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十七、
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呉服問屋の飯田橋の若旦那は町ではちょっとした有名人だった。
甘く色めく顔立ちに仕立てのいい着物と帯、洒落た会話を軽快に操り、元々人気はあった。
それが花街の一人の陰間に入れ込んでいると噂になり、好奇の目に晒されていたが、それを気にするふうでもなかった。
もともと次男でおっとりと育っていたが、ひょんなことで店を継ぐことになった。
まだ父である大旦那が目を黒々とさせしっかりと店を営んでいたが、いつこの若く軽い息子が身上を潰すのかと関心を集めていた。
初めの頃はやんちゃで子どもっぽさの残る様子であったが、花代をひねり出すためにも商売に精を出していた。
売れっ子の役者に自分の店の着物と帯を身につけさせ、それを人気の絵師と摺師に頼んで浮世絵にしばらまいた。
「あの役者と同じ着物がほしい」と言われるとすぐにそれを取り出し、気に入られると売った。
高価なものだったので、豪商の娘がこれ見よがしに同じものを身に着けるのを悔しく思っている者もいたが、若旦那は質は劣るが同じようなものを作るとそれも飛ぶように売れた。
役者も自分の人気がますます上がるのに気をよくして、同じ着物、同じ帯でも小物一つ、襟一つでがらりと変わった装いをして見せ、それを若旦那に教える。
若旦那もそれと似たようなものを店に取り揃えた。
たまに色違い、柄違いにするとそれも人気が出た。
大旦那は若い衆の買い物には慎重になっていたが、その親や兄弟も巻き込む勢いになると、若旦那のやり方にあまり口を出さなくなった。
口出しと言えば、若旦那の花街での振る舞いのことは釘を刺した。
陰間の芸も楽しまず、その体だけを求めるのはいかがなものか、と苦言を呈した。
若旦那はそれを聞き流したように見えたが、陰間がその芸を磨くためにどれだけの稽古をしているのかを他の若い衆や旦那衆から聞くにつれ、考えを改めた。
よって、白妙の芸も楽しまず、弟たちを下げてしまうようなことは減った。
ぴんと張った糸のような空気の中で、優雅に舞う白妙は緋色の褥の上で見せるのとはまた違った美しさだった。
水揚げのときに比べ、芸は深まり、静かにひたひたと飯田橋の心を揺さぶった。
花街から帰った日の夜、寝る前に白妙の舞姿をふと思い出すことが増えた。
それは心臓をきゅっと締め付けるような息苦しさと儚さを飯田橋に与えた。
そして踊り終え酌をするときに見せるふわっとした笑みがその痛みを和らげ、愛おしさが増すのであった。
飯田橋は白妙に溺れすぎることなく、白妙の花宮《はなみや》としての技も楽しみ、行儀よく挨拶をする弟たちに声をかけ、座る白妙の手を引いて次の間に誘おうとした。
が、白妙は立ち上がることをせず、足をそろえ座り直した。
「飯田橋様」
白妙の自分を呼ぶ声がしんとした部屋に響いた。
「なんだい」
様子が違うので、飯田橋は立ち止まり、少し不安になりながら白妙を見下ろした。
「わたくしの身請けのお話、まだ生きていますでしょうか」
「ああ、もちろんだ。
惣吉に申し出たままだよ」
「わたくしは…」
言葉を切り、白妙は唾を飲み込む。
「ここを出たら、真っ白になって生まれ変わりとうございます」
「ん?」
「持てるものを捨て、まっさらな自分になって生きていきとうございます」
「白妙」
思い詰めたような物言いに、飯田橋は白妙から目が離せなかった。
待っていても、手に入らないものは仕方がない…
それならばいっそ。
「不束者でございますが、わたくしと一緒に、時を、春夏秋冬を過ごしてはいただけないでしょうか」
この手を取って、私は生まれ変わりたい。
陰間に上がり、花宮に上がってもなお変わらず私に目をかけてくれ、私を必要としてくれた人と共に……
