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はじまりの湯 ーアキビラ温泉神殿の湯
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しおりを挟む「俺の爺さんは、鉱夫だったんだ」
「奇遇だね、私も、そう聞いてる」
「あの大穴から、何が出てたか、知ってるか?」
「銀晶石だと、きいています、よ」
「そうだったのか」
ざっくざっく、ざっく
小気味いい音をさせて、地面をひたすらに掘っていく。ついつい、話すリズムが動きと連動するのは仕方のないことである。
元の井戸と同じくらいか、それ以上掘る前提だ。
とすると、掘り返した土を掻き出さねばならないから、そこそこ広めの穴が必要になる。まずは棺が二つ並べられる程度の広さを確保した。そこから段差を付けて掘り下ろしていく予定だ。
水が出れば、井戸枠になる石を詰めていく作業場にもなる場所だ。もちろん、掘り返した土も脇に山にしていくのだ。
がりがりとした手応えは石。湿った砂が出てくるのが、水に掘りあたる前触れである。そこまではひたすら、土を掘り、掻き出すのみ。
掘っている最中に周囲が崩れないように、時折叩いて固めることも忘れない。
「ジョン、土掘りも、お上手、ですね」
「戦場では穴を掘るのも仕事だった」
「穴? 落とし穴ですか?」
「それもあるが、馬で駆けにくくするため、だな。杭打ちもできるぞ。いくつか並べて地面に打ち込んで、壁に、するんだ」
サンウル神殿長も土を掘るのが上手い。見た目、すっかり老人の神殿長がこんな力仕事をするのかと思ったが、すぐに思い当たった。神官の仕事には、死者への祝福がある。
死んだら、遺体は棺に収められて、墓所に埋められる。ウトゥ神の治める冥府は地下にあると信じられているからだ。つまり、墓穴掘りは大体若い神官の仕事なのである。
アキビラは田舎町過ぎて、サンウル以外に神官はいない。次に墓穴を掘る仕事をするのは、ジョンになりそうだ。
ジョンの頭が穴の中に隠れるほどになったあたりから、神殿長は穴の外に出て、掻き出した土を受け取る役になった。土の受け渡しには枯れた井戸で使っていた落とし桶を利用した。
「さすがに深くまで掘らないといけないんですねえ」
「棺穴、よりは、ずっと深いだろう、さ」
「井戸ですもんねえ」
「ああ」
軽口を返しながらも、じわじわとだが確実に、ジョンは疲れを感じはじめていた。怪我をしてダメになった肩も疼いている。
昔は、若い頃は。
そう繰り言するヤツをみっともないと思っていたのに、自分の口からも同じ言葉が出そうになった。
ジョンは顔を顰めて、土で汚れたシャツで汗を拭った。とても暑くて、シャツが背中に張り付くくらいだ。
「前の井戸は、どのくらいの、深さだった?」
「そうですねえ、6メトルくらいだと思います。桶用の縄を買い替えたのが8年前でした」
ジョンの背丈が多めに見積もって2メトルだから、三倍掘れば水脈があるかもしれないということだ。
「井戸が枯れてしまったのは先月のはじめです。このあたりで大きな地震がありましてね。その影響だと思うんですよ。他にも水が出なくなったところがあるので。幸い、町の共同井戸は無事でしたから、皆、あそこに汲みにいくことになりましてねえ。ジョンに行っていただいた通り、結構距離があるでしょう。私では本当にきつかったので、水が出てくれたら嬉しいです」
相槌ひとつ返さなくても、ポールはいつでも勝手にしゃべっていたものだった。ジョンは子供の頃のことを思い出して、少しだけ笑った。
土を掘る手応えに変化があったのは、ちょうどその時だった。
ジョンはショベルについた土を確かめた。
湿気というには強めの湿り。砂利混じりの砂は、川底のものに似ている。水が近い印である。
「ポール、もう少しだ!」
「素晴らしいことです! ロッドちゃんさんのおっしゃった通りだ!」
神殿長の喜びの声を頭上に聞きつつ、ジョンは土堀りを再開した。ざりざりの手応えの砂の層から、ついに水が滲み出てきた。
ジョンは屈んで、砂土を手に取った。
「……熱い?」
熱いというほどではないが、確かに熱がある気がする。穴の中も暑いのは気のせいではない。
ジョンは注意深く二、三度、穿つようにショベルを突き立ててみた。
じゅわっと一息に、水が出た。
といってもジョンの足元がじくじくの泥水になった程度の水だ。すっかり寛いだ格好だから、足元はただのサンダルである。
泥水が湯なのがはっきりわかった。
「ジョン、どうしました?」
手燭をかざした神殿長が伺うように声をかけてきた。頼りない灯りでは5メトル底はよく見えない。
「湯が出た」
「湯? お湯ですか?」
ジョンはショベルを泥水に突き刺し、腰に挟んでいたロッドちゃん(本体)を手に持った。
魔力を巡らせ、スキルを発動する。
「ロッドちゃん、どういうことなんだ。水じゃない。これは湯だ」
『これは温泉です、おじさん』
「は?」
ジョンも、『温泉』という言葉は聞いたことがあった。古代大帝国時代に好まれた風呂のことである。
「温泉ってのは風呂だろ? 井戸じゃない」
イグニボス王国の風呂は大きな窯の中で薪を燃え尽きるまで燃し、灰の上に濡らした藁筵を敷いて入るのが普通だ。余熱でできる湯気で体を濡らしてから、垢を擦り落とす。どうしても大きな建物が必要だから、大金持ちでもなければ町にいくつかある風呂屋に行く。
ジョンがいた騎士団の風呂や貴族たちの風呂は湯舟も使うが、基本は同じだ。イグニボス王国に温泉はない。時々、遺跡が出るくらいだ。
「俺は井戸を掘りたかったんだ」
『温泉はロッドちゃんの私欲です』
「し、私欲……?」
古代遺物の私欲とは一体何だ?
