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番外編 騎士が花嫁こぼれ話
49. 薔薇に滴(3)
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約束をしたわけではないのに、その日が近づいてくると二人はそわそわし始めた。
インティアは最近はあまりしていなかった身体の手入れを念入りにし、爪も美しく磨き、髪も艶が出るまで丁寧に梳いた。
クラディウスはワインセラーの中を歩き回ったり、花の手配をさせたりしている。
そして当日。
共に夕食を済ませ、クラディウスの部屋に行くと小さなテーブルの上には見事な深紅の薔薇が飾られ、ワインとグラスが準備されていた。
インティアが驚いて口に両手を当てていると、クラディウスが優しく肩を抱きインティアをうながし、椅子に座らせた。
クラディウスは慣れた手つきでワインの封を切り、少量をグラスに注いでたっぷりと空気を含ませ、インティアに渡した。
グラスを受け取り、香りをしっかり吸い込みそして一口含むと、インティアの顔に微笑みがこぼれた。
いつもならクラディウスは選ばない甘い後口のワイン。
きっとこの時間のために甘いものにしたのだろう。
インティアがうなずいたのを確認すると、二つのグラスにワインを注ぎ乾杯した。
「俺たちの一年目に」
クラディウスの言葉がなくても、インティアは顔がにやけたり泣きそうになったりするのを抑えるのに必死だった。
ちょうど一年前のこの日、青い薔薇と青い滴のピアスを証としてお互いにつけた。
それからいろいろありはしたものの、二人は離れることなく過ごした。
「一緒に一年いられて嬉しい」
素直にインティアが言うと、クラディウスも大きくうなずいた。
そして大きな手でインティアの手を包み込んだ。
インティアが青く光る目を見ると、クラディウスは真面目な面持ちで言った。
「結婚をしたいと思う。
インティアを私の生涯の伴侶にしたい。
受けてくれるか」
インティアは目を見開き一瞬嬉しそうに顔をほころばせたが、すぐに険しく悲しい表情になり思い切り首を振った。
「だ、だめっ!」
あまりの勢いと、まさかの拒絶にクラディウスのほうが驚いている。
「どうして」
「僕にはできない…」
そうつぶやくと、インティアは唇をかみしめた。
夢見たことはあった。
それが現実になるだなんて。
今、息が絶えてしまってもいいくらい、幸せ。
本当に嬉しい。
…でも、僕にはできない。
俯いてしまったインティアを面白くなさそうに見るクラディウス。
むっとして立ち上がり、インティアを少し乱暴に抱き上げるとそのまま長椅子に座った。
自分の膝の上にインティアをのせ、左手で腰を抱き、右手でインティアの手をすくい取るとその甲に口づけをした。
「理由を聞かせてもらえるかな」
クラディウスは努めて冷静になろうとしている。
インティアもそれにならって冷静になろうと深呼吸をした。
間近で見たクラディウスの青い瞳は滴のように流れていきそうだった。
泣かないで、ディー…
「そんなふうに言ってもらって、とっても嬉しい。
迷いなく手放しで受けられたら、と思う。
でも、僕にはできない」
インティアは大きく息を吸った。
「僕は…自分の仕事に誇りを持っている。
それを恥じたりはしない。
でも世間は違う。
僕のせいでディーの評判がよくないことも知っている」
「そんなこと、気にしなければいい」
「他にも理由がある」
「なんだ」
「…僕には子どもが産めない。
ディーは大公様の流れをくむ公爵様の長男だから跡継ぎがいる。
僕といれば跡継ぎは望めない」
切なそうにインティアは言いきると、また唇をかみしめた。
いずれ別れのときが来ると思っていた。
頃合いを見て、インティアはクラディウスから離れようと考えていた。
クラディウスが素敵な女性と結婚をするために。
妾になることも考えたが、妻になる女性に申し訳なかったし、なによりも自分がクラディウスが他の人を愛しているのを見るのがつらすぎるのでやめた。
何度か始まりの森に一人でいる神官テヤに、神殿で暮らすことができないかと尋ねたことがある。
テヤは優しく微笑んで、「神の許可が下りればできますよ」と言ったが、最後に「それを貴方はお望みですか」と必ず聞いた。
望むはずがない。
けれど、それしか自分の安全を守りながら生きられる選択肢を見つけられなかった。
ラバグルトなど自分の側近にも十分な金を渡してやりたかったので、計算するとあまり手元に金は残りそうになかった。
神殿に引っ込んでしまえば贅沢もできないし、思う存分歌の稽古をして細々となんとかなりそうだった。
「言いたいことはそれだけか?」
重い声でクラディウスが問うた。
「それだけ?」
「ティアが不安に思っていることはそれだけか?
