空と傷

Kyrie

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第7話

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ぐっすり眠り、アルベルトに起こされる前に目が覚めた。
客室のベッドから滑り降り、自分でも開けられそうな小窓を開いてみる。
朝の冷たい空気が入る。
廃墟にいるときには、このひんやりした空気から身を守るように丸く手足を縮ませて眠っていた。

昨日、風呂から上がるとコメをスープで煮たものが出された。
小さく切られた野菜、肉にきのこもあった。
しみじみと味わい、うっとりしながら「おいしい」と言って平らげた。

ああ、僕は今、とても幸せなんだ。
今日から本格的にがんばらなくちゃ。


カヤと二人でとった朝食後、ルーポはアルベルトに連れられて大食堂にやってきた。
分かれる前にカヤは「しっかりやってこい」と髪をくしゃっとなでて、見送ってくれた。

「いいですか、ルーポ。
実際には会食の前に受勲の儀式が行われています。
堂々と、です。
そんなにおどおどしていては威厳が保てません」

「い、威厳?」

アルベルトは静かに厳しく続ける。

「仲良くおしゃべりができなくてもかまいません。
いつでも背筋を伸ばして胸を張りなさい」

「はい」

「まだ背中が丸まっていますよ」

部屋に入る前にひとしきりアルベルトに姿勢を直され、ようやく大食堂のドアが開かれた。

「うわぁ……」

長く並べられてテーブルには揃いの純白の布がかけられており、等間隔で立派な燭台が置かれている。
天井には豪奢なシャンデリア、壁には立派な絵が何枚もかけられていた。

「きょろきょろしない。
どの席かは案内の者がいますので、それに従うとよいでしょう。
ルーポ様、こちらでございます」

「あ、はい」

「『あ』はいりません」

「…はい」

「もっと自信を持って」

「はい」


それからみっちり、椅子の座り方から始まり、姿勢を直され、手つきを注意され、見慣れぬ食器に戸惑った。
普段、皿一枚、スプーン一本で済んでしまう食事だった。
たまにフォークを使うくらい。
ルーポの故郷では手を使って食べる、メリニャの古い習慣が残っているところだったのでフォークとナイフを使って食事などしたことがなかった。

並べ、重ねられた皿。
ずっしりと重い銀のカトラリー。
高価なガラス製のグラスもたくさん並ぶ。

名称、使い方、エチケットとマナー。
アルベルトは小さなことでも厳しく注意をした。

「もう一度」

「はい」

「もう一度」

「はい」

そのやりとりが何度も繰り返された。


最初は空の食器を使っていたが、本物の料理が運ばれた。
そこで肉を切り、魚の骨をはずす練習をした。
一皿終わると次の肉が、終わると次の魚が運ばれてきた。



「では、実際に食べてみましょう」

昼を過ぎた頃、ルーポの胃に合わせた少量の料理が盛られた皿が運ばれてきた。
ただ切るだけでなく、実際に口に運ぶとなるとまた勝手が違った。

「そんな大口を開けません」

「もっと小さく切ります」

「いちいち『おいしい』と言いません」

「音を立てて食べません」

「ナイフを皿にこすりつけるようにして切るから音がするのです」

「グラスを持つときはこう。
そして水のグラスはこちらです」

普段の三倍以上の時間をかけて、昼食を食べた。
ルーポはどこに食べたのか、わからなかった。
目がぐるぐる回ってきた。

「食堂からの退室するときに注意することですが」

アルベルトの言葉は続く。




ルーポがアルベルトに連れられカヤの待つ部屋に現れたのは、昼から随分経った頃だった。
ぐったりと青い顔をしているルーポを見て、カヤは「しぼられたな」とくしゅりと髪をなでた。

「初回ですから、そこまで厳しくはいたしませんでした」

「ああ、そこはアルベルトに任せる。
まぁ、面倒だが余計なことを言われずに済むからな。
あいつら、ちょっとしたことでも攻撃対象にするから、防御だと思って取り組め」

「はい」

「じゃあ、出かけるぞ。
行けるか?」

「はい」

「いってらっしゃいませ」

アルベルトに見送られ、カヤとルーポは今日も仕立屋に向かった。
道中、ルーポの口数は少なかったのが気になったが、カヤは何も言わなかった。

仕立屋では、ヴェルミオンが待っていた。
「おっそーい」と言いながら、ぐったりしているルーポを店主と共に昨日の別室に招き入れた。
中にはなんとインティアもいた。
二人とも目をぱしぱしさせている。

「ね、見てよ」

なんとあの落ち着いた草色の生地は裁断され、仮縫いがほぼ終わっていた。

「私たち、泊り込んじゃった」

ヴェルミオンが言った。
ルーポが驚きインティアとヴェルミオンを見た。

「さ、ちょっと羽織ってちょうだい。
これで決めるから」

インティアとヴェルミオンにするすると服を脱がされ、下着だけの姿になったルーポに草色の薬師の服を着せた。
太めのズボン、詰襟の丈の長いシャツの上から太めのベルトをし、そこに麻の薬袋をつける。
そして上から丈の長い外套を着せれば、薬師の誕生だ。

