ、肩をバシバシ叩いてくる。一々行動がうざったい。
「けれど、僕が推薦を受けるかはまた別の話です。
調査団派遣ってそもそも何を行うのですか。目的もよく分かりません。行け、とだけ言われても返事なんて出来ませんよ。
それに、僕の話が本当である確証もないのでは」
そのままの流れでイエスと言わせそうな雰囲気に待ったをかける。
聞きたいことは山ほどあった。アテラに何が起きているのかすら分からない。そんな中で重い責任を負わされるなんて御免だ。
「ま、簡単に頷いてはくれないよね。そのくらい慎重な方が助かるよ」
キースがニヤリと笑う。満足したような姿に、なんだか全てを見透かされている気分になった。
「簡潔に言おう。アテラのマナは一年経たずに無くなる。マナが無くなればアテラ人は滅亡同然だ。それを阻止するために、国は外の惑星からマナを供給しようとしているのさ。
調査団の任務は、マナの成分と星に住む生物を調査すること。三ヶ月くらいでどうにか形に出来ればと思っているみたいだよ」
表情を変えることなく彼は言った。
どうやらアテラは危機に瀕しているらしい。それは一大事だと思う。しかし、キースの飄々とした態度が故に緊張感が伝わってこない。
「つまり、アテラ人の運命がかかった重要任務ってことですよね。そんな任務に何故未熟な学生を採用するんですか。余裕もないということでしょうか」
「若い子なら彼らの生活に溶け込めるという判断だよ。各惑星には知的生命体がいるらしいし、場合によっては彼らと交流をもたないといけなくなるからね。もちろん、リーダーは大人の役割だし、責任は全て国が負う。君達はただ、大人の指示に従ってくれればいい」
キースはそう言うが、どうも腑に落ちない。単に逆らわない駒として使われるだけではないのか。
「僕の前世の話はどう考えていますか」
「嘘はついていないと思っているよ。君はバカな生徒ではないし、君が友人と話していた内容が青の惑星の特徴と一致していることも確認したからね。
ま、仮に嘘だったとしても問題ないけど。前世の話がなくても、君は優秀な人材だからね」
にっこりと笑ってウインクを飛ばしてくるキースにうんざりしながら、これまでの彼とのやり取りを振り返る。
彼は僕の話を概ね信じているらしい。僕を信じ切れる要素はないように思うが、キースは何かしらの根拠を持っているようだ。それを探るのは、もう少し後でもいいだろう。
それに、彼の態度は気になるが、言葉に嘘は感じない。アテラの危機や人選の理由などは、信じたくはないが真実なのだろう。
ああ、何故僕がこんな目に合わねばならないのか。前世の記憶なんて何の役に立つというのだ。それどころか、大変なことに巻き込まれようとしているではないか。僕のこの記憶は一体何のために……。
盛大な溜息が出た。頭痛もする。目の前の重鎮に何と思われてもいい。こんな話早く断って日常を取り戻さねば。
「ってわけで、これから宜しくね。アッシュ・ハイディア君」
そんな僕の思考を無視してキースは手を差し出してくる。
「いえ僕はまだ何も決めて……って、え?」
「調査団青の惑星班のリーダー、実は俺なんだ。
そんな俺からの直々の誘いだよ。アッシュ、俺と一緒に地球に行ってくれないかな」
満面の笑みで、しかし今まで以上に真剣な眼差しで、キースはこちらを見ていた。彼の紫色の瞳の奥に、どことなく強い決意を感じる。
この人は一体、何を考えているのだろうか。それに、確かに今この人は。
「……分かりました。もう少しだけ、考えさせてください。今日中に返事はしますので」
自然とその言葉が出た。
興味が湧いた。キースが何故、そんなに僕を必要としているのか。けれど、考える時間も欲しかった。後戻りなど出来ないのだから。
「もちろんだよ。返事はおっくんにしてくれればいいからさ」
キースは差し出した手を僕の肩に置き、自分の席へと戻っていった。【おっくん】と言われたオーウェン教官は凄まじい顔をしていたが、キースはヘラヘラと「ごめん」と言うだけだった。
わざとらしく咳払いをしたオーウェン教官が、覇気のある声で言う。
「十六時にここで待っている。返事はその時に聞こう。用事は終わりだ。部屋に戻って構わない」
