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第22話
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あれは……
通りの向こうに立っていたのは、黒い制服を着た白洲様だった。
短く刈った髪とがっしりした大柄な人は覚えやすかった。
俺は一緒に買い出しに出ている、隣の藤代さんを見上げる。
つい三日前、俺は買い出し途中に黒須様と櫻子様の乗る車で屋敷に送られたばかりだった。
そのあと、藤代さんはなりあきさまと中川さんにまた怒られてしまったそうだけど、
「いいんです。
少しは心配をかけたっていいんだ、キヨノさん!」
と鼻息荒くしゃべっていた。
「でも」と俺が言いかけると、
「キヨノさんがいい子で安心しきっているんです。
だめだめ!
キヨノさんだって一人の男の子なんですから、多少やんちゃしたっていいはずですよ」
と語気を強めてぶつぶつと言っていたので、それ以上はなにも言わないことにした。
そうこうしているうちに、藤代さんは俺を白洲様のところに連れてきてしまった。
「よう、キヨノさん。
元気そうだね」
白洲様は片手を上げ、太い声で言った。
俺は「お久しぶりです、白洲様」と頭を下げた。
「先日は黒須が思いつきで失礼なことをしたね。驚いただろ」
「今も十分驚いています」
「はははははっ、なんだ中川から何も聞いていないのか?」
「?」
「中川の許可は取ってある。
キヨノさん、これからプディングを食べにいこう」
「ぷ……?」
俺は白洲様を見、そして藤代さんを見た。
藤代さんはにっこりと笑った。
「中川からも私からも何もお伝えしておりません、白洲様」
「まぁ、話したらキヨノさんは出かけてくれなくなるかもしれないし、三条院が黙っていないだろうしな。
得策だ、藤代」
「はい」
「帰りのことは手はずを整えてある。
安心してくれ、俺が責任を持つ」
「はい、よろしくお願いします」
あの、藤代さん。
「キヨノさん、あとは白洲様にお任せしておけば大丈夫です。
お夕食までにはお戻りください」
「あの」
「中川さんも知っていますし、なにも心配はありません。
というか、もっと心配をかけてやればいいんだ」
「藤代さん?」
「キヨノさん、俺につきあってくれよ」
「はぁ」
「うまいぞう、プディングを食ったことはあるか」
「聞いたこともありません」
「茶碗蒸しか豆腐のように柔らかいが全然違うし、甘くて冷たくてうまいデザートだ。
キヨノさんはきっと気に入ると思う」
「どうして私が」
「黒須には櫻子さんがいるし、三条院はさほど甘いものが好きではない。
俺につきあって楽しんでくれそうなのは、キヨノさんくらいだ」
「滅多に食べられるものではありませんよ、キヨノさん。
あとのことはご心配なさらず、いってらっしゃいませ」
俺はもう一度、藤代さんを見上げる。
藤代さんは大きくうなずく。
次に白洲様を見上げる。
白洲様もにっこり笑って、大きくうなずいた。
「はい、わかりました」
「よし、行こう」
白洲様と俺は歩き出した。
白洲様は背が高い。
なので歩く速度が速い。
俺はずっと小走りでついていくしかない。
なりあきさまも背が高い。
しかし、こんなに走ってついていったことはなかった。
あ。
「キヨノさんはこの辺りに来たことはあるか」
「いいえ、初めてです」
「そうか」
なりあきさまが俺に合わせてゆっくり歩いてくださっていたんだ。
今、気がついた。
藤代さんも多分、そうだ。