この方の勢いは私を連れ去ってくれる。
だって
だって
私は。
「白妙っ」
飯田橋が覆いかぶさるように白妙を抱き締めた。
「私におまえの身を任せてくれ。
私が幸せにしてあげる。
私を幸せにしておくれ」
「よろしく」
白妙は息を大きく吸い、吐き出した。
「お願い申し上げます」
「白妙ぇ」
勢いあまって畳に白妙を押し倒しながら飯田橋は抱きしめる。
「どうしよう。
嬉しく嬉しくてたまらないよ」
「飯田橋様」
「泣くなよ、白妙」
「飯田橋様こそ」
二人は顔を見合わせ、大きく笑うと唇を重ねた。
その後、なにをどうしたのか。
気がつくと二人とも一糸まとわぬ姿になり、緋色の褥の上で上になり下になり睦みあっていた。
触れる手が、息が、すべてが愛おしい。
初めて、白妙が朝告鳥が鳴いても飯田橋の着物の端を離そうとはしなかった。
飯田橋はそれが嬉しくて、離れがたかった。
二人きりだとそのままずるずるとしていたかもしれない。
しかし、働き者の弟たちがてきぱきと朝の身支度を整えたため、二人は泣く泣く最後に熱い口吸いをし、その朝は別れた。
白妙が花街を去る、一月前のことであった。
「これが最後の機会だ」と無理を押して白妙の約束を取り付ける客が多くなった。
惣吉はここぞとばかり値を釣り上げたが、それでも白妙を買う客は途絶えなかった。
飯田橋にとっては面白くないことだったが、それでもあの赤い門を出てしまえばずっと白妙は自分と共に生きるのだと思うと、多少は我慢できた。
白妙の最後の夜を誰が買うのか、皆、興味津々だった。
結局、僅差で両替商の掛川が飯田橋と競り合い、勝ち取った。
最後のお勤めのため、白妙はいつもより念入りに身支度を整えた。
そして茄子紺の着物を着、縞の帯を締め、髪は真珠づくしの挿物で飾った。
慣れたように掛川からもらった鏡台を覗き込み、自分の薬指に舌先を伸ばし、貝殻の内側の紅を取ると唇へ、目尻へ、そして指に残ったのを頬へ伸ばした。
それから弟たちを引き連れ、掛川の待つ茶屋へと向かった。
甘く色めく顔立ちに仕立てのいい着物と帯、洒落た会話を軽快に操り、元々人気はあった。
それが花街の一人の陰間に入れ込んでいると噂になり、好奇の目に晒されていたが、それを気にするふうでもなかった。
もともと次男でおっとりと育っていたが、ひょんなことで店を継ぐことになった。
まだ父である大旦那が目を黒々とさせしっかりと店を営んでいたが、いつこの若く軽い息子が身上を潰すのかと関心を集めていた。
初めの頃はやんちゃで子どもっぽさの残る様子であったが、花代をひねり出すためにも商売に精を出していた。
売れっ子の役者に自分の店の着物と帯を身につけさせ、それを人気の絵師と摺師に頼んで浮世絵にしばらまいた。
「あの役者と同じ着物がほしい」と言われるとすぐにそれを取り出し、気に入られると売った。
高価なものだったので、豪商の娘がこれ見よがしに同じものを身に着けるのを悔しく思っている者もいたが、若旦那は質は劣るが同じようなものを作るとそれも飛ぶように売れた。
役者も自分の人気がますます上がるのに気をよくして、同じ着物、同じ帯でも小物一つ、襟一つでがらりと変わった装いをして見せ、それを若旦那に教える。
若旦那もそれと似たようなものを店に取り揃えた。
たまに色違い、柄違いにするとそれも人気が出た。
大旦那は若い衆の買い物には慎重になっていたが、その親や兄弟も巻き込む勢いになると、若旦那のやり方にあまり口を出さなくなった。
口出しと言えば、若旦那の花街での振る舞いのことは釘を刺した。
陰間の芸も楽しまず、その体だけを求めるのはいかがなものか、と苦言を呈した。
若旦那はそれを聞き流したように見えたが、陰間がその芸を磨くためにどれだけの稽古をしているのかを他の若い衆や旦那衆から聞くにつれ、考えを改めた。
よって、白妙の芸も楽しまず、弟たちを下げてしまうようなことは減った。
