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白騎士の哀歌(エリアス)
しおりを挟むゲルダ王太子妃に剣を捧げたことに後悔はない。ただ、主を救うことができなかったことだけが悔しいばかりだ。
落城のあの日、私は城にいなかった。
そのひと月前に母が危篤で領地へ戻っていたからだ。弱気になった母を放り出せなかった。母は三男である私を殊の外可愛がってくれていた。
あの時期に主の側を離れるなど、エンダベルト軍を名乗るハイデマリー・シーレンベックの反乱を甘く見ていたのは認める。だが、城内の誰もがそこまでの危機感を持っていなかったのも事実だ。
王国の北側を取られ、東部シーレンベック領まで抑えられ、王都が丸裸にされてしまったというのに事実認識ができていなかったとしか思えない。
国王陛下一家が囚われ、後、ボニファツ王太子殿下は廃嫡の上、西の離島へ流刑。すぐに王太女に収まったハイデマリーが即位した。直後に国の名を変えたのだ。明らかな簒奪だ。
私は騎士として許せなかった。
ハイデマリーの横暴が。危地にある主を守りきれなかった己が。
「エリアスは体が弱かったのにがんばって騎士になったんだよね。お兄様たちに意地悪されても負けなかった強いひとだって、わたしは知ってるよ」
ゲルダ妃殿下の明るい笑顔がまぶたの裏にやきついて離れない。お優しい妃殿下は私の手に触れ、「努力家の手だね」と労ってくださった。
嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。
努力の末に手に入れた騎士職、それを認めてもらえたのだと思った。
男としてゲルダ様を愛したのではない、と思う。あの方は高貴な、王太子妃となられた方だ。
私はひとりの騎士として、妃殿下を主と定めた。だからこれは忠誠だ。
私の主を流刑にした女、ハイデマリー。
わざわざ徴募兵に混じってあの女の前まで行ったというのに、私は剣を抜くことができなかった。
まるで全てを見通しているかのようなあの目。黒い瞳。
距離はあった。あの女にこちらの殺意を読み取るような真似はできないはずだ。それなのに、なぜだ。
私は動くこともできなかったのだ。
夜を待って、私は兵舎から逃げ出した。
あの女の首級を上げてから主をお救いしようと思っていたが、順序を変えることにした。
私は騎士で、暗殺者ではない。
主を戴き、挙兵するべきだ。ボニファツ王太子殿下にご即位いただくのだ。
正統はこちらだ。簒奪女になど負けてなるものか。
私はムジクスタッドからも抜け出し、西へ向かった。馬も使えず、人目も避けての旅は想像していたよりも厳しかった。目指すのは、王太子ご夫妻が封じられた西の孤島ベブレットだ。
べブレット島に渡るには、ベストクリップ領のアベン港から船を使うしかない。だが、島へは十日に一度程度、物資を運ぶ舟がいくだけで、ふらりと立ち寄るという体は取れないようになっていた。
私は荷運人としてアベンに住み込み、その舟を探すことにした。
港町は賑やかで、見慣れぬ顔が増えても不審に思う者は少ないようだった。とはいえ、髭も剃らず、髪も整えていない私の姿は騎士には見えないだろう。
私も荒くれに混じって働き、目立たぬように舟主をひたすら探した。
舟主を見つけ出すのに二十日ほどかかった。朝黒い肌をした、壮年の男だった。
「べブレット島への荷運びは特別なんだ。お前みたいな渡り者を連れていくわけにゃいかねぇ」
「そう言わないでくれ。わた、いや、オレは昔、お妃さまにお世話になったものなんだ。だからどうしても、こいつをお届けしたくて」
舟主の男に見せたのは焼き菓子だ。ゲルダ様は甘い焼き菓子がお好きだった。王宮菓子職人の作ったものとは程遠い粗末なものだが、とても甘い。焼き締めた甘い菓子は日持ちがする。
「届けるんなら荷物に入れてやる」
「いや、オレが自分で渡したいんだ。頼むよぉ」
「そうは言うが……下手すりゃこっちの首が飛ぶんだぜ? 領主様を逃そうだなんて思ってんじゃねえよな?」
舟主の男は髭で埋まった顔を顰めた。
内心、ヒヤリとした。だが、堪える。
私は懐に隠してきた革の小袋を男に渡した。中身は金貨だ。現在の私にできる精一杯の金策だった。
「そんなことはしないさ。オレはただ、お妃様が心配なんだ」
「まあなあ。このところ、奥様は見かけねえしなあ。病気だっつんなら医者を連れていかなきゃならねえし……まあ、いいだろう」
男は猫のように目を細めて笑い、小袋を仕舞い込んだ。
「明日の朝、日の出前に出発だ。遅れたら置いていくからな」
「感謝する!」
ああ、ああ!