話をしながらでも、白洲様はずんずん大股で歩いていかれる。
俺は必死についていく。
「三条院とはこうやって出歩いたことはあるのか」
「いいえ」
「ん……、そうか。
寂しかったかもしれないが、三条院を責めないでやってくれ。
きっと考えがあったはずだから」
「はぁ」
「キヨノさんがこうやって出歩いたり、藤代と一緒に歩いたりしても、誰もなにも思わない」
「はぁ」
「宰相様のパーティにいた連中はこんなところを歩いてはいないから、三条院の細君であるキヨノさんの顔を知る人はいない」
「はぁ」
「しかし、三条院と一緒に出歩いてみろ。
一瞬で君の正体を知りたがり、暴き立てようとする輩が現れる」
「……」
「俺は望んじゃいないが、君の選択によっては離縁もあるんだろう。
もしそうなったら、君はただのキヨノさんじゃなくて『三条院に離縁された男』という焼き印がついてしまう」
「!」
「君を守るために出歩いていないのかもしれないから、そこはくみ取ってやってほしい。
ほら、ついたぞ」
白洲様は煉瓦づくりの洒落た建物の扉を開けた。
ぷでぃんぐ、というものはとても不思議なものだった。
卵と牛乳で作るのだという。
甘い匂いがしていて、柔らかくほどよく硬く、冷たく、濃厚で、からめるというこげ茶色のたれがほろ苦い。
「どうだ?」
「食べたことありません。
おいしい」
「はははははは、キヨノさんはかわいいな。
そんな顔をしてくれたら、食べさせ甲斐があるというものだ」
白洲様はテーブルの向こうで笑っていた。
そして、珈琲が飲めない俺のために、特別な飲み物を注文してくれた。
それは珈琲を使っているが牛乳と砂糖をたっぷりと入れた飲み物だった。
苦みがあるが、うまい。
「気に入ったか?」
「はい」
「ははははは、いい笑顔だ」
白洲様は始終ご機嫌で、そして、店を出た。
それから、なりあきさまとの温泉旅行のことについて聞かれながらついて小走りに歩いていると、高い塀があり、番人がいる大きな門にやってきた。
番人は白洲様を見るとぴしっと敬礼をした。
白洲様もそれに敬礼をして返し、俺を連れてその門をくぐった。
奥にあるのはいかつい洋風の大きな建物だった。
すれ違う人々が白洲様に挨拶をする。
そして二階のとある部屋に連れてこられた。
「ここが俺の部屋だ。
どうぞ、キヨノさん」
言われて中に入り、言われるまま黒い革張りのそふぁに座る。
「では、外ではできなかった話をしようか」
白洲様は向かい側にお座りになり、長い足を組まれた。
一体、何を聞かれるのだろう。
「それで二回目の試験期間も半分以上過ぎているのに、中川は恋愛をしろと言い、三条院は好きにしていいと言いながら特に行動もせず、黒須に出し抜かれ、またもやキヨノさんは困っている。ということか」
「そういうことになるのでしょうか」
「藤代が一番ましかもしれない」
「はぁ」
「それにしても『形から』とは、黒須も余計なことを。
それで苦しんでいるのはあいつ自身なのに」
白洲様はぶつぶつと口の中でなにかをつぶやいていらっしゃる。
「キヨノさんは困っている、と三条院に言ったのか」
「はい。でも答えはでませんでした。
ですからまた一人で考えようと思いました」
「どうして」
「期日までに考えてお答えを出すのが、私の務めだと思って」
「いいんだ、そんなことしなくても。
今の気持ちをそのまま三条院にぶつけてしまえ。
そして二人で考えろ」
「また?」
「そうだ。落ち着いて考えてみろ。
結婚とは、一人でするものか」
「いいえ」
「なら二人で考えればいいじゃないか」
………そうか!