ジョンは困惑したが、ロッドちゃんは勝手に続けた。
『おじさんには温泉がひつようです』
「俺に必要? 温泉が?」
『温泉につかると怪我がよくなったりします』
「……効果があるものなのか? これが?」
ジョンは足元の泥土を踏み、躙ってみた。じんわりと熱感が高まったのは、新しく湯が湧いたからだ。いつの間にか足首まで泥水につかっていた。
『おじさんにはお手入れがひつようです
温泉は人間のお手入れに効果的です
よって、おじさんには温泉がひつようです』
ロッドちゃんは淀みない。
ジョンは、言葉を失った。
俺は誰かにこれほど強く、気遣ってもらえたことがあっただろうか
答えたくない問いが己の中で渦を巻く。
ジョンは早くに両親を亡くし、祖父に育てられた。アキビラの町を出て、騎士を目指す前には祖父も死んだ。町には伯父や従兄弟たちもいるだろうが、付き合いはほぼない。
若い頃は恋人はいたこともあったが、捨てられてばかりだった。
騎士としてのジョンには友人も上司も部下もいた。皆、仕事の仲間だ。個人的なつきあいではない。
天涯孤独。職を辞して、友もない。
久方ぶりに幼馴染の顔を見たが、ポールがアキビラで神官になっていたことを知らなかったくらいだ。
「……なぜだ? きみとは、今日会ったばかりだろ……?」
どうしてそんなに心配してくれるんだ? と、続けるはずの言葉が喉に詰まったが、ロッドちゃんには聞こえたのかもしれない。
『ロッドちゃんはずっとおじさんのロッドちゃんでした!!!!』
聞き取れないほどではないが、がつんと。幼女の声に殴りつけられ、ジョンはよろめいた。
『おじさん、ぜんぜん神殿にこないからっ!
検査してからずっとずっと待ってたのに!』
「ず、ずっと……?」
『ずっとです!
おじさん、こんなにボロボロになっちゃって……!』
ジョンは、誰かに、泣きながら叱られたことなんてなかった。
心配して、案じた末の怒りは、愛情の発露だ。
『おじさん、長持ちしてくださいよぅ……』
消え入りそうな声に、ジョンは今度こそ胸を打たれた。
意味不明なスキル判定にへそを曲げて、神殿に行かなかったのはジョンだ。後ろ盾もない田舎出身の平民騎士なんて、危険な場所では盾になるのが任務のようなものだった。
病気には縁がなかったが、怪我もたくさんした。
長持ちなんて、考えたこともなかった。
任務中に死んだら、騎士団が弔ってくれるだろうくらいに思っていた。命なんてどうでも良かったといっていい。
「俺が死んだら……、ロッドちゃんは泣いてくれるのか……?」
ずっとずっと、心の中にあった凍りついていた弱音が口からこぼれた。
そのときだ。
「あのー、ジョン、お取り込み中のようですが……大丈夫ですか?」
上から神殿長の声がして、ジョンは我に返った。
「あ、ああ! すまん、大丈夫だ!」
いつの間にか湧き出す湯は増えていて、土の壁にもたれかかっていたジョンの膝から下が泥水の中だ。
泥水はとてもあたたかい。
ジョンはロッドちゃん(本体)を腰に挟みなおし、地上に戻った。
「井戸じゃなくて温泉だった」
「温泉? それはどういう……?」
「古代大帝国で好まれていた風呂のことだ。俺もそう詳しくはないんだが」
ジョンも、古代大帝国研究の学者の警護任務にあたっていたときに話を聞かされていたから知っていただけだ。学者というものは話したいことだけを勝手に口にする連中で、相手が理解しているかどうかはあまり気にしない。
「ロッドちゃんさんならご存知なのでは?」
神殿長は泥で汚れたジョンの腰を手燭で照らした。
輝く古代銀の鍵棒は静かだ。ジョンがスキルを使わなければ、ロッドちゃんの声は聞こえない。
ジョンはシャツで軽く手を拭い、ロッドちゃん(本体)を改めて手に持った。スキルを発動する。
『温泉は人間を元気にします
お湯につかって、「ふぅうー」ってするといいでしょう』
話を聞いていたのか、ロッドちゃんが言った。
「お湯につかって、ふぅう……?」
「ふぅう?」
ジョンがロッドちゃんの言葉を繰り返すと、神殿長が首を傾げた。
『人間はね、温泉につかると、ぜったいに「ふぅうー」ってします』
ロッドちゃんは自信満々だ。
結局、夜も遅いということで、作業は止めにして休むことにした。
温泉の件も明るくなってからだ。
与えられたばかりの部屋に戻ったジョンは、ロッドちゃん(本体)を枕元に置いて休んだ。
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