他にもなにかあるのか?
あるなら全部言ってくれ」
「それだけじゃないでしょ。
大事なことなんだよ、ディー」
ちゅっと音を立てて再びインティアの手の甲に口づけをしたクラディウスは、にやりと笑った。
「やれやれ、俺の白薔薇はもっと自信を持てばいいのに。
ほら、こんなに手が冷たくなっている。
ワインをもっと飲め。
身体が温まるから」
クラディウスは立ち上がると小さなテーブルごと長椅子に引き寄せ、またインティアを膝の上に抱えて長椅子に座った。
そしてインティアにグラスを持たせ、自分のも取ると軽くインティアのグラスに乾杯しワインを飲んだ。
つられてインティアも飲んだが、さっきはあんなに甘やかだったワインの隠れた渋みだけを舌が感じた。
インティアが顔をしかめたので、クラディウスはインティアの手からグラスを抜くとテーブルの上に自分のグラスと共に戻した。
「さて、これから少し面白くない話をしようか。
もう誰も知らない話だ」
おどけたような口調で話すクラディウスにインティアは怒った。
「そんなの今じゃなくていいじゃない」
「いいや、今だ。
おまえは聞く義務があるよ、ティア。
一度しか話さないからよく聞いて。
そして他言無用だ。
もし漏れたら、いくら俺でもおまえを処分しなければならないかもしれない。
そんなことはしたくない。
覚悟して聞け」
クラディウスはぐっとインティアを抱く腕に力を込めた。
あまりの真剣さに、インティアは怖くなって身震いをした。
クラディウスは雛鳥の震えを押さえるようにインティアを自分の腕の中へ囲った。
「ピニャータが『兄殺しの弟王』と呼ばれたのを知っているか?」
「前王が?
いや、それは知らない」
「そうか、情報通のインティアも知らなかったか」
「そんなことを言われていたの?」
「すぐにもみ消されたからそれはうまくいったんだろうな、おまえの耳にも届いていないくらいだから。
広がるとまずい二つ名だし」
「本当に兄殺しなの?」
「さあ、噂だからな。
しかし、その噂を囁いた者は次々と体調を崩したり、流行り病にかかったり、自殺したりしたらしいよ」
「それって…」
「兄王には何人か子どもがいたそうだが、その子どもたちもいつの間にかいなくなった」
「……」
「斬殺されたという噂もあったらしいがね」
ふっとクラディウスが自嘲気味に笑ったのに、インティアは気がついて身を硬くした。
「もう誰も知らないことだ…
恐怖で泣き叫ぶまだ幼い子どもたちをね、ざっくりと大剣で切り裂いてね。
血しぶきが飛ぶんだ。
痛がって叫んでいるのをまたざっくりと、ね。
痛いってものではないからね。
なにが起こっているのかわからないよ。
とにかく恐怖と、熱いような痛みと、つんざくような他の兄弟や母親たちの叫び声と…」
クラディウスの胸の中で、インティアはびくりとした。
ディーの身体には斬られ傷が幾つもある。
一番ひどいのは脇から背中にかけてざっくりと。
古い傷のようで、しっかり手当してもらっていないみたいだから、いまでも引きつったままの、あの傷跡…
………もしかして、ディー?!
「みーんな殺されたらしいよ」
クラディウスは話し続ける。
ディーのお父さんって誰だっけ?
名前、憶えていない。
でも確かお身内に宰相か大臣として仕えた人がいるって…
それってピニャータ王の前王のときじゃなかったのかな?
じゃあ、兄王に最も近い人の一人だったんじゃないの?
インティアは花街にいた頃に知り得た情報を思い出していた。
が、やはりそこは子どもだったし、自分が生まれる前のことはあまり興味がなかったせいか記憶が曖昧だった。
ちょっと待てよ。
もしディーがそのとき殺された子どもたちの中の一人だとしたら、ディーは前王様の息子?
王子、ってこと?
