キヨノさん

Kyrie

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第25話

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俺の気分が落ち着くのを待って、なりあきさまはまた俺の手を繋いで歩き始めた。
道のあちらこちらに、大道芸人がいた。
七つも玉を次々に投げて落とさないようにしているだけでもすごいのに、高く上げて背中で受けとめたのには驚いて、立ち止まりなりあきさまの手をほどいて拍手をしてしまった。
なりあきさまは「素晴らしい芸を見せてもらったからね」と玉投げの男の前に置いてあった小箱に硬貨を入れた。


次は、箱の上に男が立っていた。
いや、ぴくりとも動かない。
瞬きさえしない。
もしかして人形だろうか。
それにしてはよくできている。
まるで生きているみたいだ。
俺はまたなりあきさまの手をほどいて、人形に近づいてみる。
こんなに大きな本物そっくりの人形は見たことがない。
異国の服を着ている。

「ぎゃっ!」

人形がかくかくと動き出した。
俺は驚いて、なりあきさまにしがみつく。

「キヨノさん、ほら、大丈夫ですよ。
握手をしましょう、と手を出しています。
握手をしてあげてください」

なりあきさまはそういうが、俺はなりあきさまの外套越しにこわごわ男を見る。
腕を前に出したままで止まっている。

「キヨノさん?」

「こわく、ない?」

「ええ。キヨノさんとお友達になりたいそうです」

「う、うん」

おそるおそる、男の手を握る。
あったかい。
生きているみたいだ。
男はまたかくかくと腕を振り、顔の表情を眉から始まり、目元、口元と変えていき、笑顔を作った。
機械仕掛けの人形みたいだ!

「こ、んにちは」

挨拶をしてみると、男は口をぎしぎしと動かすが声は聞こえなかった。
そして俺の手を離すと、ぎこちない動作で箱の角に片足で爪先立ちになり、やじろべえのようにゆらゆらしながらも、落ちない。

おおおおお!

俺がまた手を叩くと、なりあきさまが硬貨を箱のそばにあったひっくり返っていた帽子に入れた。
男はがたがたと両足で立ち、そして異国風のお辞儀をした。
俺も思わずぴょこんと頭を下げる。
それからまた直立不動になると、男は動かなくなった。






「キヨノさん、お化け屋敷はいかがですか」

なりあきさまはおどろおどろしい様子の作り物の洋館の前に俺を連れてきた。
建物びっしりと蔦が描かれていて、不気味だ。

お、お化け屋敷…?

「まさか、怖い、とか?」

「こっ、わくなんてありません!」

「じゃあ、大丈夫ですね」

なりあきさまはそう言うと俺の手を引いてずんずんと中に入っていった。



「ぎゃあああああああっ!」

何度そう叫んだことだろう。
俺は涙のにじむ目をこらすが、暗くてよく見えない。

「ぎゃあああああっ!!!」

白い洋装の女が髪を振り乱して、俺に襲い掛かってきた。

「キヨノさん」

なりあきさまは俺の肩を抱き込んでくれる。

さっきからもう、なんだよ!
包帯をぐるぐる巻いた男や、生気のない洋風の鎧兜を男や、大きな草刈り鎌を振りかざす頭巾の女などが次々と現れる。
青い鬼火も灯るし、もうやだ。

俺はなりあきさまにしがみついて歩いていた。
が、ぴたりとなりあきさまが止まる。

なんだ?

と思った途端、毛穴という毛穴がぞわぞわする感覚が身体中を覆った。
やだ、これ。
なりあきさまの手にぐっと力が籠る。

「ちっ、こんなところまで」

暗闇の中、なりあきさまのそんな声を聞いたような気がした。
聞こえない口笛がひゅぃと鳴った。
それは一回ではなかった。
何度か繰り返され、やがてなりあきさまは外套のボタンを全部外すと、懐の中に俺を入れて包み足早に歩き始めた。

俺は気持ち悪くて、そして怖くてたまらなかった。
外套の中でなりあきさまの胴に腕を回してしがみついている。
なりあきさまの体温を感じる。

頭からすっぽりとなりあきさまの外套をかぶせられているため、外が見えない。
なりあきさまに全部を守られているようで安心した。



どんどん歩いていくと、明るい場所に出たようだった。
しかしなりあきさまは俺を外套の中に入れたまま歩く。
俺は時々なりあきさまの足を踏みながらも、それについていくしかなかった。





やがて、なりあきさまが立ち止まったので、俺も止まった。
外套から出される。
そこは公園の小さな東屋のようだった。
辺りには誰もいない。
東屋には長椅子があった。
なりあきさまはそこに腰掛けると、俺を抱き上げた。