「承知しました。では、失礼しました」
やや重い腰を上げ席を立つ。終始座っているだけだった学園長と事務長にも軽く礼をし、扉へと向かった。
その時、後ろからキースに引き留められる。
「待って」
何かと思って振り向くと、彼はニヤリとして言った。
「あと二人くらい調査団のメンバーを選びたいんだけど、誰か候補はいないかい?」
「僕に言われましても……。他学年の生徒はよく知りませんし」
「返事を考えるついでに、候補生も考えてみてよ。君の推薦なら俺は歓迎するからさ」
「無責任な……」
「じゃ、よろしくね!」
ぐっと親指を立ててウインクをしたキースに見送られ、指導室を後にする。どこまでもテンションの高い彼に、ごっそりと生気が吸い取られた気がした。
自室までの道を戻っていく。寮生がほとんど帰省しているため、いつもよりも静かだった。溜息も廊下に響いてしまいそうだ。
「調査団、か……」
そう独りごちて天井を仰ぐ。
地球に行くことになるかもしれない。ただしそれはあくまでもアテラ人として、だ。
最終的な目標は、マナをどうにかアテラに持ち帰ることだろう。そのための調査とは一体何をするのか。無事に三ヵ月が経つとは思えないのだが。
正直行きたくはない。けれど、キースのことは気になる。
キース・ロイ。彼は何を考えているのか。彼は一体何者なのか。それを知るには、側にいるのが一番だろうが。どうしたものか。
フと外を見ると、しんしんと雪が降り注いでいた。少しずつ積もる雪が、自分の中で大きくなっていく不安と重なって見える。
いや、もういい。考えるのはやめよう。
「……図書館にでも行きましょう」
暗い思考を振り切るように頭を振ると、僕は急ぎ足で図書館へと向かった。
最上階はその他に学園長室や教官用会議室などがあり、大層なことをしなければ卒業まで足を踏み入れることのない領域だ。
……その筈だった。
意を決して目の前の扉を叩く。
「アッシュ・ハイディアです」
「入れ」
向こう側から低く野太い声が聞こえた。
間違いなくオーウェン教官がいる。入りたくはないが、逃げるなんてもっと恐ろしい。
躊躇いながらも、重い扉を開けた。
「失礼します」
冷静を装いつつ中に入る。そこには教官の他に、学園長、事務長、そして見知らぬ銀髪の男性がいた。彼らの座る前には椅子が三つ並べてあり、まるで面接のようだ。
生活指導はこんな面子の中で行われるのか。
それにしても、こちらを見て不敵な笑みを浮かべるあの銀髪の男性が気になる。彼だけ雰囲気が異なった。
「そこに座れ」
「はい、ありがとうございます」
教官に促され中央の椅子に座る。彼らとの距離は程よくあるものの、その威圧感はかなりのものだ。
さて、どう切り抜けようか。
「ここに呼ばれた理由に心当たりはあるか」
教官がまず訊ねる。その眼光は鋭く、気を抜いたら殺されてしまいそうな程だ。
「いえ、全くありません」
緊張しつつも素直にそう答える。
「そうだな。お前は学年でもトップクラスの成績を誇り、生活態度も問題ない。手本であるべき生徒だと俺は思っている」
「え、あぁ、はい」
少し拍子抜けする。まさかこの鬼教官にそんなことを言われるとは。
しかしこの人はそう甘くはない。本題はこれからだろう。
「ところでだ。お前、昨日の瓦版は見たか?」
「えぇ、見ましたが」
「その中に気になるものはあったか?」
昨日の瓦版。事故や芸能など様々なものがあったが、昨日は特別気になるものがあった。
自分の過去に関連するあの記事。
……まさか。嫌な想像が浮かび上がる。
確かニュースでは、地球に調査団を派遣すると言っていた。その後僕は、自分の前世の記憶について幼馴染に話をした。
教官がギラリと目を光らせる。どうやら目の前に座る重鎮らは、何処かでそれを耳にしたらしい。
最悪だ。こうなりたくなくて、わざわざ周囲を警戒していたのに。
「調査団派遣、ですか」
「察しがいいな。お前をその調査団の一員に推薦したいという連絡があってな。それで今日ここに呼び出したんだ」
「僕は推薦されるような覚えはありません。理由をお聞かせ願います」
一体何処であの話が漏れたのか。まずはそれが一番知りたかった。
教官の目が一際鋭くなるが、いくら恐喝されようともこの話だけは自らしたくない。