あっ…
「どうした?」
自分の中で声を発したつもりが、実際に小さな声を上げていたらしい。
クラディウスが心配そうにインティアの頬に手をやった。
「ディーの百合の紋章…
あの中に小さな王冠が……んぅ」
インティアの言葉はクラディウスの口に吸い込まれてしまった。
クラディウスは目を開けたまま、乱暴にインティアの口を犯す。
そうされながらも、インティアの頭の中はぐるぐると考えが回っていた。
リノが言っていたんだ。
ジュリアスからの手紙の便箋にはクラディウスの百合の紋章の透かし模様が入っているけれど、それには小さな小さな王冠がついてる、って。
ジュリアスやロバートの紋章には入っていないから、クラディウス特有のものかもしれない、って。
ジュリアスの手紙をことあるごとに眺めていたリノが言うんだもの。
見間違えるはずがない。
もし斬殺された兄王の子どもたちが奇跡的に生き残っていたとしたら?
側近やそれにつながる誰かが助け出してかくまったとしたら?
やっぱりディーは兄王の王子…?
「……んぁ…」
ようやく唇を離され、インティアは熱い息を漏らした。
クラディウスはひんやりとした青い目でインティアを見ていた。
「あの紋章は公爵であった父が俺に使うようにと言われた。
その意味までは教えてもらわなかったがな」
莫大な財力。
ただの「公爵の息子で騎士」にしては大きすぎる権力。
父であるピニャータ王を忌み嫌っていた今王マグリカからの多大なる信頼。
インティアの頭は考えることを止めない。
「ティアは賢いな。
賢すぎて生命を落としてはいけないよ」
クラディウスはぱっくりと口を開けて、青い薔薇ごとインティアの耳たぶを口に含み、舌で薔薇を転がしながらも甘噛みをした。
「……ぁ」
「そろそろ戻っておいで、ティア。
俺を見るんだ」
耳たぶから口を離すと、クラディウスは両手でインティアの頬を包み上を向かせた。
クラディウスの金の長い髪がインティアの頭を覆い、インティアは鋭い目をしたクラディウスしか見えなくなってしまった。
そこまでして、ようやくインティアは考えるのを止めクラディウスを見た。
「なぁ、インティア。
もし俺に子どもができたらどうなると思う?
なにかの拍子に本当かどうかわからないような血生臭い因縁を持ち出されて、したくもない争いの場面に巻き込まれたらどうする?」
本来ならば兄王が正しい王。
正しい王の血を引いているのはディー。
そのディーの子どもは正しい王の末裔…?
もし反勢力がこのことを知ったら、ディーの子どもは王位継承の争いに担ぎ出されるかもしれない、ってこと?
「ややこしいことになりそうだろう?
そんなことになったら、かわいそうだ。
俺には子どもは必要ないんだよ。
公爵の爵位だって、きちんと父の血を持つ弟が引き継ぐことになっているから俺は騎士でいられる。
おまえを守る騎士でいられるんだよ、ティア」
「…ディー」
「それに正式な伴侶はインティアしかいらない。
他の誰かとおまえを同時に愛するなんて、できない。
薔薇の滴でいさせてくれ、ティア」
悲痛なうめき声のようにクラディウスが言い、インティアを抱きしめた。
「僕でいいの?」
インティアも大きなクラディウスの身体に腕を回し、必死に抱きしめる。
指先はちょうど、あの引きつった斬り傷の辺りをまさぐった。
クラディウスの身体がびくっと怯えたように震えた。
インティアは優しくそこをなでた。
「おまえがいい、インティア。
私を生涯の伴侶にしてくれるか?