「俺、赤さんじゃありません」

「知っています。
貴方はキヨノさんです。
でも、怖かったでしょう」

俺はなりあきさまの足の上に座った格好で、抱きしめられた。

うん、怖かった。

俺はなりあきさまの首に手を回した。
ぎゅっとすると、なりあきさまもぎゅっとしてくれた。

まだぞわぞわしている。
この感覚は、そうだ、あの温泉地の神社の奥のときに似ている。

「貴方をお守りします。
誓います」

なりあきさまは唇でこめかみにふれた。
それから頬。
そして唇。

そっと。
そっと。

まるで春風のように。

「もう怖くないですよ」

うん、と言いたかったが、俺は言えずにいた。
なんとも言いようのない気持ち悪さがこみ上げてくる。
涙が浮かんでくる。

なりあきさまは上着の内ポケットからなにかを取り出し、俺に握らせる。

「キヨノさんがくださった御守りですよ。
握っていると苦しくなくなります」

俺はうなずいて、なりあきさまの肩口に顔を埋める。
なりあきさまは髪や背中を優しくさすりながら、そしてまた顔中にそよ風のようなキスを降らせていった。







どれくらいそうしていたのか。
終わりを告げたのは、俺の腹の虫の声だった。
その頃には気持ちが落ち着いてきた。
なりあきさまの手をとても気持ちよく感じていた。
なりあきさまはハンケチで俺の顔を拭い、ふわりと唇にキスをするとまた手をつないで歩き始めた。
俺の手がなりあきさまの手にちょっとだけ、なじんだ気がした。

なりあきさまは出店でほっとどっぐというものを食べさせてくれた。
細長いパンに腸詰肉の燻製がはさんである。
けちゃっちゃという赤いたれをつける。
黄色いのは辛子だと聞いて、つけるのをやめた。
ふと立ち食いをするなりあきさまをぼうっと見ていた。

「お口にあいませんか」

「いいえ、おいしいです」

「じゃあ、どうしたんです?
ぼんやりして」

「なりあきさまが立ち食い……」

「珍しくはないですよ。
最近はあまりする機会がなかったですが、学生の頃は黒須や白洲、他の学友たちと一緒によくやっていました」

「なりあきさまの学生時代」

「ええ。制服と制帽を着用していましたが、そのまま平気でやっていました」

「制服」

「はい。
うーん、どうかな。
屋敷に戻れば、写真が一枚か二枚出てくるかもしれません。
黒須の父親が一時期、カメラに凝っていたことがあって、私も何度か撮られました」

「見てみたい」

「いいですよ。今度アルバムを探してみましょう」

「はい」




「飲み物を買うのを忘れていますね。
買ってきましょう。
ジュースでいいですか」

「あ、俺が」

「キヨノさんはここに座って待っていてください」

「はぁ」

なりあきさまはちょっと離れた長椅子に俺を座らせて、また出店のほうへ戻ってしまった。




誰かに見られている気がして、ついそちらを見てしまう。
隣の長椅子に座る、綺麗な男と目が合った。
まだ若い男だ。
藤代さんより若そう。
上等の洋装をしている。
男は俺に笑いかけ、そして近づいてきた。

「こんにちは」

「こ、んにちは」

「貴方の恋人、素敵な方ですね」

こいびと?
誰?

「ほら、さっき、出店のほうに行った方」

あ。なりあきさまか。

「はぁ」

「あんまり素敵だから、僕の恋人が意識しちゃって、貴方の恋人の真似をするって聞かなくて」

彼は出店のほうを見遣る。

「今日のお昼はホットドッグに決まってしまいました」

「はぁ、どうもすみません」

「いえいえ、責めているわけではなくて。
僕もこんなふうにされたら嬉しくなってしまったので」

「嬉しい?」

「恋人によくしてもらったら、嬉しいでしょう?」

「はぁ」

「嬉しくないの?」

「あ…いや、よくわからない、というか」

そもそも俺となりあきさまは恋人ごっこはしているが、恋人ではない。
恋人がなにかもわからないし。
そして恋人ではなく妻、らしい。

「まだ恋人になって間もないのかな」

「そうかもしれません」

「ふふふ。そうなんだ。
僕もそうだよ。
幼馴染だったからずっと一緒にいたんだけど、恋人になったのはつい先日。
今日は初めてのデエトなんだ」

「はぁ、私もそうです」

「そう」

涼しい目元の男がぱっと顔を明るくした。
男と同い年くらいの男がさっき俺が食べたほっとどっぐの包みを二つ抱えて戻ってきた。

「美智、お待たせ」

「ありがとう、拓馬」

みち、と呼ばれた男は顔を赤らめ、嬉しそうに包みを一つ受け取っていた。
俺、さっきなりあきさまから包みを受け取ったとき、あんなふうに嬉しそうにしたかな。
どうだったかな。
腹がとにかく減ってきて、それで嬉しかったのは覚えているけど、みち様はそうではない感じだし。

「美智、向こうに東屋があるんだ。
そこで食べないか」

「うん、いいね」

みち様はうなずき、席を立った。

「じゃ、君、話し相手になってくれてありがとう」

「こちらこそありがとうございます」

「素敵なデエトをね」

みち様はにっこりと笑い、たくま様のほうを向いた。
たくま様は赤いお顔になったが、手を出してみち様と手をつなぐと俺に会釈をして、お二人で歩いていかれた。



あれが、恋人、か。

恋人。

恋人……

うーむ。




俺はなりあきさまが戻っていらっしゃるまで、よくわからないまま、ずっと唸っていた。








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