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3. 安芸の島(3)
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道が変わった。
車両が入れなくなった道に入った途端、大きな紅葉の木が数本あった。
黒々とした幹と枝は血管のように枝分かれしてうねり、四方八方に延びている。
その隙間を埋めるように紅葉したもみじの葉が小さく埋め込まれていた。
それが天蓋のように2人の頭上から覆いかぶさってくる。
2人は声も出さず、首が痛くなるほど見上げて眺めた。
英介がはっとして、カメラを構える。
しかし、この様子は何回シャッターを切っても満足する写真にならない。
それでも、レンズをあちこちに向け、あるいはファインダーから目を離し狙いを定めてからまた覗き、写真を撮っていた。
興奮気味にシャッターを切っていたが、集中力を失って、英介は写真を撮るのをやめた。
どきりとした。
天蓋のもみじを見上げている速水は泣いていた。
頬を伝う涙を拭おうともせず、流れるに任せている。
綺麗だった。
色の白い速水が朱い葉をバックに泣いて濡れている様子は、声を立ててはいけないと思うほどだった。
しかし、英介は少し苛立ちも覚えた。
速水がこんな顔をしてもみじを見ているのが許せなかった。
鹿を見たときのようにはしゃいで、純粋に紅葉を楽しんでほしかった。
速水が道の真ん中で泣いているのも、嫌だった。
英介はぐいっと速水の腕を引っ張った。
急なことに速水は驚いたが、抗う気もないのか英介にされるがままにされていた。
英介は少し歩き、道から少し外れて人からあまり見えない松の木の下にやってくると速水を引き寄せた。
「泣きんさんなや」
速水はその一言がきっかけで、肩を震わせ声を上げて泣き出した。
かえってまずいことをしたかのう…
英介はほとほと困ってしまった。
涙を拭うためにハンカチを貸そうかと思ったが、さっきさんざん自分の汗を拭いたのでそれもできずにいた。
速水が泣き顔を見せたくなくて自分で覆ってしまったのは仕方ないが、そこから先はどうすればいいのかわからず、これ以上泣いてほしくなくて「泣くな」と声をかけたらますます泣き出してしまった。
それでも速水がずっと泣きたいのを我慢していたことは、なんとなくわかっていたので、英介はこのまま泣かせておくことにした。
とにかく、鹿と他の観光客からこの泣き顔を守らなくては、と思った。
そしてただただ速水を守る盾になった気持ちで、英介は速水のそばに立ち続けた。
しばらくすると、声が小さくなり、速水がごそごそし始めた。
ズボンのポケットから自分のハンカチを取り出し、顔に当てた。
英介は速水の盾になったままでいた。
顔は見ないようにした。
自分の背中で速水を守るように、速水の背後は自分の視線で警戒するように。
いつ鹿と観光客が来るかわからない。
もっそりと速水が動いた。
顔を見ると、目が赤く腫れていた。
「ごめん」
速水が謝るが、英介は黙って自分のリュックから新聞紙を取り出し、濡れていないことを確認して松の木の根元に敷くと英介の手を取りそこに座らせた。
それから新しいペットボトルのお茶2本とコンビニのおにぎりを出した。
ペットボトルは速水が自分についてくる、と言ったとき、桟橋の自販機で買い足していた。
おにぎりはフェリーに乗る前、宮島口のコンビニで買っていた。
梅と昆布とツナマヨ。
英介は梅おにぎりとペットボトルを速水に押し付けた。
「食べんさい」
そして、自分もペットボトルの封を切りごくごく飲むと、昆布おにぎりにかじりついた。
速水は呆気に取られて、英介を見ていた。
「早う食べんさい。また鹿が来るけぇ」
言われて速水も慌てておにぎりにかぶりついた。
汗をかいた身体に、梅干しの塩味と酸味が沁みた。
お茶はまだ少し冷たかった。
昆布おにぎりを食べ終えた英介はツナマヨおにぎりを半分にし、速水に渡し、残りはばくばくと食べた。
「原田くん、ごめんね。
これ、君のお昼だったんでしょう?」
「ん。まあ…
帰りに商店街で何か食えばえぇし」
速水はまだなにか言いたそうだったが、鹿のことを考え、おにぎりを食べきることに専念した。
2人とも食べ終え、お茶をちびちび飲んだ。
少し落ち着いてきた。
速水がぽつりと言った。
「僕、失恋して広島に来たんだ」
英介は速水を見た。
速水は英介の視線は感じていない様子で続けた。
「振られて自暴自棄になって、会社に行きたくなくて年休を取って。
旅行会社のポスターのもみじを見たら、すっごく見たくなって、新幹線に飛び乗って広島に来ちゃった」
「それで二日酔いか」
「え」
「桟橋でちぃと酒臭かったけぇ」
「あ!ほんとに?ごめん!そんなに臭った?」
「まあ…、ちぃとじゃ」
英介は突然の速水の告白にどうしたらいいのかわからなくて、淡々とぶっきらぼうな言動しかできなかった。
それでも、少しは慰めたいと思った。
「カノジョさんと一緒に来んでよかったよ。
厳島神社の神さんは女じゃけぇ、カップルで宮島に来たら嫉妬して別れさせる、いうジンクスがある」
「そうなの?」
英介はうなづく。
「じゃけど、厳島神社で結婚式も挙げられるんで。
なんか、矛盾しとらん?