俺がなるほど、と思った時だった。
「入るぞ、白洲。
火急の用とは何事だ」
軽く扉を数度叩く音がしたかと思うと声がした。
「キヨノさんっ?!」
「ああ、三条院、仕事は終わったか」
「どうしてここに!」
入ってきたのはなりあきさまで、俺の姿を目でとらえると恐ろしい形相と勢いで俺に近づいてきた。
「黒須だけでなく、白洲もキヨノさんにちょっかいを出しているのか」
「まさか。二人でプディングを食べにいっただけだ」
「おまえが前々から言っていたあの店か!」
「ああ、うまかったぜ。
な、キヨノさん」
「はい」
「またどこかに行こう。
今日は楽しかった」
「はい、ありがとうございます。
私も楽しかったです」
俺はぴょこんと頭を下げた。
「じゃあ、帰りは三条院と一緒だから心配はないな」
白洲様は「ははははは」と笑い、なりあきさまは苦虫を潰したような顔をしていた。
佐伯さんの運転する車の中ではなりあきさまのご機嫌はすこぶる悪かった。
俺は知らない間に白洲様になりあきさまのお仕事場に連れていかれていた。
それであんなに立派な建物と、ものものしい雰囲気だったのか。
屋敷についてもなりさきさまのご機嫌は直らなかったが、一緒に夕食を食べた。
そのときに話がしたい、と言った。
それも二人きりがいい、と言うと、食後になりあきさまはご自分のお部屋に俺を連れてきてくれた。
なりあきさまのお部屋にも深緑のそふぁがあり、俺達は並んで座った。
「それでお話、というのは」
なりあきさまの声は硬かった。
そのせいで、俺も一層緊張してしまった。
つっかえつっかえしながらなりあきさまに言ったのは、「もうこれ以上考えられない」ということだった。
「一生懸命考えたつもりでした。
でも、もうなにを考えていいのかわかりません。
すごく困ってしまいました。
このままでは期日までにお答えを出すのは難しいです」
なりあきさまのお顔の色がどんどん青くなってしまったが、俺は自分を止められなかった。
「そうしたら白洲様がそのままなりあきさまにお話したらいい、っておっしゃってくれて」
「あ」
「困っている、ということを話せばいいと………
なりあきさま?」
「私とのことが考えられないから離縁する、ということではないんですね!」
「離縁。
そんなこと、思ってもみませんでした」
「ああ、キヨノさん!」
今度はなりあきさまのお顔の色が赤くなってきた。
「こいもわからない。
けっこんもわからない。
妻もわからない。
本当にどうしていいのかわからない。
だから、そのままこれをなりあきさまにお聞きいただこうと思って」
「だから、今、お話くださっているんですね」
「はい」
「また貴方を随分と困らせていたんですね」
「……ただ、俺、あの時とずっと同じ。
ここにいたい、というのは変わりありません」
「嗚呼」
「ここにいるために、なりあきさまとこいというものをしなくてはならないのなら。
妻でいなければならないのなら。
俺は黒須様がおっしゃった『形から入る』をやってみたくて」
「キヨノさん?」
「俺、なりあきさまを好きになってもいいでしょうか。
がんばります。
それでいろいろわかるのなら、一生懸命努めます」
なりあきさまはぐいと距離を縮め、俺の真横に座ると、俺を引き寄せ抱きしめた。
「好き、なんて、無理になるものではありません」
「でも」
「でも、私は嬉しい。
ずっとずっとここにいてください。
キヨノさんが私とのことを前向きに考えてくださっているのが、とても嬉しいのです」
「はぁ」
「キヨノさん、こういうのはどうでしょう」
「?」
「恋人同士の真似をするのです」
「?」
「これまで私の一方的な思いで動いていたので、キヨノさんを不快にさせていました。
だから今度は改心していろいろ我慢してきました。
けれどもしキヨノさんがいいとおっしゃるなら恋人同士のふりをしてみて、私のことを好きになるかどうか、やってみませんか」
「どうやって」
「そうですね。
朝夕のハグとキスはもちろん。
手を繋ぎましょう。
そのまま一緒に外出もいいですね。
デエトをしましょう」
「でえと?」
「恋人同士が出かけるのをデエトというんです」
「はぁ」
「そして、ここにキスをする」
なりあきさまはそっと人差し指で俺の唇をなでた。
「えええええっ!」
「嫌ですか?」
「く、口吸いになってし……」
「だって恋人同士ですから、それくらいするでしょう」
「でもそれは……」
「こわくありませんよ。
ちょっと触れるだけです」
「ちょっと?」
「ええ」
なりあきさまの泣きぼくろが近づいて、ふっと息をする間もなくなにかが俺の唇にふれた。
「ほら、こわくなかったでしょ」
「な、なりあきさま……?」
「これがキスですよ。
恋人同士の、唇へのキスです。
おいやでしたか」
「なにがなんだかわかりませんでした」
「またあとでしてあげますよ」
その夜、俺は眠る前になりあきさまからまたキスをされた。
それからは屋敷の中でも手を繋ぎ、朝夕のハグとキスをし、二人きりになると唇にキスをされた。
そして、次の週末はでえとをする、と告げられた。
俺はよくわからなかったので、なりあきさまに全部お任せすることにした。
通りの向こうに立っていたのは、黒い制服を着た白洲様だった。
短く刈った髪とがっしりした大柄な人は覚えやすかった。
俺は一緒に買い出しに出ている、隣の藤代さんを見上げる。
つい三日前、俺は買い出し途中に黒須様と櫻子様の乗る車で屋敷に送られたばかりだった。
そのあと、藤代さんはなりあきさまと中川さんにまた怒られてしまったそうだけど、
「いいんです。
少しは心配をかけたっていいんだ、キヨノさん!」
と鼻息荒くしゃべっていた。
「でも」と俺が言いかけると、
「キヨノさんがいい子で安心しきっているんです。
だめだめ!