いよいよお目にかかれる!
私は塒に戻り、髭を落として髪を整えた。湯は使えなかったが、水で体を清めるくらい、騎士ならできる。
近衛騎士のサーコートを失った私だが、剣はあるのだ。
ゲルダ様、ゲルダ様。
ようやくあなたの騎士がお側に戻ります!
翌朝、帆柱が一本しかない小舟は約束通りに港を出た。腰に剣を帯びた私を怪訝そうに見たが、舟主は何も言わなかった。
舟主は帆で風を操るようにして波を進み、日が高くなったところでべブレット島に辿り着いた。
べブレット島は小さかった。王太子妃殿下がお住まいになっていた宮殿よりも狭いかもしれない。
私は舟が着岸するより先に飛び出し、走った。
岩場に板が渡してあるだけの粗末な船着場に男がひとり、突っ立っていた。 髪も髭も最低限にしか整えられていない、漁師のような格好のその人が王太子だとは思えない。
だが、この島にいる男性はボニファツ殿下のみだ。
私は殿下に駆け寄り、足元に跪いた。
「殿下! 殿下、ご無事でいらっしゃいましたか!」
「……君は……エリアス卿?」
殿下は惚けたような小さな声で私の名を呼んだ。
「如何にも、エリアスにございます。このような島での暮らし、ご心労、如何ばかりかとお察しいたします。不肖このエリアス、再びお側に侍らせていただく所存。我が主、ゲルダ妃殿下にもお目通りいたしたく存じます」
本来なら、主家に対して申し述べるようなことではないが、非常時だ。王太子ご夫妻をお守りする役目に就きたいと、自分で言うしかない。
「げる、だ……に?」
「殿下?」
ボニファツ殿下がよろめいた。
いつでも凛となさっていた殿下には珍しいことだ。むしろ初めて見た。
「ゲルダは、その、具合が悪くて……」
「では医者の手配を! 小舟の主がそれはできるというようなことを申しておりました」
「いや、医者は……」
「よもや、ご懐妊では?」
「それはない。ないよ、それは違う」
殿下のお顔の色がどんどん悪くなっていく気がする。これは一体、どういうことなのだ。
私はゲルダ様にお目にかかれないというのか。
「いやいや、ゲルダ様ってのは前の王太子妃殿下だよな。金の髪のキレイな方だった」
無遠慮な声は舟の主だ。
荷物を下ろしていたとばかり思っていたのに、小屋のある方から歩いてきて、そう言った。
「お前、まさか、家に入ったのか」
「入りましたとも。こんなに臭いんじゃあ、気になっちまう」
殿下の問いに、男が笑った。
「よくもまあ、死体とふたりきりでお過ごしになれたもんで。王族ってのは意味がわからねぇな」
男は笑い、布包みを投げて寄越した。私は思わず受け取った。
絹の、女性の使うストールに包まれたものは頭の骨だった。肉はほとんど落ちて、髪が名残りのように張り付いている。
金色の髪が。
「ゲルダ、様……? まさか、殿下……?」
ストールごと骨を抱き、私はボニファツ殿下を見上げた。
殿下は震えながら首を横に振った。
「ち、ちがう。殺されそうになったのは私の方なのだ、ゲルダが、ゲルダが私の首を絞めてきて、咄嗟に、咄嗟のことで、私は自分の妃を殺めるような男ではない、ないのに、違うのだ、違う」
うわごとを繰り返す熱病患者のように、殿下が繰り返す。
ゲルダ様。
これが、ゲルダ様?
明るく笑う、笑顔の優しい、あの、お方……?
「ぅ……ぅわああああああああっ!」
私は立ち上がり様に剣を抜き、ボニファツの首を払った。研ぎも甘くなってしまった剣では、首を刎ね落とすことはできない。ただ、血が噴き上がった。
ゲルダ様が死んだ。王子に殺された。
最早、希望のひとつもない。
私は返り血を浴びたまま、自分の剣で胸を刺し貫いた。
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