「ねぇ、君に前世の記憶があるっていうのは本当?」
教官と睨み合いをしていると、銀髪の男性が間に入ってきた。場の雰囲気に合わない程の笑顔を浮かべ、隣に無造作に腰掛ける。長い銀髪が背もたれにかかった。
「ゴメンね。君を推薦したの、俺なんだよね。あ、俺キース・ロイ。学園の情報管理をやってるんだ。地下の情報管理室に籠っているから、俺の顔見るの初めてだよね」
キース・ロイと名乗った男は馴れ馴れしく話し出す。
情報管理室。学園における情報の送受信、機材の管理等を担う部署だ。滅多に表には出ないため、担当者の顔を見るのは僕も初めてだ。
「そんなに警戒しないでよ。俺はオーウェン教官のただの同僚。怪しくないって」
「同僚だから信用してほしいと言うんですか」
冷めた目でキースを見つめる。
彼は“前世の記憶”と言っていた。恐らく彼が昨日の話を盗み聞きし、それを上層部に流したのだろう。
全ての元凶は彼だ。そんな相手に警戒しない人間など、いるはずがない。
「へぇ。お偉いさん相手にその態度、君、結構度胸あるね。それとも頑固なのかな。俺、君みたいなタイプ好きだな。じゃあ話してあげるよ」
キースはあっさりとそう言う。その軽々しさが逆に不信感を煽った。
彼は学園長に目配せをし、話し出す。
「実はこの学園には、生徒を監視するためのカメラが無数に設置されているんだ。映像も音声も残せる優れものさ。そして俺の仕事は、それを全て管理すること」
「監視カメラ……」
考えていない訳ではなかった。裏の顔があると言われるリマナセのことだ。どこかで生徒を監視していても合点がいく。
昨日感じた視線は、どこかにあった監視カメラのものだったのだろう。なんだか解せない。
「それだけ言えば理解できるだろう。それで俺は、君の情報を上にリークしたわけ。
ごめんね、勝手なことして。でも君みたいな特殊な人材っていないと思うんだよね。だから推薦したんだ」
「こんなの、推薦なんて生易しいものじゃないですよ」
「ごめんって。でも俺もこれが仕事だからさ。勘弁してほしいな」
わざとらしく両手を合わせて謝る。ここまでふざけた態度を徹底されると、逆に清々しい。
それに、彼は僕の思考を的確に読んで答えをくれた。見た目はともかく、彼は相当“できる”男のようだ。
「……もういいです。自分の警戒心が足りなかっただけですから」
「おお! ありがとう! 分かってくれると思ってたよ!」
大げさに両手を広げ、肩をバシバシ叩いてくる。一々行動がうざったい。
「けれど、僕が推薦を受けるかはまた別の話です。
調査団派遣ってそもそも何を行うのですか。目的もよく分かりません。行け、とだけ言われても返事なんて出来ませんよ。
それに、僕の話が本当である確証もないのでは」
そのままの流れでイエスと言わせそうな雰囲気に待ったをかける。
聞きたいことは山ほどあった。アテラに何が起きているのかすら分からない。そんな中で重い責任を負わされるなんて御免だ。
「ま、簡単に頷いてはくれないよね。そのくらい慎重な方が助かるよ」
キースがニヤリと笑う。満足したような姿に、なんだか全てを見透かされている気分になった。
「簡潔に言おう。アテラのマナは一年経たずに無くなる。マナが無くなればアテラ人は滅亡同然だ。それを阻止するために、国は外の惑星からマナを供給しようとしているのさ。
調査団の任務は、マナの成分と星に住む生物を調査すること。三ヶ月くらいでどうにか形に出来ればと思っているみたいだよ」
表情を変えることなく彼は言った。
どうやらアテラは危機に瀕しているらしい。それは一大事だと思う。しかし、キースの飄々とした態度が故に緊張感が伝わってこない。
「つまり、アテラ人の運命がかかった重要任務ってことですよね。そんな任務に何故未熟な学生を採用するんですか。余裕もないということでしょうか」
「若い子なら彼らの生活に溶け込めるという判断だよ。各惑星には知的生命体がいるらしいし、場合によっては彼らと交流をもたないといけなくなるからね。もちろん、リーダーは大人の役割だし、責任は全て国が負う。君達はただ、大人の指示に従ってくれればいい」
