空と傷

Kyrie

文字の大きさ
上 下
4 / 50

第4話

しおりを挟む



「旦那様、どうされたのです!」

 見送ったばかりの筈の馬車が戻ってきたと知って、慌ててトーマスが玄関ホールまで走って出てきた。

「学園へ遅刻すると連絡を入れて欲しい。高等部秘書科のサリ・ヴォーンの分もだ。それと侍女を呼んで彼女の世話を頼む。泥だらけなんだ」

 実際には泥だらけという訳ではなかったが、涙で濡れた顔や胸元に大通りの土埃がこびりついて、フリッツからすれば泥だらけも同然の令嬢らしからぬ様相にしか思えなかった。

 トーマスが「承りました」と頭を下げ、後ろに集まってきていた他の使用人たちに視線で指示を送る。
 しかし当のサリは、フリッツの言葉を遮るように懇願の声を上げた。
「いいえ、それよりも話を聞いて」
 重ねて懇願しようとするサリを、フリッツは片手で制した。
「君、自分が今どんな状態なのか、ちゃんと把握したまえよ。見るに堪えない様相だ。馬車に乗せてきただけでも感謝して欲しいね。我が屋敷の居間にそのまま上がり込もうなど、余りに礼を失した状態だと自覚しなさい」

 爪先から頭の天辺まで。蔑みの視線を向ければ、青白かった顔にサッと朱が差した。

 恥ずかしそうに俯いて両手をスカートの前で捩じり合わせた。

 サリは、侍女から小さく震える肩を抱き寄せられるようにして客室へと誘導されると、大人しくついていった。

 何故か、振り返るその瞬間、その侍女から睨まれたような気がしたがほんの一瞬のことであったので気のせいであろう。



*******
 

「落ち着いたかね」

 この不愉快な話し合いを早めに切り上げるべく、フリッツは侍女の案内で居間へと入ってきた少女に向かって早々に声を掛けた。
 
「ハイ。ありがとうございます、教授プロフェッサー。ご面倒をお掛け致しました」

 緊張した面持ちではあるものの、少女は淑女の礼を取った。
 スカートの裾を摘まんで腰を落としたその姿は、初めて彼女と出会ったあの日のものよりずっと洗練されていた。
 記憶にあるより、痩せただろうか。
 さきほどよりは幾分かマシではあるものの、やはり顔色がすこぶる悪い。

 真っ白な顔の中で、大きな菫色の瞳だけが、爛々と輝いて見えた。

 あぁこの色だ、とフリッツはぶるりと身体を震わせた。

 感情が高ぶればこの色を帯びるのかと思っていたが、馬車に走り込んできた時の蒼褪めた顔にあったのは昏い青い瞳だった。

 どうやら彼女の瞳の色は怒りと共に、この美しい菫色となるようだ。

 興奮状態にあるせいだろう。瞳孔が開いたその瞳は常よりずっと光り輝いているた。

「それで? 君のせいで、僕は学園に遅刻だ。忙しい僕を遅刻させてまで、君は何を望んでいるんだ」

 峻厳たる態度を崩さないよう心掛けながら、フリッツは問い掛けた。
 このまま見つめていたら、自分が何を言い出してしまうかわからない気がした。
 一刻も早く用件を聞きだして、この娘を追い出さなければならない――それが、フリッツの命題な気がした。

「父をお助け下さい、偉大なる魔法使いウィザード様。商談へ向かう道すがら、昨夜の雨で行く手を塞がれてやむなく野営をした我がヴォーン商会のキャラバンが野盗に襲われました。護衛も雇っておりましたが、何分雨が酷くて気付くのが遅れたそうです。そうして、使用人のひとりを庇った父が……父の腕が……」

 おもむろにフリッツの前へとひれ伏して、少女が訴えた。

 いつも眠そうな顔をしているばかりの侍女の手によるものなのか、綺麗に櫛梳られ、付いていた泥汚れを綺麗に落として貰ったスカートが再び汚れるのも構わない様子だ。
 ミルクティ色の前髪から覗く、菫色の瞳に、不機嫌そうな顔をしたフリッツ自身が映り込んでいた。

「なるほど……それで? 僕にどうしろっていうんだい」

 話の続きは想像できたが、察してやる筋合いはないだろう。
 フリッツはできるだけ傲岸に、苦くて不味い珈琲を口元へ運んだ。

 あぁ、不味い。

「お願いです、魔法使いウィザード様! 王太子殿下の腕を見事に治されたという奇跡の御業で、父をお救い下さい。どれほどの額を請求されたとしても、私が、必ずお支払い致します。何年掛かろうとも、絶対に最後までお支払いしてみせます。お願いします。お願いします、魔法使いウィザード様。父を助けて下さいませ」

 必死になって身を捩り訴えてくる少女を視界から外し、不味い珈琲の入ったカップへ視線を移す。
 鼻孔を擽る香りすら苦みを感じさせるだけの、泥水の様な珈琲だ。
 あのカフェではいつも紅茶を頼んでいたが、きっと珈琲を頼んだとしてもこんな泥水のような珈琲が提供されることは絶対にあり得ないだろう。

「僕はもう、金なら使い切れないほど持っているさ」

 目を閉じてそう口にしながら、頭の中では『あのカフェにも二度といけないし、高級品を買う事はできなくなったから、余計にだ』と付け加えてしまった自分に腹を立てる。

「では、……では、どうすれば。何をすれば父を助けて戴けますか? 何でもします。何でも、どんなことでも、仰って下さい!!」

「なんでも、ね」


 フリッツの瞳が、剣呑に輝いた。



しおりを挟む
Twitter @etocoria_
ブログ「ETOCORIA」
サイト「ETOCORIA」

感想 10

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」  五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。  他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...