ヴェルミオンがひゅーっと息を吐く。

「やだ、こんなに似合ってるの?」

「上出来だね。
鏡、見る?」

鏡の前に立つと、そこには小柄だがこざっぱりして淡い青い目の落ち着きのある若い薬師の姿があった。

「まだ仮縫いだけど、似合ってるよ、ルーポ」

インティアがにっこりと笑いかける。
ルーポは鏡の中の自分が信じられなかった。
カヤはその様子を黙って見ていた。

「さ、調整するわよ」

ヴェルミオンの声と同時に部屋に店のお針子が数人入ってきた。
そして、インティア、ヴェルミオン、店主の「ここをもう少し詰めて」、「ここはタックをもっと取って」という指示に忠実に待ち針を打っていった。

気がつくとフィッティングは終わり、ルーポは仕立屋にやってきたときの服を着て立っていた。

「本縫いに入りますので、わたくしどもはこれで」と、最後のお針子が出ていくと、店主もそれについて出ていった。
そこで気が抜けたのか、インティアとヴェルミオンもソファに座り込んだ。
昨夜はお針子たちと一緒にここで徹夜で仮縫いをしたのだという。

「でも本縫いになると私たちの出番はなくなるわね」

「はやり本職の出番だよね」

「ありがとうございます」

ぐったりしながらも、達成感で満足そうな、それでいてこれ以上手出しができなくて悔しそうな話ぶりの二人に、ルーポは礼を言うしかなかった。

「久しぶりにこんなことしちゃったわ。
戦場じゃないと徹夜なんてしないようにしているもの」

「僕も。
以前は夜に生きていたのにね」

インティアは妖しく笑い、「もうちょっとしたら迎えの馬車が来るから一緒に帰ろう」とヴェルミオンを誘っていた。

ルーポは食事のマナーのことで根を上げている場合ではない、と思った。

「あんたもさ、しばらく会えないと思うけど、根を詰め過ぎないようにしなさいよ」

「そうそう、ルーポは真面目でいい子だからびしびし鍛えられると、休憩しなさそうだもん」

美しい二人はソファでお互いにもたれかかりながら言った。

「気をつけます。
あの、本当にありがとうございます。
ぼ、僕はどうしたら……」

「あんたはあんたらしくしていればいいのよ、ルーポ。
カヤ、頼んだわよ」

「はいはい、わかってるよ。
今回は世話になったな。
ありがとう」

カヤは二人の前で腰を折って礼をした。
ルーポも慌てて横に並び、同じように腰を折った。
そしてカヤとルーポは部屋から出て、カウンターで昨日頼んだ「Lupo」と刺繍の入った外套を受け取り、カヤが金貨で支払いを済ませると仕立屋を後にした。



街に出た二人は市場を抜け、住宅街に向かった。
その中の小さな一軒家のドアをカヤが叩く。
すると中からくるくるとくせのある黒髪で大きな目をした男が顔を出した。

「カヤさん!」

男は嬉しそうに名前を呼ぶと、二人を家の中に招き入れた。

「こいつは薬師見習いのルーポだ。
ルーポ、こっちはリノ。
おまえのよく知る『名誉な男』だ」

「ええっ!
あ、いえ。
し、失礼いたしました。
ル、ルーポを申します」

「やだなぁ、それ、久々に聞きましたよ。
あれから10年以上も経っているのに」

「こいつは『スラークの赤熊』も知っているぞ。
王都に来たときに噂好きの下宿のおかみに教えられたそうだ」

「ジュリさんはそう呼ばれるのはどうかなぁ。
あまり好きじゃないかも」

「すみませんっ」

「うん、だからジュリさんには言わないでね」

リノはにこっとルーポに笑いかけると、二人にソファを薦めた。

カヤがリノを訪ねた理由は、リノたちがやっている「学校」の臨時教師としての勤務日の変更だった。
ルーポの受勲式まで休みたい、とカヤが言うのを聞いて、ルーポは青くなり首を振った。

「俺も頭が痛いなぁ。
カヤ先生は人気だし、教えるのもうまいし。
でも大切な人が大変なら、仕方ないですね」

リノは笑いながらカヤを見た。

「あ、いや、その」

「実家に世話になっているんだが、世話係にあれこれやらされててな、身動きが取れなくなっているんだ」

「ふーん、カヤさん、実家に戻ったんだ」

「なんだよ」

「いいえ」

含みのある言い方をするリノの頭を軽くカヤがこずくと、リノはくすくすと笑った。

「何年ぶりですか?」

「……あ、ああ、もう4~5年ぶりかな」

「帰れる家があるうちは帰ったほうがいいですよ、余計なお節介だとは思いますが」

「言うようになったねぇ」

「ええ、まぁね」



そんなやり取りをしていると、ドアが静かに開き、燃えるように赤い髪を一つにまとめ、カヤよりももっとしなやかに鍛えた体の大きな男が入ってきた。

「ジュリさん!」

リノが嬉しそうに男の名前を呼び、ハグをして軽いキスをした。
ぴきっと音がしそうなほど、ルーポは身体を硬直させた。
こんなに間近で人のキスを見たのは初めてだった。
それも熊のような大男と街でもよく見かける普通の男との口づけを。