キースはそう言うが、どうも腑に落ちない。単に逆らわない駒として使われるだけではないのか。
「僕の前世の話はどう考えていますか」
「嘘はついていないと思っているよ。君はバカな生徒ではないし、君が友人と話していた内容が青の惑星の特徴と一致していることも確認したからね。
ま、仮に嘘だったとしても問題ないけど。前世の話がなくても、君は優秀な人材だからね」
にっこりと笑ってウインクを飛ばしてくるキースにうんざりしながら、これまでの彼とのやり取りを振り返る。
彼は僕の話を概ね信じているらしい。僕を信じ切れる要素はないように思うが、キースは何かしらの根拠を持っているようだ。それを探るのは、もう少し後でもいいだろう。
それに、彼の態度は気になるが、言葉に嘘は感じない。アテラの危機や人選の理由などは、信じたくはないが真実なのだろう。
ああ、何故僕がこんな目に合わねばならないのか。前世の記憶なんて何の役に立つというのだ。それどころか、大変なことに巻き込まれようとしているではないか。僕のこの記憶は一体何のために……。
盛大な溜息が出た。頭痛もする。目の前の重鎮に何と思われてもいい。こんな話早く断って日常を取り戻さねば。
「ってわけで、これから宜しくね。アッシュ・ハイディア君」
そんな僕の思考を無視してキースは手を差し出してくる。
「いえ僕はまだ何も決めて……って、え?」
「調査団青の惑星班のリーダー、実は俺なんだ。
そんな俺からの直々の誘いだよ。アッシュ、俺と一緒に地球に行ってくれないかな」
満面の笑みで、しかし今まで以上に真剣な眼差しで、キースはこちらを見ていた。彼の紫色の瞳の奥に、どことなく強い決意を感じる。
この人は一体、何を考えているのだろうか。それに、確かに今この人は。
「……分かりました。もう少しだけ、考えさせてください。今日中に返事はしますので」
自然とその言葉が出た。
興味が湧いた。キースが何故、そんなに僕を必要としているのか。けれど、考える時間も欲しかった。後戻りなど出来ないのだから。
「もちろんだよ。返事はおっくんにしてくれればいいからさ」
キースは差し出した手を僕の肩に置き、自分の席へと戻っていった。【おっくん】と言われたオーウェン教官は凄まじい顔をしていたが、キースはヘラヘラと「ごめん」と言うだけだった。
わざとらしく咳払いをしたオーウェン教官が、覇気のある声で言う。
「十六時にここで待っている。返事はその時に聞こう。用事は終わりだ。部屋に戻って構わない」
「承知しました。では、失礼しました」
やや重い腰を上げ席を立つ。終始座っているだけだった学園長と事務長にも軽く礼をし、扉へと向かった。
その時、後ろからキースに引き留められる。
「待って」
何かと思って振り向くと、彼はニヤリとして言った。
「あと二人くらい調査団のメンバーを選びたいんだけど、誰か候補はいないかい?」
「僕に言われましても……。他学年の生徒はよく知りませんし」
「返事を考えるついでに、候補生も考えてみてよ。君の推薦なら俺は歓迎するからさ」
「無責任な……」
「じゃ、よろしくね!」
ぐっと親指を立ててウインクをしたキースに見送られ、指導室を後にする。どこまでもテンションの高い彼に、ごっそりと生気が吸い取られた気がした。
自室までの道を戻っていく。寮生がほとんど帰省しているため、いつもよりも静かだった。溜息も廊下に響いてしまいそうだ。
「調査団、か……」
そう独りごちて天井を仰ぐ。
地球に行くことになるかもしれない。ただしそれはあくまでもアテラ人として、だ。
最終的な目標は、マナをどうにかアテラに持ち帰ることだろう。そのための調査とは一体何をするのか。無事に三ヵ月が経つとは思えないのだが。
正直行きたくはない。けれど、キースのことは気になる。
キース・ロイ。彼は何を考えているのか。彼は一体何者なのか。それを知るには、側にいるのが一番だろうが。どうしたものか。
フと外を見ると、しんしんと雪が降り注いでいた。少しずつ積もる雪が、自分の中で大きくなっていく不安と重なって見える。
いや、もういい。考えるのはやめよう。
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