「そうだね」
速水は笑った。
が、また真顔になった。
「彼女、じゃないよ」
「?」
「僕の恋人は男性だった」
「?!」
「あ、ごめんごめん。驚かせた?嫌だった?
なんでか原田くんといたら、しゃべりたくなっちゃって。
話すつもりはなかったんだけど…
ごめんね」
「いや、えぇよ」
英介はすごく驚いたが、速水がとてもすまなそうにするので、平気な顔をしていた。
それから「行くか」の英介の一声で2人は腰を上げ、新聞紙を片づけた。
そして、またうぐいす歩道に戻ったが、これまでとは違うのは英介が速水の手を引いていたことだ。
泣いたあとの速水は儚げで、このまま弥山に消えてしまうんじゃないか、と思わせるくらいだった。
英介に手を取られた速水も驚いたが、なにも言わず、そのままにしておいた。
車両が入れなくなった道に入った途端、大きな紅葉の木が数本あった。
黒々とした幹と枝は血管のように枝分かれしてうねり、四方八方に延びている。
その隙間を埋めるように紅葉したもみじの葉が小さく埋め込まれていた。
それが天蓋のように2人の頭上から覆いかぶさってくる。
2人は声も出さず、首が痛くなるほど見上げて眺めた。
英介がはっとして、カメラを構える。
しかし、この様子は何回シャッターを切っても満足する写真にならない。
それでも、レンズをあちこちに向け、あるいはファインダーから目を離し狙いを定めてからまた覗き、写真を撮っていた。
興奮気味にシャッターを切っていたが、集中力を失って、英介は写真を撮るのをやめた。
どきりとした。
天蓋のもみじを見上げている速水は泣いていた。
頬を伝う涙を拭おうともせず、流れるに任せている。
綺麗だった。
色の白い速水が朱い葉をバックに泣いて濡れている様子は、声を立ててはいけないと思うほどだった。
しかし、英介は少し苛立ちも覚えた。
速水がこんな顔をしてもみじを見ているのが許せなかった。
鹿を見たときのようにはしゃいで、純粋に紅葉を楽しんでほしかった。
速水が道の真ん中で泣いているのも、嫌だった。
英介はぐいっと速水の腕を引っ張った。
急なことに速水は驚いたが、抗う気もないのか英介にされるがままにされていた。
英介は少し歩き、道から少し外れて人からあまり見えない松の木の下にやってくると速水を引き寄せた。
「泣きんさんなや」
速水はその一言がきっかけで、肩を震わせ声を上げて泣き出した。
かえってまずいことをしたかのう…
英介はほとほと困ってしまった。
涙を拭うためにハンカチを貸そうかと思ったが、さっきさんざん自分の汗を拭いたのでそれもできずにいた。
速水が泣き顔を見せたくなくて自分で覆ってしまったのは仕方ないが、そこから先はどうすればいいのかわからず、これ以上泣いてほしくなくて「泣くな」と声をかけたらますます泣き出してしまった。
それでも速水がずっと泣きたいのを我慢していたことは、なんとなくわかっていたので、英介はこのまま泣かせておくことにした。
とにかく、鹿と他の観光客からこの泣き顔を守らなくては、と思った。
そしてただただ速水を守る盾になった気持ちで、英介は速水のそばに立ち続けた。
しばらくすると、声が小さくなり、速水がごそごそし始めた。
ズボンのポケットから自分のハンカチを取り出し、顔に当てた。
英介は速水の盾になったままでいた。
顔は見ないようにした。