正式に契約を結んでもいいか?」
こんなに恐怖に怯えるクラディウスを初めて知った。
インティアの頬に涙が一筋流れた。
こんなに怖がっている子どもを秘めていただなんて。
僕は知らなかったよ、ディー。
貴方の中の子どもに優しくさせて。
怖かったあの経験が少しでも和らぐように、今のクラディウスを幸せにさせるお手伝いをさせて。
「はい、クラディウス。
僕を伴侶にしてください」
「ああ、インティア…」
クラディウスはとにかくインティアを抱きしめた。
「もうどこにも行くな、インティア。
そばにいろ。
俺のそばにいろ」
「うん…うん…」
息もできないほど抱きしめられながら、インティアは目を閉じて覚悟を決めた。
もう、僕はどこにも行かない。
ずっとディーのそばにいる。
僕がディーを守る。
なんでもできてなんでも持っている立派な騎士なのに、こんなに不器用で孤独なディーのそばにいたい。
そばにいさせて、ディー。
僕は貴方の青い薔薇になるよ、クラディウス。
僕を守ることで生きていられるのなら、僕はいつまでも美しく咲く青い薔薇になるよ。
インティアは最近はあまりしていなかった身体の手入れを念入りにし、爪も美しく磨き、髪も艶が出るまで丁寧に梳いた。
クラディウスはワインセラーの中を歩き回ったり、花の手配をさせたりしている。
そして当日。
共に夕食を済ませ、クラディウスの部屋に行くと小さなテーブルの上には見事な深紅の薔薇が飾られ、ワインとグラスが準備されていた。
インティアが驚いて口に両手を当てていると、クラディウスが優しく肩を抱きインティアをうながし、椅子に座らせた。
クラディウスは慣れた手つきでワインの封を切り、少量をグラスに注いでたっぷりと空気を含ませ、インティアに渡した。
グラスを受け取り、香りをしっかり吸い込みそして一口含むと、インティアの顔に微笑みがこぼれた。
いつもならクラディウスは選ばない甘い後口のワイン。
きっとこの時間のために甘いものにしたのだろう。
インティアがうなずいたのを確認すると、二つのグラスにワインを注ぎ乾杯した。
「俺たちの一年目に」
クラディウスの言葉がなくても、インティアは顔がにやけたり泣きそうになったりするのを抑えるのに必死だった。
ちょうど一年前のこの日、青い薔薇と青い滴のピアスを証としてお互いにつけた。
それからいろいろありはしたものの、二人は離れることなく過ごした。
「一緒に一年いられて嬉しい」
素直にインティアが言うと、クラディウスも大きくうなずいた。
そして大きな手でインティアの手を包み込んだ。
インティアが青く光る目を見ると、クラディウスは真面目な面持ちで言った。
「結婚をしたいと思う。
インティアを私の生涯の伴侶にしたい。
受けてくれるか」
インティアは目を見開き一瞬嬉しそうに顔をほころばせたが、すぐに険しく悲しい表情になり思い切り首を振った。
「だ、だめっ!」
あまりの勢いと、まさかの拒絶にクラディウスのほうが驚いている。
「どうして」
「僕にはできない…」
そうつぶやくと、インティアは唇をかみしめた。
夢見たことはあった。
それが現実になるだなんて。
今、息が絶えてしまってもいいくらい、幸せ。
本当に嬉しい。
…でも、僕にはできない。
俯いてしまったインティアを面白くなさそうに見るクラディウス。
むっとして立ち上がり、インティアを少し乱暴に抱き上げるとそのまま長椅子に座った。
自分の膝の上にインティアをのせ、左手で腰を抱き、右手でインティアの手をすくい取るとその甲に口づけをした。
「理由を聞かせてもらえるかな」
クラディウスは努めて冷静になろうとしている。
インティアもそれにならって冷静になろうと深呼吸をした。
間近で見たクラディウスの青い瞳は滴のように流れていきそうだった。
泣かないで、ディー…
「そんなふうに言ってもらって、とっても嬉しい。
迷いなく手放しで受けられたら、と思う。
でも、僕にはできない」
インティアは大きく息を吸った。
「僕は…自分の仕事に誇りを持っている。
それを恥じたりはしない。
でも世間は違う。
僕のせいでディーの評判がよくないことも知っている」
「そんなこと、気にしなければいい」
「他にも理由がある」
「なんだ」
「…僕には子どもが産めない。
ディーは大公様の流れをくむ公爵様の長男だから跡継ぎがいる。
僕といれば跡継ぎは望めない」
切なそうにインティアは言いきると、また唇をかみしめた。
いずれ別れのときが来ると思っていた。
頃合いを見て、インティアはクラディウスから離れようと考えていた。
クラディウスが素敵な女性と結婚をするために。
妾になることも考えたが、妻になる女性に申し訳なかったし、なによりも自分がクラディウスが他の人を愛しているのを見るのがつらすぎるのでやめた。
何度か始まりの森に一人でいる神官テヤに、神殿で暮らすことができないかと尋ねたことがある。
テヤは優しく微笑んで、「神の許可が下りればできますよ」と言ったが、最後に「それを貴方はお望みですか」と必ず聞いた。
望むはずがない。
けれど、それしか自分の安全を守りながら生きられる選択肢を見つけられなかった。
ラバグルトなど自分の側近にも十分な金を渡してやりたかったので、計算するとあまり手元に金は残りそうになかった。
神殿に引っ込んでしまえば贅沢もできないし、思う存分歌の稽古をして細々となんとかなりそうだった。
「言いたいことはそれだけか?」
重い声でクラディウスが問うた。
「それだけ?」
「ティアが不安に思っていることはそれだけか?