キヨノさんだって一人の男の子なんですから、多少やんちゃしたっていいはずですよ」
と語気を強めてぶつぶつと言っていたので、それ以上はなにも言わないことにした。
そうこうしているうちに、藤代さんは俺を白洲様のところに連れてきてしまった。
「よう、キヨノさん。
元気そうだね」
白洲様は片手を上げ、太い声で言った。
俺は「お久しぶりです、白洲様」と頭を下げた。
「先日は黒須が思いつきで失礼なことをしたね。驚いただろ」
「今も十分驚いています」
「はははははっ、なんだ中川から何も聞いていないのか?」
「?」
「中川の許可は取ってある。
キヨノさん、これからプディングを食べにいこう」
「ぷ……?」
俺は白洲様を見、そして藤代さんを見た。
藤代さんはにっこりと笑った。
「中川からも私からも何もお伝えしておりません、白洲様」
「まぁ、話したらキヨノさんは出かけてくれなくなるかもしれないし、三条院が黙っていないだろうしな。
得策だ、藤代」
「はい」
「帰りのことは手はずを整えてある。
安心してくれ、俺が責任を持つ」
「はい、よろしくお願いします」
あの、藤代さん。
「キヨノさん、あとは白洲様にお任せしておけば大丈夫です。
お夕食までにはお戻りください」
「あの」
「中川さんも知っていますし、なにも心配はありません。
というか、もっと心配をかけてやればいいんだ」
「藤代さん?」
「キヨノさん、俺につきあってくれよ」
「はぁ」
「うまいぞう、プディングを食ったことはあるか」
「聞いたこともありません」
「茶碗蒸しか豆腐のように柔らかいが全然違うし、甘くて冷たくてうまいデザートだ。
キヨノさんはきっと気に入ると思う」
「どうして私が」
「黒須には櫻子さんがいるし、三条院はさほど甘いものが好きではない。
俺につきあって楽しんでくれそうなのは、キヨノさんくらいだ」
「滅多に食べられるものではありませんよ、キヨノさん。
あとのことはご心配なさらず、いってらっしゃいませ」
俺はもう一度、藤代さんを見上げる。
藤代さんは大きくうなずく。
次に白洲様を見上げる。
白洲様もにっこり笑って、大きくうなずいた。
「はい、わかりました」
「よし、行こう」
白洲様と俺は歩き出した。
白洲様は背が高い。
なので歩く速度が速い。
俺はずっと小走りでついていくしかない。
なりあきさまも背が高い。
しかし、こんなに走ってついていったことはなかった。
あ。
「キヨノさんはこの辺りに来たことはあるか」
「いいえ、初めてです」
「そうか」
なりあきさまが俺に合わせてゆっくり歩いてくださっていたんだ。
今、気がついた。
藤代さんも多分、そうだ。
話をしながらでも、白洲様はずんずん大股で歩いていかれる。
俺は必死についていく。
「三条院とはこうやって出歩いたことはあるのか」
「いいえ」
「ん……、そうか。
寂しかったかもしれないが、三条院を責めないでやってくれ。
きっと考えがあったはずだから」
「はぁ」
「キヨノさんがこうやって出歩いたり、藤代と一緒に歩いたりしても、誰もなにも思わない」
「はぁ」
