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希望、小一。そのいち

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 とてもハラハラする。僕はママに抱きかかえられて、玄関先まで二人をお見送りしている。ノゾムは、楽しそうに飛び出し、ノゾミは不安そうに何度も振り返り手を振っている。二人とも、自分の体よりも大きなランドセルを背負わされ、転んでしまわないか心配になった。一度、ママに連れられて、二人が通う小学校という場所を見に行った事がある。家からは、なかなかの距離で、僕は平気だったけど、二人には遠くて大変そうだ。特に、運動が苦手なノゾミの事が心配だ。出来る事なら、僕も一緒についていってあげたいけれど、それはダメのようであった。
 カズユキが仕事に出て、ノゾムとノゾミは学校へと通う。昼間は、ママと二人きりだ。先日、二人の弟妹が眠った後、ママとカズユキが会話をしており、僕は傍で聞いていた。そろそろ、仕事を再開しようかどうかママが悩んでいた。金銭的に余裕がないという訳ではなく、時間を持て余す事をママは嫌っているようだ。家庭内の振る舞いからは、想像もできないのだが、カズユキは意外と収入はあるようで、少しだけ見直した。ほんの少しだけだけど。だから、カズユキが、慌てて働く事はないと言っていた。それに関しては、激しく同意する。そのおかげで、僕はママと一緒にいられて、寂しくない。ここ数年は、ノゾムとノゾミが生まれる前のように、ママを独占できている事が嬉しい。
「じゃあ、お言葉に甘えて、もう少しゆっくりするかな。ホップのおかげで、お小遣い程度なら稼がせてもらってるしね」
 ママはそう言って、僕を抱き上げて頬ずりをした。僕のおかげで? 僕はお金を稼いだことがないのだけれど。二人の会話を聞くところによると、僕の事をブログに書いたり、動画を投稿しているそうだ。そのことで、少しではあるが、収益が発生しているそうだ。言われてみれば、最近やけにスマホを向けられているとは、感じていた。詳しくは分からないけど、少しでもママの役に立てているのなら、これほど嬉しい事はない。
 ノゾムとノゾミを見送った後、ママはタオルを首に巻き軍手を装着した。庭の手入れをするようだ。僕も庭に出て、庭の警備に当たる。そして、たまにおしっこをするのだ。これは、僕が自分のトイレに行く事が面倒だからではない。こうしておくと、野良猫のクロが、フンをしなくなるのだ。そう思っている矢先、左隣の櫻井さんの庭をクロが我が物顔で歩いていた。気の毒な事に、櫻井さんの庭は、クロのトイレと化していた。櫻井さんのご主人が、困り顔でフンの始末をしている場面をよく目撃する。偶然か計算かは分からないけれど、櫻井さんは犬や猫と住んでいない。邪魔者がいない家に狙いを定めているのかもしれない。
「おい! クロ! お前いい加減にしろよ!」
「うるさいな! お前には、関係ないだろ! 俺様の勝手だ! ここは、俺様の縄張りなんだからよ!」
 怖気づく事も悪びれる事もなく、クロは平然と言ってのける。策越しに僕の目の前で座り込んで、後ろ足で後頭部を掻いている。
「野良とは、自由の代名詞なのさ。至高の存在だ。好きな所で寝て、好きな所で糞をする。全て俺様の思いのままなのさ! どうだ、羨ましいだろ? 皆から愛される皆のアイドル、それが俺様さ!」
 こいつは、何を言っているんだ? 開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だ。多くの人々に迷惑をかけている自覚は、皆無のようであった。
「皆の嫌われ者の間違いだろ? 櫻井さんだって、迷惑がっているぞ!」
「何を言っているんだ? 飯をくれるのは、その櫻井だぞ?」
「え? そうなのか?」
「ああ、そうさ。だから、食った物を食った場所で出して何が悪いんだ? この地域の連中は、飯をくれる人間が大勢いるんだ。でなけりゃ、俺様達野良が生きていける訳がないだろ?」
 クロが言うように、この辺りを根城にしている野良猫は多く、皆健康的な体をしている。
「これ見ろよ。これ」
 クロは言うなり、耳をピクピクと動かした。クロの耳には、なにやらついている。僕は疑問符を浮かせた。