他にもなにかあるのか?
あるなら全部言ってくれ」
「それだけじゃないでしょ。
大事なことなんだよ、ディー」
ちゅっと音を立てて再びインティアの手の甲に口づけをしたクラディウスは、にやりと笑った。
「やれやれ、俺の白薔薇はもっと自信を持てばいいのに。
ほら、こんなに手が冷たくなっている。
ワインをもっと飲め。
身体が温まるから」
クラディウスは立ち上がると小さなテーブルごと長椅子に引き寄せ、またインティアを膝の上に抱えて長椅子に座った。
そしてインティアにグラスを持たせ、自分のも取ると軽くインティアのグラスに乾杯しワインを飲んだ。
つられてインティアも飲んだが、さっきはあんなに甘やかだったワインの隠れた渋みだけを舌が感じた。
インティアが顔をしかめたので、クラディウスはインティアの手からグラスを抜くとテーブルの上に自分のグラスと共に戻した。
「さて、これから少し面白くない話をしようか。
もう誰も知らない話だ」
おどけたような口調で話すクラディウスにインティアは怒った。
「そんなの今じゃなくていいじゃない」
「いいや、今だ。
おまえは聞く義務があるよ、ティア。
一度しか話さないからよく聞いて。
そして他言無用だ。
もし漏れたら、いくら俺でもおまえを処分しなければならないかもしれない。
そんなことはしたくない。
覚悟して聞け」
クラディウスはぐっとインティアを抱く腕に力を込めた。
あまりの真剣さに、インティアは怖くなって身震いをした。
クラディウスは雛鳥の震えを押さえるようにインティアを自分の腕の中へ囲った。
「ピニャータが『兄殺しの弟王』と呼ばれたのを知っているか?」
「前王が?
いや、それは知らない」
「そうか、情報通のインティアも知らなかったか」
「そんなことを言われていたの?」
「すぐにもみ消されたからそれはうまくいったんだろうな、おまえの耳にも届いていないくらいだから。
広がるとまずい二つ名だし」
「本当に兄殺しなの?」
「さあ、噂だからな。
しかし、その噂を囁いた者は次々と体調を崩したり、流行り病にかかったり、自殺したりしたらしいよ」
「それって…」
「兄王には何人か子どもがいたそうだが、その子どもたちもいつの間にかいなくなった」
「……」
「斬殺されたという噂もあったらしいがね」
ふっとクラディウスが自嘲気味に笑ったのに、インティアは気がついて身を硬くした。
「もう誰も知らないことだ…
恐怖で泣き叫ぶまだ幼い子どもたちをね、ざっくりと大剣で切り裂いてね。
血しぶきが飛ぶんだ。
痛がって叫んでいるのをまたざっくりと、ね。
痛いってものではないからね。
なにが起こっているのかわからないよ。
とにかく恐怖と、熱いような痛みと、つんざくような他の兄弟や母親たちの叫び声と…」
クラディウスの胸の中で、インティアはびくりとした。
ディーの身体には斬られ傷が幾つもある。
一番ひどいのは脇から背中にかけてざっくりと。
古い傷のようで、しっかり手当してもらっていないみたいだから、いまでも引きつったままの、あの傷跡…
………もしかして、ディー?!
「みーんな殺されたらしいよ」
クラディウスは話し続ける。
ディーのお父さんって誰だっけ?
名前、憶えていない。
でも確かお身内に宰相か大臣として仕えた人がいるって…
それってピニャータ王の前王のときじゃなかったのかな?
じゃあ、兄王に最も近い人の一人だったんじゃないの?
インティアは花街にいた頃に知り得た情報を思い出していた。
が、やはりそこは子どもだったし、自分が生まれる前のことはあまり興味がなかったせいか記憶が曖昧だった。
ちょっと待てよ。
もしディーがそのとき殺された子どもたちの中の一人だとしたら、ディーは前王様の息子?
王子、ってこと?
