まだ宵ながら

Kyrie

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第三話

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夏が過ぎ、涼しく長夜の秋が来ると不逞の輩が増えた。
闇に紛れ、なまこ塀を越え、薄幸の未亡人の操を奪おうとする。
人は隠されると暴きたくなり、他の者が欲しがると自分もまた欲しくなる。
他を出し抜き、一番に手に入れたい。
一度人のものになっているという背徳感とその手の経験は豊富なのではないかという勝手な妄想の末、山城屋の未亡人は格好の的となった。

山城屋では頭を抱えた。
毎夜寝ずの番をするわけにもいかず、試しに雇った用心棒自身が未亡人を襲う事態にもなった。
だが今幽閉している者が替え玉の男であることは世間に知られてはならない。
顔も見たくなかったが仕方なく母屋の物置の奥にぬしを押し込めることにした。


主は襲われそうになるたびに、必死に抵抗した。
身体にふれられ、声を上げれば正体がばれてしまうので、手当たり次第物を投げ大暴れし、騒々しい音を立てることで騒ぎを伝えた。
それまでこんなに抗ったことはなかった。
もう自分の運命を諦めていて、襲われれば一応は逃げようとするけれどお嬢様の正体が自分だとばれ山城屋に命を取られても、むしろそのほうが楽になるのではないか、と考えていた。
人の目にもふれず、閉じ込められ、少量の薄い雑穀の粥だけをあてがわれる生活が終わるのなら、それでもいいかもしれない。

そんな主が態度を変えたのは、あの夏の夜にぽっちりと灯された夢であった。
唇の感触も、じっとりと汗をかきながら抱き合った熱も、次第に薄れていったが、それでもその夢だけは蛍の光のように不確かで冷たく、なのに暗闇にぽっちりと小さく光っていた。





再び、桜の季節を迎えた。
一気に暖かくなり、桜はあっという間に咲いて散り始めた。
少しでも桜を楽しみたいという人々の思いをよそに、桜ははらはらと花びらを落とす。
そして喪が明けた。

途端に山城屋に訪ねてくる旦那衆が増えた。
「喪が明けたからよかろう」と未亡人を側妻そばや妾としてほしいという申し出だった。
山城屋は「喪が明けたばかりだから」と断っていたが、それもだんだん馬鹿らしくなってきた。
元はと言えば、竹田屋の息子が不貞を働き逃げ出したのがいけないのだ。
それにかわいい娘が巻き込まれた。
竹田屋は未亡人にまつわる騒動に対し素知らぬ顔をするどころか、「あの性悪女に自分の息子はたぶらかされた」と根拠のない愚痴をこぼしているという話も聞こえてきた。
閉じ込めている男も、最初は女かと見まごうくらいだったのにすぐにあんなに男のように変化してしまい、人前にも出せなくなってしまった。



そこにある男が訪ねてきた。
公家と血を引いているという噂だが正体は誰も知らない、水原というものだった。
かつては凛とした美男らしかったが、今ではだらしない顔と身体をしていた。
金は持っていて、花街でも派手な遊び方をしているらしい。
その男がいやらしい目つきでにやにやと山城屋の前に座っている。
挨拶を交わすとすぐに水原は含みをもたせて、口を開いた。

「随分と美しい宝を隠し持っていると聞いておりますが」

「いえいえ、そのようなもの、この家にはございません」

「おや、町では随分有名は話だが、違うのですか」

「どなたかがお間違えになったのでしょう」

「ところで三松屋さんと懇意にされているのですね」

山城屋はそれを聞いて冷たい汗を流す。

「私も親しくさせていただいておりますが、その、山城屋さんがなかなかお約束をお守りくださらないとお困りの様子で」

動けない山城屋に水原は世間話でもするように続ける。

「約束は守られてこそ、ですよね。
世間では『高利貸』とひどい呼び方をされる方もいらっしゃいますが、三松屋さんはいい方ですよ。
そんな方がお困りだと、私の心も痛みます」

水原は上座から脇息きょうそくにもたれかかり、山城屋を見下ろす。



山城屋の商売はうまくいっていなかった。
美しいが災難ばかりもたらすという娘がいるという噂を聞き取引を止めたいという申し出、昨秋の米の凶作、そして替え玉の男を狙う輩への対応などのためだった。
弱った山城屋を狙い、巧妙な口車で金を貸したのが三松屋だった。
利息は怖ろしい勢いで増えていった。

「なにもくださいとは言いません。
私にあなたの宝を少しの間貸してくだされば、三松屋さんのこと、よきようにしてあげますよ」

「しかし」

真っ青な顔で顔を下に向けている山城屋に水原は言った。

「あなたの宝が贋作であることもちゃんと知っていますよ。
もし必要があれば、そのこともよきようにしてあげましょう。
贋作の扱いは難しいし、手入れも大変でしょう。
私には少し心得があるのですよ。
手入れをする、ということでお貸しくださればいいのです」

それは甘い甘い囁きだった。
厄介払いができて、借金もなくなる。
こんないい話はないじゃないか。

山城屋はうなずいた。

「では証文を交わしましょうか。
三日後にまた参ります。
証文を交わしたらすぐに宝はお預かりいたしますよ」

「はい」

水原は山城屋の答えを聞くと舌なめずりをして、山城屋を後にした。




山城屋は安堵し、心も晴れやかになった。
自分たちは少し贅沢な食事をとったが、気取られてはならないので主には変わらず薄い雑穀粥を与えただけだった。
しかしにじみ出るもので、用もないのに主のいる物置のそばをうろうろした。
不思議に思った主が思い切って声をかけると、鍵をかけた扉の向こうで山城屋が嬉しさを堪えきれないような声で言った。

「明後日、おまえは水原様のところへ行くんだ」

「どうしてです?」

「くくくくく、そりゃあ、あれだよ、あれ。
花街にいたんだからわかるだろう、そんなこと。
ちょっとかわいがられてくればいいんだ。
おまえのお陰でこっちはいい迷惑だったから、ほんの恩返しのつもりでいてくれたらいい」

「そんな、そんなっ」

「綺麗な着物を着せてもらって、旨いものも食べさせてもらって、もしかしたら花宮はなみやよりいい扱いをしてもらえるかもしれないね」

「私をどこにもやらないと証文で」

「ああ、どこかにやるわけじゃないよ。
そんなに長い間じゃない、少しだけだ」

「でも」

「妙な真似をしたら承知しないからな」

「あのっ、もしっ!」

山城屋の声が遠ざかる。
主は木の扉を握りこぶしで思い切り叩き、山城屋を呼ぶが答えはない。
しばらくそうしていたら両手は腫れ、主は泣くしかなかった。

ぽっちりと灯った火が消されようとしていた。
やはりあれは夢幻であったのだ。





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