自分の背中で速水を守るように、速水の背後は自分の視線で警戒するように。
いつ鹿と観光客が来るかわからない。
もっそりと速水が動いた。
顔を見ると、目が赤く腫れていた。
「ごめん」
速水が謝るが、英介は黙って自分のリュックから新聞紙を取り出し、濡れていないことを確認して松の木の根元に敷くと英介の手を取りそこに座らせた。
それから新しいペットボトルのお茶2本とコンビニのおにぎりを出した。
ペットボトルは速水が自分についてくる、と言ったとき、桟橋の自販機で買い足していた。
おにぎりはフェリーに乗る前、宮島口のコンビニで買っていた。
梅と昆布とツナマヨ。
英介は梅おにぎりとペットボトルを速水に押し付けた。
「食べんさい」
そして、自分もペットボトルの封を切りごくごく飲むと、昆布おにぎりにかじりついた。
速水は呆気に取られて、英介を見ていた。
「早う食べんさい。また鹿が来るけぇ」
言われて速水も慌てておにぎりにかぶりついた。
汗をかいた身体に、梅干しの塩味と酸味が沁みた。
お茶はまだ少し冷たかった。
昆布おにぎりを食べ終えた英介はツナマヨおにぎりを半分にし、速水に渡し、残りはばくばくと食べた。
「原田くん、ごめんね。
これ、君のお昼だったんでしょう?」
「ん。まあ…
帰りに商店街で何か食えばえぇし」
速水はまだなにか言いたそうだったが、鹿のことを考え、おにぎりを食べきることに専念した。
2人とも食べ終え、お茶をちびちび飲んだ。
少し落ち着いてきた。
速水がぽつりと言った。
「僕、失恋して広島に来たんだ」
英介は速水を見た。
速水は英介の視線は感じていない様子で続けた。
「振られて自暴自棄になって、会社に行きたくなくて年休を取って。
旅行会社のポスターのもみじを見たら、すっごく見たくなって、新幹線に飛び乗って広島に来ちゃった」
「それで二日酔いか」
「え」
「桟橋でちぃと酒臭かったけぇ」
「あ!ほんとに?ごめん!そんなに臭った?」
「まあ…、ちぃとじゃ」
英介は突然の速水の告白にどうしたらいいのかわからなくて、淡々とぶっきらぼうな言動しかできなかった。
それでも、少しは慰めたいと思った。
「カノジョさんと一緒に来んでよかったよ。
厳島神社の神さんは女じゃけぇ、カップルで宮島に来たら嫉妬して別れさせる、いうジンクスがある」
「そうなの?」
英介はうなづく。
「じゃけど、厳島神社で結婚式も挙げられるんで。
なんか、矛盾しとらん?
「そうだね」
速水は笑った。
が、また真顔になった。
「彼女、じゃないよ」
「?」
「僕の恋人は男性だった」
「?!」
「あ、ごめんごめん。驚かせた?嫌だった?
なんでか原田くんといたら、しゃべりたくなっちゃって。
話すつもりはなかったんだけど…
ごめんね」
「いや、えぇよ」
英介はすごく驚いたが、速水がとてもすまなそうにするので、平気な顔をしていた。
それから「行くか」の英介の一声で2人は腰を上げ、新聞紙を片づけた。
そして、またうぐいす歩道に戻ったが、これまでとは違うのは英介が速水の手を引いていたことだ。
泣いたあとの速水は儚げで、このまま弥山に消えてしまうんじゃないか、と思わせるくらいだった。
英介に手を取られた速水も驚いたが、なにも言わず、そのままにしておいた。
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