白妙薄紅

Kyrie

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二十一、

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飯田橋いいだばしの離れには火鉢が幾つも持ち込まれ、腕のいい町医者と掛川かけがわが寄越したという蘭学医が汗をかきかき座っていた。
源蔵げんぞうを伴った飯田橋が二人の医者に白妙の容態を尋ねるが、かんばしくない答えが返ってきた。
飯田橋が源蔵を白妙しろたえの枕元に座らせた。

「白妙、源蔵だよ」

飯田橋が声をかけるが、白妙は全身を赤くし時折「寒い寒い」とやっと聞き取れるようなうめき声を上げ、体をがたがたと震わせるしかしなかった。



二年ぶりに見る白妙は背が伸びていた。
子どもっぽさが抜け、大人になる手前の瑞々しいしなやかな若木のようであった。
苦し気にのけぞりながら息を吸うときにちらりと見える喉には、源蔵が見たことがなかったでっぱりがあった。
その成長ぶりに驚きながらも、やはり源蔵にはあのときの子どもが見えていた。

「白妙、私だ。
源蔵だ」

「……」

ほんの僅かだが白妙の力が緩んだ。
しかしすぐにまた、荒い呼吸に戻ってしまった。

「ずっとこんな様子なんだ」

飯田橋は力なく言った。

「なぁ、源蔵、あとはもうおまえさんだけが頼りだ。
白妙を救ってくれ」

そう言い残すと、飯田橋は二人の医者を連れて離れから出て行った。





源蔵は自分に何ができるのかわからなかった。
飯田橋を気にして先ほどはしなかったが、二人きりになったので白妙の額に手をやった。
非常に熱かった。

足引山の主様、私の願いをお叶えください。

源蔵は角帯を解き、長物を落とし、長襦袢ながじゅばんも脱ぐと肌襦袢はだじゅばん姿で、何枚もの綿入れがかけられている白妙のしとねに入っていった。
白妙は何か握っていた。
あの、糸括いとくくりにやった丹塗りの櫛だった。
そこにはたしか、白い五弁の桜が描かれていたはずだったが、今はなんと一弁しか残っていない。
源蔵は焦った。

私の命をやる。
白妙、生きろ。

大きく胸元を開き、白妙の肌襦袢も取り去るとぐっと自分の胸に白妙を抱いた。

白妙っ

背の伸びた白妙はあのときのように懐にすっぽりとは入らなかった。
源蔵は祈りながら白妙の肩や背中をさすった。

寒いか、白妙。
私の熱を持っていくといい。
生きろ、白妙。

さすり抱きしめ祈る。
源蔵の目に涙がにじんできた。
奥のほうから白妙への愛おしさがこみ上げ、白波を立てて渦巻く。

ああ、白妙。

源蔵の中に真っ青な海に白波が立ち桜の花吹雪の着物を着た白妙が浮かび上がる。
水揚げの時、惣吉そうきちも花街で贔屓にしている呉服問屋の旦那も、花蝶かちょうの着物を薦めた。
しかし源蔵が頑なに白波桜を推した。
それは自分の気持ちの表れであった。
叶うはずもなく、叶ってしまえば自分だけのことでは済まされない罰のことを考えると、なにもできることはなかった。
ただ、自分の中に荒れ狂う想いを白妙に着せたかった。
それに拍車をかけるように御衣黄ぎょいこうが稲妻の帯を贈ってきた。
自分の気持ちが見透かされているのではないか、と源蔵は冷や汗をかいた。

白波の激しさも稲妻の凄まじさも、白妙は難なく着こなした。
どうしてとおの子どもにあれが着こなせたのだろう。


源蔵は白妙が笹部ささべの置屋にやってきたときのことからを思い出しながら、一晩中、白妙に声をかけ、抱きさすっていた。

「白妙」

「……あい」

ひび割れた唇から微かな声がした。
慌てて源蔵が白妙を見た。

「げ…ぞ…さん…」

白妙は朦朧としながら、源蔵の名前を呼ぶとにへらっと笑った。
あの時のままの笑顔であった。

「白妙。
そばにいるぞ、白妙」

白妙は嬉しそうな顔をした。

「水を。
水を飲まぬか」

返事はないが源蔵は白妙を抱いたまま半身を起こし、枕元にあった湯呑に冷えきってしまった白湯を入れ、それを口に含んだ。
親鳥が雛にしてやるように口移しで水を含ませると、ようやく白妙は水を飲んだ。

「よし、いい子だ、白妙」

数回、水を飲ませ、次にせんじ薬も同じようにして飲ませた。
白妙は顔をわずかにしかめたが、吐き出すことはなかった。

「苦かったな。
元気になったら飴をくれてやる」

「……あい」

またにへらと笑うと、白妙はすっと眠りに入っていった。



それからしばらくは高熱が続き、体の震えも起こり、意識が混濁し、玉の緒が細く細くなっていくこともあった。
源蔵は辛抱強く、白妙に声をかけ、抱きしめた。

もっとここにいろ。
私もここにいる。
おまえのそばにいるぞ、白妙。
主様、召しますのならどうかこの源蔵を。
どうかどうか白妙はもう少しここに置いてやってください。

源蔵はたまらなくなって、白妙の体をまさぐり、乾いた唇に自分の唇を押し付けた。
初めての白妙の唇はかさついていた。
ところどころ切れて血がにじんでいる。
源蔵はそれを舐めて湿らせ、熱い口の中に舌を伸ばした。

もう私は死んでしまってもいい。
最後にこの腕に白妙を抱くことができた。
思い残すことは何もない。

白妙、おまえは生きろ。
飯田橋様と共に生きろ。






朝告鳥が鳴き、空が東のほうから白んできた。
白妙の枕元に一人の男が立っていた。
たくさん泣いたのか、目の縁を赤くし忍びきれない想いを抑えつけながら、脱ぎ散らかした着物を身に着けた源蔵であった。
見下ろしている白妙も目元に涙を浮かべながらも、落ち着いた呼吸を繰り返していた。
先ほど見ると、丹塗りの櫛の桜は再び五弁の花びらをそろえ、小さく誇り高く咲いていた。
白妙の頬は緩みほんのりと笑っていた。
それを確認すると源蔵は何も言わず、離れから立ち去っていった。





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