ぴんと張った糸のような空気の中で、優雅に舞う白妙は緋色の褥の上で見せるのとはまた違った美しさだった。
水揚げのときに比べ、芸は深まり、静かにひたひたと飯田橋の心を揺さぶった。
花街から帰った日の夜、寝る前に白妙の舞姿をふと思い出すことが増えた。
それは心臓をきゅっと締め付けるような息苦しさと儚さを飯田橋に与えた。
そして踊り終え酌をするときに見せるふわっとした笑みがその痛みを和らげ、愛おしさが増すのであった。
飯田橋は白妙に溺れすぎることなく、白妙の花宮《はなみや》としての技も楽しみ、行儀よく挨拶をする弟たちに声をかけ、座る白妙の手を引いて次の間に誘おうとした。
が、白妙は立ち上がることをせず、足をそろえ座り直した。
「飯田橋様」
白妙の自分を呼ぶ声がしんとした部屋に響いた。
「なんだい」
様子が違うので、飯田橋は立ち止まり、少し不安になりながら白妙を見下ろした。
「わたくしの身請けのお話、まだ生きていますでしょうか」
「ああ、もちろんだ。
惣吉に申し出たままだよ」
「わたくしは…」
言葉を切り、白妙は唾を飲み込む。
「ここを出たら、真っ白になって生まれ変わりとうございます」
「ん?」
「持てるものを捨て、まっさらな自分になって生きていきとうございます」
「白妙」
思い詰めたような物言いに、飯田橋は白妙から目が離せなかった。
待っていても、手に入らないものは仕方がない…
それならばいっそ。
「不束者でございますが、わたくしと一緒に、時を、春夏秋冬を過ごしてはいただけないでしょうか」
この手を取って、私は生まれ変わりたい。
陰間に上がり、花宮に上がってもなお変わらず私に目をかけてくれ、私を必要としてくれた人と共に……
この方の勢いは私を連れ去ってくれる。
だって
だって
私は。
「白妙っ」
飯田橋が覆いかぶさるように白妙を抱き締めた。
「私におまえの身を任せてくれ。
私が幸せにしてあげる。
私を幸せにしておくれ」
「よろしく」
白妙は息を大きく吸い、吐き出した。
「お願い申し上げます」
「白妙ぇ」
勢いあまって畳に白妙を押し倒しながら飯田橋は抱きしめる。
「どうしよう。
嬉しく嬉しくてたまらないよ」
「飯田橋様」
「泣くなよ、白妙」
「飯田橋様こそ」
二人は顔を見合わせ、大きく笑うと唇を重ねた。
その後、なにをどうしたのか。
気がつくと二人とも一糸まとわぬ姿になり、緋色の褥の上で上になり下になり睦みあっていた。
触れる手が、息が、すべてが愛おしい。
初めて、白妙が朝告鳥が鳴いても飯田橋の着物の端を離そうとはしなかった。
飯田橋はそれが嬉しくて、離れがたかった。
二人きりだとそのままずるずるとしていたかもしれない。
しかし、働き者の弟たちがてきぱきと朝の身支度を整えたため、二人は泣く泣く最後に熱い口吸いをし、その朝は別れた。
白妙が花街を去る、一月前のことであった。
「これが最後の機会だ」と無理を押して白妙の約束を取り付ける客が多くなった。
惣吉はここぞとばかり値を釣り上げたが、それでも白妙を買う客は途絶えなかった。
飯田橋にとっては面白くないことだったが、それでもあの赤い門を出てしまえばずっと白妙は自分と共に生きるのだと思うと、多少は我慢できた。
白妙の最後の夜を誰が買うのか、皆、興味津々だった。
結局、僅差で両替商の掛川が飯田橋と競り合い、勝ち取った。
最後のお勤めのため、白妙はいつもより念入りに身支度を整えた。
そして茄子紺の着物を着、縞の帯を締め、髪は真珠づくしの挿物で飾った。
慣れたように掛川からもらった鏡台を覗き込み、自分の薬指に舌先を伸ばし、貝殻の内側の紅を取ると唇へ、目尻へ、そして指に残ったのを頬へ伸ばした。
それから弟たちを引き連れ、掛川の待つ茶屋へと向かった。
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