白妙薄紅

Kyrie

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十四、

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売れっ子の花宮はなみやとなった白妙しろたえを陰間のときと同じくらい贔屓にできる客は数えるほどしかいなくなった。
身上しんじょうを潰す覚悟を迫られるからである。
しかし、白妙との約束のとりつけが減ったかといえば、いなであった。
白妙の噂を聞きつけ、遠方からわざわざこの足引山のふもとの花街を訪れる客が増えた。

飯田橋いいだばし掛川かけがわは前と変わらず白妙を贔屓にしていたが、少々焦りを覚えた。
遠方からの客は「一生に一度」という覚悟を決めてくるため、白妙を何日もまとめて買った。
そしてこの辺りでは見ることのできない珍しいものを土産に持ってくる。
白妙に思うように会えず、また物で懐柔されてはかなわない、と最初に動いたのは掛川だった。

美しいものを見るのが好きだと気がついた掛川は、珍しい舶来の花を描いた札を持ってきた。
裏には異国の言葉でその花の説明が書いてあった。
少しは異国の言葉が操れる掛川がそれを読み、わかるように説明してやると白妙は顔をほころばせた。

「旦那様、これはなんと書いてありますの」

「えとーこおりあ、だよ」

「こんなお花、見たことがありません」

「私もないね」

「他には何が書いてありますか」

「ふむ。
普段は黄色か橙色の花を咲かせるが、銀色のえとーこおりあが咲く伝説も残っている、とあるよ」

「まあ、銀色!
さぞかし美しいでしょうね」

「私にはおまえのほうが美しいと思うよ。
絵に描いた花より、本物の花より、白妙のほうが可愛らしく美しい」

「旦那様…」

一晩に二、三枚の絵札を眺めとつとつと会話をしたあと、掛川にくるまれながら白妙はその腕に抱かれ、緋色の褥《しとね》に横たわる。




花の絵札のことは、飯田橋が白妙に質問に質問を重ねて知った。
掛川に出し抜かれた、と内心焦ったが、飯田橋は上等な和紙と筆、硯、そして墨を持ってきた。

「白妙は花の絵を見るのが好きなのだろう。
きっと自分で描くのも好きだと思うよ」

「私、一度も描いたことがありません」

「大丈夫、ちょっとだけ描いてみるといいよ」

そう言って白妙に筆を持たせるとなかなか筋がいい。
飯田橋も絵心があったので、白妙に手ほどきをしてやる。
白妙は面白がり、日中の手すきの時間にちょいちょいと走り描きした花の絵をちらりちらりと飯田橋に見せるようになった。

「白妙は絵のさいがあるよ」

褒められて白妙は、最近ではあまり見せなくなった子どもらしい笑顔で飯田橋を見た。
言いようのない愛しさがこみ上げ、飯田橋は白妙を膝の上に乗せた。

「久しく白妙に食べさせていなかったね。
次はおまえに料理を食べさせよう。
何が食べたい?」

「お芋の煮っころがしが食べたいです」

小首を傾げながら、白妙はにっこりと笑って言った。

「ああ、それならくずをかけたのはどうだい。
白妙は好きだっただろう」

「ええ、あれもいいですね。
柚子の皮の香りが高くて」

「そうそう。
煮っころがしも葛かけも食べよう」

「ふふふ、楽しみです」

「私たちは色気より食い気だね」

「旦那様は私をお召し上がりになりますもの」

「言うようになったね、白妙」

二人でくすくす笑いながら、抱きしめられ甘い吐息を白妙が漏らした。

「じゃあ、いただこうかな」

飯田橋は白妙の肩を抱き、次の間へ歩いていった。







ある時、遠方の豪商が花街にやってきて、白妙を十日も買った。
白妙はその山奥の熊のような男の相手をした。
洗練されておらず、大きなだみ声で話すので、陰間の中にはその男を毛嫌いする者もいたが、白妙は他の客と同じように踊りも歌も渾身の思いで見せ、そして毎夜仔猫のように鳴いた。
男はたいそう白妙を気に入り、しまいには白妙を一緒に連れて帰ると言い出した。
惣吉そうきちが「いくら金を積まれても無理なものは無理だ」と断ると、男は暴れ出したが、たしなめたのは白妙だった。
そしてきっちり十日間、男の相手をした。

そのあと、少し体調を崩したので二、三日休養を取らせたいと惣吉が言ったのにもかかわらず、一日置いただけで白妙を座敷に呼んだのは飯田橋だった。
現れた白妙は少しやつれているようだった。
飯田橋はかっと頭に血が上った。
弟たちがいるにもかかわらず、挨拶のため三つ指を揃えて頭を下げていた白妙にずかずかと近づくとその身を抱きしめた。

「白妙…っ!」

あまりの力の強さに白妙はうろたえた。

「旦那…様…?」

「白妙、白妙、白妙、白妙!」

「はい」

「おまえがあのまま、あの男とここを出て行ってしまったらどうしようかと思った」

苦し気に言葉を吐き出す飯田橋の背中に腕を回し、そっとなでた。

「私はまだどこにも行けやしません」

「そばにいてくれ、白妙」

「はい」

「今日も明日も明後日も、私のそばにいておくれ」

「はい」

白妙は返事をしながら、弟たちにも声をかけた。

「控えの間にさがっておいで」

弟たちは素直に白妙の言葉に従った。
二人きりになると、飯田橋はますます白妙を抱き締め、離さなかった。
白妙はどうしていいかわからず、飯田橋の背中をなで続けた。

「おまえはあの男も『旦那様』と呼んだんだろう」

「はい」

「あの掛川も御衣黄のご隠居も他の客も、そして私も同じように呼ぶんだろう」

「……はい」

飯田橋は少し乱暴に白妙の手を引いて次の間に行き、緋色の褥に白妙を押し倒して言った。

「今宵だけでいい。
私の名前を呼んでくれないか」

「……」

白妙は答えられなかった。
禁じられてはいないものの、客は名前ではなく「旦那様」と呼ぶのが常であった。
そう呼ぶことで、いさかいが起こるのを防いでいた。

「白妙ぇ!」

飯田橋は怒ったような、情けないような、そんな声で白妙を呼んだ。
白妙は目を閉じた。
しばらくそうしていたが、ふっと目を開くと唇を動かした。

「……飯田橋様」

「ああ…」

飯田橋は横になった白妙の胸に顔を埋めた。

「こんなに好いているのは、私だよ、白妙」

「飯田橋様」

「そうだ。
そうだ、そうだ、そうだ。
私だ、白妙」

「飯田橋さ……んぁぁ」

激しく唇を奪われた。
首筋を吸われ、声を上げると飯田橋は白妙を横向きにさせ、器用に帯を解き、着物を脱がせていった。
その間にも飯田橋は白妙に名前を呼ばせ、次第に露わになる肌に手と口を這わせた。

一晩中、名前を呼ばせられ、激しく抱かれた。
それまでのこともあり、白妙はそのあと五日間も寝込んでしまった。
誰よりも熱く求められ、起き上がれるようになっても肌に散った桜は色褪せることはなかった。
惣吉と源蔵はそれを嘆いたが、白妙はそっと胸に手を当てて二人の小言を聞き流した。






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