「おかえりなさい。
カヤさんとルーポが来ているんだ。
ルーポは今度、王様の受勲式に出席するんだって」

うなずいて、カヤとルーポのほうを男が見た。

「カヤ、元気にしていたか」

「ああ、おかげさんで。
ジュリアスは元気そうだな」

「ああ」

男とカヤは顔見知りのようで、親しく挨拶をしていた。

「ジュリアスだ」

赤毛の男はルーポの前に立ち、挨拶をした。
カヤも大きいと思ったが、それよりももっと大きな男だった。

「ル、ルーポと申します」

こ、こ、これが……「スラークの赤熊」……。


話には聞いていたが、実際に会うとは思ってもいなかった。

スラークとは、かつてあった北の大国で、前王の時代に勢力拡大のために周辺の国に戦いを挑んだ中の一つであり、南のメリニャが勝利し落とした。
ジュリアスはスラークでも有名な騎士であった。
捕虜としてメリニャに連れてこられ、前王のえげつない悪戯心でリノと婚姻させられた。
その後、前王が亡くなるとメリニャは国内で動乱が起こり、インティアの伴侶であり、第三騎士団団長でもあるクラディウスにその腕を買われ、動乱の鎮圧のために第三騎士団に入団し、今に至る。

小さな少年が元敵国の騎士を花嫁と迎えた話は、下宿屋のおかみから何度も聞かされた話だった。
そのときは少し蔑みを含んだ口調でおかみは話していた。
しかしどうだろう。
実際に見た二人は、お互いを温かな慈しみのある目で見つめ合い、とても幸せそうだ。



「どうした?」

ジュリアスに声をかけられ、ルーポはひゃっと声にならない声を上げた。

「な、なんでもありません」

なぜだか、頬がかーっと熱くなるのを感じ、ルーポは俯いた。

「受勲式の準備はどうだ?」

「カ、カヤ様が助けてくださって、じゅ、準備をしています」

ジュリアスの問いに、ルーポの声はひっくり返った。

「そうか。
リノのときも大変だったからな」

緑の優しい目でジュリアスがルーポを見ると、繊細なフェアリーヘアの頭をぽんぽんとなでた。

「おいおい、ジュリアス、そいつはそこまで子どもじゃないぞ。
もうすぐ二十歳の大人の男だ」

「え?!」

カヤの言葉に素っ頓狂な声をリノは上げてしまった。

「ご、ごめん。
てっきり十三くらいの男の子だと思ってた」

「いや、そこまでは……」

ルーポは返答に困り、おどおどとしてしまった。

「だから、俺、この子は天才かなにかだと思ったんだよ。
こんなに小さいのに受勲だって」

「あ、いや、そんな」

「そうでもないかもしれないぞ、リノ。
薬師見習いのルーポと言えば、騎士たちの間では有名だ」

ジュリアスがルーポの薬とリハビリの話をリノにした。

「ああ、君なのか。
やっぱりすごいよ!」

リノはルーポの両手を取って握りしめた。

「噂には聞いていたけど、君なんだね、ルーポ。
受勲に値する人だよ。
緊張するだろ、受勲式の準備って。
でも王様は人を取って食いはしないし、ごちゃごちゃ嫌味を言う人もいるけど、そうじゃない人もいるからね、大丈夫だよ」

「は、はい……」

「カヤさん、ルーポのこと、よろしくお願いしますね!
学校のことは心配しないでください。
ルーポ、心配なことがあったらカヤさんになんでも言うんだよ」

「はい」と言い終わらないうちに、ルーポはリノにぎゅうぎゅうと抱きしめられていた。

「君にはたくさん感謝するよ。
ジュリさんも君の薬のお世話になったし、生徒の親もそうなんだ。
ありがとう、ルーポ」


どれくらい抱きしめられていただろう。
温かいハグにルーポは泣き出しそうになった。
それ以上に苦しくなり、くったりしてきたとき、ジュリアスがリノを引きはがし自分の腕の中に収めた。
リノはぐっと力強くジュリアスを抱きしめた。

ルーポは感じた。
ジュリアスが大きな怪我をし痛みに苦しんだ経験があることを。
それをリノはそばで見ていたのだと。


ぼんやりしているルーポの髪をくしゃっとなでると、カヤが声をかけ、二人は帰ることにした。

「ジュリアス、昨日は悪かったな。
非番の日をヴェルミオンと代わってもらって」

「いいや、おかげでリノと休みが重なったから、久しぶりに二人で過ごせた」

「そうか、ならよかった」

「カヤ」

「ん?」

「………なんでもない」

「そうか、じゃあまたな」

「ああ、また二人で来るといい」



リノは最後にもう一度、ルーポを抱きしめた。

「本当にありがとう」


ルーポはリノとジュリアスにさよならを言うと、カヤの横に並んで歩き出した。




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