「シルバーのピアスだ。これが俺様達が守られている証なのさ」
「どういう事だ?」
「この地域の連中は、猫やら犬が好きな奴が多いんだ。ペットを飼っている家が多いだろ? だから、この地域の連中は、組合ってやつを作って、俺様達野良猫を保護しているんだ。皆で金を出し合って、飯を与えたり、検査したり、去勢したりして、俺様達と上手くやっていこうって訳だ」
 まあ、そのせいで、交尾はできなくなったんだが。と、クロは不満そうにつけ加えた。そんな取り組みがあったのは、初耳であった。櫻井さんのご主人の困り顔は、迷惑だったからじゃないのか。だからこそ、ここいらの野良猫は、皆ふてぶてしいのだろう。とは言っても、クロの言う事を全部真に受ける気にはなれない。
「沢山の人間が、俺様に食事を献上しているのさ。どこに行こうが、何をしようが、俺様の自由だ。その点、お前等ペットは、不憫だな。何をするにも制限され、芸を仕込まれ人間の慰み者になっている。同情するよ。文字通り、人間の犬だな。憐れ極まりない。小さな世界で、こじんまりと生きて、何が楽しいんだ? 想像するだけで、窒息しそうだ」
 クロは吐き捨てると、馬鹿にするように笑って、どこかへ行ってしまった。次は、どこへ行くのだろう。クロの言い分が、あまり理解できなかった。そんな事、考えもしなかった。でも、クロが羨ましいとは、微塵も感じない。僕は、今の生活で、十分満足しているのだから。大好きなママと、ノゾムとノゾミ、ついでにカズユキもいる。毎日、楽しい時間を過ごしている。何よりも、ノゾムとノゾミの成長を間近で見られる喜びは、何事にも代えられない。僕は、その場で尻をついて耳の後ろを掻いた後、グルリと家を回った。ママがしゃがみ込み、雑草を引き抜いていた。ママの傍に寄って見上げると、ママは優しく微笑みかけてくれた。僕は、それだけで、十分だ。
「やあ、ホップ。今日もいい天気だね。こんな日は、陽だまりの中でお昼寝したら、気持ちいいだろうね」
 反対側のお隣さん、松本さんちのシュートが、あくびをしている。僕は挨拶をして、先ほどのクロとの会話を話した。
「ああ、その事なら知ってるよ。僕のご主人もその一人だね。前に、あの猫に飛びかかったら、叱られてしまったよ。僕は体が大きいからね、小さな猫を追い払おうとすると、イジメているように見えるらしい。そうしたら、あの猫、愛想を振りまいてご主人に甘えやがって。まさに猫を被っていたのさ。はらわたが煮えくりそうになったよ。気持ちが伝わらないのは、歯がゆいものだね」
 鼻息を荒くしたシュートは、思い出したせいか、また苛立っているようだ。その気持ちはよく分かる。
「聞いてくれるかい? ホップ! この前なんてさ、僕の散歩中にあの猫と会って、あいつはまたご主人に擦り寄ったのさ。それで、ご主人が嬉しそうにあの猫を撫でていたんだ。そしたら、あいつ何て言ったと思う? 『この人間、ちょろいよな。それに鈍そうだ。やっぱり、ペットは飼い主に似るのか?』って言ったんだよ! いつかあいつに噛みついてやるんだ」
 思い出し怒りが、限界点を突破したのだろう。突然、シュートが大声を出したから、驚いた。いつも冷静でおとなしいシュートが、我を忘れている。余程、頭にきたのだろう。
「ちょっと、どうしたの? 喧嘩しちゃダメよ」
 ママが僕達の傍に様子を見に来た。そして、フワリと抱きかかえられた。ママ違うんだよ、喧嘩なんかしてないよ。だけど、伝える手段が分からない。ママは腕を伸ばして、シュートの頭や顎の下を撫でる。シュートは舌舐めずりをして、長い舌を出した。
「シュート、ホップと仲良くしてあげてね」
 ママは、僕の手を掴んで、シュートに向かって手を振った。
「ホップ、ごめん。取り乱してしまった」
「全然、構わないよ。僕達で家族を守らなきゃね」
 僕とシュートは、互いに目で挨拶をかわし、僕は家の中へと連れて行かれた。抱えられたまま、雑巾で手足を拭いてもらって、床に着地した。
「ホップ、ご近所付き合いは、大切だよ。仲良くしてね」
 僕はシュートと仲良しなんだよ。悪いのは、野良猫のクロさ。
 想いを伝えられないのは、歯がゆいものだ。
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