白妙薄紅

Kyrie

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一、

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足引山の向こうに日が沈む頃、山の祠から楓葉ふうようと呼ばれる子狐が次々と飛び出し天に舞う。
それは長い尾を伸ばし、赤く煌めきながら花街の真ん中を南北に走る大きな通り沿いに置かれているたくさんの灯籠とうろうを目がけ宙を駆け、次々と明かりを灯していく。
南にある朱塗りの大きな門に近いところから順々に、北に向かって明かりがついていく様子を見るのは、花街で暮らす人たちの唯一の特権だった。
次に楓葉は街にあるすべての提灯ちょうちん行灯あんどんにも火を灯し、それが終わるとまた赤い尾を伸ばして足引山に空を駆け戻っていった。

それを合図にして赤い南門が左右五人ずつの男たちによって開かれる。
外で今か今かと待っていた客たちがどっと押し寄せ、花街は一気ににぎやかになる。

事前に約束を取り付けている大旦那は目的の茶屋を目指し、まだどの陰間かげまと一夜を過ごすか決めていない男たちは、茶屋の赤漆の格子戸の向こうにいる美しい陰間を足早に見て歩く。
夜は短く朝告鳥が鳴く前には花街から出なくてはいけない。
目移りはするが気ははやる。
そんな男たちへの呼び込みの声があちらこちらで飛び交う。

格子戸の内側では、陰間が思い思いの姿で客を見ていた。
艶やかな眼差しを送る者。
恥ずかしそうに頬を染める者。
あでやかな着物を見せつける者。
かと思えば、細長い煙管《きせる》から煙をくゆらせ、気だるげにしている者。



糸括いとくくりはつい十日前までは陰間や客のそんな姿を見ながら、あにさんのお使いをしたり、三味線を茶屋まで運んだりする仕事をこなしていた。
昼間は他の見習いの少年たちと自分の置屋の掃除や洗濯、食事の用意、買い物などの雑用をくるくるとよく回る独楽のように動き、働いた。

しかし、先日番頭の源蔵げんぞうから呼ばれ、もうすぐ十《とお》になることを確認されると、「手が荒れることは弟たちに任せておけばいい」と言われた。
そして以前から仕事の合間にしていた踊りや歌、習字、所作の稽古を一日中することになった。
糸括は自分の水揚げの時期がそこまで来ていることを知り、恐くなった。

水揚げとは、見習いの少年が陰間となり初めての客を取ることである。
まだ幼さがたっぷりと残る糸括には、なんとなく肌で感じてはいるものの、実際に客に何をするのかされるのか知らなかった。


置屋の二階の小窓からそっと外を見ると、人々がにぎやかに行き交い、笑い声や三味線の音が漏れ聞こえ、酒の独特の香り、料理の旨そうな匂いに包まれ、その合間をお使いを頼まれた少年たちがせわし気に走り回っていた。
自分のその中にいられたらよかったのに。
と糸括は思ったが、どうすることもできず、溜息をもらすと窓を閉め、踊りの稽古のおさらいを始めた。



この花街は女人禁制だった。
何度か度胸のある女人が中に入ろうとしたことがあるが、南門に近づくと見えない壁があり、どうやっても門をくぐることができなかった。
もう確かめることはできないが、足引山のぬしがこの花街を作ったという言い伝えもあるので、「主様がここを女人禁制の場所とされた」と囁かれるようになった。
よって、花街で暮らす人も客もすべて男であった。


糸括がここにやってくる前の記憶はない。
気がつくと赤い門の前に立っていて、人の好さそうな男に中に連れて入られ、風呂を使い、身綺麗になったところで、大人の男の両手にすっぽり入るくらいの木の箱を差し出される。
箱には円い穴が開いていて、その中に手を入れ紙を一枚引くように言われる。
言われた通りにすると、紙には朱色の文字のようなものが書いてあった。
男は手を出し、それを受け取り真剣な目で読むと静かな声で言った。

「お前の名前は『糸括』。
置屋は笹部ささべ
源蔵のところか。
すぐに使いをやろう。
さぁ、糸括、源蔵が来るまでに食事を済ませるといい」

小さなお膳がしつらえられ、これまで見たことのないような炊き立ての輝く白飯、まだ湯気の立つ汁物、小鉢、焼いた魚の切り身などが美しく盛られていた。
糸括が戸惑っていると、「冷めないうちに食べなさい」と男が声をかけた。
そう言われて、糸括はがつがつとそれらを食べ始めた。
とても腹が減っていた。


あのときはまだお作法を知らなかったから、ひどい食べっぷりだった。
と糸括は思い出すたびに苦笑する。

連れてこられた笹部には見習いの少年が三人いた。
聞くとどの子も、ここへ来る前の記憶がなく気がついたら赤い門の前に立っていたという。
見習いの中でも一番長く花街にいる少年が、足引山の主がつかわしめの赤い子狐たち楓葉をやって子どもを連れ去ってくるという噂を聞いたことがある、と話していたが、真偽はわからなかった。

連れてこられる年齢はまちまちだったが、どの子どもも十になると陰間として客を取るようになり、十五になると花街から去らなければならないことだけは決まっていた。
ここでは年齢に関係なく、先に花街にやってきた子どもを「兄《あに》さん」と呼び、後からやってきた子どもは弟と呼ばれていた。
それは陰間になってからも変わらなかった。
見習いだった三人の兄さんが陰間になっていくのを意味もわからず、糸括は見ていた。
そして自分の番が来ると、兄さんたちがこんなにも不安であったのかを知り、無邪気な話をしていた自分を反省し、「ごめんなさい、兄さん」と小さくつぶやくのであった。




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