退廃都市の記録係

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第38話 ジェノエッジ・バイオサイエンス社

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「ジェノエッジ・バイオサイエンス……」

 ベルトコンベヤの上から手に取った資料に視線を落とし、呟くアキ。
 彼女の手の中に握られているのはA4サイズの紙が複数枚入った透明なクリアファイル。そこにはびっしりと文字の羅列が印刷されており、左上に小文字で企業名が印字されている──どうやらこれは就職説明会に来た学生向けの資料らしい。
 ファイルの中には他にもカラープリントの資料が入っており、よく見るとファイル自体にも企業のロゴがプリントされている。説明会の会場に来た学生にこれごと配布されたようである。
 ──自分は文字を読むのが苦手である。興味のない分野であれば特に。
 黙って隣に立つ環にファイルごと押し付けるアキ。環もやれやれと言った様子で彼女の手からファイルを受け取った。

「ジェノエッジ・バイオサイエンス社だ。生物の遺伝子を操作し、特定の能力や特性を付与する技術。薬品の開発や治療法の改善に利用される。遺伝子改変技術を用いて治療薬の開発や不審死の予防に取り組んでいる」
「まさか暗記してるんですか?」

 試験前の学生でもないのに……。
 自分が一瞬で読む気を失った資料を顔に近付け、食い入るように凝視する環の姿にアキは少し引いていた。資料を読み上げているだけなのか、彼自身の知識なのかは定かではないが傍から見ていて恐ろしいことには変わりない。
 詳細に何をしているかまでは定かではないが……一応アキもこの企業の事は知っている。区画を統括する組織の一つであり、稀にアキの生活してたセクターにもCMを流していたような大企業だ。アキはコレを何となく「名前的に理系の企業だろう」と軽く流していた。そして文系の自分では一生縁がないような場所だとも。
 ──生物の遺伝子を付け替えるなんて、まるでマッドサイエンティストね!
 アキの母親は食事中、番組の合間に流れるこのCMを見てそう呟いていた。自分の地元では何となくイメージの悪い企業だったが、当時のアキには大人達が何故それを嫌っているのか理解出来なかった。
 今思えばそれは理解の出来ない技術が怖いという漠然とした恐怖感だったのかもしれない──こうして情報を聞き、解像度が上がると不思議とイメージが良くなるものだ。

「どうしてそんなに詳しいんですか。まさか前の勤め先がここなんですか?」
「それは違う。個人的に少しな。それとここはうちと提携している」

 環が資料の中から一枚の紙を引っ張り出す。
 業務提携、協力会社の項目だ。中にはこの企業……アキがロゴ以外の存在をすっかり忘れていたフェノム・システムズの名前がある。アキは彼の持つ資料と自分の社員証にプリントされたロゴと企業名を見比べる。
 何をどうしたら遺伝子改変とウチが繋がるのか。
 アキは静かに首を傾げるだけであった。

「何か提供してもらったり、何らかの協力関係にあるってことでいいんですよね」
「ああ」
「平和的に考えるなら治療面で助けてもらっていると考えるべきなんでしょうね」

 動物の特性を人間に移したり、複数の特性を持つ動物を作ったり……改造人間とか作ってもらっている可能性の方が夢が有るけど。
 アキはふと頭に浮かんだ不謹慎な妄想をぐっと飲みこんだ。しかしながら地元では子供達がCMを見て実際にそうして騒いでいたのは事実だ。このCMが特撮やSF系のアニメなどと被るとタイミングとしては最悪である……。
 昔の事をぼんやりと考えるアキの隣で、環は資料から未だに視線を外さない。このまま見つめていると資料に穴が開いてしまうのではないか。
 アキはこの空気を変えようと少し離れたところに話題を逸らす。

「さっき個人的に付き合いがあるって言ってましたけど、ここにお世話になったりしたんですか?丈夫な身体になったとか」
「何も受けていない。サービス全般が高額だからな」

 普段のポーカーフェイスのまま首を横に振る環。クリアファイルを渡すよう促すアキに対し、環は黙って手渡してやる。
 環はこの企業のことをよく知っていた──他でもない自分を捕虜として捕えた企業であり、監察局と共に前職の職場を破壊した組織だ。忘れるわけがない。
 そもそも前職のオフィスは彼等のセクターに存在したのだ。星間就業法に違反したという密告を受けた彼等はこちらの存在を理由に中小企業を蹂躙したのだ。
 同じ不審死の克服という目的を持つ同業者同士……足の引っ張り合い、もとい彼等が自分達を消す理由というものは理解出来るのだが。ある種、この国の御家芸とも言えよう。
 この企業に腹を立てた時期もあったが、そもそも「こちらの存在」に気付いたから彼等は自分の元へやってきた。彼等が密偵を放ったのか、外部の人間なのかは定かではないが──あの一件から自分は益々疑り深い人間になったと思う。
 サービスの一例を紹介するカラーの資料を読むアキが隣で「これは高すぎるんじゃいですか」「高級マンションに住める額」などと騒ぐ様子を横目に環はため息を吐いた。
 彼女の態度に腹を立てているわけではない。不意に過去から手が伸びてきて、古傷に爪を立てられたような心地を味合わされただけ。

「でも異種生物融合やってる所もありましたよね?ウサギネコドリみたいなの作ってるところ。あれとどうやって棲み分けしてるんでしょう」
「あれはキメラだろう。軍事利用であったり。愛玩動物としても売っていたな。」
「そういうものですか。アレもオーダーメイドはバカみたいに高いって話でしたね。誕生日プレゼントに欲しがったら親に怒られたんですよね。同級生の中には飼ってる子もいたんですよ。家に行ったら飼育用の大きな小屋が建ててあって……」

 生物本体だけでもこうも高額なのに、と。親の言ってることを理解したんです。
 どうしてこう大企業のサービスというものは値が張るのか。そういうものに限って特許を取得している所為で安価な類似サービスが出回らず、独占状態──アキは昔見たCMの中に類似する技術を思い出し、ふと話題に出してみるが話題を広げるほどこの国のいやらしさを再認識させられるようでやや気分が悪くなった。
 そしてこれだけ異常な環境……アキは外国を知らないが、こんな国で暮らしていても一般庶民はそうしたサービスに触れられないこと。「普通」に暮らしていることに辟易する。
 環はそうした話題に特に興味がないのか、それともまた別の事で物思いに浸っているのか言葉はどこか生返事。いつも通りだ。
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