「宰相様のパーティにいた連中はこんなところを歩いてはいないから、三条院の細君であるキヨノさんの顔を知る人はいない」
「はぁ」
「しかし、三条院と一緒に出歩いてみろ。
一瞬で君の正体を知りたがり、暴き立てようとする輩が現れる」
「……」
「俺は望んじゃいないが、君の選択によっては離縁もあるんだろう。
もしそうなったら、君はただのキヨノさんじゃなくて『三条院に離縁された男』という焼き印がついてしまう」
「!」
「君を守るために出歩いていないのかもしれないから、そこはくみ取ってやってほしい。
ほら、ついたぞ」
白洲様は煉瓦づくりの洒落た建物の扉を開けた。
ぷでぃんぐ、というものはとても不思議なものだった。
卵と牛乳で作るのだという。
甘い匂いがしていて、柔らかくほどよく硬く、冷たく、濃厚で、からめるというこげ茶色のたれがほろ苦い。
「どうだ?」
「食べたことありません。
おいしい」
「はははははは、キヨノさんはかわいいな。
そんな顔をしてくれたら、食べさせ甲斐があるというものだ」
白洲様はテーブルの向こうで笑っていた。
そして、珈琲が飲めない俺のために、特別な飲み物を注文してくれた。
それは珈琲を使っているが牛乳と砂糖をたっぷりと入れた飲み物だった。
苦みがあるが、うまい。
「気に入ったか?」
「はい」
「ははははは、いい笑顔だ」
白洲様は始終ご機嫌で、そして、店を出た。
それから、なりあきさまとの温泉旅行のことについて聞かれながらついて小走りに歩いていると、高い塀があり、番人がいる大きな門にやってきた。
番人は白洲様を見るとぴしっと敬礼をした。
白洲様もそれに敬礼をして返し、俺を連れてその門をくぐった。
奥にあるのはいかつい洋風の大きな建物だった。
すれ違う人々が白洲様に挨拶をする。
そして二階のとある部屋に連れてこられた。
「ここが俺の部屋だ。
どうぞ、キヨノさん」
言われて中に入り、言われるまま黒い革張りのそふぁに座る。
「では、外ではできなかった話をしようか」
白洲様は向かい側にお座りになり、長い足を組まれた。
一体、何を聞かれるのだろう。
「それで二回目の試験期間も半分以上過ぎているのに、中川は恋愛をしろと言い、三条院は好きにしていいと言いながら特に行動もせず、黒須に出し抜かれ、またもやキヨノさんは困っている。ということか」
「そういうことになるのでしょうか」
「藤代が一番ましかもしれない」
「はぁ」
「それにしても『形から』とは、黒須も余計なことを。
それで苦しんでいるのはあいつ自身なのに」
白洲様はぶつぶつと口の中でなにかをつぶやいていらっしゃる。
「キヨノさんは困っている、と三条院に言ったのか」
「はい。でも答えはでませんでした。
ですからまた一人で考えようと思いました」
「どうして」
「期日までに考えてお答えを出すのが、私の務めだと思って」
「いいんだ、そんなことしなくても。
今の気持ちをそのまま三条院にぶつけてしまえ。
そして二人で考えろ」
「また?」
「そうだ。落ち着いて考えてみろ。
結婚とは、一人でするものか」
「いいえ」
「なら二人で考えればいいじゃないか」
………そうか!