あっ…
「どうした?」
自分の中で声を発したつもりが、実際に小さな声を上げていたらしい。
クラディウスが心配そうにインティアの頬に手をやった。
「ディーの百合の紋章…
あの中に小さな王冠が……んぅ」
インティアの言葉はクラディウスの口に吸い込まれてしまった。
クラディウスは目を開けたまま、乱暴にインティアの口を犯す。
そうされながらも、インティアの頭の中はぐるぐると考えが回っていた。
リノが言っていたんだ。
ジュリアスからの手紙の便箋にはクラディウスの百合の紋章の透かし模様が入っているけれど、それには小さな小さな王冠がついてる、って。
ジュリアスやロバートの紋章には入っていないから、クラディウス特有のものかもしれない、って。
ジュリアスの手紙をことあるごとに眺めていたリノが言うんだもの。
見間違えるはずがない。
もし斬殺された兄王の子どもたちが奇跡的に生き残っていたとしたら?
側近やそれにつながる誰かが助け出してかくまったとしたら?
やっぱりディーは兄王の王子…?
「……んぁ…」
ようやく唇を離され、インティアは熱い息を漏らした。
クラディウスはひんやりとした青い目でインティアを見ていた。
「あの紋章は公爵であった父が俺に使うようにと言われた。
その意味までは教えてもらわなかったがな」
莫大な財力。
ただの「公爵の息子で騎士」にしては大きすぎる権力。
父であるピニャータ王を忌み嫌っていた今王マグリカからの多大なる信頼。
インティアの頭は考えることを止めない。
「ティアは賢いな。
賢すぎて生命を落としてはいけないよ」
クラディウスはぱっくりと口を開けて、青い薔薇ごとインティアの耳たぶを口に含み、舌で薔薇を転がしながらも甘噛みをした。
「……ぁ」
「そろそろ戻っておいで、ティア。
俺を見るんだ」
耳たぶから口を離すと、クラディウスは両手でインティアの頬を包み上を向かせた。
クラディウスの金の長い髪がインティアの頭を覆い、インティアは鋭い目をしたクラディウスしか見えなくなってしまった。
そこまでして、ようやくインティアは考えるのを止めクラディウスを見た。
「なぁ、インティア。
もし俺に子どもができたらどうなると思う?
なにかの拍子に本当かどうかわからないような血生臭い因縁を持ち出されて、したくもない争いの場面に巻き込まれたらどうする?」
本来ならば兄王が正しい王。
正しい王の血を引いているのはディー。
そのディーの子どもは正しい王の末裔…?
もし反勢力がこのことを知ったら、ディーの子どもは王位継承の争いに担ぎ出されるかもしれない、ってこと?
「ややこしいことになりそうだろう?
そんなことになったら、かわいそうだ。
俺には子どもは必要ないんだよ。
公爵の爵位だって、きちんと父の血を持つ弟が引き継ぐことになっているから俺は騎士でいられる。
おまえを守る騎士でいられるんだよ、ティア」
「…ディー」
「それに正式な伴侶はインティアしかいらない。
他の誰かとおまえを同時に愛するなんて、できない。
薔薇の滴でいさせてくれ、ティア」
悲痛なうめき声のようにクラディウスが言い、インティアを抱きしめた。
「僕でいいの?」
インティアも大きなクラディウスの身体に腕を回し、必死に抱きしめる。
指先はちょうど、あの引きつった斬り傷の辺りをまさぐった。
クラディウスの身体がびくっと怯えたように震えた。
インティアは優しくそこをなでた。
「おまえがいい、インティア。
私を生涯の伴侶にしてくれるか?
正式に契約を結んでもいいか?」
こんなに恐怖に怯えるクラディウスを初めて知った。
インティアの頬に涙が一筋流れた。
こんなに怖がっている子どもを秘めていただなんて。
僕は知らなかったよ、ディー。
貴方の中の子どもに優しくさせて。
怖かったあの経験が少しでも和らぐように、今のクラディウスを幸せにさせるお手伝いをさせて。
「はい、クラディウス。
僕を伴侶にしてください」
「ああ、インティア…」
クラディウスはとにかくインティアを抱きしめた。
「もうどこにも行くな、インティア。
そばにいろ。
俺のそばにいろ」
「うん…うん…」
息もできないほど抱きしめられながら、インティアは目を閉じて覚悟を決めた。
もう、僕はどこにも行かない。
ずっとディーのそばにいる。
僕がディーを守る。
なんでもできてなんでも持っている立派な騎士なのに、こんなに不器用で孤独なディーのそばにいたい。
そばにいさせて、ディー。
僕は貴方の青い薔薇になるよ、クラディウス。
僕を守ることで生きていられるのなら、僕はいつまでも美しく咲く青い薔薇になるよ。
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