俺がなるほど、と思った時だった。
「入るぞ、白洲。
火急の用とは何事だ」
軽く扉を数度叩く音がしたかと思うと声がした。
「キヨノさんっ?!」
「ああ、三条院、仕事は終わったか」
「どうしてここに!」
入ってきたのはなりあきさまで、俺の姿を目でとらえると恐ろしい形相と勢いで俺に近づいてきた。
「黒須だけでなく、白洲もキヨノさんにちょっかいを出しているのか」
「まさか。二人でプディングを食べにいっただけだ」
「おまえが前々から言っていたあの店か!」
「ああ、うまかったぜ。
な、キヨノさん」
「はい」
「またどこかに行こう。
今日は楽しかった」
「はい、ありがとうございます。
私も楽しかったです」
俺はぴょこんと頭を下げた。
「じゃあ、帰りは三条院と一緒だから心配はないな」
白洲様は「ははははは」と笑い、なりあきさまは苦虫を潰したような顔をしていた。
佐伯さんの運転する車の中ではなりあきさまのご機嫌はすこぶる悪かった。
俺は知らない間に白洲様になりあきさまのお仕事場に連れていかれていた。
それであんなに立派な建物と、ものものしい雰囲気だったのか。
屋敷についてもなりさきさまのご機嫌は直らなかったが、一緒に夕食を食べた。
そのときに話がしたい、と言った。
それも二人きりがいい、と言うと、食後になりあきさまはご自分のお部屋に俺を連れてきてくれた。
なりあきさまのお部屋にも深緑のそふぁがあり、俺達は並んで座った。
「それでお話、というのは」
なりあきさまの声は硬かった。
そのせいで、俺も一層緊張してしまった。
つっかえつっかえしながらなりあきさまに言ったのは、「もうこれ以上考えられない」ということだった。
「一生懸命考えたつもりでした。
でも、もうなにを考えていいのかわかりません。
すごく困ってしまいました。
このままでは期日までにお答えを出すのは難しいです」
なりあきさまのお顔の色がどんどん青くなってしまったが、俺は自分を止められなかった。
「そうしたら白洲様がそのままなりあきさまにお話したらいい、っておっしゃってくれて」
「あ」
「困っている、ということを話せばいいと………
なりあきさま?」
「私とのことが考えられないから離縁する、ということではないんですね!」
「離縁。
そんなこと、思ってもみませんでした」
「ああ、キヨノさん!」
今度はなりあきさまのお顔の色が赤くなってきた。
「こいもわからない。
けっこんもわからない。
妻もわからない。
本当にどうしていいのかわからない。
だから、そのままこれをなりあきさまにお聞きいただこうと思って」
「だから、今、お話くださっているんですね」
「はい」
「また貴方を随分と困らせていたんですね」
「……ただ、俺、あの時とずっと同じ。
ここにいたい、というのは変わりありません」
「嗚呼」
「ここにいるために、なりあきさまとこいというものをしなくてはならないのなら。
妻でいなければならないのなら。
俺は黒須様がおっしゃった『形から入る』をやってみたくて」
「キヨノさん?」
「俺、なりあきさまを好きになってもいいでしょうか。
がんばります。
それでいろいろわかるのなら、一生懸命努めます」
なりあきさまはぐいと距離を縮め、俺の真横に座ると、俺を引き寄せ抱きしめた。
「好き、なんて、無理になるものではありません」
「でも」
「でも、私は嬉しい。
ずっとずっとここにいてください。
キヨノさんが私とのことを前向きに考えてくださっているのが、とても嬉しいのです」
「はぁ」
「キヨノさん、こういうのはどうでしょう」
「?」
「恋人同士の真似をするのです」
「?」
「これまで私の一方的な思いで動いていたので、キヨノさんを不快にさせていました。
だから今度は改心していろいろ我慢してきました。
けれどもしキヨノさんがいいとおっしゃるなら恋人同士のふりをしてみて、私のことを好きになるかどうか、やってみませんか」
「どうやって」
「そうですね。
朝夕のハグとキスはもちろん。
手を繋ぎましょう。
そのまま一緒に外出もいいですね。
デエトをしましょう」
「でえと?」
「恋人同士が出かけるのをデエトというんです」
「はぁ」
「そして、ここにキスをする」
なりあきさまはそっと人差し指で俺の唇をなでた。
「えええええっ!」
「嫌ですか?」
「く、口吸いになってし……」
「だって恋人同士ですから、それくらいするでしょう」
「でもそれは……」
「こわくありませんよ。
ちょっと触れるだけです」
「ちょっと?」
「ええ」
なりあきさまの泣きぼくろが近づいて、ふっと息をする間もなくなにかが俺の唇にふれた。
「ほら、こわくなかったでしょ」
「な、なりあきさま……?」
「これがキスですよ。
恋人同士の、唇へのキスです。
おいやでしたか」
「なにがなんだかわかりませんでした」
「またあとでしてあげますよ」
その夜、俺は眠る前になりあきさまからまたキスをされた。
それからは屋敷の中でも手を繋ぎ、朝夕のハグとキスをし、二人きりになると唇にキスをされた。
そして、次の週末はでえとをする、と告げられた。
俺はよくわからなかったので、なりあきさまに全部お任せすることにした。
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